#006 雪降る①
「ぐすっ、ぐすっ……」
少女が、泣いていた。
薄暗い部屋で一人泣いている。その空間に長く居過ぎたせいか、時間の感覚が狂っている。正確な時間がわからない。だから、自分がどれくらいその場所に留まっているのか。何分。何時間。何日。ただひたすら隠れていた。
自らの脅威が消えるまで。
「怖い。怖いよぉ……」
少女はひたすら助けを願った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
僕が空音さんの手伝いをすると決めてから一週間が経った。
その間、特に何も無かった。あれからいつ魔法使いが現れるか周囲に気を巡らせるようになったが、何かこれといったことが起きるわけもなく、神経をすり減らすような一週間だった。空音さん曰く。そう簡単に魔法使いがいるわけないでしょう。気を張るだけ無駄です、と。貴重なご意見を頂いた。
そのため、僕は久しぶりにゆっくりとした昼休みを過ごしていた。
「ねー、ゆう。聞いてる?」
「あ、ごめん。何も聞いてなかった」
茜に声を掛けられて僕は意識を茜に向けた。茜は頬を膨らませて不満を表現しておた。
「だからー、ゆう、最近神凪さんと仲良くない? どんな手品使ったのさ?」
種も仕掛けもない魔法で繋がってます、物理的な意味で。とは口が裂けても言えない。僕は事前に考えていた言葉を出す。
「本屋で知り合ったんだよ。同じ作家が好きだったみたいで。それで話が合ったんだよ」
「えっと、それって、みなみなみなと? だっけ?」
「
「あー、それそれ。でも、私小説読んでると眠くなるから無理だなぁ」
茜はあははっ、と笑っていた。良かった、機嫌が元に戻ったようで。
「皆城湊の作品でも読みやすいのあるから読んでみるといいよ。人生観が変わるから」
「あはは、大袈裟だなぁ」
僕が皆城湊先生の作品をいかに面白いのか熱弁しようとした直前、再び僕に空音さんが声を掛けてきた。
「クヌギくん。今日の放課後、ひま?」
それは魔法使いとしての活動を意味する。が、こんな公然の場では誤解されても仕方ない。
「あ、うん」
「おすすめの本屋に行かない?」
「あ、うん」
僕はなんか同じ答えしか出せない木偶の坊になっていた。空音さんはじゃあまた後で、と言うと席に戻っていく。最近クラスメートの視線になれつつある自分が怖くなる。
僕が茜の方に向き直ると、またもや不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「デートのお誘いですね。良かったですねっ」
「言葉と表情が一致してないんだけど。というかデートじゃないって。ただ出かけるだけで」
「男女で出かけるのをデート以外の何て言うのさ」
「茜。僕は前々から思っていたけど、男女をセットにするとそういうのに結びつけようとする風潮をいささか疑問に思うことがあって――」
「真面目な話なんだけど」
「すいません」
結局、機嫌は悪いままだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
放課後。
僕は空音さんと電車に乗っていた。この電車に揺られて数十分。隣町に向かっている最中だった。弓月市に隣接する〈
電車は思ったより空いていた。
けど、席には座らず手すりに寄りかかっていた。僕は空音さんと向き合う形だ。
「今日はどこへ行くの?」
デート。茜から言われた言葉が浮かぶ。
が、残念ながらそれは無さそうだ。
空音さんは車窓に視線を向けながら言った。
「弦木市セントラルタワー。そこに今回の
空音さんはそう言って、学生鞄から携帯を取り出す。手早く操作をして、僕に携帯の画面を突き出した。それは昨夜のニュース記事だった。
5月6日深夜未明。
弦木市の人気スポットの一つである弦木市セントラルタワー。そのタワーを中心に雪が降った。雪はタワーを中心に半径一キロメートル圏内に振り続けており、晴れと雪の境界ができるという異常気象であった。5月7日午前10時38分現在も雪は降り続けており、一部では「雪降る町」と注目を集めている。気象関係者はこの異常気象の調査を行っているが芳しくない模様。ある気象学者によると「こんな一部に長期的に、それもこの時期に雪が降るのはあり得ない」と述べていた。では、次に――
僕は記事の内容をざっと見て、空音さんに目を向けた。
「これって、もしかして……」
僕の言葉に空音さんは頷く。
「魔法使いの可能性が高いでしょう。事前に貰ったデータの中に類似した魔法使いがいました」
空音さんは携帯を学生鞄にしまいながら答えた。
「〈雪の魔法使い〉。通称ユキフル。かつて街一つを壊滅させたことがある名です。厄介な魔法使いです」
街一つを壊滅させた。その事実に僕は内心怖気づいた。やっぱり僕が踏み入れた世界は、僕の知らない、今まで知ることのなかった残酷な世界だ。
弦木市の駅に到着して電車を出ると、肌寒い風が僕を通り過ぎた。不意打ちだったために僕はくしゃみをした。それを見た空音さんが言う。
「ここらは魔法の影響下が無いとはいえ、防寒具を持ってきてからいけば良かったです」
「いや、これくらいならなんとかなるよ。空音さんはマフラーを用意しておくなんて流石だね」
空音さんは空色のマフラーを触れた。そういえば空音さんはいつもマフラーを巻いていたのを思い出す。マフラーを巻いている姿がフォーマットになっていたため気付けなかった。
「これは、大切な人からの贈り物です」
きゅっと、マフラーを握る空音さんの表情にはどこか寂しげなものだった。
「夜まで時間があります。周囲の探索に時間を費やしましょう」
「う、うん」
僕と空音さんは駅を出て、弦木市の探索が始まった。駅から出た瞬間に弓月市とは違い栄えてる街の姿にやや気後れした。空音さんは躊躇いなく歩いていく。僕も空音さんの隣に陣取り歩幅を揃える。
弦木市は高層ビルが立ち並び、時折見覚えのあるチェーン店やファミレスを見かける。たった数十分の距離で随分街の姿は様変わりのだと感心した。
お目当てのセントラルタワーは駅から歩いて十分ほどで着いた。それだけで当初の目的の半分は達成した。けど、もう半分は達成されなかった。
「交通規制が、されてる……」
それは異様な光景だった。
白い濃霧が街を包んでいた。先程見た記事の言う通りであれば、セントラルタワーから半径一キロ圏内は白い濃霧で覆われてしまっていることになる。白の濃霧の先から聳え立つ影がおそらくセントラルタワーだろう。
だが、交通規制がされているほどに街は混乱していた。
「まだ夜になってないのに、こんな目立つことして、大丈夫なのかな」
僕は白の濃霧を見ながら言った。
「魔導大戦の
空音さんは別方向に歩き出した。
入ったのは裏路地。僕は躊躇してしまったが、空音さんはぐいぐい先に進む。男前だなぁ。
都市の裏路地ほど複雑な道は無い。湿気が強くジメジメしている。辺りは仄暗く、歩みの速度を遅くさせる。入り組んだ道を何度も右に曲がり左に曲がり、元の道さえあやふやになってきた頃、空音さんの歩みは止まった。
僕たちの前にはまたもや白の濃霧があった。境界線の手前まで来ていた。
「事態は、深刻かもしれませんね」
「え?」
「この白い霧は恐らく〈雪の魔法使い〉の結界です。何の意図があってかはわかりませんが、結界は徐々に大きくなっている。この霧は長時間当てられ続けると凍ってしまいます。街全体が滅びかねない」
「なっ……!」
「今から突入します。クヌギくん、覚悟はいいですか?」
「……うん」
いつの間にか、空音さんの周囲にあの白い球体が浮かんでいた。その一つが僕の元にやって来る。
「私の魔法の一部です。その中には昨夜戦った〈斬りの魔法使い〉の魔法が
「りょ、了解」
「使い方はなんとなくわかると思います。なんとなく、ですけど」
感覚的な問題みたいだ。考えるな、感じるんだ、みたいな精神でいけばいいのか。
「それと、携帯持ってますか?」
「持ってるけど?」
「アドレスを交換しておきましょう。今から二手に分かれます。〈雪の魔法使い〉は白い霧の結界の街中か、タワーのどちらかにいます。十中八九タワーが怪しいです。一応、私は全力で街中を探しますから、その間にクヌギくんはタワーの探索をしておいてください。何かあったら即連絡を」
そうして僕と空音さんはアドレスを交換した。アドレスを交換は嬉しいけど、こんな場面で交換したくはなかった。なんというか、ムードがほしかった。
「では、頼みますよ。クヌギくん」
「う、うん」
「死なないでくださいね」
僕たちは白い霧の中に入っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
何も見えない。
白い霧の中をどれほど歩いたのか。
壁に手を付きながら歩く。でないと、足元すら危うい。
それと、寒かった。異常に寒かった。鳥肌が立っているだろう。あの時防寒具を買っておいたほうがよかったと今更ながら後悔する。
空音さんと別れて十分ほどか。
僕はまだタワーに着いてない。
タワーらしき影に向かって歩いているけど、その姿は一向に現れない。多分、遠近感がおかしくなっているのだ。
瞬間、何かに激突した。鼻が強打する。
「いたっ!」
鼻をさすりながら僕はそれを見た。
「た、タワーだ……」
いつの間にかタワーに到着していた。激突するまで気づかないとは。
セントラルタワーは高さ百メートルほどの塔だ。弦木市の何かの記念日に建てられたという。聳え立つように立っていた。
僕は自動ドアに近づく。が、自動ドアは開かなかった。
「故障してる……?」
ジャンプしても触っても駄目だったので仕方なく無理やり開けることにした。人一人分入るほどの隙間が開く。
「失礼しまーす」
僕の声は虚しく反響した。誰もいない建物。ここに〈雪の魔法使い〉がいるかもしれない。
仮に会ってしまったら、僕はどうすればいいんだろうか。
一度ひと息。白い息が漏れた。
「……行こう」
タワーのエレベーターは機能していなかった。ので、階段を使うことになる。
タワーは三段構造を取っているようだ。一段目はエントランス。先程僕がいた場所。二段目はタワーの中間層。訪問者がタワーから街を見下ろすスペースだ。長い時間をかけて階段を登り切る。
かつん、かつん、と。僕の足音だけがそのスペースに響く。
「だ、誰かいませんかー? ……って、これはおかしいか」
一人ツッコミ。何してるんだか。
この場所は窓ガラスが全面に張り巡らされており、本来であれば街を見渡すことができるのだろう。が、今は白い霧に覆われている。
一通り探索したが、特に成果は得られなかった。となると、次はタワーの最上階となる。タワーの最上階、つまり屋上だ。
屋上に向かおうと決めた直後、何か音が聴こえた。
「……泣き声?」
確かに、泣き声だった。
僕は走り出していた。
登る階段から聞こえる。その内部……スタッフ専用の道だ。僕はそこに入ると、ズラッとした部屋の扉が並んでいた。その右から三番目の扉。そこから泣き声が聞こえた。
僕はその扉の前に立った。
開けるべきか? それとも……。
迷いは、一瞬だった。
僕は扉を開けた。
「………………え?」
泣き声が、止まる。
部屋は用具入れのようだった。恐らく清掃員が使うのだろう。モップやバケツがあった。その狭いスペースに少女が泣きじゃった顔で縮こまっていた。
白い髪をした少女だった。
僕と目が合う。
「……」
「……」
僕は言葉を失った。
この子が、もしかして雪の魔法使い?
少女は震える声で言う。
「あ、あなたは、悪い魔法使いですか?」
「え? わ、悪い?」
「そ、そうなんですか?」
「……たぶん、違うよ」
僕はどう答えていいかわからず、思ったままの答えをした。少女は目を見開き、やがてボロボロと涙をこぼした。
不意に、少女は僕に抱きついてきた。噛みしめるように涙をこぼしながら言った。
「お願い……! わたしを、助けてっ」
助けを、求められた。
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