出立前の買い出し

 シトリンはしょんぼりとしながら、ルビアの手伝いをしていた。子供たちのおやつのビスケットを焼いていたのだ。


「浮かない顔ですね。料理の手伝いをさせてしまってすみませんね」


 ルビアに謝られて「い、いえっ!」と首を振る。


「カルサイトさんはすごいなあと思っただけです。いいえ、ラリマーさんも、ジャスパーくんも、トリフェーンさんも、ルビアさんもすごい人です。私は口先ばっかりで、なんの役にも立っていませんから。ただ皆の足を引っ張っているだけで」


 今時珍しい薪オーブンは、最新の蒸気機関のオーブンと比べれば時間がかかり、二時間三時間かかるために、子供たちが昼寝している間に生地をつくって、子供たちが起きはじめて絵本を読んであげたり洗濯物を取り込んでいる間に焼いてしまうのだ。

 元々どちらのオーブンでも料理をしていたシトリンは、ちらちらと薪オーブンの中を見ながら、言葉を続ける。


「壁面の裏にいたクリスタルさんから、守護石を強化しろって言われたとき、私怖かったんです。私の胸に生えている賢者の石と、大昔の宗教で語られる守護石は同じものだと。もし私の胸に生えたままの石を強化したら、そのまんま私は結界の修復のために埋められてしまうのかなと思ったら……本当に。だから、カルサイトさんみたいに即決できませんでした」

「まあ……カルくんの言うことを、いちいち気にしてたら、体がもちませんよ?」

「えっ?」


 ルビアはくすくす笑う。

 子供たちはまだ眠ったままで、普段孤児院に響き渡っている元気な笑い声は聞こえてこない。今は昼寝部屋にはラリマーが本を読みながら様子を見ているはずだ。残りの皆は、地下で明日の出立の準備をしているはずだ。

 ルビアは続ける。


「カルくんは昔から、帝国紳士を目指していますから。帝国紳士は帝国のために心を砕くのは当然のこと。そこを苦にしてはいけないと」

「自己犠牲的……なんでしょうか?」

「いいえ。彼は人より弱い人の気持ちがわかるだけです。私たちはずっと下町で育ち、帝都の恩恵を受けることなく生活している人たちの実情を知っていますから。ここの方々は治癒院に通えるほどのお金は稼げませんし、ここの孤児院だって寄付なしでは預かっている子たちの面倒を見ることはできませんから。だから、幻想病を完治させる方法があるんだったら、真っ先に試そうとしているだけです。それに、カルくんは自己犠牲が嫌いですから。もしシトリンさんが自ら結界に身を差し出そうなんて言い出したときのほうが怒ると思いますよ」

「……だと、いいんですけど」


 そう言っている中。


「ルビア。ちょっと買い出しに行ってきたいんだけど」


 ひょいと台所に顔を出したのは、噂をしていたカルサイトだった。彼は暢気に鼻を動かして「おっ、うまそう」とにこにこと薪オーブンの中を覗き込む。


「はい、シトリンさんが手伝ってくれたので、たくさん焼けました。あ、買い出しに行くんでしたら、シトリンさんも連れて行ってあげてください。さすがに車の荷造りは難しいでしょうから」

「おう。んじゃ行くか?」


 シトリンはおろおろして、ルビアを見た。

 彼女はにこにこと笑っていることからして、勝手に落ち込んでいたシトリンのガス抜きのために外に行っておいでと言っているのだろうと納得する。

 それでシトリンは「よろしくお願いします!」と頭を下げて、カルサイトについていくことにしたのだ。


****


 クリスタルからもらった地図によれば、車で走れば、運がよかったら一週間。悪かったらひと月の旅になるとのことだった。

 シトリンは初めてまともに歩く帝都の大通りを、「ふわあ……」と言いながら見回していた。

 下町は蒸気でむせ返っているし、蒸気が晴れているわずかな時間でなかったら洗濯物を干すことすらできないのに、大通りは風を起こして蒸気を打ち消しているために、全体的に背景がクリアだ。

 石造りの昔ながらの建物に、あちこちに並んでいる店舗の数は、アンバーの朝市とは比べ物にならない。きょろきょろと見回しているシトリンに、カルサイトは苦笑する。


「ああ、そういえばお前は帝都で買い物する暇なかったもんなあ」

「は、はい! えっと、買い出しするものってなんですか?」

「食料に、変装の服だなあ。地図によっては帝国機関の本拠地にまでわざわざ足を運ばないといけなくなる以上、あいつらに見つからないようにするってのは最優先事項だ」

「なるほど」


 カルサイトに行って着いて行った服屋を見て、シトリンは「ん……?」と固まってしまった。

 どう見てもそれは貴族や商家の令嬢が通うような店であり、田舎娘にとっては及び腰になってしまうような服屋であった。

 いつものワンピースにエプロン姿のシトリンは、涙目でカルサイトの袖を引っ張る。


「あ、あの。どうしてここに入るんですか? ま、まさか女装されるおつもりで?」

「そっか。それは考えてなかったなあ。たしかに女装してたら、帝国機関の奴らの目も欺けるもんなあ……そうじゃなくって、お前の服だろ?」

「わ、私のですか……!?」


 いくらなんでも恐れ多いとぶんぶんと首を振るシトリンを無視して、服屋へと足を運ぶ。

 店主はシトリンとカルサイトを見ても怪しむこともなく「いらっしゃいませ、どのような服をご希望で?」と声をかけてくれる。

 カルサイトはシトリンを押し出すと「彼女のために夜会ドレスを見繕って欲しい」と言い出すので、シトリンは悲鳴を上げる。


「カ、カルサイトさん……! 私には無理ですってば……!」

「夜会用ドレスを一着持ってるのと持ってないのとでは、大違いだろ。それにあいつらのほうも田舎娘が同行してるって知ってるんだから、一緒にいるのが淑女だったら案外油断するかもしれないし」


 そんな無茶苦茶な。

 シトリンはそう思いながらも、店主が用意してくれたクリーム色で、布の薔薇をあしらったドレスに目が釘付けになっていた。


「お客様は美しいブロンドですので、それを活かすよう淡い色のドレスを選びました。この三つ編みを少し結び直して帽子をあしらえば見違えますよ」

「ほう……じゃあ試着しておいで、シトリン。着替え終わったら、髪をやってもらおうか」


 カルサイトがさっさと話を進めてしまい、シトリンはドレスと一緒に試着室に追いやられてしまった。これ、ひとりで着られるんだろうか。でも店主に自身の胸に生えている賢者の石を見られても困るし。そう思いながら、恐々とワンピースを脱いで、ドレスに袖を通した。

 淡いクリーム色で、胸元にもスカートの裾にも薔薇があしらわれていて、姿見で眺めてみると可愛らしいデザインだとよくわかる。でもシトリンの三つ編みのせいでやや野暮ったく見えてしまっているが。

 シトリンがおずおずとドレスを着て試着室から出てきたら、店主は「よくお似合いですよ!」と言って、「こちらにおかけください。髪を仕上げますから」と座らせる。

 シトリンがおずおずと浅く椅子に腰をかけたら、彼女の金髪のおさげをそのままわっかにして留め直した。不思議と三つ編みを垂れ下げているだけよりも、わっかにして結んでしまったほうがお嬢様のように見える。

 そしてこちらもレースと花をたっぷりとあしらった帽子を被せたら、確かに夜会に出ても田舎丸出しな娘からは脱却できた。


「はい。お嬢さんは美しい顔立ちですからね。少し弄っただけで、もうどこに出しても恥ずかしくない姿になりましたよ」

「あ、あの……はい。ありがとうございます」


 シトリンは会釈する。服の並びで帽子を見ていたカルサイトに「あ、あの……」と彼女は声をかける。


「あの……これ、で、大丈夫でしょうか」

「ああ、やっぱり」


 カルサイトは満面の笑みを浮かべて、帽子越しに彼女の頭を撫でる。


「絶対に似合うと思ったんだよな。一着しか服がないのが悪いなあと思ってたんだし」

「え、でも……私。こんな服買うお金は持ってませんが……」


 そもそも錬金術師に支払うための依頼料以外だったら、安宿に泊まるためのお金くらいしか持ち合わせていなかった。いくら綺麗なドレスでも、買うお金なんてない。

 だが、あっさりとカルサイトは言う。


「いや、俺が払うからもらっとけもらっとけ」

「で、できませんよ……! そんな、恐れ多い……!」

「頼むから、もらっておいてくれって。これは俺の罪滅ぼしも兼ねてんだからさあ」


 シトリンは彼の言葉に、きょとんとした顔をしてみせた。

 カルサイトは相変わらず笑顔を向けてくる。


「普通の女の子を、こっちの都合に巻き込んだ挙句、ひとりで外出できないようにしちゃったんだからさ。ドレス一着で許されるなんて思ってないけど、前払いとして払わせて欲しい」


 そう言って、シニカルに笑われてしまったら、これ以上断ることもできずに、押し切られる形でドレスと帽子を買い与えられてしまった。

 シトリンは少しだけ胸が痛む。それは賢者の石の示す拒絶反応ではない。

 カルサイトと出会ってからこっち、助けられてばかりで、彼が自分を責めるところなんてどこにもないと彼女は知っている。だから自分を責めないで欲しい。

 ドレスは丁寧に包んでもらって、それを持ちながら食料を買い足して、シトリンはカルサイトの背中を見る。


「あの、カルサイトさん」

「んっ?」

「私、別に今、ここにいるのは私の意思であって、あなたが私の人生を歪めた訳ではないです。だからその」


 カルサイトは優しい人間なんだろう。だから初対面の自分にも優しかったし、孤児院の子供たちにも優しい。幼馴染にも、指名手配犯にも、幻想病患者にも分け隔てなく優しい。そんな優しい人に、自分を責めて欲しくなんてない。

 わずかな時間しか学校に通っていなかったシトリンは、あまり言葉を知らないが、おぼつきながらも自分のわずかな語彙をかき集める。


「あなたの全部が、大好きです。だから、元気出してください」


 そこまで言って、シトリンは「ん?」と自分の言葉を疑った。いくらなんでも、これは言葉が足りな過ぎたような気がする。

 カルサイトは呆気に取られたように、ぽかんとアメジストの瞳でシトリンを見ていたが、とうとう破顔した。


「あはははははは……! ありがとうな、シトリン」


 また、頭を撫でられた。帽子は今は包みの中。直接撫でられて、髪がくしゃくしゃになる。


「……そうだな、俺らしくないか。まっ、明日からもよろしく」

「……はいっ」


 シトリンは、自分が吐き出した言葉をなかったことにして、ひとまず一番伝えたい言葉が伝わったことに、今はほっとした。

 優しい人には、その優しさを誇って欲しい。自分の行いを悔やまないで欲しい。

 明日から、また大変なことになるんだろうが、今だけはこの平穏を噛み締めたいと、シトリンは強く強く思った。

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