坑道の記憶・1

 その日、宿屋のおかみに早めにパンと麦湯の軽い朝ご飯を出してもらい、ラリマーたちは地図を広げる。


「とりあえずここが坑道の地図です。細々と別れているために、二手に別れたほうがよさそうですね」

「んー……じゃあ俺とシトリン、ラリマーとジャスパーでいいか?」

「そうですねえ……とりあえず、シトリンさん。もしあなたの胸の賢者の石が異変を感じた場合は、すぐに引き返してください。カルサイトくんもそれでいいですね?」

「おう」

「わかりました」


 ジャスパーはパンをむしゃむしゃ食べながら、ランタンになにかしら仕込んでいた。


「できたー。これで火を使わなくっても明るいはず」


 そう言ってひょいと見せたランタンに黒い布を被せている。


「あの……これをランタンとして使うんですか?」

「うん。明るいところに置いてると、このヒカリゴケすぐ枯れちゃうからぁ。暗いところだったら、定期的に霧吹きで水をあげておけばいつまででも育つんだけどねえ。坑道に入ったら火も蒸気機関も危なくって使えないしさあ。この辺りの人たちは皆これを使ってるんだってさ」


 そう言って、黒い布の隙間をシトリンに見せる。たしかに布の向こうではロウソクを灯したかのように明るい。

 外に出てみると、錬金術師たちが一斉にサンストーンの人々の診察をしたせいか、昨日よりも人通りが増えている。

 ラリマーがジャスパーと共に歩いていると、皆が手を振ったり頭を下げたりする。


「先生、昨日はありがとうございます! おかげであと三日ほどリハビリをしたら、また炭鉱で働けます!」

「ええ、それはよかったです。ですが、くれぐれも無理はなさらないでくださいね。あまりにひどいと思った場合は、帝都の帝国治癒機関を頼ってください」


 そう言うと、あからさまにジャスパーが嫌そうな顔をしたので、カルサイトは頭をはたく。

 それぞれ坑道の入り口に着くと、ラリマーは皆に言う。


「……もし、帝国機関が調査に来た場合は、すぐに調査は中断。すぐに撤収します。互いのことは置いて行ってもかまいませんから」

「おう、そっちも気を付けて。ジャスパー、もしラリマーが無理に調査を強行しそうだったら、気絶させてもいいから連れて帰れよ」

「ほいほいー」


 ふたりに手を振って、シトリンとジャスパーは坑道の中へと入っていく。

 篭もった土の匂いに、わずかばかりの石炭の匂い。その匂いを嗅ぎながら、足音が響くのを聞いていた。


「あの、意外だと思ったんですけど、ラリマーさんをジャスパーくんが止めるんですか?」

「ラリマーは典型的な学者肌だからなあ。一度没頭したら周りが見えなくなるから。まあ、この辺りは普通の炭鉱だよなあ」

「あ、はい……」


 シトリンも普通の炭鉱とおかしな炭鉱の違いはわからないが、あちこちに炭鉱を積むためのトロッコが敷かれ、石炭を掘り起こすためのツルハシが置かれている。おかしなところはなにもない。

 ランタンで辺りを照らしてみるが、それよりも目ぼしいものはないように思うが。ふと岩肌になにかがあるように見えた。


「あれ? あのう、あそこになにか削られていませんか?」

「んー……?」


 シトリンはランタンを掲げてみると、たしかになにかが書かれているが、なんと書いてあるのかがいまいちわからないし、そもそもそれが文字なのかも怪しい。それをカルサイトは「あー……」と言う。


「こりゃ俺たちじゃ管轄外だな。これ神殿文字だ」

「神殿文字って……?」

「なんでも、教会に伝わる文字なんだと。これはラリマーでも難しいかもなあ。帝都に帰ったらルビアに呼んでもらうか。とりあえず、ここに紙を付けて、擦り付けてみるか」

「わかりました」


 とりあえず持ってきていたメモ用の紙を壁面に貼り付け、鉛筆で擦り付けることにした。紙に浮き上がってきた文字らしきものを全部写し取り、ほっとひと息ついたとき。

 シトリンの胸が痛んだ。この痛みは、賢者の石が近付いたときの痛みだ。


「あ、あの……賢者の石が近付いています」

「おいおい……早速帝都に戻ろうってところでかよ。こんなとこでドンパチなんてできねえだろ……」


 カルサイトはひとまず文字を写し取ったメモの紙束をジャケット裏に突っ込んだところで、トロッコのカタカタと鳴る音が近付いてきた。

 見えたのはトリフェーンとあの真っ白な青年だった。


「二手に分かれたはずだが、本当にこっちで合っているのか?」

「トリフェーン・ラブラドライトは疑り深い。しかしシトリン・アイオライトの賢者の石反応はこちらからする」


 思わずシトリンが顔を強張らせる中、カルサイトは彼女の手を掴む。


「逃げるぞ」

「で、ですけど! この先は行き止まりでは!?」

「わかんねえだろ。案外隠し扉があるかもしれねえし」

「そんな、都合いい話ある訳!」

「いいから、走るぞ! どっちみち、あっちも銃器は使えねえんだから、距離さえ取ってればどうにでもなる!」


 ふたりはそのまま走りはじめた。

 走っていけばいくほど、壁面になにやら文字が刻まれているのが見えるが、これ全部をルビアに解読してもらうのは難しい。なにを書いてあるのか読めない以上、覚えて書き出すことができないからだ。

 ふたりで走っていき、とうとう行き止まりになった。もうそこには掘り起こされた穴しかない。


「だ、だから言ったのに……!」

「で、でも……まだわかんねえだろ!?」


 そんな無茶苦茶なと思うシトリンだが、壁面をペタペタと触り出すカルサイトは、まだ逃げることを諦めてはいない。

 とりあえずシトリンも真似して触りはじめたとき。自分の胸の賢者の石が、急に光りはじめたのだ。


「ちょ、ちょっと……!?」

「ん、おいシトリン。お前、痛くないのか、それ!?」

「いえ……全然痛くはないんですけど、私もどうして光りはじめたのかがちっとも……!」


 これ以上明るくなったら、帝国諜報機関だってその光の法へ向かってくるだろう。だがシトリンの意思では賢者の石の光を止めることなどできず、ただ彼女はあわあわとしながらワンピースの胸元を抑えること以外できない。仕方がなく、カルサイトが自身のジャケットを彼女に羽織らせたとき。


「シトリン・アイオライト、カルサイト・ジルコンと共に発見」

「……貴様らは馬鹿なのか」


 顔をあからさまにしかめたトリフェーンと、抑揚のない表情の男性に、カルサイトはただシトリンを自身の背後にやる。


「……なんだ、ここの流行病気を追うよりも、賢者の石のほうが大事だってか、帝国諜報機関は」

「任務だ。そこの娘を連行する。ファイブロライト」

「了解した」


 ファイブロライトと呼ばれた男性が、捉えどころのないゆらゆらとした動きで、カルサイトのほうに向かってきた。

 カルサイトが腕を振るって彼を殴ろうとするよりも先に、ゆらゆらとした動きでカルサイトからシトリンを引き剥がした。その腕の力に、シトリンの体は強張る。

 ……彼は、シトリンの腕が折れようが、関節が取れようが気にする素振りを見せないのだから。


「おい、彼女の腕が折れる。もう少し丁重に扱え」


 舌打ち交じりにそう告げるトリフェーンに、少しだけファイブロライトの力が弱まるが、それでもシトリンの腕では振り解くことができない。

 おまけに。カルサイトにかけてもらったジャケットから、光が溢れているのが、ファイブロライトに腕を掴まれた途端に、その光が更に強さを増したのだ。


「な……なに……!?」


 その光が、壁面に描かれていた神殿文字を照らし、更に神殿文字は点滅をはじめた。


「おい、カルサイト! 彼女はいったい何者だ!?」

「お前が撃ち殺しかけただけの、普通の女の子だよ!」


 その光が更に強くなった途端に、ファイブロライトに捕まれたまま、シトリンはその光に飲み込まれる。


「ちょっと……なに!?」

「異常現象。神殿文字、起動開始」

「どういう意味ですか!?」


 ファイブロライトの言葉は聞こえることなく、ふたり揃って連れ込まれてしまったのだ。

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