最後のクリスタル
オブシディアン洞窟に入ってから、光という光は消え失せ、音という音が吸い込まれるという不気味な感覚に襲われていた。
ジャスパーは熱源ゴーグルを嵌めているから、外の様子がわかっているのだろうが、車がどこをどう走っているのかもわからず、シトリンはただ身を小さく震わせていた。
「あんまり怖がるなって。帝国機関の奴らも、こんなどこにいるのかわかるような行動、取りゃしないだろ」
カルサイトが軽口を言うのに、シトリンはほっとするが。それでもピリピリした空気を感じるのは、カルサイトがちっとも銃から手を離さないからだろう。
見えなくても、さすがに気配でわかる。
普段だったらすぐにシトリンの頭を撫でて励まそうとする手が届かないのは、銃と周りの気配に気が向いているからだ。
シトリンはカルサイトに肩を寄せる。幸い、カルサイトの利き手とは逆の位置に座っているのだから、引き金を引く邪魔にはならないはずだ。
触れている部分だけでいい。温度が伝わればいい。呼吸の音が伝わればいい……彼をガリガリと削っている精神を補えればいい。
緊張が漂う中、カルサイトのジャケットに寄せていたら、空気の擦れる音を耳が拾った。カルサイトが苦笑しているのだ。
「怖くないって、大丈夫。そんなにくっつかなくっても」
「えっと……すみません。邪魔、だったでしょうか?」
「いんや。ただちょっとだけ気が抜けた。そのほうがはっきりと音が拾えるから。ありがとな」
相変わらず、いつもの調子で頭に触れてくることはなかったが、彼の過度なプレッシャーは取れたようだ。そのことに、シトリンは少しだけほっとした。
トリフェーンが吐き出すように言う。
「……カルサイト、あんまりミズ・アイオライトと睦み合うな。全部が終わってから勝手にしろ」
「なっ……そういうのじゃないからな! そういうのは、シトリンに失礼だろ……」
カルサイトがぎょっとしたように肩を跳ねさせたのに、シトリンは一瞬きょとんとしたが、途端におかしくなって背中を丸めた。
……緊張が取れたのは、こちらも同じなようだ。
車を運転しているジャスパーは呆れた声を上げる。
「なんか後方席楽しそうだけどー、そろそろ着くからねえ。明かりが使えないんだから、そろそろ皆にもゴーグル配るから嵌めてねえ」
「わかりました。ジャスパーくん、地図は?」
「シトリンが持ってるはず。シトリンは前に渡したゴーグル持ってるよね。それそのまま嵌めてね」
「わかりました」
皆、めいめいゴーグルを嵌めてから、洞窟内へと降りる。
洞窟なら足音が響きそうなものなのに、車から降り立ってもちっとも洞窟内に反響しない。それどころか音が岩肌に吸い込まれるような違和感がある。
「……なるほど、音が響かない、光が届かないでしたら、たしかに信者の潜伏先にはうってつけなんでしょうね」
ラリマーがそうぼそりとつぶやきながら岩肌を眺める声も、手前にいるはずにも関わらず、遠くでしゃべっているように思ってしまうから厄介だ。
どうにかこうにか、平衡感覚を取り戻しながら、シトリンは地図のクリスタルを取り出して、辺りを見回す。
「……あれ?」
「どうした、シトリン。最後のクリスタルの位置から外れてたのか?」
「いえ、そうではなくて」
シトリンはクリスタルを皆に見せる。
クリスタルの中に映っている矢印が、何故かグルグルと回っているのだ。
「なにこれ。オブシディアン洞窟って磁場がおかしいから、地図が上手く作動しないの?」
ジャスパーが嫌そうに顔をしかめると、ラリマーはゴーグルを押し上げて、じっとクリスタルを覗き込む。
「いえ……この洞窟はたしかに深いせいで、光が届きませんが、磁場は乱れていません」
「じゃあ、これはいったいどういうことだよ。最後のクリスタルだっていうのに、これじゃあどうやって探せば」
「いえ、クリスタルはあります」
ラリマーのきっぱりとした物言いに、カルサイトはぎょっとした顔で彼を見る。
「どこに?」
「……ジャスパーくんは路線の終着点まで無事、車を運転してくれました。そしてここにはクリスタルが必ずあるはずです。ここは熱源ゴーグルでもない限り、光がありませんから人が通常の方法で来ることはできません」
ラリマーはひとつひとつ、可能性を潰していく。そこから浮き上がってきた答えに、トリフェーンは顔をしかめて、銃を構えた。
その銃口は、しっかりと岩肌へと向かっている。
「……まさかと思うが、この音を吸い込む岩肌全体が、最後のクリスタルだとか言わないだろうな?」
「ここまで来ることも、このクリスタルが奪われると困ることも、古代の巫女たちは予見していたということでしょう。それこそ、ここまで訪れる守護石の強化者たち全員で破壊しなければならない大きさにしてしまえば、物理的に運び出すことも破壊しきることも不可能です」
「って、ここ全部壊したら、俺たちどうやってここを脱出するんだよ!?」
カルサイトもまた、嫌そうな顔で手榴弾を取り出し、そのピンを引っこ抜く。
ラリマーはちらりと洞窟内を見る。
潜伏先の脱出経路は、既にルビアに確認してもらって、地図の配置は覚えている。
「地図、覚えていますか? そこに二手に別れて逃げます。カルサイトくんとシトリンさんは、車を使って先にサンストーンに向かってください。ひとつは確実に車を使って脱出できますが、もうひとつは徒歩でなかったら使用することは不可能でしょう」
「そりゃそうだけど……逃げ切れるのか、歩きで!?」
カルサイトは、手榴弾を放り投げた。本来なら鼓膜を突き破らんばかりの音が響き渡るにも関わらず、岩肌の防音効果のせいか、砂煙だけはかろうじて舞うものの、音が響かない。トリフェーンも手榴弾でひび割れた部分めがけて、銃を乱射しはじめた。
それに呆れた声を上げて、ジャスパーも手榴弾を投げ込む。ひびが、徐々に大きくなっていく。
「馬鹿にしないでよ、カルさん。おれたち、そこそこ逃げ足は速いし、カルさんの守護石をさっさと結界の綻びに放り投げなかったら、結界が修復できないでしょ。おれ、さっさと幻想病治したいし、さっさと時計塔に戻りたいし」
「ジャスパーお前なあ……」
「帝国紳士って、もうちょっと表情に出さないもんじゃないの? カルさん、ほんっと紳士からは遠いよねえ」
ジャスパーにさんざんからかわれ、ラリマーには微笑まれる。
「問題ありませんよ。もう何度帝国内を逃げ回ったかわかりませんから。帝国機関か洞窟、逃げないといけない対象が違うだけで、いつものことですよ」
「ラリマー、あんたまで……」
銃の弾切れに、素早く弾を込めなおし、ラリマーは再び銃を天井へと構えなおす。
「……さっさと行け。貴様はいっつもそうだ。優先順位を間違えるな」
「トリフェーン、お前も! そもそもお前ら、それ無茶苦茶死亡フラグみたいだからやめろよ!?」
「別に死ぬ気もない。逃げるべきときはわかっている。それに」
パリンパリン。
手榴弾を投げつけ、銃を打ち込み、とうとう岩肌が砕けてきた。そこから、透明な石が砕け落ちてくる。
途端に、シトリンの胸の賢者の石が大きく光り、カルサイトのブレスレットの中の守護石が強く光る。
シトリンは目を細める。今までよりも、光が強く、石の中に滑り込んできた力の強さが桁違いなように思える。
思わず受け取った力の強さで体がふらついたところで、カルサイトはシトリンを抱える。そして周りに振り返った。
「……お前ら、絶対にサンストーンに来いよ! シトリン、行くぞ」
「は、はい……!」
ふたりは車に乗り込むと、カルサイトは黙ってアクセルを踏んだ。車が動きはじめる中、シトリンは洞窟に残った皆を見た。
ラリマーとトリフェーンはさっさと脱出経路の確認をする中、ジャスパーだけはいつもの調子で手を振ってきたので、思わず振り返す。
「……皆さん、大丈夫ですよね。絶対に」
「さあな。いい加減、帝国機関の奴らも動き出すだろうし……無事でいてくれって思うしかないだろ」
「はい……」
あとは、サンストーンに向かって、守護石を投げ込めば終わりのはずだ。本当はそのはずなのに。
最後の守護石を壊すときよりも、何故かシトリンの胸騒ぎは治まらなかった。
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