結界修復・2

 シトリンはしばらくの間、カルサイトに抱き締められていたが、ようやく彼の腕から離れて、彼を見上げた。

 いつも優しい人が、こんな顔をすることもあるんだなと驚いたのは少し。本当に死ななくってよかったというのが少し。そして、早く結界を修復して、全てを終わらせたいというのが膨らんだ。


「あのう、それで。結界の修復はどうすればいいんですか?」


 シトリンの問いに、クリスタルはファイブロライトと共に頷いた。


【はい、お連れします。こちらにどうぞ】


 クリスタルが、彼女と同名の鉱石が大量に伸びる道を、ゆったりと歩いて行った。それに皆はついていく。

 しばらくクリスタルの背中をついていく中、シトリンの胸がまたも大きく痛むようになってきた。でも。

 光の濁流の中で出会った巫女の言葉を頭に浮かべながら、シトリンは一歩一歩歩いて行った。

 体がバラバラになってしまう痛みを、【確率操作】で痛くないほうを選び取って、抑え込んだのだ。

 だんだん、結界と結界の境目の天井がクリスタルの岩肌から、つるりとした空へと変わっていった。

 やがて、広い空間へと辿り着く。

 その天井に広がる空の向こうからは、不可思議な色の空が広がっていた。

 空の色は、青ではなくラベンダー色なのだ。


【ここが結界の綻び……旧世界と新世界の分かれ目です】

「おいおい……こんなの、ルビアからも聞いたことねえし、神官のじいさんからも聞いたことねえんだけど」


 カルサイトはぱっくりと薄膜が避け、そこから覗く空の色を睨みつけながら言う。

 それにクリスタルは頷いた。


【旧世界のことは、あらゆる文献に記すことを禁じられ、口伝え以外の方法で伝承することを禁じていましたから。もしこのことを世間一般的に広めれば、信仰自体が揺らぐ恐れがありましたから……】

「世界は主が創造した。それを否定されれば、信仰が揺らぐということか?」

【はい、この地において神殿が力を持たず、信仰自体が禁じられていたことと通じる事象でしたから】

「納得できるような、できないような……」


 ファイブロライトの問いにもクリスタルは短く答え、それにカルサイトは頭を抱える。

 もっとも、ゴーレムみたいな魔科学が禁止されていたように、古代に使われていた魔科学も、全ていいものではなかったように思える。今でこそ教会は孤児院という形で存在を許されているが、信仰の流布自体は今もあまりいい顔をされていないから、よっぽど彼らの信仰の中にまずいものがあったのだろうということは、封印されていたものを掘り返してきた帝国錬金機関の所業を見ていたら推測はできる。

 人間同士での足の引っ張り合いなんて、いい加減やめるべきだ。

 シトリンはわからない言葉を右から左に聞き流しつつ、おずおずと口を開いた。


「ここに守護石を投げ込んだら、結界の修復はできるんですよね? でも……届かなくないですか?」


 シトリンは空を見て、眉を寄せる。いくらボール投げが得意な人でも、地上から時計塔の文字盤までボールを投げられる人はいない。

 ファイブロライトの運動神経が異様だとしても、シトリンが確率を一定数操作できるとしても、さすがに距離が大きくないかと思う。カルサイトの銃で守護石を打てばあるいはとは思うが、坑道で銃を使うのは、どこが火薬庫になっているのかわからないのに、難しいだろう。

 彼女の質問に、クリスタルは大きく頷く。


【届かなかったら、ここで世界はおしまいです。旧世界と新世界を分け隔てる結界が破られれば、魔法に耐え切れない新世界が、旧世界に押しつぶされて消失するだけです】

「あんた、こっちにものすっごく難しい注文をしておいて、そんな身勝手な!?」

【ですが、すべてのクリスタルを破壊し、守護石を強化できたじゃないですか。あれは、どれだけ力が優れている人だとしても、ひとりで行うことはかないませんよ】


 クリスタルの言葉は難解ではあるが、なにかしらを伝えようとしているように感じる。

 シトリンは困った顔で眉を寄せていると、ファイブロライトは手を広げ、目を閉じた。


「あ、あのう……ファイブロライトさん……?」

「……坑道、銃を使えば火花が散り、最悪爆散する」

「はい……そうですよね」


 サンストーンで行動中、何度も何度もラリマーやジャスパーに注意されたのだから、シトリンもわかっている。

 しばらく目を閉じていたファイブロライトは、やがて手を開き、難しい顔をしているカルサイトのほうに振り返った。


「カルサイト・ジルコン。どこまで跳べる?」

「どこまで飛べるって……俺ゃ鳥じゃねえから空なんて飛べねえけど」

「質問を変更する。どれくらいの高さまでだったら、着地できる?」

「……俺を投げて高さを稼いで、守護石を放り込む気かよ……」

「この結界と結界の境目は、坑道と空間が違う。集音器で音を拾うことができない。ここなら、坑道の石炭が刺激されて爆発することもない」

「なるほど……銃を使えば、もうちょっとだけ距離を稼げるか」


 今までの暁の明星団の行動を集音していた事実は、ひとまず置いておいて。銃が使えるのならば、まだ結界の綻びまでの距離が稼げる。

 身体能力の高いファイブロライトがカルサイトを投げるときにどれだけの距離が稼げるのかはわからないが、いくら軽いからとは言っても、シトリンを抱えて全力疾走ができるのだから、人ひとりを投げれば、そこそこ距離は稼げることだろう。

 カルサイトはシトリンに尋ねる。


「シトリン、お前は、運を操れるとか言ってたけど……」


 それにシトリンは目を見開く。

 正確には確率の操作なのだから、そもそも確率がほんの少しでも成功の目が出なかったら、操作する以前の問題だ。

 これは、ほんの少しでも成功することなんだろうか。シトリンはじっとエメラルドグリーンに瞳で彼を見上げると、カルサイトはふっとアメジストの瞳を緩ませた。


「俺たちの成功に、賭けてくれないか?」


 そう言って彼は、ファイブロライトの肩を叩いたのだ。

 ぶっつけ本番だ。シトリンは小さな確率操作はさっきからしていても、これは世界の命運がかかった確率操作なのだ。今まで、無意識でしていたことを、狙ってやったことなんてない。

 ……でも。

 ふたりのために、願いたい。この力を使いこなしたい。

 シトリンは首を縦に振った。

 ファイブロライトとカルサイトが、どうやって天井へと上がるかを、ふたりで話しはじめたとき。

 ふいに、胸がチリチリと痛んだ。

 結界の綻びに近付いたための、危険を知らせる痛みとは違う。なにかが、こちらへと近付いてきているのだ。


「あ、あの。なにかが……近付いてきます……!」


 シトリンが声を上げると、クリスタルは顔を曇らせた。


【なんと……冒涜的な】


 結界と結界の綻び、この場を支配していたクリスタルが、大きく巻き上げられて進んでくる。

 地面にはキャタピラの跡。坑道から、無理矢理大穴を開けて侵入してきたのだろう。


「裏切ったな裏切ったな、このぼくを……このぼくを……許さない許さない許さない……!!」


 今まで、人を上から目線で見るような物言いをしていた少年は、いったいどこへ行ってしまったのか。

 ジェードが自身を動力源にして、ゴーレムを起動させて追いかけてきたのだ。

 稀代の神童として持て囃されてきた少年が、自らつくったものに反逆された。それは彼のプライドをズタズタに傷つけたのだ。

 ゴーレムの腕は銃に変わる。


「もういらない。ぼくを邪魔する者も、裏切る者も……全部全部消えちゃえ……!!」


 彼の激高を、カルサイトは苦々しく呟く。


「……トリフェーンの奴、こんのクソガキを甘やかし過ぎだろ。増長し過ぎてるじゃないか」


 あと一歩で結界の修復ができるというときに。

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