錬金術師との交渉

 ジャスパーは展望室を見回しながら、目を輝かせている。


「ねえねえ、天体観測ってなにをやるの?」


 助手のひとりに声をかけると、彼は困ったように眉を下げる。


「この数年、星座の位置がずれているので、それを観測するんです。所長が少々突飛な推測を立てていますので、それの証明をするために行います」

「ふーん……ねえねえ、それを行うのって、その望遠鏡で? それじゃないといけないんだ?」

「その通り!」


 ジャスパーが望遠鏡を指さした途端、先程から奇天烈なことばかりまくし立てている所長が口を挟んできた。

 シトリンは驚き過ぎて、ぴゃっとカルサイトの後ろに隠れる。カルサイトもトリフェーンも呆れ返った顔をし、ラリマーだけなにかしら考え込んだ表情を浮かべているが、所長は気にすることもなく、ペラペラと舌を回しはじめる。


「私はこの世界に薄膜が張られていると仮説を立てている。その薄膜が膨張していることにより、メガネが分厚くなれば分厚くなるほど屈折が大きくなるように、薄膜の膨張により星の光が屈折していると主張しているのだよ。どういう訳だか帝国錬金機関はその仮説を真っ向から否定してくるからね、気に食わない。だから今晩の天体観測により、今までつくられていた星座図からずれていることを証明し、仮説を立証しようとしている訳なのだよ」


 ペラペラペラペラ……。

 所長の言葉で耳が痛くなる一行だが、ラリマーだけが口を挟んだ。


「待ってください。この論文は発表したんですか?」

「したともさ。先日の学会でね。だがどういう訳か帝国錬金機関はそれを真っ向から否定してくれた上に、論文を破り捨ててくれたさ。ああ、忌々しい……!」


 ラリマーの言葉に、所長は思い出し怒りが襲ってきたらしく、日焼けしていない真っ白な顔を真っ赤に染め上げて、カリカリと怒り出した。

 ジャスパーはラリマーにきょとんとした顔で尋ねる。


「どういうこと?」

「……帝国錬金機関が、結界の存在を伏せているということです」

「結界って……所長さんの言っている薄膜のこと?」

「おそらくは。こちらのことは専門外なんですが、所長だけとは思えません、天体観測により、結界の綻びに気が付いた人は。現にここも古代の路線が示している地なのですから、結界の境目に近いはずなんです」


 ラリマーの言葉に、トリフェーンは渋い顔をして見せる。


「……なにを考えている、あの連中は本当に」

「あっちがどうこうしてくるのが見えないのに、手を出す訳にもいかねえしなあ。多勢に無勢が過ぎて、真っ向から喧嘩を売ったら潰されるのは目に見えてるし」


 カルサイトが面倒臭げにガリガリと髪を引っ掻きつつ、シトリンはカリカリしている所長に「あ、あのう……!」と声をかける。


「あ、あのう……事情はわかったんですけど……その。その望遠鏡は、どうなさったんですか? その、レンズは」

「ああ、これかい?」


 所長はカルサイトの後ろから顔を覗かせているシトリンに視線を向けると、ふふりと笑みを浮かべて、望遠鏡を撫でた。


「これは最新のものさ。薄膜の観測のために、透明度の高いレンズを探し求めていたのだけれど、なかなか難航していてね。最初はイチから技術者に発注をかけてレンズをつくったのだけれど、それでは上手く観測することも撮影することもできなかった。困り果てて、今度は賢者の石の中から程よい鉱石がないかと、帝国工業機関が置いていったものをイチから探したけどね……」


 シトリンは思わず助手たちを見ると、全員げっそりとした顔をしてみせた。この所長に全員相当振り回されたらしい。彼女は「お疲れ様です」とペコンと会釈をした。

 どうにかしゃべり続ける所長の言葉のショートカットを試みようと、ラリマーは口を挟む。


「こちらのことは専門外なんですが、見つけた賢者の石で、いいものがあったんですね?」

「そうなんだよ……! この透明度! 正確な撮影が可能な素晴らしいものさ! これで帝国機関の連中をぎゃふんと……」

「一応こちらに我々が向かったのは、その賢者の石に用があるからなんですが」


 長かった。本当に長かった。

 この場にいる所長以外のほぼ全員が思った。

 要件を伝えたくとも、それを阻む所長の舌の回りようで、ようやく話ができたが。

 途端に所長が目を吊り上げた。


「……なんだね、よく見たら君は錬金術師ではないか。まさか、私の研究の横取りで天体観測の妨害を……」

「違います。僕の専門は治癒学ですので、天文学は専門外です。そうではなくってですね、こちらの賢者の石と引き換えになる賢者の石をお持ちしましたので、交換を願い出たのですが……」

「こ・と・わ・る……!」


 ピシャン。と一刀両断されて、ラリマーが肩を竦ませる。

 一方の所長は怒り肩だ。


「なんだね、君たちはゾロゾロとやってきたと思ったらこちらの天体観測の邪魔をして。挙げ句の果てに、こちらの天体観測の要となっている賢者の石を略奪かい? もう君たちに話すことはなにもないよ。これ以上邪魔をするというのならば、研究妨害ということで近衛機関に連絡するよ。帰りたまえっ」


 さすがに帝国近衛機関に連絡されてしまうのは、とても困る。助手たちは「すみませんすみません」と頭を下げているので、これ以上悪くも言えないが、こちらもそのクリスタルがないと困るのだ。

 シトリンはどうしようと涙目で周りを見るが、カルサイトはちらっとラリマーを見る。


「あのさあ、この人ほんっとうに帝国機関の息のかかってない人みたいだし、素直にこちらの事情を明かしたほうがよくねえか? そもそもこの研究をまた握りつぶされるとしたら気の毒だしさあ」

「……そうですね。あまり、気が進みませんが」


 すっかりと血の気が昇ってこちらに背を向けてしまった所長に、「すみません」とラリマーが口を開く。


「こちらとしても、できましたらあなたの研究に協力したいのですが、このまま研究を続けていましたら、再び研究が帝国錬金機関に握りつぶされるのは目に見えています……自分も帝国錬金機関に所属していたことがありますので、自分の研究が握り潰される苦痛というものは、よくわかるつもりです」


 未だに所長は背中を向けて作業を続けているが、助手のひとりは気になったらしく、こちらに手を向けて話を聞く姿勢になってくれた。


「……所長の研究が、潰されたのは故意だということですか?」

「おそらくは。所長がおっしゃいました薄膜というものは、教会に務めている神官から結界ではないかと教えていただきました。神殿文字で、何度も何度も結界に対する警告というものは伝えられていたようです……我々は、結界の修復のために、旅を続けている者です。これを信じてくれるかはわからないのですが……結界の綻びが放置されたままだと、失われた力が復活してしまい、まずいのだそうです」


 神殿文字は教会の人間でなければ読めないし、そもそも帝国では教会の地位はとことん低く、小さな村に存在しているか、孤児院として運営されているかのいずれかだ。そこに伝わっている伝承を他の知識を持っている錬金術師でなければ到底信じられるものではないのだが。

 助手たちは困った顔で、所長の背中を眺めていたが。口を噤んでいた所長が、ようやくこちらに振り返った。


「……このところ、幻想病の被害が広がっているのは、その結界の綻びとやらが関係しているのかね?」

「はい」

「ふむ……で、帝国錬金機関は何故それを放置しているのだね? 君の言い方を鵜呑みとするならば、君は既に帝国錬金機関に所属していないようなのだけど」

「幻想病を広げている原因が、我々の生活の中で普通に使われている賢者の石だからです。これの使用の停止を訴えたところ……追放されました」

「なるほど……拒絶反応の拡大が、幻想病という訳なのだね」


 ラリマーの言葉は端的なものだったが、この口のよく回る所長はすぐ理解できたようだ。ただの頭でっかちではないらしい。

 シトリンはもう一度おずおずと尋ねる。


「あのう……天体観測が終わったあとでかまいません。そのレンズを……クリスタルを、渡してもらえないですか……? 結界の修復のためには、賢者の石が……力をたくさん蓄えた守護石が必要なんです」


 その言葉で、所長は振り返った。

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