洞窟のローレライ・1
篭もった匂いの正体は、大量の白骨死体であった。既に形が残っていないものもあれば、まだ形が残っているものもある。
黙ってラリマーはランタンを近付け、横たわっている白骨死体を検分しはじめる中、シトリンはカタカタと歯を鳴らしていた。
なんで。どうして。ただ探検したかっただけ。ただ入って見たかっただけだろうに、なにも殺すことなんてなかったんじゃないか。
そんな震えて涙を溢すシトリンの前に、黙ってカルサイトは立った。
「なんというかあれだよな。人が動揺していると冷静になるというか。落ち着け。別にお前はなんにも悪くねえから」
「お、落ち着きますけど……カルサイトさんは、なんとも思わないんですか……?」
「んー……ここの人たちも、やめとけって言って止めてたし、屋台の店主さんに至っては場所すら教えなかったじゃねえか。止めてるのにそれを無視して入った奴らのことは、悪いけど自業自得としか思えない」
「そんな……」
「残念だけどな。でも、そいつらが生きてたのを目撃されてるはずなのに、いくらなんでも白骨死体になるのは早過ぎねえか?」
カルサイトの指摘に、シトリンはようやく泣き止んで、キョトンとする。アンバーでは日々を生きるのに精一杯で、変死体なんてものに遭遇したことがなかった。白骨死体だって、どれくらいで生じるのかはわからない。
錬金術師として、検分をしているラリマーは答える。
「ええ。水場では二週間、夏場だともっとかかるかと思いますが。ここにある遺体はそれよりも早いですね。ここは昼間は海で満たされているとはいえども、早過ぎます」
「水場では、遺体を検分するにしても誤差が生じるのでは?」
トリフェーンがそう指摘をすると、ラリマーが遺体の服からひょいとなにかを取り出した。
それはロケットで、中には守護石が入っていた。
「彼の守護石は、水には弱く、水を漬ければたちまち色がくすむはずなんですが、まら守護石が透明度を保っています。いったい何回干潮と満潮を繰り返したあとなのかはわかりかねますが、彼らは僕たちがここの洞窟を訪れるよりも少し早かったくらいしかここにはいません」
「そんな……」
だとしたら、生きながらに洞窟に閉じ込められて、溺死した挙句に白骨死体になったなんて話が浮上してしまう。
それにシトリンが涙を溜めながら周りを見ていたら、ふとシトリンの胸が痛みはじめたのだ。
「……痛いっ」
「おい、シトリン?」
「賢者の石が……痛いです……」
シトリンがまた冷や汗を掻きながら、自分をかばうように抱き締めていたところで。
────……
歌が、溢れてきたのだ。
それはぶわりと鼓膜を震わせ、体を硬直させる。
白骨死体を検分していたラリマーは思わず耳を塞いだが、歌は体を、皆が立っている岩を、皮膚を震わせて、歌を体に浸透させようとする。
魔法。既に失われたはずのその力が、この洞窟に満ちていたのである。
やがて、ジャスパーが「ゲホッ……」と喉から大量に鉱石を吐き出した。
「おい、ジャスパー!?」
「わ、かんない……この歌聞いてたら、頭が変になる……ねえ、これって魔法……?」
「いくらなんでも、おかしいです。結界の修復が終わってないからとはいえど、どうして魔法がここに残されているんですか……っ」
ラリマーも途切れ途切れに言葉を吐き出すが、彼もまた脂汗をかいて止まらない。
いったい歌はどこから。
シトリンは賢者の石の痛みに歯を食いしばりながら、顔だけをなんとか動かしたとき。
洞窟の奥。ランタンの光が届かないはずの場所が、わずかながらうっすらと光っているように見えたのだ。
「あ、の……あそこ……」
「どこだ?」
この中でかろうじて動けるのは、トリフェーンだけだった。彼は諜報員として、催眠やそれに近い類が効かない訓練を受けていた結果だろう。
シトリンがプルプルと腕を震わせて奥を指さす。体を動かすのもまた、歌のせいかおぼつかない。トリフェーンはシトリンの指し示した方向を見ると、黙ってコートの中から銃を取り出した。
「耳を塞げ」
皆にそうひと言言うと、彼女の指し示した方角へと射貫いた。
途端に、なにか薄い被膜がランタンの光で揺らめいた。薄い被膜が、銃弾で割れて粉々に散らばる。
あれだけ皆を縛り付けるような歌は、唐突に止まる。
「おい、なんだなんだ」
「……これは」
薄い被膜を拾い上げたラリマーは、顔をしかめる。
「これはクリスタルです」
「ええ……? あの、私の出会ったクリスタルさんの残していたもの、ですか? それを銃で割っちゃったんじゃ、もう守護石の強化は……」
「いえ、これは彼女の残していた、守護石を強化するクリスタルを守るためのものだと思います」
「ええっと……?」
「……帝都でルビアさんも話していたと思いますが。大昔、この国の人間は誰もが魔法を使えていました。ただし、魔法はひとりひとり違うもので、その魔法の力もバラバラでした。魔法の強さで人間の差別を受けないようにと、国では魔法をひとつの場所に集めて、全ての魔法を使えるようにしたんです。そうですね……蒸気機関のメンテナンスは、ジャスパーくんみたいな技師でなければおいそれとはできませんが、使うこと自体は誰でもできますよね。昔の魔法はそうやって使われていました。この国は誰でも使える魔法……魔科学によって発達していたんです」
ラリマーの言葉を、シトリンは困り果ててジャスパーのほうを見ると「つまりはあ」と教えてくれた。
「シトリンの会ったクリスタルさんは、多分あちこちに魔科学の装置を置いて、守護石の強化装置のクリスタルを守っていたってことだよ。結界に綻びが生じてなかったら、そもそも魔科学の装置だって発動しないから。逆に言ってしまえば、発動しないんだったら世界の危機はまだ遠いんだから、そこまで慌てる必要はなかったんだけど、発動しちゃったってことは、結界の綻びが大きくなってるってこと」
「つまり……ローレライの正体って」
「まだクリスタルの破片しかないからわかんないけど、クリスタルさんの残した魔科学の装置ってことじゃないかな」
それに、シトリンはなんとも言えない顔になってしまった。
ここに遊びに来た人たちは、皆死んでしまった。多分結界の綻びが生じていないときは、魔科学の装置だって発動しなかったんだから、アクアマリンの人々の憩いの場所だっただろうに。
だが世界の危機が原因で、ここは危険な場所へと変わってしまった。
たしかにここで死んだ人たちは自業自得ではあったが。殺す必要はあったんだろうか。死ぬことはなかったんじゃないか。そう考えてしまうシトリンは、田舎娘で世間知らずだ。正しいのか間違っているのか自分の尺では測れそうもない。
ラリマーが言う。
「……彼らの遺体は、守護石さえ無事なら、ルビアさん辺りに守護石で誕生日を割り出せば教会のつてを辿ってどこの誰なのかわかります。彼らの遺体は、帝都に送り返してあげましょう」
「……そうですね」
シトリンはようやく涙を拭った。それにしても、奥はまだうっすらと光っている。ジャスパーはそれに首を捻る。
「この魔科学の装置が、クリスタルを守るための結界だとしたら。あの光はなんだろうね? あれもまた装置? 単純にクリスタルの位置教えてくれるだけの?」
「見ないとわかんねえだろ。とりあえず、行くぞ」
カルサイトはそう言いながら、ポンとシトリンの頭を撫でた。この人は、とシトリンは思う。
泳げないから水辺が苦手な人だが、自分のことを棚上げできる場面になったら途端に格好よくなってしまう。このお人よしが帝国紳士のように顔色ひとつ変えずに行動するタイプとは程遠いが、彼の憧れには近付いているのだろう。
再び洞窟が海に閉ざされる前に、さっさと終わらせて帰らないといけない。
ランタンを揺らめかせながら、奥へ奥へと突き進むのだ。
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