#007 雪降る②
少女はフユミと名乗った。
冬は美しいと書いて冬美。
響きがいいな、と思った。それを口にすると、フユミちゃんは真っ赤な顔をして照れていた。僕もつられて照れた。
フユミちゃんはひたすら泣いたあと、ようやく落ち着きを取り戻したみたいだった。お互い自己紹介ができるぐらいには、余裕が生まれた。
「それで、フユミちゃん。訊きたいことがいくつかあるんだけど、訊いても平気かな?」
僕はできるだけゆっくり丁寧に話しかけた。フユミちゃんは僕が来るまで完全に怯えていた。よほど怖いことがあったに違いない。それは見てすぐにわかった。
僕の質問にフユミちゃんはおずおずといった様子で、けれど確かに頷いた。
「ゆうくんになら……」
ゆうくん、なんて呼ばれ方が、少しだけくすぐったかった。
「この、白い霧を出しているのは、フユミちゃんで間違いないかな?」
「…………うん」
「白い霧を出してるのは、理由があるからなんだよね? 話してくれないかな?」
僕の言葉にフユミちゃんは最初黙り込んでいた。僕は言葉を待った。急かさず、フユミちゃんのペースに任せた。フユミちゃんはようやく口を開く。
「わたしの家ね、魔法使いの、家なんだけど、でも、いつもは魔法使いとかじゃ、なくて。普通の家と変わらないの。お母さんとお父さんと、一緒で普通に暮らせていたはずなの」
魔法使いは魔導大戦が無い場合、一般人に紛れ込んでいると聞いたことがあった。フユミちゃんの両親は一般家庭を築いていた、ということだろうか。
「昨日の夜、わたしの家に、誰かが来て、お母さんが見に行ってて、変な音がして、お父さんが見に行って、ボッと、赤くなって、それで――」
「フユミちゃん、もういいよ」
僕は言葉を止めた。フユミちゃんは顔を真っ青にして、涙を浮かべていた。
話の内容はなんとなく理解できた。フユミちゃんの家に‘‘悪い魔法使い’’が現れた。そいつはフユミちゃんの両親を殺して、フユミちゃんはそいつから逃げている。この白い霧はフユミちゃんにとっての砦だったのだ。
「あ、連絡しないと」
僕は立ち上がると、フユミちゃんはきゅっと僕の袖を握った。僕は笑いかけて頭を撫でると携帯を取り出す。電話帳の一番上に記された名前をクリック。コール音は三回で繋がった。
『クヌギくん、何かありましたか?』
耳元に空音さんの声が聞こえた。
「えっと、そのあったというか。とにかくっ。色々とわかったことがあったんだ」
『?』
僕はできるだけ手短く、それでいてわかりやすく伝わるように心がけながらフユミちゃんのことを説明した。‘‘悪い魔法使い’’についての話もした。空音さんは黙って聞いていた。顔が見えないから、彼女がどんな表情を浮かべているのかわからない。僕が最後まで話し終えると。
『……わかりました』
と、空音さんは返した。
『今からタワーに向かいます。クヌギくんは雪の魔法使いと一緒にタワーに待機してください。それと、‘‘悪い魔法使い’’にも注意するように』
「う、うん」
雪の魔法使い、か……。
電話が終了する。僕は名残惜しさを感じながらも携帯をしまった。フユミちゃんを見ると、その表情は不安げな色に染まっていた。
「大丈夫。今電話してたのは僕の友達……じゃなくて知人? だから。すごい強い魔法使いなんだよ」
実際二人しか魔法使いは見たことないくせに強弱の把握などできなかったが。
「その人が来るまで待機しておこう。きっと力になってくれるよ」
「ゆうくんが言うなら」
フユミちゃんはそこで初めて表情が和らいだ。ふっとはにかんだ笑み。年相応の表情だった。
「ようやく見つけましたよ。
その声は唐突に聞こえた。
僕はパッと声の方に振り向く。僕から離れて二十メートルほど。一人の男が立っていた。年は二十代前半。すらりとした高身長に、スーツを身に纏う。眼鏡をかけた知的そうな人物。
「あ、ああ……」
フユミちゃんの表情が瞬時に変わった。
震える声が漏れる。男に指さしながら呟いた。
「悪い、魔法使い……」
「っ……、」
僕は男を見た。タイミングは最悪だった。今の僕にできることなんてあるだろうか。
男はフユミちゃんの呟きを耳にしてため息をついていた。
「悪い魔法使い、ですか……。魔法使いに善悪なんてありませんよ。仮にあるのだとしてもユキフル。あなたのほうがよっぽど悪ではないですか。街一つを壊滅させた罪――」
「あ、あれは、祖先の話、だし……」
「だから関係無いと? それは都合の良すぎる話ではないですか? あなたは雪の魔法使いとして生を受けた。魔導大戦の参加資格を得た。持つべきものの義務です」
男はそう言って、僕の方を見た。
「あなたは……誰ですか?」
「僕は……魔法使いだ。この子を助けに来た」
ハッタリだ。実際、魔法の使い方なんてわからないし、そもそも僕って魔法が使えるのか?
僕の答えに男はふむと頷く。
「ユキフルの結界に誘われたタチですか。運が悪いですね。あなた」
「誰なんだ、あんたはっ」
「人の名を尋ねるときはまずは自分から。これ常識なんですけど。まあ、名乗らない理由もないですし名乗っておきましょう」
男は優雅に振る舞いながら言った。
「
緋村の手にぼっと炎が現れた。
「――はじめまして。そして、さようなら」
緋村の手から炎が放たれる。
一方向に続く廊下。回避不可の一撃が僕とフユミちゃんの眼前に飛んできた。僕が炎を認識したときには、炎はもう目の前で来てしまっていた。フユミちゃんは体を縮こませていた。
これは、死ぬ――!
数秒後、轟音。
視界が真っ白になった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なっ――!」
驚きの声を漏らしたのは緋村だった。
僕は死んでなかった。焼かれた地面の上で立っていた。けど、そのことに驚いたわけではない。緋村が驚いたのは僕が握っていた一本の白い剣だった。
事前に空音さんから借りていた白い球。それが僕の手に収まると、形を剣に変えて、僕は無意識に炎を
何の原理かは不明だが、この剣は〈斬りの魔法使い〉の斬ったという事実を加える魔法が働いているらしい。
「それは、斬りの魔法使いの……。――ああ、なるほど。霧崎との連絡が途切れたとは思っていましたが、あなたが殺ったのですか」
誤解された。だが、今は弁明している暇はない。
「フユミちゃん!」
僕はフユミちゃんの手を取ると逃げた。
「逃がすと、思いますか!」
緋村は再び炎を繰り出そうとする。
「斬れ、ろッ!」
僕はある一点に狙いを定めて県を振るった。へっぴり腰で情けない太刀筋。だが、魔法は発動してくれた。
「っ――!」
狙いは緋村の頭上の天井。そこに取り付けられていた電球が弾けスパークを起こした。電球の破片が緋村に飛来する。緋村は咄嗟に回避行動を取っていた。
僕はその隙に逃げ出す。
緋村と真正面に戦っても僕が勝てることはまずない。空音さんの魔法を授かっていたとしても戦いの心得が無いのだ。勝てる道理はない。空音さんが来るまでの間、逃げ続けるしかない。
「ゆ、ゆうくん……! お、屋上に、逃げま、しょうっ」
息を切れ切れにしながらフユミちゃんは言った。
「それだと、逃げ場が、ないと、思うけどっ」
僕も切れ切れに答える。
「狭いところに、居続ければ、炎を、避けることがたぶん、できない。な、なら、戦うふりして、時間を稼いだ方が、きっと恐らく」
「戦うふりって……。僕、戦えないけど」
「わたしも、ですっ」
かなり詰んでるかもしれない。
そう考えているのも束の間、背後から炎が放たれた。僕は咄嗟に剣を振るい炎を斬った。飛び火が頬を横切る。熱い。皮膚が、火傷する。
このままではジリ貧だ。
何より、逃げ切る体力が無い。
「屋上って――」
「こ、こっちですっ」
フユミちゃんが指差す。スタッフ専用の非常階段だった。僕たちは一段飛ばしで登っていく。遅れて、かつん、かつん、と足音が響いてくる。
屋上に出ると、視界が一気に広がる。そこは珍しい光景が広がっていた。空は星がある。タワーを囲むように白い霧がある。タワーは台風の目の中心にいるのだ。
屋上は中心にタワーの柱が立っているだけで、後は何もない。隠れる場所は無いが、広さだけはある。
ここで空音さんが来るまで時間を稼がなければならない。
――死なないでくださいね
そうだ、空音さんと、約束した。
僕と空音さんは魔法で繋がっている。どちらかの死は僕らにとっての死なのだ。
死ぬわけにはいかない。
「フユミちゃん、僕の、後ろに」
声が、震えていた。
屋上に緋村が現れた。
「逃げではなく、立ち向かう選択をしましたか。――不正解ですね」
緋村を見た瞬間、僕は恐怖に襲われた。
今までどこか他人事だった。直前の直前まで緊張や不安、恐怖に気づかないふりをしていた。それを、今気づいた。
切っ先が震える。それでも見栄だけは張ろうと、緋村を睨む。
「炎よッ――!」
緋村が腕を突き出すと同時に炎が放たれた。眼前に巨大な炎。僕は重い手足を動かして剣を振るった。
炎が、裂かれる。
僕は次弾に備えるが、緋村の姿が見えない。
「ゆうくんっ! 右からっ!」
背後からフユミちゃんの声。僕が右に振り向くと、緋村はいくつもの炎を浮かべていた。数は十はある。
「そう何度も同じ手に通用するわけないでしょう……!」
無数の炎が放たれた。
すべて斬れない。
瞬間、炎が眼前で爆発した。
僕はその余波で吹き飛ばされた。衝撃で意識が飛びそうになった。
僕は地面を転がる。
「あなた、本当に霧崎を殺した人物ですか?」
緋村は炎を周囲に浮かばせながら訊ねてくる。僕はどうにか立ち上がろうとするが、身体に力が入らない。
「戦いの素人。霧崎があなたに負ける姿が浮かばない……。霧崎を殺したのは、また別の人物?」
緋村はぶつぶつと呟いている。
「――!」
「ああ、その表情、当たりですね」
しまった。空音さんの存在がばれた。
「ということは、今戦っているのも時間稼ぎ。そのお仲間が来るのを待っている、といったところでしょうか。随分と杜撰な作戦だ。いや、作戦とも呼べない」
緋村はミフユちゃんに腕を突き出す。その手に炎が集まっていた。
「どうやらあなたを餌にすればもう一人魔法使いを釣ることができそうだ。あなたは生かし、ユキフル。あなただけを始末することにしましょう」
「や、めろ……!」
僕の声は届かない。
ミフユちゃんと目が合った。潤んだ目と、縮こまった体。あの時、ミフユちゃんは助けを求めていた。そこに現れたのが僕。主人公でもヒーローでもない、無力で中途半端な僕が来たのはミフユちゃんにとっての不幸だったに違いない。助けに応えられない。
それで、いいのか。
ミフユちゃんは僕を求めた。
本当はミフユちゃんよりも弱い僕に助けを求めた。
僕はなぜ地面に伏している。
今ここで何もできないなんて――。
「ユキフル。死んでくださいッ」
僕は僕を自身を許せない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その時、僕の中で‘‘何か’’があった。
その何かはわからない。
ただ変化した。
そのきっかけとなった。
放たれた炎が
「な――」
緋村から驚きの声が漏れる。
「こ、これは……」
フユミちゃんはそれを見て目を見開いていた。僕は自然と腕を突き出していた。
フユミちゃんの前に黒い球が浮かんでいた。それが炎と激突した瞬間、炎が弾けたのだ。いや、消えたようにも見えた。
「あなたの、
緋村が僕を睨みつけていた。
僕の、魔法。これは僕が作った魔法なのか。
鼻から血が垂れてきた。急に体が重く感じる。体が縛り付けられたかのように手足が重い。
「やはり、あなたが先に――!」
緋村が炎を僕に放っていた。
逃げられない。一度きりの魔法は出てくれなかった。そもそも無意識に発動したのだから当然なのだけど。
瞬間、炎が、裂けた。
僕の前に藍色の髪を揺らせる少女が立っていた。
「なんとか、間に合ったようですね」
空音さんだった。空音さんは一度僕を見ると、一言。
「よく頑張りました。今は休んでいてください」
空音さんの和らいだ表情を見て、僕は場違いにもどきりとした。どきりって。
空音さんは緋村は剣を構えた。
「魔導大戦の盟約に従い、あなたを殲滅します」
「次から次へと……。全員焼き払いましょう」
「――殲滅開始」
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