失われた文明
ラリマーとジャスパーは、当然ながらトリフェーンが来たことで顔をしかめたものの、カルサイトの説明と説得により、本当に渋々といった様子で了承してくれた。
「……まあ、こちらとしても、帝国機関に対抗する術はほとんどありません。戦力が来てくれるのは歓迎します。トリフェーンくん、力になってくれますか?」
一旦折れたラリマーは冷静にトリフェーンに握手の手を差し出すと、トリフェーンもまたポーカーフェイスで手を取って握り返した。
「こちらとしても、任務で捕獲の命を受けただけ。プライベートでまで犯罪者を追いかけまわす趣味はない」
「休暇中、という設定でしたね。了解しました」
ふたりが撒き散らす不穏な空気に、シトリンはビクビクしていた。ジャスパーは目を細めつつ、彼女を見る。
「というかさあ、どっちかというとシトリンのほうが怖がると思ったんだけど。リーダーのラリマーさんが言うんだったらおれは反対する気もないけどさあ」
「あっ! 私は、別に……! こうして生きてますし」
どちらかというと、ひとまず追いかけてくる人がひとり減ったことのほうに、ほっとしていた。
ラリマーにも、一応シトリンが坑道の壁面裏で出会ったクリスタルや幻想病のことを告げる。
要領を得ないしどろもどろな言動だったが、茶化すことも突っ込むこともなく、黙ってラリマーは全部を聞き出し、「ふむ……」と顎に手を当てた。
「おそらくですが、これは失われた文明に関係するんでしょうね」
「あ、それはクリスタルさんもおっしゃってました。幻想病が起こっているのは、魔法の復活の前段階だと。今の文明は既に魔法の復活に耐えられるものじゃないから、魔法が復活しないように結界を修復しないといけないって……ですけど、結界の修復っていうか、この国って結界なんて張られてたんですか?」
結界なんて、それこそ魔法そのものに思えるんだが、そんなものが張られていたということに、ちっとも気付かなかった。
ラリマーはそれに答える。
「そうですねえ……人間は呼吸をして生きていますが、水の中や山頂に行って息苦しい思いをしなかったら、呼吸をしないと生きていけないとは気付かないものだと思いますよ。我々の集めてきた神殿文字も含めて、ルビアさんに精査してもらいましょう。どのみち、この地図通りに移動するとなったら、長旅になりますからね。用意してから出立しなければいけないでしょう」
「そう……ですね」
シトリンはちらりと皆を見回した。
ただ、自分は村の病気を治して欲しくって帝都に出ただけだったのに。どうして世界規模の大事になって、テロリストと帝国機関のエージェントと一緒に行動を共にすることになってしまったんだろう。
変な巡り合わせだと思いながら、一堂は帝都に戻ったのだ。
****
「ええー……トリフェーンが休暇を取って、賢者の石の子と一緒に『暁の明星団』に行っちゃったのぉー……?」
帝国諜報機関のジェードは、椅子をくるんくるんと回りながら、ファイブロライトの報告を聞く。
ファイブロライトは金色の抑揚のない瞳で、ジェードを見る。
「シトリン・アイオライトは捕獲する気で?」
「ううん、むしろ前文明の巫女の導きで、守護石を強化する旅に出てくれたほうが都合がいいよ。あの面子は帝国でも珍しい教会の申し子が多いしねえ……」
「マスターは、結界の修復に賛成か?」
「えー……そりゃ、上はそのほうが都合がいいんだろうさ。皇帝陛下は慈悲深いからねえ、幻想病で苦しむ人間も、魔法に耐えきれないで滅びる文明にも憂いているから、無茶な方法で結界の綻びの位置の特定をしようとしたんだしねえ。ただねえ」
ジェードはキィーンと耳に突く嫌な音を椅子から鳴らした。もしトリフェーンがいたら、きっと嫌な顔をしていただろうが、残念ながら彼は休暇中につきここにはいない。
ファイブロライトは抑揚のない顔で、彼を見る。
「そんな面白くないこと、ぼくは許す訳ないよねえ……?」
「……マスターは、まだシトリン・アイオライトにご執心か?」
「あはは、まるでぼくのことを恋に恋する乙女みたいに言うね。たしかに彼女は欲しいさ。でもこれは恋じゃない。執着とでも言おうか」
幻想病の蔓延する村から飛び出した、発病することなく帝都まで辿り着き、胸に賢者の石を生やした少女。
彼女が守護石強化の旅に出たら、大体の想像が付く。
「だってさあ、折角何百年単位の大事が起きそうなのに、それをあっさりと解決しちゃったらつまらないじゃないか。彼女は本当にちょうどいいサンプルであり、実験動物なんだからさあ」
残念ながら、帝国錬金機関から出向した彼には、一般人の持つ倫理観というものは持ち合わせてはいない。
彼の行動理念は知識欲、それ以外のものは平気で切り捨てる。大学を飛び級して卒業した彼は、そういう風にして生きている。
****
孤児院に戻ると、蒸気の晴れている今の時間を見計らって洗濯物を干しているルビアと子供たちが目に入った。
皆の様子を見て、彼女は会釈する。
「お帰りなさい。ずいぶん早いお戻りでしたね。それと、ずいぶんお久しぶりですね、トリフェーン」
「……久しいな、ルビア」
「まあ、今は休暇なんでしょう? 子供たちが怖がってしまうから、昔みたいにもう少しだけ笑ってくださる?」
ふたりがずいぶんと距離感近くしゃべっている。幼馴染だからだろうかとぼんやりとシトリンが眺めていると、カルサイトは肩を竦めた。
「あいつら、教会でも優等生だったからなあ」
「そうだったんですね。でも、子供たち、全然トリフェーンさんのこと怖がってないんですねえ」
黒いスーツにコートの無表情の男性がいたら、皆警戒しそうなものだが。
「あー、トリ兄ちゃん! 飛行機折って!」
「おにいちゃん、きょうね、やさいをのこさずたべられたの!」
「そうか。カールもパールも久しいな」
あの無表情な人が表情を綻ばせて、男の子を抱き上げて笑っているのに、シトリンはポカンとする。
カルサイトはボソリと言う。
「あいつ、ガキんちょに人気だからなあ。あいつも真面目だから、俺がラリマー拾ってくるまでは、孤児院に仕送りしてたからな」
「そうだったんですねえ……」
しかし考えれば考えるほど不思議だと、シトリンは思う。
トリフェーンもラリマーも悪い人ではないし、むしろいい人なのだ。なのにどうして追う人と追われる人になってしまったのかがちっともわからない。
子供たちにトリフェーンは引っ張り回されていたが、途中でルビアが助け舟を出した。
「皆、お客様を振り回しちゃ駄目でしょ。とりあえずトリフェーンさんはあとでまた来るから、ひとまずはご挨拶」
「はーい。トリフェーンさん、行ってらっしゃーい」
子供たちが手を振っていくのに、彼は笑みを浮かべて手を振り返してから、皆と共に院長室へと向かっていった。
ラリマーに説明を受け、シトリンが壁面の裏で出会ったというクリスタルの話、守護石の話を聞き、テーブルに広げられた、シトリンとカルサイト、ラリマーとジャスパーが集めてきた神殿文字の文章を並べて目を通した。
「これは……全部、警告文と歴史みたいですね」
そう言いながら、ルビアはひとつひとつ読みはじめた。
【魔法、復活させるべからず】
【古代、世界は魔法により繁栄した。魔法を誰でも使えるようにと魔科学を興し、大いに発展した。しかし、魔法を使い続けた結果、世界は厄災で満たされた】
【教会は巫女を使い、世界の厄災を祓ったが、世界の厄災は際限なく現れた】
【巫女は世界中に結界を張り巡らし、厄災から世界を守ることにした。しかし魔法と厄災は同じもの。厄災を防いだ代わりに、世界の魔科学は終わりを迎えた】
【魔法が復活するとき、兆候が現れる。兆候が現れたとき、守護石を持つ者を古代の巫女の元に送るように。さすれば魔法復活を阻止する方法を授ける】
それらはシトリンが壁面裏で聞いた話と、概ね一致する。
ラリマーはそれに渋い声を上げる。
「要は結界の綻びを塞いでしまわなかったら、世界に魔法が復活し、ここで書かれている厄災の復活も意味するというわけですね。ですから、シトリンさんが出会ったという方により、結界の修復方法が残されたということでしょう」
「でもさあ……だったらどうしてもっと『魔法、ダメぜったい』みたいに広まらなかったの? 神殿文字なんて教会の人じゃないと読めないし、帝国に教会が宗教活動できるようになったのなんて、結構最近じゃない」
ジャスパーの無邪気なツッコミに、ルビアは苦笑する。
「ええ、大昔。それこそここに神殿文字を残した人たちの時代から、帝国は教会に対して懐疑的でしたから、宗教活動自体、帝国ではできませんでしたから。それこそ信者は隠れてこっそりと祈っていたんです」
「なんで?」
今度はラリマーが答える。
「教会が教義の関係で魔法の力を集めていましたから。皆で使えるようにと。その代わりに、宗教的にしてはいけないってことで、魔科学の研究が厳しく管理されていたために、魔科学を発展させるためには、教会を迫害して国から追い出すしかなかったようです」
「ええ。ですから、教会が普通に宗教活動できるようになったのも、教会自体がそんな魔法の管理なんて大きなことができなくなったからです」
ルビアの説明も加えられ、シトリンはなんとも言えない顔になった。
自分の中で教会のイメージは、神官がおとぎ話を語ってくれ、話を聞きに行ったらお菓子をくれるというものだったために、そんなややこしい背景があるなんて思ってもいなかった。
トリフェーンが「脱線しているぞ、話を戻せルビア」と促したことで、ようやくルビアは「ええ」と話を続ける。
「それで、守護石を規定のルートを通って力を与えるというのも、この巫女が厄災を鎮めるときに、祭壇で試練を受けて神から力を与えられていたという儀式と似た方法でしょう。結界は魔法ですから、わずかばかりに残された魔法の力をもってして、結界を修復するということです」
「で、でも……守護石なんてどうすればいいんですか?」
シトリンは手を挙げて聞く。
思いついても、シトリンは自分の胸に付いている賢者の石……守護石と同等のものらしいが……くらいしか思いつかないが、自分の胸に力を溜め込んでも、自分が結界に埋まらないといけないんだったら、それは大変に困る。
でも世界中から幻想病を無くすには、それしか方法がないのだとしたら。
彼女がむず痒く思ってたら、カルサイトがしゃらんとジャケットの袖からなにかを取り出した。
ロケット付きのブレスレットのロケットを開くと、そこから石を取り出した。
「これで問題ないよな?」
「……ええ」
カルサイトが自分の守護石を差し出すのに、シトリンは少しだけしゅん、とした。
生まれたときからずっと一緒にあったものを、世界のために差し出すというのは、勇気があることだ。
それに比べて、自分は。
賢者の石が生えているだけで、シトリンはまだなんの役にも立ってはいないのだから。
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