第2話

一九九九年。五月の終わり。

中学三年生になって、みんなが新しいクラスにも馴染み始めた頃だった。

中間テストを終えて、その結果に一喜一憂している時に、三浦大吾がA組に転入して来たのだった。

五月の終わりという半端な時期に転入して来たことに違和感を抱いた者はいただろうか。

たぶん、いなかった。

若葉も含めA組の誰もそれに気付かなかったのだ。


「三浦大吾です。東京の町田市から来ました。よろしくお願いします」


スラリとした長身。色白の肌。髪は地毛なのだろう、明るい色で軽くウェーブがかかっていた。目は切れ長で鼻はやや鷲鼻だが、充分に美少年だった。若手俳優やアイドルのようなルックスだ。

この辺りでは存在しない洗練された風貌に見えた。

クラスの女子が興味を持ったのは当然だ。

東京から来た転校生というだけでもオーラがある。それがアイドルのような男の子だったわけだから。そのオーラは何倍にも光輝いた。

大吾は来たその日から、クラスで一番の注目の的となった。女子生徒の体温が五分ぐらい上昇したかもしれない。

熱い視線を彼女達は大吾に注いだのだった。



若葉の中学では全生徒が部活動に入ることになっていた。しかも運動部しかなかったからどんなにスポーツが苦手でもどこかに属さなければならない。田舎の中学ではよくあるパターンだ。

虚弱体質の子は、ほとんどが卓球部に入った。そんなわけで卓球部には、もやしのような子がいっぱい集まった。部活カースト最下位が卓球部だ。


三浦大吾も、この学校の生徒になったからにはどこかの部に入らなければならない。

大吾は東京の中学でテニスをやっていたということで一応テニス部に入ったが、それは形式的なものになるはずだった。

何故なら、夏の大会が終われば三年生は部活引退となるから。今からテニス部に入ったところでせいぜい二、三か月しか出来ない。

卒業アルバムの写真を撮るためだけに入ったようなものだ。


ところがである。

テニス部の練習にいざ出たところ、大吾のテニスの腕前が凄いということが判明した。

顧問が試しにキャプテンの村上と試合をさせてみた。

村上というのは、A組の学級委員で変わり者の村上健太の事だ。

健太は一応、文武両道なのだが、ヒステリックな性格と横柄な態度で女子生徒からはそっぽを向かれている。ただし努力家ではあった。


三浦大吾と村上健太のテニス対戦は互角だったが、なんとか健太が勝利した。

それを見たテニス部の顧問は、夏の大会はこの二人でダブルスを組ませて出場させるという方針に急遽変更したのだった。

テニス部の連中は唖然とした。二年間も一緒に汗水たらして練習してきた仲間を外し、昨日今日やって来た大吾をいきなりレギュラーに抜擢したのだから。

「それはねーよ」

とみんな、顧問への不満を口にした。

実はテニス部の顧問は今年変わったばかり。若い社会科の先生だった。

この新顧問は勝手に様々な部活改革を始め、テニス部は振り回されていた。やりにくい顧問だと健太はクラスでも愚痴をこぼしていた。

この件で一番ショックを受けたのは、もちろん、健太とペアを組むはずだった生徒だ。

それが川崎だった。

そう、『キャバ嬢』や『ユウトウセイ』の名付け親の川崎だ。

A組のムードメーカー的な存在だったので、その影響はクラスにもいくらか波及した。


大吾の大抜擢の件は、A組ですぐに広まった。

川崎は可哀そうだよな、みたいなどんよりした空気が男子には漂っていた。川崎当人は「なんでもない」と明るい態度を装っていたが、無理しているのは丸わかりだった。この話題を持ち出されるのは苦痛だっただろう。

男子はそれなりに気を使っていたが、しかし、それを逆撫でした人物がいた。

それが『キャバ嬢』の新海エリカだった。


「三浦くん、すごいねぇ。入ってすぐレギュラーになったって聞いたけど」

エリカが上目遣いで大吾に話しかけた。

それを合図とばかりに大吾は四人の『キャバ嬢』に囲まれ、キャーキャー言われ始めた。

大吾は困ったような照れたような顔を見せたが、まんざらでもなさそうだった。

その様子を他の女子グループは羨望の眼差しで遠巻きに眺めていた。

若葉は自分もスポーツをするのでスポーツマンは好きなのだが、大吾に惹かれることはなかった。これは生理的なものかもしれないが、なんとなく苦手なタイプに思えた。


男子が三浦大吾に対して、どういう感情を抱いていたか、若葉には知る由がなかったが、外から見ていると、男というのは同性に対してあまり嫉妬をしない生き物のようだ。

その人物の能力や外見を見て、敵わないと思うと素直に認めてしまうところがあるように感じた。

男子生徒はチヤホヤされている大吾に対して、しょうがないかという態度をとった。一種の諦めムードだ。

その諦めムードを一番持ったのは、意外にも川崎だった。

川崎はみずから大吾に近づき、卑屈な感じで友達になろうとしたのだ。

当の川崎がそんな態度をとるのだから、他の男子は言わずもがなだった。

男子の中で格付けが瞬時に出来上がってしまった。


ただ村上健太だけは違った。

「俺は川崎と組んだ方がやりやすい。三浦とはやりたくない」

と公言して憚らなかった。

健太は彼をライバル視したのだろうか。

勉強以外で勝てる要素など何もないのにと周囲は思っただろう。

そもそも健太が学級委員をやっているのも、単にクラスの男子の中で一番成績がいいからという理由だけだった。面倒な事は村上に押し付けておけ、みたいなニュアンスもあった。

A組の男子にはそういうシラケムードが漂っている。

だからこそ、三浦大吾のようなアイドルが出現して、A組の女子が浮足立ったのだ。クラスの男子など彼女らは眼中になかった。

それはなにも『キャバ嬢』だけではなかった。



「三浦くんのこと、どう思う?」

正門前、コンクリの地面を竹箒で掃きながら、赤いフレームのメガネをかけた野口玉緒が窺うように若葉に尋ねた。

玉緒は、若葉と同じ『ユウトウセイ』グループで若葉の一番の友達だった。

成績は物凄く良い。学年でも一桁順位を取るという超が付く優等生だ。


「どうって?」と若葉は少しとぼけてみせた。玉緒が大吾に惹かれているのはとっくに気づいていたが、あえて知らないフリをしていた。

「ちょっと、いいと思わない?」

若葉の反応を探るように珠緒は言う。

メガネを外すと、玉緒は実はアイドル顔で、けっこうキュートな顔をしているのだ。ただ、頭が良い女子は男子が敬遠するし、玉緒も男子に対しては高飛車なところがあって、恋とはいままで無縁だった。

それに玉緒は超秘密主義だ。

好きな男の子が出来ても親友の若葉にも簡単には話そうとはしなかった。

でも、若葉は珠緒がどんなタイプが好みかを知っている。

頭の良い女の子なのに、珠緒はルックス重視なのだ。だから、大吾にも惚れるんじゃないかと薄々感じていた。

ただ、秘密主義の珠緒が自分から言い出すとは意外すぎた。

珠緒にも春が来たのかな。

「かっこいいかもね」

若葉がそう答えると、玉緒は「でしょ」と声を弾ませた。

若葉の同意を得られて、珠緒は上機嫌になったようだ。

「だけど、競争率は高そうじゃない」

「そうなのよね」

三浦大吾はすでに『キャバ嬢』にキープされている。

特に新海エリカは露骨だった。

先日、教室の席替えがあった時、強引に大吾の隣の席をゲットしたのだった。

中学の座席は男女がペアになっていて、しかもぴったりと机がくっ付いている。隣が好きな男子ならテンションは上がるし、嫌いな男子だと憂鬱になる。

中学生活で座席はとても重要なのだ。

この前の席替えのくじ引きでは、大吾の隣は『カゲジョ』女子の一人だったのだが、エリカの「代わってくれない?」の一言で彼女はあっさりと席を譲った。

森麗奈という女の子だった。

エリカとその子ではクラス内の力関係が違い過ぎた。

さらにライバルは何も『キャバ嬢』達だけではない。

休み時間になると、噂を聞きつけた他のクラスの女子がA組にやってきて、こっそりと大吾を値踏みしていったのだった。

競争率が高い、と言われても玉緒はいっこうに気にする素振りを見せなかった。

逆に、多くの女子の憧れの的になっている事が誇らしいという感じだった。

どう、私の目に狂いはないでしょ、みたいな心理なのだろうか。

その気持ち、わからなくはないと若葉は思った。

仮に自分が好きになった子がみんなから嫌われていたら、言い出すことは出来ない。

モテる男子というのは、確かにイケメンだし、バレンタインにチョコを何十個と貰うわけだけど、異性の好みは本来、人それぞれバラツキがあるもの。でも、それをひた隠し、みんながカッコいいと言うから自分もそう思う、と流される女子もいる。

仲良しグループでは同調することが重要なのだ。


「私のタイプじゃないけどね」と若葉は玉緒に言ってみた。

それは本音でもあったけど、やや舞い上がり気味の玉緒に、冷や水をかけたのだった。

心のどこかであの男の子はやめといた方がいいと親友に忠告したい気持ちが沸いた。

それは若葉の直観的なものだった。

もちろん、珠緒に真意が伝わるわけもなかったけど。


玉緒は「あっ、そうか」とにやにやした。

「若葉には沢村くんがいたんだっけ。忘れてた」

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