皇居のクリスタル

 闇の中、なかなか灯りが戻らない。

 カルサイトは唇を噛んで、シトリンと繋いでいる手の力を強めたとき。ふいに闇を照らす光に目を一瞬だけ閉じてしまった。それがいけなかった。

 急にシトリンとつないでいた手を解かれたのだ。いつの間に距離を詰めたのか、ファイブロライトがシトリンを羽交い絞めにしていた。


「シトリン・アイオライト確保」

「ちょ……あなたは……!」


 シトリンの小さい悲鳴が響く。しかし皆が皆、照明が付くのを待っていたり、相手の無事の確認に気を取られていて、ダンスフロアのほうに気が回っていない。

 最悪だ、とカルサイトはどうにか闇に目を慣らしてファイブロライトを睨む。


「おい、こんなところでなにやってんだ……っ」


 シトリンに手を伸ばすより先に、ファイブロライトはひょいと彼女を荷物抱きして跳躍してしまった。あの動きは、人間から逸脱している。

 自分そっくりな顔が、自分ではできないような真似をするのが不愉快だった。

 カルサイトは「ちっ……!」と舌打ちすると、どうにか騒然としている人々をかき分けて会場を出ようとする中。


「君もおかしなことをするよね」


 そう声をかけられて、思わずカルサイトは視線を落とした。

 トリフェーンの知人の少年だった。たしかジェードだったか。帝国錬金機関所属ということは、彼もラリマーと同じく錬金術師なのだろうが。手に得物もなく、さりとて格闘に長ける訳でもないのに、平気でテロリストに近付く神経の図太さはなんなのか。


「皇帝に話をすることなく、さっさと皇居に侵入してしまえばいいのに、どうしてそんな無駄なことをわざわざするのかな? 近衛兵がそこかしこにいるって言うのに」

「……はんっ、通しておいたほうがいい話ってもんは、どこにだってあるだろ。あんたこそ意外だなあ、わざわざ照明落としたのはどういう風向きだい?」

「ぼくは単純に、君たちが行おうとしていることに興味があるだけだよ」


 それにカルサイトはイラリとした。

 そもそもラリマーが指名手配犯扱いされているのは、帝国錬金機関が原因だし、ファイブロライトはシトリンと共に聞いてきた話をさっさとジェードにも流したらしい……いや、ホムンクルスが造り手であるマスターを第一優先するのは当然のことだろうが……。

 そもそも賢者の石を世界中にばら撒いたのは帝国錬金機関だし、幻想病が蔓延している原因だって彼らだ。そんな彼らが結界修復のために守護石を強化する旅に出た『暁の明星団』の面々の前に現れたら、普通はなにかあるとは察するが。どれが目的なのかが読み取れない。

 実直が過ぎるカルサイトは、ラリマーやジャスパーほど、出された情報から現状を読み解く力は強くはない。


「で、あんたは俺たちになにをさせたいんだ? あんた……というよりも、帝国諜報機関にはさんざん追いかけ回されていたんだ。今更仲良くしましょうって言われても無理なんだけどなあ……?」


 軽口を叩きながらも、カルサイトは会場の出入り口のほうに意識が飛んでいた。

 ファイブロライトに連れて行かれたシトリンが気がかりだった。帝国錬金機関の連中がどうして彼女を狙っているのか、よくわからないからだ。心当たりがあるとすれば、シトリンの胸の賢者の石……実際のところ、あれは彼女を守るために体内に眠っていた守護石らしいが……だが、彼女から取ることができないそれをどうする気なのかが読めない。

 ジェードはカルサイトの軽口にも笑みを浮かべる。笑顔だけならば、孤児院にいる子供たちのように天使みたいに愛らしい。油断はひとつもできないが。


「あまり警戒しないで欲しいな。君たちが自由に動いてくれたほうが、ぼくたちも都合がいいんだからさ。トリフェーンから聞いていると思うけど、ぼくは別に帝国諜報機関の人間じゃないからね、君たち『暁の明星団』を拘束する権利も義務もないんだから」

「出向してるらしいのに?」

「今日、ここに来ているのはただの皇帝へのご挨拶だよ。今後ともどうぞよろしくと」


 こいつ……とカルサイトは思う。

 まるで、皇帝に結界のことを耳に入れたくないように思える。そもそも結界のことさえ皇帝に伝えれば、賢者の石の蔓延も止められるし、守護石の強化だってもっとスムーズに行くはずなのに。

 なにを考えているのかわからないジェードに、得体の知れない気持ち悪さをカルサイトが感じているとき。

 またも高く跳躍する人影が見えた。


「マスター、シトリン・アイオライトは目的地外に放置してきた」


 ファイブロライトがジェードに声をかけると、ジェードはにこやかに頷いた。


「ご苦労様」

「おい……あの子をどうするつもりだ? あんたら、あの子にいちいちちょっかいをかけて……!」

「ああ、勘違いしないでよ。先程も伝えた通り、ぼくは君たちが守護石を強化するのを止める気がないんだ」

「マスター、シトリン・アイオライトは守護石強化には、カルサイト・ジルコンが必要だと言う」


 その言葉に、カルサイトは目を見開いた。

 そういえば、この自分そっくりの青年もまた、守護石をぶら下げていたように思う。ファイブロライトもまた守護石を強化させたいのが帝国錬金機関の目的のひとつだとして、シトリンをわざわざ連れさらう意味がわからない。

 ジェードは笑顔でファイブロライトに伝える。


「いいよ、彼も連れていっておあげ」

「了解した」

「おい……あんたは本当に」


 同身長の彼を抱えようとするファイブロライトに、カルサイトは「やめろ、そっくりさんに抱えられたら傷付くわ」と言って拒否しながら、ジェードに視線を送るが。ジェードは笑顔を崩すことはなかった。


「ぼくはぼくの目的のために君たちを利用するだけだよ。せいぜい利用されててよ」


 カルサイトは舌打ちしながら、走り方のおかしいファイブロライトについていくことにした。

 気になることが多過ぎるし、いいように使われている気しかしないが。まずは守護石を強化することが優先だ。

 帝国錬金機関は気に食わない。いけ好かない……倒れていたラリマーを拾ったときから感じていた嫌悪感が、カルサイトの体を回っていた。


****


 シトリンは涙目のまま、暗くてただツルンとした通路が広がっている場所で立ち尽くしていた。一歩でも歩いたら、もう迷子になりそうなのだ。未だに照明は戻らないし、灯りひとつないし、カルサイトを連れに戻っていったファイブロライトは未だに帰ってこない。

 多分この先にクリスタルがあるんだろうが、先に進んでいいんだろうか。でも先に進めるんだろうかと思うと、なかなか踏ん切りがつかずに動くことができない。

 そもそも会場は大丈夫なんだろうか。トリフェーンも先に来ていたはずだが、確認できなかった。皇帝陛下はあの場にいたが無事なんだろうか。いくら得体の知れない人間だからといって、いきなり近衛兵を敵に回す真似はしないだろうが。

 シトリンが暗い中で、べそをかきそうになった中。足音がふたつ分響いてきたことにようやく顔を上げられた。


「おい、シトリン。無事か!?」

「カ、カルサイトさん……」


 とうとう我慢できず、シトリンの瞳は決壊した。

 いきなりわんわん泣き出した彼女を、黙って抱き寄せて子供をあやすように頭を撫でる。孤児院で厄介になっているときから、子供を泣き止ませるのは彼の仕事であった。


「シトリン・アイオライト。カルサイト・ジルコンを確保してきた」

「おい、泣くようなことってなにがあった?」


 空気を全く読まないファイブロライトの言葉を遮ってカルサイトが声をかけると、シトリンはおずおず口にする。


「い、いえ……目が効かない中で、放置されていたら……不安になっただけです……大丈夫です。もう……」

「そっかそっか。さて。この先だったな、クリスタルは。シトリン、地図は?」

「あ、はい」


 シトリンはふたりに背中を向けて、胸に仕込んでいたクリスタルの地図を取り出す。たしかに地図によれば、この通路の先だ。

 しかし目が効かないだだっ広いここはなんだろうか、とシトリンはきょろきょろとさせる。


「先の戦により、人と巨人族は忌み嫌い合い、殺し合った。巨人族の子供を吊るし上げ、激怒した巨人族を待ち伏せて撃ち殺した。この地は、巨人族の慰霊碑。皇居で執り行われる夜会も、本来は巨人族の鎮魂祭だったが、巨人族は忘れ去られ、夜会も形骸化した」


 まるでシトリンの心を読んだかのように、ファイブロライトは淀みなく言う。カルサイトは彼の言葉に眉を寄せる。


「なんであんたはそんなことを知ってる? あのジェードとかいうのにつくられたんだろう?」

「ファイブロライト、基本知識は全て石から得ている」


 その意味がわからない。彼の守護石のことなんだろうか。そうシトリンは思ったものの、ファイブロライトはそれ以上語ることもなく、シトリンの地図をちらりと見てから、進んでいった。

 でもファイブロライトに説明されたら、この広過ぎる場所と屋根のない柱だけの連なりも理解ができる。柱だと思っていたのは慰霊碑で、建っている数だけ巨人族が殺されたのだろう。既に巨人族の話は絵本で読むばかりで、実在していたのかどうかさえもわからなくなっていたが。

 だんだん進んでいった先。慰霊碑の向こうに、ひと回り小さな石が積まれているのが見えた。


「多分ここ……だよなあ? 問題のクリスタルは?」

「えっと……キャッ」


 途端にシトリンの胸の賢者の石が光りはじめた。別に痛みは伴わないから、敵意もなければ拒絶反応も起こしてないようだが。

 ドレスから漏れる光が、一方向を差したのに、カルサイトとファイブロライトは光を追う。

 積まれた石の下に、光は向かっていた。

 仕方なく、カルサイトは自分の手首のブレスレットを、ファイブロライトは胸にかけていた守護石をそのまま向ける。

 光はカルサイトの守護石にも、ファイブロライトの守護石にも吸い込まれていって、やがて光は完全に途絶えた。


「……守護石の強化って、あっけないもんだな。これで終わりか?」

「……ファイブロライト、守護石強化を確認。マスターの元に戻る」


 そのままくるっとファイブロライトは背を向けた。カルサイトは思わずシトリンの前に立ったが、今回はファイブロライトは彼女をさらう気はないらしく、そのまま立ち去ってしまった。


「なんというんでしょうか。前にクリスタルさんにお会いしたとき、世界規模の大事とお伺いしたので、守護石の強化はもっと大掛かりなことになるって思ってましたけど……ただ光っただけでしたねえ」

「そうだなあ。まあ、ルビアも既に世界から魔法は失われてるって言ってたし、いきなり魔法が使えるようになっても困るんだけどなあ」

「そうですね……」

「じゃ、そろそろ俺らも照明が戻る前に撤退すべきだけど……」


 言っている中で、急に湖畔が揺れた。湖畔からひょいと顔を覗かせたのは、普段乗っているジャスパーの運転する車であった。


「皆さん、ご無事ですか?」


 車の屋根が開いたと思ったら、そこから顔を出したのは、普段のケープに着替えたラリマーであった。


「おう。久々に見たなあ、水陸両用」

「えへへー……」


 運転しているジャスパーはどこか誇らしげだ。

 世の中には水陸両用車があるらしいが、まさか水中まで走られる車とは、シトリンは思ってもみず、ただ隣で唖然としていたが、我に返って伝える。


「あ、あの! 守護石の強化はできたみたいですけど! ただトリフェーンさんが!」

「ああ。トリフェーンくんは先程回収してきました」

「えっ!?」


 トリフェーンは既に燕尾服を脱いで、スーツにコート姿に戻っていた。腕を組んで座っているが、彼のこの態度からして、なにかしらあったらしい。

 カルサイトはひょいと、シトリンの手を掴む。


「それじゃ、湖畔に飛び込むぞ。そろそろロードナイトから離れないと厄介だしさ」

「は、はい」


 シトリンは片手でカルサイトの手を取り、片手でドレスの裾を掴むと、湖畔の車へと大きく跳躍した。

 たった一か所守護石を強化しただけで、これだけ大騒ぎだったのだ。ここは荒事もなく終われたが、他もそうとは限らない。

 個室でドレスを脱ぎ、いつものワンピース姿に戻ったら、どっと精神的な疲労が来て、そのままベッドに横たわる。

 水中を移動している間は、まだ平和だろう。そう思いながら、シトリンはそのまま眠りこけてしまったのだ。

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