坑道の記憶・2

 光の濁流に飲み込まれる。アップアップと泳ごうにも、濁流は速過ぎて身動きが取れない。


「これ、なんですか……!」


 胸の賢者の石は痛いし、でも取れないし、何故かファイブロライトと呼ばれるカルサイトそっくりな青年と一緒に流されているし、シトリンはこの訳のわからない状況をどうすればいいのかわからなかった。

 ただファイブロライトは、抑揚のない表情でただ濁流に身を任せている。


「ファイブロライト、シトリン・アイオライトと共に結界と結界の狭間を移動中。着地点、不明」

「けっ……かい? あの、ファイブロライトさん……でしたっけ。あなたはこの状況わかるんですか!?」

「帝国では宗教が機能しておらず、結果として消去された記録が存在している。壁画の解析もまた、宗教の仕事」

「忘れられたって……そもそもあなたはいったい誰なんですか?」


 シトリンもファイブロライトの真似をして、できる限り濁流に身を任せるように、体が浮きやすいようにポーズを変える。さっきまでパニックに陥っていたが、これは本物の川ではないのだから、服が水を含んで重くなることも、濁流のせいで岩にぶつかる危険もないのだから、この姿勢のほうが楽だということに気付く。

 ファイブロライトは金色の瞳でしばしシトリンを眺めていたが、やがてぽつんと呟いた。


「濁流の終着地点に到達。着地準備開始」

「えっ? わっ……!」


 光の濁流はそのままスコンッとふたりを地面に放り出した。

 辺り一面を見て、シトリンは喉を鳴らす。

 あっちこっちから生えているのは、クリスタルの柱だ。透明でピカピカに磨き抜かれた石が、あっちこっちから生えている。

 そしてこの辺りは、ヒカリゴケが生えていた。ヒカリゴケの穏やかな光が、クリスタルを淡く光らせている。


「ここはいったい……?」

【ここに人が訪れたということは、世界に危機が生じたということでしょう】

「わっ……!!」


 いきなり女性の声が響いてきて、シトリンは驚いて振り返る。

 立っていたのは、真っ白な少女であった。

 真っ白な衣装は前時代的なデザインで、透明な瞳も、真っ白な肌も、なにもかもが無機質に思えた。

 それを見て、ファイブロライトが抑揚のない声で言う。


「結界と結界の狭間の番人を確認」

「だから、そもそも結界と結界ってなんですか。そしてここはいったいなんなんですか」

【彼はおそらく、守護石の力により力を得ているのでしょう】


 真っ白な少女の声は無機質な見た目に反して、ファイブロライトよりもよっぽど人間味を帯びているような気がする。

 シトリンは困って髪を掻きむしりながら「あの……」と少女に声をかける。


「あなたはいったい誰ですか? そしてここはどこですか? すみません、ここに来ておいて難なんですがなにひとつわからないんですが……」

【はい、申し訳ございません、名乗らないで。私はクリスタル・クォーツと申します。ここは私の守護石の力により造られた空間であり、結界と結界の狭間に異変が生じた場合のみ、生前の私の残した力により、この空間が作動するようになっております】

「守護石って……この辺り全部に生えている、クリスタルの柱全部が、あなたのものなんですか?」

【はい、そうなっております】

「私には、これ……私の胸に生えている賢者の石に見えるんですけど……」


 シトリンは困って言ってみた。

 守護石なんて言葉はどこかで聞いたことがあるような気がするが、これがこんな空間を、坑道の中につくれるなんて思ってもいなかった。

 そもそも、先程から知らない言葉が乱立していて、なにがわからないのかわからないというのがシトリンの本当のところであった。

 しかしクリスタルと名乗る少女……に見えるが、実際のところは既に死んでいるらしい、よくわからない……は面倒臭がることなく答える。


【そうですね。既に何年も歴史が積み重なった結果、忘れられてしまうことも多いことでしょう。ひとつずつ説明します。まずはこの世界には大昔、魔法が存在していたことはご存知ですか?】

「え……そうだったんですか……?」


 シトリンが素っ頓狂な声を上げると、何故かファイブロライトがこくんと頷く。


「世界中の人間は、ひとりにつきひとつ魔法が使えた。現在の人間は既に使えない」

「そうだったんですか……でも、どうしてこの世界から魔法が消えてしまったんですか? 魔法が使えたんだったら、今みたいに賢者の石に頼って、いろんな人が病気にならなくって済んだのに」

【世界の理が変わってしまったからです。この世界は元々、魔法が全てを司り、魔法の力の結果、ひとりひとり持つ魔法の力の強さ大きさによって、身分差が生まれました。それをよしとしなかった時の王は、強い魔法を誰でも使えるように国に働きかけました。それが、魔科学です。魔法を機械に蓄え、その機械を使うことにより、誰でも魔法が使えるようになったのです】

「まるで、今の蒸気機関みたいですね……」

【ええ。現在世界に普及している蒸気機関は、魔法が失われる前の魔科学を元に構築されていますから。もし魔法が失われ、魔科学が完全に失われてしまっていたら、蒸気機関の発達までにあと何百年もかかりましたし、現在の文明が築けなかったことでしょう】


 クリスタルの言葉に、シトリンは『暁の明星団』が普段使用している地下鉄道を思い返す。

 普段から蒸気に紛れて帝国諜報機関をかいくぐって使っている鉄道は、大昔の遺産だと言っていたが、ラリマーはクリスタルの言っている魔科学のことを知っていたんだろうか。

 シトリンの困惑をよそに、クリスタルは話を続ける。


【この国で生まれた子供たちは、ひとりひとり守護石と呼ばれる石を持って生まれ、その石に応じた魔法の力を持っていました。が、魔法が失われたことにより、守護石を持って生まれる子供は極端に減りました。人間が道具を使えるようになったことと引き換えに足の指を使う機能を失ったように、服を着るようになったことと引き換えに毛皮を失ったように、守護石と共に生まれることはなくなったのです】

「……もしかして」


 シトリンはふと思いついたことを言ってみた。


「皆、生まれた日に合わせて誕生石から、名前を付けられます。それが、守護石の名残ってことでしょうか?」


 シトリンが生まれたのは、11月22日であり、誕生石がシトリンだったことから、名付けられた。帝国に住まう者は全員誕生石から名前が取られることは当たり前のことだったのだ。

 クリスタルはシトリンの素っ頓狂な言葉に頷いた。


【はい。そして賢者の石や幻想病もまた、守護石と大きく関係があります】


 彼女はそう言って、シトリンの胸にトンと触れた。彼女は的確に、シトリンの胸に生えた賢者の石に触れたのだ。


【この世界の人間が幻想病にかかったのは、生まれてこなかった守護石が、守護する人間を守ろうとする拒絶反応から来るものです。ですが拒絶反応がおかしな形になって、宿主を苦しめてしまっているのが現状です】

「あれ……それって、私の賢者の石の拒絶反応と、同じではないですか?」


 そういえば。ファイブロライトと最初に出会ったときは、胸が痛くて痛くて仕方がなかったのに、今は痛みなんてちっとも感じない。

 クリスタルもそうだ。ここに生えているのは、自分たちが賢者の石だと言っている守護石と同じものだというのに、ここに来てからシトリンの胸はちっとも痛んではいないのだ。

 シトリンが不思議に思っていると、クリスタルは大きく頷いて答える。


【同じものです。守護石は本来、宿主を守ろうとするもの。宿主が拒絶しない限りは、守護石は拒絶しません。ですが、結界に綻びが生じたことにより、各地に魔法が復活しつつあるのです。守護石たちは脅威が迫っているのを教えるために、宿主たちを苦しめてまで、脅威の存在を告げているのです】

「そんな……だとしたら、その脅威をどうにかしない限りは、幻想病の人たちは一生苦しんだままなんですか?」

【はい】


 そんなこと言われても。シトリンは混乱する。

 彼女はただのアンバーに住む田舎娘であり、農業のこととおばあちゃんから教わった料理の知識くらいしか取り柄なんてない。いきなり世界規模で脅威が迫っていると言われても、どうすればいいのかわからないでいる。

 彼女が混乱している隣で、ファイブロライトが尋ねる。


「驚異の除外方法は」

「あの……ファイブロライトさん?」

「帝国機関は、帝国の民の安寧しか願っていない。賢者の石をばら撒いたのは、幻想病により、結界の綻びの位置の特定のため。しかし、驚異のことを帝国機関は聞いてはいない」


 シトリンは絶句する。

 皇帝は現状をどう思っているんだと思っていたら、世界規模の危機のための調査で、賢者の石をばら撒いていたというのが真相だとさらりと言われてしまったら、こちらとしてもどう反応すればいいのかがわからない。

 クリスタルはそれに答える。


【魔法が失われたのは、世界の理が変わったからです。それは、世界中に張り巡らされた結界によるものです。もし結界が完全に破壊されたとき、世界に魔法が復活しますが、既にこの世界では魔法の正しい使い方は失われています。その力を現在の人間が御しきるのは不可能でしょう。脅威を鎮める方法は、結界を修復することのみです】

「修復方法を質問する」

【守護石を集め、正しい守護石の持ち主により、結界の綻びに埋めなさい。それにより結界は修復されます】

「で、ですけど……既に守護石の数は少なくなってしまっているんでしょう? それに、私の……生えている奴や、幻想病の方々から生えてしまっているものなんて、抜けないので埋めれないじゃないですか」


 シトリンはしどろもどろで言う。

 蒸気機関の発達している現代だ。もし世界のために守護石体に埋まっている人間を埋めろなんておそろしいことを言い出したら、ここから逃げ出して他の方法を考えるしかない。

 ふいに、クリスタルはニコリと笑った。


【この時代。蒸気機関の利便性のせいで失われていたと思っていた人の心を持っている子が来て、本当によかったです。はい、守護石を持っている人間は少ないです。が、守護石の持ち主が正しい道筋を辿って、守護石を強化した場合、たったひとつの守護石で、結界を修復することは可能です】

「え…………!」


 シトリンは前のめりになると、クリスタルは彼女と同じ名前の石をひとつ取り出して、それをシトリンに差し出した。

 透明な石の中には、まるで活動写真のように映像が流れている。地図を立体的にしたそれの上を、赤い矢印が滑っていくのだ。


【帝国を、この赤い矢印の通りに進み、その地に埋め込んでいるクリスタルを破壊することで、守護石に古代の魔法を注ぎ込んで強化します。全部で六ヶ所。それで再びここに戻ってきて、結界の綻びに強化した守護石を埋め込むことで、修復が完了します】

「ありがとうございます……! このことは、上で待っている皆さんに相談します! あ、ここからどうやって出ればいいんでしょうか?」


 シトリンは何度も何度もクリスタルにお礼を言うと、クリスタルはにこにこ笑いながら、手をかざした。

 透明な扉は、高層建物や工事現場でしか見たことがない、エレベーターのようだった。


【これで上まで昇ってください。世界のために、健闘をお祈りします。どうか、主のご加護がありますように】


 クリスタルが手を合わせて祈る仕草に、シトリンは会釈だけして、エレベーターに乗り込んだ。便宜上敵ではあるが、ここにひとり置いてけぼりもどうだろうと判断し、「ファイブロライトさんもどうぞ!」と声をかける。

 ファイブロライトはちらり、とクリスタルを見た。


「……帝国機関も一枚岩ではない。ファイブロライトに、結界の修復方法を教えてよかったのか?」

【造られた命は不幸ですね。私の生きていた時代ですら、そんなおぞましい生はおりませんでした。ですが、あなたの心はあなたのもの。どうぞあなたの心のままに】


 シトリンはそれに「あれ?」と考えた。

 彼が造られた命というのは、どういうことなのだろうと。最初は腕を骨が折れそうなほど掴まれたせいで、見ただけで恐怖で身が竦んだが、現金にも一緒に結界と結界の綻びに落ちたせいで、この人は無表情なだけでそこまで怖くないのでは、と呑気に思っていた。

 ファイブロライトと一緒にエレベーターに乗りながら、シトリンはカルサイトにどう説明すればいいのだろうと、頭が悪いなりに考えていた。

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