結界修復・1
坑道の向こう。神殿文字で書かれた壁画に触れると、光の洪水に招き入れられて、ファイブロライトとカルサイトは結界と結界の境目へと向かっていった。
光の洪水に、カルサイトは不思議そうに辺りを見回していた。
「これ……大昔に神官さんが言ってた奴みたいだ」
「神官?」
「父親代わりにの人がいたんだよ。その人が読んでくれた絵本の中に、光の洪水の話があったんだ」
カルサイトとルビア、トリフェーンは寝物語として、古代魔法の時代の物語を聞いて育ったようなものだ。
寓話に近い形で語られる話は、帝国をあっちこっち回った今でこそ、本当にあったことなんだろうと信じられるものだが、蒸気機関の発達した現在では眉唾ものの話として片付けられてしまう代物であった。
『光の洪水』もそのひとつであった。
ファイブロライトは金色の抑揚のない顔でカルサイトを見る。未だにシトリンは目を覚まさない中、カルサイトは独り言のように物語を語る。
「世界は全て言葉でできていて、その言葉により世界ができた。光の洪水から言葉が生まれ、その言葉がだんだん意思を持ってつながり、概念から物質に変わり、世界になったっていう話。古代で魔法のことを『象徴の力』って言うのは、世界は全て光の洪水からできた名残だって」
「つまりは、光の洪水の向こうは、物質世界ではなくて概念世界だと?」
「あんた、神官でもなければ錬金術師でもねえのに、妙なこと知ってるよなあ……そうだよ。古代は言葉が全てを司っていたから、言葉を失ったら死ぬことと同意だったらしいし。今は言葉にそこまでの力がねえけど……もし結界が破られたらどうなるのかわかんねえって話」
カルサイトも、ルビアのように神殿文字を解読して全てを理解している訳でも、ラリマーのように錬金術の知識を持って把握している訳でもない。
ただ結界が破られたらまずいんだろうということだけは、感覚として理解している。
ファイブロライトは抱えているシトリンを見る。
「……マスターは」
「あのチビのことかよ」
「マスターは、シトリン・アイオライトの象徴の力を持って、結界を破る気だった。シトリン・アイオライトの持つ賢者の石は、確率を操作するもの……持ち主にとって最も都合のいい展開を引き寄せるもの。それを使えば、たやすく結界は破れるであろうと」
「あー……この子もかなり気にしてたからな。やっぱり、この子の力は」
彼女は未だに、目を伏せて起きない中、カルサイトは気遣わしてにファイブロライトが抱えているシトリンの頭を撫でた。
もし彼女が救世主であったら。もし彼女が勇者であったら。持つのにふさわしいだけの力であったが、それはあまりにも普通の感性を持ち、なにかに責任を持たないといけない立場でもない少女には、似付かわしくない力であった。
力が持つものが、全てに責任を持たなくてはいけない訳ではない。彼女の力も、故郷の皆のために帝都に向かわなければ、一生目覚めることのない力だったのだから。
……今だったらまだ、結界は完全に破れてはいない。即刻結界を修復して、その力を手放さなければいけない。
やがて、光の洪水が途切れた場所で、白い巫女装束の少女が立っているのが目に入った。
【ようこそお戻りなさいまし】
その少女の姿に、カルサイトは目を見開いた。ひどく無機質に見える彼女。彼女がシトリンが何度も言っていた、古代の巫女のクリスタルだろう。
「あんたか。シトリンにクリスタルを引き渡して、守護石を強化しろって言っていたのは」
【はい……彼女は、守護石の力を引き出すために、光の洪水の飲まれましたね】
「それってどういうことだ? 呼吸が薄いし、このままだったら心臓だって……」
ファイブロライトがシトリンを地面に寝かせる。シトリンの足も腕も、だらんと伸びて力がない。
彼女を見下ろしながら、クリスタルが告げる。
【光の洪水は、世界の元素。命の源。そこから戻ってきたら、大丈夫です】
「ええっと……この子が死にかけているって訳じゃないなよな? さっきまでずっと、痛い痛いって悲鳴を上げてたんだ」
【はい……彼女はきちんと自分の力で選び取っています。あなたを】
そう言ってクリスタルはカルサイトを見る。カルサイトはアメジストの瞳を困惑で揺らした。
「それ、どういう意味だ?」
【彼女の力は、選択肢が迫られたときに、確実に正解を選ぶ力です。そして、それは力が目覚めぬ前から、選んでいた。あなたの象徴の力が、彼女を守ったのです。それもおふたりとも、象徴の力に目覚めぬ前なのだから、世界はまだ滅ぶべきではないということでしょう】
そんな大それたことをした覚えがなく、カルサイトは目を閉じたままのシトリンを見上げた。
カルサイトはただ。乗っ取る予定だったら列車で、早めに客車を切り離すために乗客に紛れて乗っていただけ。たまたま目の前の席に座るシトリンが、チケットを持って困ってうろうろとしていたから、助けただけ。
それが世界の命運にかかわる事象になるなんて、誰だって想像してなかったことだ。
「俺、帝国紳士として、人を助けることを誇る気はさらさらないんだよな。たださ」
カルサイトはシトリンの前に屈み込み、彼女の金髪のおさげをひと房手に取ると、それに口付ける。
「世界を救うっていう浪漫に、向いてない子を巻き込むのは嫌なんだよ」
普通の少女として、日常を生き、日常の中で笑っていて欲しい。大義を抱えられるのは、それに向いている人間がすればいいことであり、彼女ではない。
自分の力に脅えて泣くような子に、世界を救うのは向いていない。
「……ん」
ふいに、シトリンの睫毛が震えた。カルサイトとクリスタル、そしてファイブロライトが彼女を見下ろした。
シトリンはうっすらと目を開き、そしてクリスタルの鉱石があちこちから生える、この空間を見渡した。
「あ、あの……私……」
シトリンは、カルサイトが自分のお下げを掴んでいるのを見て、少しだけ驚いたあと、安心したように上半身を起こした。
「ああ……おはよう、シトリン」
カルサイトもまた、心底ほっとしたような顔をして、彼女を抱き寄せた。シトリンは驚いたように彼の腕に納まったが、ときおり恥ずかしがってバタバタと暴れないところからして、嫌ではないらしい。
呼吸している。心臓の音がする。生きている。
カルサイトは心底ほっとして、抱き締める力を強めた。
「あ、あのう……カルサイトさん……おはようございます」
いつものように、シトリンはおどおどと答えた。
どんなにすごい力を持っていても、それが原因で各方面から狙われていても、それでシトリンの性格が変わる訳でもない。本当にいつもの、シトリンのままであった。
その光景を、ファイブロライトは眺めてポツンと言う。
「シトリン・アイオライトは、ファイブロライトが抱えると抵抗する。カルサイト・ジルコンが抱えても抵抗しない。何故か?」
【それは、気を許しているか否かですよ】
クリスタルの言葉に、ファイブロライトは胸を抑えた。彼の守護石は雑然とぶら下げられているし、彼の胸には賢者の石が生えていないが、ひどく痛い。
ファイブロライトは、その痛みの理由がわからないでいた。
「シトリン・アイオライトの生存確認。しかし、ファイブロライトが痛い。怪我はない。賢者の石の拒絶反応もない。ファイブロライトの発病はない。何故か」
【造られた命であったとしても、与えられた命令があったとしても、あなたのその気持ちだけは、あなたのもの。本物だったのだと思いますよ】
クリスタルだけは、全てを察したように慰めの言葉を投げかけた。
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