天体観測と錬金術師の推測

 所長はシトリンを上から下までまじまじと見たあと、彼女の胸元をじっと見る。それに思わずシトリンは手で抑えてカルサイトの背後に引っ込むと、所長は溜息をついた。

 そして、助手たちに声をかける。


「予定通り、今晩の天体観測を行う。彼らは客人だから、それまで待機できるよう、応接室に案内してくれたまえ」

「は、はい。わかりました……!」


 助手のひとりが慌てて部屋の外へと出て行くと、「皆さんご案内します!」と外から声をかけてきた。

 ぞろぞろと案内された部屋へと向かおうとする中、所長はラリマーに「君」と声をかける。


「帝国錬金機関にも所属していた錬金術師なら、専門はいろいろあれども、私よりは帝国機関の資料に触れているだろう。少し話をしたいから、残りたまえよ」


 ジャスパーは「ラリマーさん?」と尋ねると、ラリマーは少しだけ困ったように眉を下げた。


「皆さんは先に応接室に向かってください。僕もあとで向かいますから」


 そう言って残ったラリマーを置いて、応接室で待つこととなった。

 カルサイトは口をひん曲げて、部屋のソファーに座る。


「錬金術師って、どうしてああも訳のわからん言葉遣いなのかね、あそこのチビと言い、所長さんと言い。ラリマーと所長が互いになにを言っているのか、さっぱりわからなかった」

「所長さん、あれだけレンズを取られるの嫌がってたのに、急に態度変えたねえ……あれどういうことだろ? どっちみちこの研究って、正攻法で学会で発表しても、握り潰されちゃうよね? だとしたらあれだけ準備してたのに、可哀想なんだけど……」


 ジャスパーもちょんっとカルサイトの隣に座ると、トリフェーンは近場の椅子に腰を落とす。


「揉み消されない方法はあるだろう。学会で発表しなければいいのだから」

「ええ? 自己満足のため?」

「帝国錬金機関を通さずに全国に公表するとしたら、研究内容をそのまんま皇帝陛下に送ればいいだろう。どのみち皇帝陛下は帝都を離れているのだから、ロードナイトに送るのだったら、話は変わってくる」

「ああ……!」


 ジャスパーはポンッと手を叩く。

 だがカルサイトは苦々しい顔のままだ。


「皇帝の耳になんて、それこそ帝国錬金機関は入れたくないんじゃねえの? 俺だって皇帝に直談判しようとしたら、そいつらに邪魔されて言う暇がなかった。そもそも結界を修復しないとまずい話が皇帝に通っていたら、こっちが全国行脚した末にクリスタル強化せずとも、皇帝命令でクリスタル発掘してもらって守護石持ってる連中集めて守護石を強化してもらったら、もうちょっと早いし確実だったろ」

「帝国錬金機関は信用できん連中が多いが……帝国諜報機関はそうとは限らん。あちらはあくまで第一優先は皇帝陛下だ。帝国民の不利益になるようなことは、基本的にはしない」

「お前いっつもそうだもんなあ……」


 ふたりのいつも通りのやり取りを聞きながら、シトリンは首を捻っていた。

 それにジャスパーは声をかける。


「どうしたのシトリン。さっきのドギツイ所長さんに睨まれたから怖かったの?」

「いえ……あのう。私の賢者の石って、服の上から見えるものなんですか?」


 シトリンは困った顔で、ワンピース越しに賢者の石に触れる。


「あの人、私の賢者の石を見ていたように思えたんですけど」


****


 蒸気機関が発展してからというもの、家庭でも高層建築物でもあちこちから蒸気が煙突からもうもうと立ち昇り、それが原因で空は霞んでいるのが普通であった。

 おかげで月は常に朧月夜だし、星空だってそこまで見られるものではない。

 アンバーほど人口密度の低い場所ならいざ知らず、帝都ではまず星空を拝むことはできないのだが。

 今夜のデュモルチェライトはどこでも蒸気機関の使用は制限され、本当に珍しくどこからも煙突から蒸気が昇っていない。

 展望台は現在錬金術師たちが詰めている。

 シトリンたちは応接室の広々とした窓から、空を仰いでいた。

 カルサイトはヒューと下手くそな口笛を吹いた。


「すっごい星だなあ」

「あれ、そこまで珍しいものだったんですか?」


 田舎娘のシトリンがきょとんとしていたら、カルサイトは「ああ、そっか」と笑う。


「帝都だったらあっちこっちに高層建築物が建ってるし、路線だって張り巡らされてるからなあ。空は金持ちと帝国機関のもので、俺たち一般庶民は星を見ることなんてできなかったんだよな。おまけにほら、あっちこっちから煙突から煙が出てるから、空なんていっつも曇ってたし」

「なるほど……そうだったんですね。私、アンバーを出て、なんでもある帝都ってすごいなと思っていました。私にとっては当たり前だって思ってたものがなかったんですねえ」

「かもしんねえな。あー、星がすっごい」


 ふたりでのんびりと空を眺めている中、ジャスパーはずっと首を捻ってソファーであぐらをかいている。

 トリフェーンは任務上プロペラヘリで飛び交っていたため、そこまで珍しいものではなく、ソファーに座ったまま、そのジャスパーの様子を眺めていた。


「どうした、貴様はカルサイトみたいに星を見に行かないのか?」

「うーん、後で見に行きたいなあって思うけどさ。ラリマーさんはずるいなあ、一緒に望遠鏡で天体観測できてさ」


 ジャスパーはぶすっとした顔をしていると思ったら、所長に誘われて天体観測に混ざっているラリマーに対して拗ねていたのだった。

 技術者として、天体観測がしたいというよりも、望遠鏡そのものに興味があるというところだろう。

 トリフェーンは苦笑しつつ、ソファーの手すりに肘を突く。


「貴様は時計台の技師をしていただけあって、蒸気機関の技術もある。それだけの腕があったら、充分帝国工業機関でも働けると思うぞ?」

「うーん、幻想病が完治しないと無理じゃないかなあ」


 彼はゲホッと咳をすると、手に細やかな砂粒が出た。ジャスパーは唇を尖らせながら、掌の砂を睨んだ。


「蒸気機関を触りながら、ずっと咳してたんじゃ、蒸気機関が詰まっちゃうじゃないか。砂や埃が致命傷になるのに、おれがそれをしちゃ駄目じゃん」

「なるほど。貴様をラリマーが重宝する理由はそこか」


 単純に幻想病患者で、賢者の石の被害者だからという理由だけで、ジャスパーを暁の明星団に招き入れた訳ではない。彼が技師としての矜持と技術を併せ持っているからだろうと、トリフェーンは納得を示す。

 星が美しく、窓に近付かずとも、ソファーから座って眺めていても、星座が描けるほどに見られる。

 あいにく錬金術師たちのように天体観測でなにかしらの発見をできるほどの頭脳はないものの、ただ星が綺麗だということだけは、誰にだってわかる話だ。


****


 望遠鏡で空を写し、そこに備え付けられたカメラにより、撮影を続けていた。

 一枚を焼くまでに時間はかかるものの、一枚、また一枚と現像されていく。

 焼き上がった一枚を拾いながら「やはり……」と若き天文台所長、カーネリアン・アゲートは唸り声を上げた。同じくラリマーも焼き上がった写真を見る。


「前回に比べると、明らかに結界の薄膜が分厚くなっていますね」

「ああ、前のときはもっとうすらぼんやりとしか撮れなかったがね。それに見たまえよ」

「これは……」


 前回は薄膜の観測に成功はしていても、うすらぼんやりとしたままで、現像ミスと言われてしまえばそれで納得してしまうようなものだったが、今回のものはくっきりと写っている。

 おまけにカーネリアンの指さした部分。そこには明らかに薄膜の破れた部分が写っている。それは各地に散らばっている。


「ここの真下はそこまで傷ついてはいないものの、この分だと薄膜……君たちの言うところの結界がいつ破れてもおかしくはないね」

「ええ……。だからこそ、我々はその修復のために、そのレンズを欲している訳です」

「ふむ。そう言っていたね。で、この研究成果をロードナイトに直接送り付けろと? 皇帝陛下に天体学の知識はあるのかね? 帝国錬金機関の錬金術師に丸め込まれたら、私の研究成果は再び握り潰される訳だが?」


 カーネリアンの指摘に、ラリマーは目を伏せる。


「……僕にも確証はありません。ただ、このことはきちんと皇帝陛下に伝えるべきです」

「そうかね。まあ、私も研究成果を握り潰されないよう努力はしてみるがね。それで、私の推測については、君はどう思うのだね?」

「……正直、僕はあまりにも突飛過ぎて思考が追い付いてはいません。ただ、その推測が正しい場合、たしかに納得はいくんです」

「あいにく私は無信仰でね、神官の話はまともに聞いたことがないが、知り合いに神官がいるのだったら確認取りたまえよ」

「本当に、なにからなにまでありがとうございます……」

「連れにこの話をしないのかね?」

「……正直、彼女は本当に巻き込まれただけなんです。そんな彼女が、帝国錬金機関に狙われている理由がはっきりした場合、一番動揺するのは彼女だと思います。一旦、この話はこの場限りのものとしてくださればと」

「そうかね」


 いつも落ち着いてはいるラリマーだが、さすがにカーネリアンの話は突飛過ぎて、それをそのまま素直に鵜呑みすることはできなかったが。

 だが、その仮説が正しいのなら、たしかに今までの出来事や帝国錬金機関のおかしな行動にも説明がつくのだ。

 おまけに、結界の綻び。写真でここまでくっきりと写ってしまった以上、信じるしかあるまい。

 シトリンは、本当に無意識な内に魔法を使っている。ただ、彼女がなんの魔法を使っているのかまでは、特定できなかったが。

 結界の綻びは、魔法の復活を促す。

 しかし魔法の復活に、この世界はもう耐えられない。

 もう、時間はないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る