一時停戦

 坑道の中では火器は使えない。普段だったら迷わず使う煙幕も閃光弾も使えない上に、相手は互いの手数を知り尽くしている幼馴染だ。

 どうしたものか、とカルサイトは思う。

 先に動いたのは、トリフェーンだった。地面の砂を蹴り、カルサイトの目潰しをしてから、そのまま彼を蹴り飛ばそうとする。咄嗟にカルサイトは目を瞑り、腕でトリフェーンの脚を受け止めると、それを抱えて投げ飛ばそうとするが、残念ながらトリフェーンのほうが背が高く、抱えようとした先からカルサイトの背中を蹴って腕から逃れようとする。

 互いに手の内がわかっていながらも、やり合いながら会話をする。

 幼い頃から、ルビアが悲鳴を上げて止めに入るまでは、殴り合ったり蹴り合ったりしているふたりであった。


「カルサイト。一応聞くが、あの子を本気で貴様らの仲間に加えたのか?」

「お前なあ……あの子の村は大分幻想病にやられてたらしいんだよ。普通の神経してたら、まず帝国機関を疑うだろうが」

「だが彼女は、貴様みたいな人助けが趣味の物好きでもあるまい」

「大分傷付いてるなあ、お前も。大丈夫だって、あの子はお前のこと怖がっていても恨んでねえから。お前だって本当はやなんだろ。任務とはいえど、あの子を捕獲するのは」

「……いくら賢者の石を身に着けているとはいえど、一般人だ」

「疑問に思ってる時点でやめときゃいいのに」

「……貴様みたいに軽くはなれん」


 孤児院の最年長だったトリフェーンと、年少たちのガキ大将だったカルサイト。

 いつもふたりが取っ組み合いの喧嘩をしていたら、ルビアが悲鳴を上げて聖書の角で殴るか、神官がふたりに拳骨を食らわせるまでは喧嘩は終わらない。そこそこに年を食った今でも、このふたりの性分は変わらないでいた。

 しかし残念ながらここにはルビアも、育ての親の神官もいない。何度目かのやり取りをしている中で、急に壁面に描かれた文字が光り出したと思ったら、悲鳴が響く。

 一緒に光に飲まれてしまったはずのシトリンとファイブロライトが揃って出てきたのだ。

 ふたりの殴り合いを見て、シトリンは顔を青褪めさせて悲鳴を上げる。


「な、なんですかぁぁぁぁ! えっと、ここでは火花とか出たら危ないんですよね!? 止めましょう、カルサイトさん!」


 泣きながら止めに行こうとするのに毒気を抜かれて、カルサイトの振り上げた拳が降り、トリフェーンは顔をしかめてファイブロライトを睨む。

 シトリンは涙目でカルサイトの側に寄ると、クリスタルが言っていたことをどうにか説明しようとする。


「あ、あの……帝国中の幻想病の原因を、聞いてきたんです!」

「はっ?」

「えっと、昔の人らしい人が、結界と結界の狭間? あの光ってる壁面の裏側にいたので、教えてもらったんです」

「悪い、シトリン。なにを言いたいのかさっぱりわからん」

「え、えっと! 守護石! 守護石をきちんと育ててもう一度壁面裏に行ったら、帝国中の幻想病は治るって! その人は言ってました! これ、裏側にいた人……クリスタルさんって言うんですけど、その人からもらった地図です!」


 そう言って、シトリンは彼女からもらったクリスタルを見せる。中にはたしかに活動写真のような動く地図が浮かび上がっている。

 カルサイトは彼女のもらってきた地図を見ながら、シトリンの要領を全く得ない説明に困っていたところで、トリフェーンは傍で相変わらず抑揚のない顔をしているファイブロライトに声をかける。


「彼女の説明は本当か?」

「壁面の裏は結界と結界の狭間と繋がっていた。そこでクリスタル・クォーツなる、失われた神殿の巫女にして番人の存在を確認。彼女により、世界の危機の存在を認知。結界の修復をせねば、世界中に広がる幻想病の完治どころか、脅威を引き寄せると説明を受けた」


 ファイブロライトの説明に、カルサイトは「そうなのか?」とシトリンに確認を取る。シトリンは困った顔で眉を下げる。


「あのう……ファイブロライト……さん? その方の説明、私が聞いた内容よりも詳しいんですが……そもそも宗教って、教会の宗教ってことでいいんですよね? よくわかりませんでした」


 残念ながら、シトリンの故郷アンバーの教会は既に機能していないので、神官が信者に語る物語など、彼女はほとんど知らない。

 カルサイトは「あーうー……」と言いながら頭を引っ掻く。


「あのさあ、トリフェーン。お前、一時停戦しねえ? なんで俺のそっくりさんがそこまで教会の教義について詳しいのかは知らねえけど、シトリンの聞いてきた内容とそっくりさんの言う内容、どっちもよくわかんねえから、一旦持ち帰ってルビアに説明聞いたほうがいい。ついでにこの神殿文字も、あいつに読んでもらわねえと。それで幻想病が完治できるんだったら、願ったり叶ったりだしな」


 カルサイトの言葉に、トリフェーンは眉をひそめる。


「正気か、貴様は? 壁面の裏で起こっていた出来事を、鵜呑みにすると?」

「この子の説明が要領得なくってもさあ、嘘つく理由なんてなくねえか? ついでに、お前だって無害な一般人を虐待するの向いてねえじゃん。あのヤバいガキンチョはともかくさあ」


 彼の言葉の意味を、シトリンはよくわからないまま聞いて小首を傾げている間に、トリフェーンは深く深く溜息をついた。


「ファイブロライト。貴様、帝国機関に帰るか?」

「マスターがいる。ファイブロライトは帰還する」

「ならそのときに上に言っておけ。うちの身内が死んだので、葬儀関連でしばらく俺は休みだ。有給が消えてないんだ」

「了解した。トリフェーン・ラプラドライトは葬儀と偽装して休暇を取得申請」

「……そのまま上に上げるなよ。有給消化希望とだけ言え」

「了解した」


 ファイブロライトはそう言って、無表情のまま立ち去ってしまった。相変わらず動きが人と外れている。それを呆然とシトリンとカルサイトは見送った。


「で、あいつなんで俺のそっくりさんな訳?」

「うちに出向に来ている錬金術師が、賢者の石の錬成実験のためにホムンクルスをつくっている。なんで貴様をモデルにしてるのかまでは知らん」

「ほむんくるす?」

「……母体外生命体のことらしい。詳しいことはラリマー・モルガナイトにでも聞け」


 そういえば、と今更シトリンは思い至る。

 トリフェーンは指名手配をされているラリマーを捕まえに来て、間違ってシトリンを撃ったんだった。あれだけいい人がどうして指名手配にされているのだろうと思いながら、一行はひとまず坑道の外へと出たのだ。


****


 ラリマーとジャスパーは、壁面の文字をメモに写し取っていた。さすがに神殿文字はラリマーの管轄外なため、帝都に帰ったらルビアに解読を頼まないといけない。


「しかし……これだけ神殿文字が描かれていたら、なにかしら重要なものだったでしょうに。教会などはこれらを保護しなくってよかったんでしょうか」


 ラリマーは写し終えた文字をぺらぺらと見ながら首を傾げる。それにジャスパーはきょとんとした顔で聞く。


「どして?」

「文化遺産的な意味もありますが、宗教の教えを守るために保護しておいたほうが、後々大事になるからです。もっとも、歴史は勝者の歴史ばかりが世に残りますので、敗者の歴史は壊されたり燃やされたりしてしまいますが」

「ふうーん。そいえば帝国って意外と古いものを大事にするのに、教会だけはそうでもないよね?」


 大昔に使っていた鉄道に建物。古い文化財の上につくられた都がスフェーンだ。それらはほとんど取り壊されることなく、外を修復しながら中だけを改装して繰り返し使われている。

 しかし例外的に、宗教に関しては無頓着なところがある。教会の教義の布教ができるようになったのも、ここ数十年のことで、まるで親の仇のように徹底的に迫害されていた。

 そのせいで帝国は他国からは「宗教の根付かない場所」と匙を投げられ、逆に言ってしまえば新興宗教すら流行らなかったのである。病が流行れば、怪しげな宗教が「信仰すれば治る」と言ってすごい勢いで布教される。しかし帝国の土壌のおかげで、幻想病が流行っている今でも、新興宗教が流行ることはなく、教会もほぼ孤児院の管理程度にしか認知されていないという現状がある。


「なにやら帝国にとって、不都合なことでもあったのでしょうかね。さて、こちらは写し終わりました。ジャスパーくんは?」

「終わったー。じゃ、戻る?」

「ええ、そうしましょう。しかし、こちらのほうには帝国機関は来ませんでしたが、カルサイトくんやシトリンさんのほうは大丈夫でしょうか……」


 ふたりはそう言い合って、坑道から出た途端に帝国諜報機関の人間と出会うのは、あと四半刻後のことである。

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