ロードナイトの夜会・3
ラリマーとジャスパーが急いで郊外へと向かっているその頃、トリフェーンは旧友たちと共に歓談をしていた。
「まさか堅物のトリフェーンが、わざわざ休暇を取って皇居に来るなんてな」
「有給をどう使うかなんて、別にとやかく言われる話でもないと思うが」
「いやいや。お前、もらった給料のほとんどを孤児院に注ぎ込むから、いったいなにが楽しく生きてるのかねと思っただけだよ」
「ふん……単純に不幸な子供が減ればいいと思ってるだけだ。子供たちの世話は全て、幼馴染に押し付けてしまっている以上、せめて不自由なく暮らして欲しい」
「あの可愛い神官さんなあ……」
ルビアの外面のよさは折り紙付きなため、彼女が相当したたかだということは、トリフェーンやカルサイト以外なら『暁の明星団』の者たちのほうがよっぽど理解している。
非番の近衛機関の人間は、近衛兵の礼装ではなく、燕尾服を着て相当会場に入っている。トリフェーンは世間話がてら、かまをかけて小さく情報を拾っている内容によると、街のほうの見回りはパブで羽目を外した酔っ払いたちのおかげで喧嘩が勃発し、そっちのほうに向かった兵はなかなか帰ってこないらしい。
情報収集も兼ねて女性客向けに占い屋を営むとラリマーがジャスパーを連れて出て行った。最初聞いたときは正気かと思ったが、普段はそこまで治安の悪くないロードナイトで騒ぎが起こっていたら、上品な女性は避難も兼ねて占い屋にでも駆け込むだろうと納得できた。
さて、ちらりとダンスフロアを見る。ダンスフロアには、見るからにプルプルと震えているドレス姿のシトリンに、その彼女の腰を抱いてエスコートしているカルサイトの姿が見えた。
近衛兵の彼はなにげなくそちらに視線を移して「ほう」と溜息を付いた。
「今晩は一般人もお貴族様もご一緒にって催し物のせいか、夜会慣れしてない子も多くってねえ。うちも何人か女の子たちのお相手させてもらってるけど、あんまり初心だと送り狼にやられないかねって心配になるよ」
「だからこうして、非番で家で寝てることもなく、会場に潜り込んでいるという訳か」
「さすがに皇居の外で起こったことにはとやかく言えないが、皇居内で乱痴気騒ぎを許しちゃ、近衛機関の名折れだからな」
その話を黙って聞き、グラスドリンクを傾けながら、トリフェーンは皇帝のほうを眺めていた。
皇帝が体の不調を訴えるようになってから、ほとんどロードナイトで過ごしている。そのため、皇帝の顔を知っている人間も少なくなってきているのが現状であった。
皇族特有の黒髪は気の毒なほどに白髪が浮き上がり、スフェーンで政治手腕を振るっていたときには爛々と光っていた金色の眼光は心なしか陰りを帯びている。
彼の不調は幻想病を疑われていたが、幻想病特有の鉱石が皮膚を突き破ったり吐き出したりする症状もなければ、草木が生えたり花や木の実を吐き出したりする症状も見受けられない。
そうトリフェーンが考えている中、ふいに曲が変わった。
柔らかなクラシック音楽に合わせて、ダンスフロアの人々が踊りはじめた。カルサイトもまた、見るからにプルプルと震えているシトリンと共に踊りはじめた。
皇帝はダンスフロアを穏やかに眺めている。どう見ても夜会に初参加のシトリンを微笑ましく見ているのだろう。彼から賞賛を受ける際に、話ができる。ここでクリスタルの場所に向かうことができれば。
そう考えていたのだが。突然ガタンと大きな音が立った。
急に灯りが一斉に消えたのである。
皇居の灯りは全て蒸気機関で制御されている上、夜会に備えてメンテナンスはされていたはずなのだが。
女性の悲鳴やら、喧騒が響く。
トリフェーンの旧友は硬い声を上げる。
「すまん、この状態で皇帝になにかがあったら困る。俺は皇帝の傍へと向かうから、お前は騒乱にならない内に会場を出てくれないか」
「その辺りは了解した。非番なのに本当にご苦労だな」
「有給のお前が言うことかね」
そんな軽口を叩きながら、闇に瞳を慣らして会場をかき分けていく。
トリフェーンは顔をしかめる。皇居でメンテナンスを怠るなどまずありえないのだから、これは誰かが故意に起こした出来事に思える。
この闇に乗じてクリスタルの元に向かうことは容易だが、あの妙な正義感のある幼馴染がそれを許すとも思えない。となれば、せめて犯人の特定をするべきだろう。
そう考えて、トリフェーンは強く目を閉じると、もう一度見開いた。闇に目を慣らして任務を遂行することもまた、帝国諜報機関の仕事であった。
****
シトリンはガチガチに震えながら、カルサイトと共にダンスフロアに躍り出ていた。
カルサイトは「半分以上は一般人で、貴族令嬢はほとんどいない」と教えてくれたが、ダンスフロアにいる人いる人が皆堂々としているように見え、田舎娘の性分が丸出しになってしまい、せっかく見立ててもらったドレスに着られているような状態になっていた。
そんな震えているシトリンに、カルサイトは苦笑する。
「こら、もっと背筋を伸ばす。しゃんとしていたら、それらしく見えるんだから」
「そうなんですけど……ダンスフロアに入ってみたら、思ってるよりも、人が多くって……」
「夜会に初めて参加する令嬢にしか見えちゃいないから。ほら、皇帝が見てる」
「えっ……!」
カルサイトに耳打ちされて、思わず首をキョロキョロさせそうになったが、すぐに彼に「あんまり首を動かすな。本当に田舎者にしか見えなくなるぞ」と注意され、仕方なくカルサイトにエスコートされるがまま、踊りはじめる。
足でワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリーとリズムを刻み、ゆっくりと踊りながら回ると、ダンスフロアの外も存外よく見える。
シャンデリアがきらめいて、それに照らされた夜会会場で談笑する人々。壁に配置された近衛兵。そしてダンスフロアに視線を向ける人々の目、目。
その中で皆と同じく黒い燕尾服を着ているにもかかわらず、ひとりだけオーラが違う人がいることにシトリンですら気付いた。
黒髪にはところどころ白髪が混ざっているが、皇帝の年齢では少々早いように思う。金色の瞳は穏やかな光を放っていて、たしかにシトリンとカルサイトを、親戚の子供でも見るような目で見ているのだ。おそらく、いい人なのだろう。
この人だったら、もしかすると幻想病の原因を打ち明ければ、守護石の強化をすれば結界が修復できることを伝えれば、協力してくれるんじゃないだろうか。
シトリンがそんな甘いことを考えているときだった。シトリンをエスコートしていたカルサイトの手が止まる。
「……まずいな。あいつらいる」
カルサイトが囁くのに、シトリンはきょとんとする。
「あの……あいつらって……」
「トリフェーンみたいに有給取ってるんだったらいざ知らず、なんで公務員がもうロードナイトに来てんだよ……あのちびとそっくりさんだよ」
それにシトリンはぎょっとして、皇帝の近くをもう一度確認する。皇帝に小柄な少年が話しかけているのだ。切り揃えられたおかっぱ髪が揺れ、一見すると天使のようにも見えるが、ホムンクルスをけしかけてきたことを考えれば、天使のような振る舞いは演技だとすぐ推測できる。
そして黒い燕尾服を着せられているような、それ以外が真っ白な青年。カルサイトそっくりなファイブロライトもまた、少年の護衛のように立ち尽くしていた。
ふいにシトリンはファイブロライトと目が合う。しまったと思ってシトリンが視線を逸らした途端に。
ガタン……と音と共に、照明が落ちた。
「あいつら……錬金機関の奴らが皇居の照明に細工したのかよ」
「あの……どうしましょう。このままだと、皇帝が」
あの得体の知れない少年とファイブロライトが皇帝に危害を加えないとも限らない……たしかにファイブロライトは前は危害を加えなかったが、彼の行動には脈絡がなさ過ぎて信用ができないのだ。
シトリンがおろおろしている中、ふいに彼女の手をぐいっと引っ張られることに気付いた。今シトリンの腰に手を回しているカルサイトのものではない。
「シトリン・アイオライト確保」
「ちょ……あなたは……!」
「おい、こんなところでなにやってんだ……っ」
シトリンの口を塞ぐ手は、最初の腕を折られそうになったときよりは大分マシだが、やっていることは誘拐だ。
カルサイトがファイブロライトの肩を捕まえるより先に、ファイブロライトはシトリンを捕らえ、肩に荷物のように担いだ。シトリンはスカートが捲り上がりそうなことと、いきなりカルサイトから引き離されたことで目を白黒とさせていたが、そのまま彼は会場を後にする。
彼の動きは俊敏で、人ごみをかき分けきれないカルサイトを置いて、あり得ない跳躍をしながら、簡単に会場を後にしてしまった。
「ふぐー! ふぐー!」
皇居の灯りは未だに復旧せず、辺りは騒然としている。技師が慌てて蒸気機関の元へと向かっているようだ。それを無視して、ファイブロライトはシトリンを担いで走っている。
「シトリン・アイオライト。クリスタル・クォーツの道標は」
「ふぐ?」
ようやく口から手を離され、シトリンは途方に暮れた顔で、ファイブロライトを見た。相変わらずファイブロライトは、カルサイトと同じ顔のパーツにもかかわらず、表情が彼よりも乏しい。
「あの……あなたは、帝国機関から来た人ですよね? 結界修復、手伝ってくれるんですか?」
「守護石の強化、第一」
「で、でしたら、どうしてカルサイトさんを置いて行ったんですか! あの人の守護石を強化しないと、結界修復はできないじゃないですか!」
「守護石。これか」
そう言って、ファイブロライトはひょいと首から石を取り出した。最初に会った時も、前に会った時も、首にぶら下げていた大きな鉱石……たしかに彼と同じ名前の石であった。
ホムンクルスも誰かモデルがいても、誕生日によって石が変わるんだろうかと、シトリンは石が違うことに頭を悩ませながら俯く。
「……あのですね。あなたが誰にどう言われて来たのかはわかりませんけど。カルサイトさんは、結界修復のために必要な人です。あの人も連れてこないと、あなたをクリスタルの元にはお連れできません」
ファイブロライトはしばらく黙ってシトリンを見ていた。それにいちいちシトリンは困る。抑揚ない表情だが、雰囲気で彼が困っているのがわかるし、母親に叱られた子供のような雰囲気を醸し出されてしまうと、こちらが悪者になったように思えてしまう。
「了解した。カルサイト・ジルコンの捕獲に移行する」
そのままシトリンを置いて、再び会場へと跳躍してしまった。取り残されたシトリンは、必死でファイブロライトの背中に叫ぶ。
「カルサイトさんを怪我させちゃ駄目です! 絶対に駄目ですからぁぁぁぁ!!」
いったい彼がなにを考えているのか、本当にわからない。シトリンは涙目になって、皇居のどこかわからない場所に取り残されて、立ち尽くす次第となったのだ。
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