魔科学の終わりと贖罪のはじまり
なんとかサンストーンに到着したルビアは、ふいに空を仰いだ。
空が、割れている。割れた隙間からラベンダー色が顔を覗かせ、それが結界のほつれなのだろうと思い知るが。ぱっくりと開かれたラベンダー色が、徐々に空の青に消えていっているのがわかる。
「どうやら……カルくんとシトリンさんが間に合ったようですね」
「ずいぶんと困難を極めたが、どうにかなったのならそれでいい」
トリフェーンは心底ほっとした顔で、ルビアを降ろすと、ルビアは手を組んで空に祈りを捧げた。
それを見守りながら、ラリマーはサンストーン付近に張られたテントに視線を移した。どれもこれも帝国機関のものだったが、そこから出てくる人々は困惑した顔で、こちらのほうを見ていた。
当然だ。
今まではテロリストというレッテルを貼って追いかけまわしていたはずの暁の明星団が、皇帝の懐刀である帝国諜報機関を伴ってやってきたのだから。
既に形成は逆転し、帝国錬金機関が断罪され、暁の明星団のほうに正義があるという形になってしまっていた。
ラリマーも覚えのある錬金術師たちが、ひとり、またひとりと出てきた。
ラリマーは声を荒げる訳でもなく、ただ静かにかつての同僚たちに尋ねた。
「これはいったいどういうことですか? サンストーンで、なにがありましたか?」
「……結界を破るため、ゴーレムを起動したものの……でも、もう結界は修復され……」
「結界を破って、魔法を復活させ……それでいったいどうなるんですか? 魔科学を復活させるなんて、既に無理なことを、本気でなそうと思ったのですか?」
「し、しかし……! 既に燃料なんて……もう蒸気機関を使うための石炭なんて、あと数十年でなくなるというのに」
ラリマーは話を聞いて、頭を痛めた。
錬金術師という者はいつもこうなのだ。本来ならば、錬金術師は学者だ。何十年単位で研究を行うものなのだが、数年以内に結果を出せと迫られると、途端に作業の簡略化を謀り、大きな過ちを犯す。
燃料の研究も、研究が数年、実用化がさらに数年と迫られ続ければ、焦る気持ちもわからなくもないが。
既に楽をしようとした結果、帝国中に幻想病を蔓延させてしまった。今はようやく幻想病の原因を停止させることができただけで、まだなにも解決していないし、なにも終わっていない。
「研究を続けましょう。時間が残されているのならば、まだ間に合います。結果を焦る気持ちはわからなくもないですが、それが原因で寝たきりの人々を出すのを見過ごし続ければ、どの道、人の営みは止まるのですから。大丈夫ですよ。大丈夫」
ラリマーの言葉に、隣で一部始終を聞いていたジャスパーが言う。
「あのさあ、ラリマーさん。おれ、帝国機関のことってあんまり知らないんだけどさ」
「なんですか?」
「あそこって、入会? 入社? それするのって、どの試験を受ければいいの? おれ、どっちかというと技術のほうだから、研究職はあんまり向いてないと思うんだけどさあ……」
ジャスパーがのんびりと言うので、ラリマーはメガネ越しに目を輝かせる。
「ええ、本来なら学問所の卒業が必要ですが……学問所卒業と同等であれば、実技試験を受ければいいですよ。もし受けたいというのならば、いつでも推薦文は書きますから」
「あはははは……うん。ラリマーさんも、指名手配取り消してもらえて本当によかったよね。これで、いろいろできることもあるんだろうしさ」
「ええ」
なにも終わっていないし、なにも解決していない。
ただ、世界が唐突に滅びるという危機を脱しただけだ。彼らはそれでも、この路線の複雑に絡まり合ったこの国で生きていくのだから、よりよい生き方を模索しなくてはいけない。
ひとまずラリマーとトリフェーンの指揮の元、帝国諜報機関による、帝国錬金機関の監査がはじまった。
今は使えなくなったとはいえど、ゴーレムの力の強大さを知ったのだ。こんなものが帝国内で悪用されてはかなわないと、即刻回収処分をしなくてはいけないのだから。
残されたルビアとジャスパーは、サンストーンに住む人々に事情聴取をはじめた。
結界が修復された以上、もう幻想病はなくなるはずだが、幻想病患者だった人々は無事だろうかと。
「そういえば、ジャスパーくんはもう大丈夫ですか?」
「おれぇ?」
ジャスパーは喉を抑えながら「あーあー……」と声を上げる。
「ずぅーっと、喉に石が引っかかる感覚があったんだけど、なんか本当に久々に声が通るような感じがする。結界が完全に塞がったら、おれ歌手になれるかも」
「まあ……そのときは、讃美歌を歌ってくださいね」
ふたりは互いにからかい合いながら、サンストーンの民家を回りはじめたのだ。
****
結界と結界の境目。
光の濁流が再び溢れはじめた。その中に、クリスタルはいた。
【そろそろ、ここも塞がりますね。お別れの時間です】
クリスタルの言葉に、シトリンはぺこりと頭を下げた。
「本当の本当に、たくさんお世話になりました」
【ええ、あなたたちが結果の修復者であって、本当によかった】
無機質な少女がうっすらと笑ったとき、ふいにファイブロライトが彼女に手を伸ばした。クリスタルは首を傾げる。
【どうしたんですか? 結界と結界の境目はそろそろ閉じます。この光の濁流に乗って、地上にお帰りなさいな】
「クリスタル・クォーツはどうなる?」
【私の本体は既に死んでいます。私はあくまで端末に過ぎません。再び結界の綻びが現れたとき、私の本体が残したクリスタルの場所に案内するまでの間、待つだけの存在です】
「それは、ひとりでずっといるということか?」
【はい】
「ファイブロライトがいては、駄目か?」
それは、ひどく不可思議な光景にシトリンには思えた。
古代の巫女にすら「おぞましい」と言われた、つくられた命のファイブロライトが、古代の巫女の端末だと称する少女と共にいようとする。
でもホムンクルスは、今の世には必要な存在なんだろうか。賢者の石を生み出すためにつくられた存在で、まだこの世界に生まれるには早過ぎた存在。
ちぐはぐなふたりだが、それは素敵に思えた。
ジェードは唾を吐き出した。
「勝手にすれば? 勝手に生きて、勝手に死ねばいい」
「お前、ほんっとうに可愛くねえな!? 他の言葉を知らないのか?」
またもポカリとカルサイトに殴られた、憎まれ口を叩くジェードは、頭を押さえて「この乱暴者!」とカルサイトを罵る。
「知らないよ、ぼくはそういうことはちっとも教えられてないんだから。どうしてぼくが、他の奴らに合わせないといけないのさ!?」
「はあ……お前、一旦帝国機関やめて、ルビアのところでボランティアしたほうがよくないか? あいつ、教育熱心だからさ。絶対にお前を教育しなおすぞ?」
「なんで孤児院になんか行かなきゃいけないのさ!? 嫌だよ!」
「本当になんでもいやいやいやいや……んー、で、そっくりさんに言うこと、他にないのか?」
カルサイトはファイブロライトを見た。
同じ造形で、瞳の色だけはアメジストと金色と違うふたり。カルサイトはジェードを肩に担いで、ファイブロライトに見せた。
「そっくりさんは? こいつのこと、マスターって呼んでたけど、こいつに言いたいことは?」
そう問いかけられ、ファイブロライトは抑揚のない顔でジェードを見たあと、ぺこん、と漂白された頭を下げた。
「ファイブロライトは、マスターとたくさんの世界を見た。痛いことをした。痛い想いもした」
「なにさ、最後にぼくに対する嫌味な訳?」
ジェードの毒舌を介することなく、ファイブロライトは続ける。
「楽しかった。ファイブロライトは楽しいを、クリスタル・クォーツにあげたい。ファイブロライトの痛みを、クリスタル・クォーツは和らげた。クリスタル・クォーツはすごい。だから、一緒にいたい。マスターが、痛くない、優しい、そんな人と一緒にいられることを、ファイブロライトは祈っている」
その言葉に、シトリンは驚いたようにクリスタルを見て、ファイブロライトを見た。
彼の言葉の意味はなにひとつわからないが、要はクリスタルのことを好きになった、ということらしい。カルサイトはまたもペチンとジェードの頭を叩く。
「無茶苦茶心配されてるじゃねえか。ほら。今度こそお別れだから、もうちょっと最後の言葉はマシなこと言うんだ」
「お前は、本当にぼくのことなんだと思っているんだよ!? ……ファイブロライト」
「マスター」
ジェードは荷物のように担ぐカルサイトに威嚇しながらも、ファイブロライトと向き合った。
金色の瞳が、じっと彼を見ている。それにジェードは心底呆れたように溜息をついて、答えた。
「……勝手にすれば? 君がどう生きたいのか知ったこっちゃないし、なにがそんなに痛かったのか、興味もないけど。ただ、このぼくが君をつくったんだ。せいぜい長生きしてよ。その人間なのかどうかわからないのと一緒にさ」
この悪態は祝福なのか呪いなのかも定かではないが。
言いたいことを言ったので、皆で光の濁流に乗って、ここを出ることにした。
「これから、どうなるんでしょうか?」
シトリンの問いに、カルサイトは「さあな」といつものように軽口を叩いた。
「今を頑張って生きるしかないだろ。できないことはできる奴に任せて、俺たちはできることをしていこうや」
「……そうですね」
最初に帝都に向かったときから、できることしかしていない。これからも、それで十分のはずだ。
光の濁流が、だんだん途切れてきた。
──地上が、見えてきた。
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