処方箋と逃避行

 コーラルの書いてくれたリストを元に、ラリマーはアンバーの家々を一件一件回る。村の治癒師には患者の具合と処方箋を渡し、それを正しく処方して欲しい旨を伝えた。

 案内していたシトリンは、いよいよ自分の家に連れて行く。


「あの、ラリマーさん、次が我が家です。おばあちゃんのこと、よろしくお願いします」

「はい、善処します。おばあさまの症状を診せてくださいね」

「はい!」


 そう言って、彼女は家を開けた。

 シトリンはおばあちゃんとふたり暮らしだ。両親は事故で亡くなってしまったので、ふたりで残された畑を守って生活してきたのだ。


「おばあちゃん、錬金術師さんがいらっしゃいましたよ」

「あらまあ……帝都の人はずいぶん綺麗なお顔をしてるのねえ……」


 ワンピースにエプロンの、シトリンを年取らせた女性が出てきた。ラリマーは彼女に苦笑しつつ会釈する。


「あなたがシトリンさんのおばあさまのオパールさんですね。シトリンさんからずっと咳が続いていると伺いましたが」

「ええ、ええ……最初は風邪かしらと思っていたんですけど、咳をしているときに、喉がイガイガしてね。なにかしらと思っていたんですけど……ゲホ」


 途端にオパールが咳をはじめたので、シトリンは慌てて背中を丸める彼女の背中をさする。


「おばあちゃん!? 大丈夫!?」

「ゲホッゲホッゲホ……ええ、ええ……大丈夫なんですけどね……ただ、年々喉から出てくる石の大きさが大きくなっていくようで、なんだか気味が悪いわぁ」


 そう言って、彼女は口元を抑えていた手を見た。

 手には唾液でまみれた砂粒に、ところどころ石の破片が入っていた。それにラリマーは顔をしかめて、彼女の喉を見て、脈拍を確認してから、咳の頻度を確認して、ようやく処方箋を書き上げた。


「オパールさんには、咳止めと炎症止めを」

「わかりました」

「……必ず、症状は治まりますからね。お大事に」


 そうラリマーが穏やかに言い、オパールがにこにこ笑いながら、彼にお礼のお茶菓子の準備をはじめた。

 シトリンも彼と治癒師に声をかける。


「おふたりもずっと問診を続けてらっしゃいますし。リストの患者さんも終了しましたから、一度お茶をしてから村長さんの元に戻りましょう」

「ええ……シトリンさんもオパールさんもわざわざお茶をありがとうございます」

「いえ。錬金術師が来てくれて、皆大分落ち着いたと思っていますから。それにしても意外でした。私、錬金術師と言ったらなにかしら奇跡でも見せてくれるのかと思っていましたけど、普通の問診でしたねえ」


 オパールがお茶を淹れている中で、シトリンはこの間焼いたスパイスケーキを持ってくると、ラリマーは「ありがとうございます」と会釈をしてそれをいただく。


「大昔はもっと奇跡の力を使うような方もおられたようですが、今の錬金術はもっと普通の技術ですよ。それに百年ほど前は蒸気機関なんてありませんでしたから、それらを日常的に使っているシトリンさんのほうが、よっぽど奇跡の使い手だと思いますよ」

「そうなんでしょうか……」


 シトリンは不思議な顔をして、オパールの持ってきてくれたお茶をラリマーと治癒師に配り、自分もお茶とスパイスケーキをいただこうとしたとき。


「あっ、ラリマーもシトリンもめっけ。村中の蒸気機関見せてもらったよー。ここがラストー」


 そう言ってズカズカとジャスパーがやって来た。ずっと蒸気機関を見ていたせいなのか、彼は顔にもつなぎにもすすを付けて真っ黒になってしまっている。

 オパールはびっくりした顔で、ジャスパーを見た。


「まあまあまあ、あなた真っ黒だわ。ちょっと待ってちょうだいね、すぐにタオルを……」

「別にいいよ、おばあちゃん。それより、ここのキッチンの蒸気機関、おれ見ていいかな?」

「それはかまわないけど……この間、修理に出したばかりだから、修理する必要はないわよ?」

「いいよー」


 オパールとジャスパーの言葉に、シトリンは「あれ」という顔をする。ラリマーはスパイスケーキをいただきながら、怪訝な顔で彼女を見る。


「どうかなさいましたか?」

「いえ……私が帝都に出るまでに、修理の話なんて聞いたことがありませんでしたから。おばあちゃん、蒸気機関の修理って?」


 ジャスパーが台所の調理台に付けている蒸気機関を開いている間、傍で眺めていたオパールにそう問いかけるシトリン。

 それにオパールが言う。


「ええ、シトリンが帝都に行っている間、帝国工業機関の方が、無料メンテナンスをしてくださったの。買ってから十年くらい経っているからちょうどいいかと思って」


 そう言っている間に、だんだんシトリンの胸が痛くなってきた。胸にびっしりとついている石が、何故かチクチクとシトリンの肌を突き刺してきたのだ。

 何故、急に痛み出したのかがわからない。

 銃で撃たれて石が生えてきてからこっち、石が生えた以外はなんの影響もなかったというのに。


「シトリンさん?」

「あの……胸が、痛……」

「まあ! まさかシトリンまで、幻想病に!?」


 オパールが慌てて台所から出てくる中、ジャスパーは「わあ」と言いながら、蒸気機関を開けた。

 帝国工業機関からメンテナンスをされたという蒸気機関の中には、燃料の石炭と一緒に、びっしりと賢者の石が入れられていたのだ。

 ジャスパーはオパールが台所から出ている間に、ひょいひょいと賢者の石をつなぎの中に入れていたスコップで取り出していき、手持ちのゴミ箱に流し込んでいった。

 全ての賢者の石が抜けたところで、ようやくシトリンの激痛が治まる。

 背中にびっしょりと汗をかいて、どうにかシトリンは起き上がった。


「……お騒がせしてすみませんでした。もう大丈夫です」

「シトリン……! 錬金術師さん、この子のことも診てもらえないですか!?」

「……オパールさん。彼女は帝都で診ましたが、彼女は幻想病ではありませんよ」

「ですけど、あんなに痛がってましたのに」


 そう言われても、まさかおばあちゃんにすら言えないと、シトリンはワンピース越しに生えた石を撫でながら思う。

 どうして自分の胸に生えた賢者の石が、他の賢者の石の近くに来た途端に痛み出したのだろう。ジャスパーが全部回収してからは痛みが治まったが。

 幻想病と賢者の石が生えている現状がどう違うのか、シトリンにはいまいちわからなかった。

 そうこうしている中で、ジャスパーは元気に手を振る。


「おばあちゃん! この蒸気機関も大丈夫だった! あっちこっちの蒸気機関を見て回ってちょっと疲れたなあ~、おれにもスパイスケーキとお茶ちょうだい?」

「まあまあ……じゃあ手を洗ってちょうだいね。こんなに真っ黒じゃ、ケーキだってすすの味がしちゃうでしょ」

「ちぇー。わかったー」


 タオルですすを拭いてから、ようやくジャスパーもスパイスケーキとお茶をいただいている。

 ラリマーはシトリンに尋ねる。


「そういえば、アンバーの蒸気機関は全て帝国工業機関で買っていると伺いましたが……他で帝国工業機関の蒸気機関を購入しているところはご存知ですか?」

「ええ? 田舎ですと、帝国機関のものを買うのが一番安いんですけど……」


 さっきからジャスパーが賢者の石を抜いて回っているし、ラリマーはコーラルに帝国工業機関の蒸気機関を買うのを止めている。

 賢者の石になにがそんなに問題があるんだろうと首を傾げながら、シトリンは考える。

 この辺りの農村は皆そうだが、ここから一番近いのはクリソプレーズだろうか。


「クリソプレーズだと思いますけど」

「そうですか、では」


 ラリマーがなにか言おうとした中で、外が騒がしくなったことに気付いた。

 ジャスパーが窓を覗いて「げげっ!」と声を上げる。


「ラリマーさんラリマーさん、帝国諜報機関! あいつら来てる!」

「……来るとは思っていましたが、予定より早かったですね」


 外では、村人たちに帝国諜報機関の黒コートの人々が話を聞いているのが見える。


「この村に、指名手配犯ラリマー・モルガナイトが来ていると聞いた」

  「彼は口八丁手八丁で、希少な賢者の石を盗難して回っている」

 「賢者の石を使うな? それはあの詐欺師の賢者の石盗難の手口で」


 彼らが次から次へと嘘をついて回っているのに、シトリンは鳥肌が立つのがわかった。

 賢者の石を使ってはいけない理由はよくわからないが、少なくとも。シトリンは自分に生えたものをワンピースの上から触る。これが賢者の石を見つけた途端に激しく痛んだのを身をもって知っている。こんな痛み、長時間受け続けていたら、きっと頭がおかしくなってしまう。


「さっきから外が騒がしいけど、どうかした?」

「帝国から人が来るなんて珍しいですね」


 オパールと治癒師が不思議そうに顔を見合わせて、窓の外を覗こうとするので、シトリンは大きくテーブルを叩いて立ち上がった。


「……ラリマーさん、逃げましょう!」

「シトリンさん……あなたは既に故郷に帰りつきました。あなたはここで普通に暮らせると思いますよ?」

「普通になんて暮らせませんよ」


 シトリンはラリマーとジャスパーを見ながら、ワンピースを掴んだ。

 あの痛みに脅えながら、賢者の石を誰かに見られたらどうしようと四六時中気にしながら生活するのなんて、きっと頭がおかしくなってしまう。

 それなら、最初からおかしい人たちに追いかけ回されているほうが、まだ走っている分だけなにも考えないで済むような気がする。

 なによりも、大事なおばあちゃんを自分の都合に巻き込んで怖い思いなんてしたくない。

 シトリンは吐き出す。


「……私はきっと、なにも知りませんし、なにもできませんけど。でも、ラリマーさんは私を助けてくれましたし、村の皆を診てくれたじゃないですか。治癒師さんに処方箋をたくさん書いてくれたじゃないですか。なのに、詐欺師呼ばわりなんてひどいです。おかしいです。ですから!」


 彼女の言葉に、オパールはきょとんとした顔で彼女のほうに振り返った。シトリンはおばあちゃんに言う。


「おばあちゃん。私、ちょっと帝都にまで行ってくるわね」

「シトリン? いったいどうしたの。さっきから村に帝国の人が来ているけど、それと関係するの?」

「……おばあちゃん、いろんな嘘を言う人がいるけれど、これだけは信じて。私はおばあちゃんのところに必ず帰って来るし、私を助けてくれた人たちは、嘘つきでも、詐欺師でもないわ」


 シトリンはそう言うと、ラリマーとジャスパーを裏口まで案内する。

 帝国諜報機関の人々はそれなりの人数で来ているようだったが、アンバーのことはシトリンのほうが詳しい。

 あちこちに聞き込みをしている黒コートの人々から身を隠すようにして、小麦畑を突っ切り、村の端に停めていた車に乗り込む。

 ジャスパーは手元の蒸気機関を見ながら、口笛を吹いた。


「大丈夫、発信機も付けられてないし、今からだったら逃げられる」

「ええ……シトリンさん。本当によろしいんですか? 我々に着いてきてしまって」

「……おばあちゃんに、危ない目に遭って欲しくないし、これでも私は怒ってるんです。嘘言ってあんなに賢者の石を仕込んだ蒸気機関に交換した帝国機関に」


 シトリンは未だに使い道のわからない、自身に生えた石をワンピース越しにぎゅっと掴む。


「それに、本当のことがわかったら、もっと怖いことが減ると思いますので」


 彼女の言葉に、これ以上シトリンはなにも言わなかった。

 代わりに、ジャスパーに声をかける。


「ジャスパーくん、車を出してください」

「りょうかーい。でもどうすんの? 帝都に戻るの?」

「いえ、こんな村にまで帝国機関が賢者の石を広めるのはおかしいですから、このままこの地区一帯を見て回ります。次はクリソプレーズに」

「はいはーい」


 蒸気が音を立て、車は走りはじめた。

 今はカルサイトがいない以上、もし襲撃をかけられても戦う術がない。気付かれない内に、さっさとアンバーから逃げることにしたのだ。

 シトリンは最後に、振り返って見慣れた小麦畑を眺める。

 村長のコーラルが、帝国機関を拒んでくれたらいいのに、村の人たちがラリマーのことを信じてくれればいいのに。そう思わずにはいられなかったのだ。

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