帝国機関と指名手配
「あの……困るんですけれど」
シトリンは本当におずおずと、ラリマーに言う。
ラリマーは彼女のことを責めることも咎めることもなく、黙って彼女のたどたどしい言葉に耳を傾けてくれる。
シトリンはそのことにほっとしながら、拙い抗議を続ける。
「帝都の人は、簡単に言いますけれど……アンバーは人手不足なんで、農業機器がなかったら、農作業ができません。ラリマーさんも村長さんに会うまでに村を見たからわかるかと思いますけど、うちの村、今は女子供とお年寄りしかいないんで。力仕事は蒸気機関に任せないと、できません……」
「ええ。そうでしょうね。だからこそ、今ジャスパーくんに見てもらっていますので。新しく蒸気機関を買い替えない限りは、これ以上、幻想病が村に蔓延することはないと思いますよ」
シトリンは、ラリマーの言葉にますます困惑して、眉をひそめる。
まるでラリマーの言い方だと、幻想病の原因は蒸気機関のように言うのだ。だがその言い方では、帝都の人のほとんどは幻想病にかかっていないといけないはずだが、今のところ彼女が出会った中で発症しているのはジャスパーだけだ。
コーラルは村民帳簿と地図を持ってきて、幻想病の患者をカウントしている間、困惑しているシトリンに、ラリマーは穏やかに言う。
「申し訳ありませんね、シトリンさん。困るようなことばかり言ってしまって」
「いえ……とりあえずは、村の皆の診察はしてくださるんですよね? 処方してくれれば、あとは村にも治癒師はいらっしゃいますので、なんとかなるかと思いますが……」
「ええ。あとは、ジャスパーくんに頼んだことがなんとかなれば、もうアンバーには幻想病の患者が増えることはありません。ただ」
ラリマーは眉を下げて、シトリンに頭を下げる。
「……今のところ、幻想病の原因はわかっていますが、完治の方法だけは確立しておりません。もう少しだけ、待ってもらってもいいですか?」
シトリンは彼の言葉に、ますます困惑する。まだ帰っていないおばあちゃんの、背中を丸めて咳をする姿が、頭に浮かんだ。
できれば完治して欲しいし、あれだけしんどそうにしているおばあちゃんを見ていれば、シトリンだって悲しい。ただ、わざわざこんな畑以外になにもない村にまで、帝国諜報機関に追いかけ回されながらも来てくれたのだ。どうしてこんないい人のラリマーがテロリストのリーダーを務めているのかはわからないが、なにか理由があるんだろうかと考え直す。
「あの、あまり謝らないでください……私が、無理を言って危険を冒してまでアンバーまで来てくださったじゃないですか」
「……本当に、申し訳ありません」
その言葉には、懺悔の色が滲んでいるようにシトリンには思えた。
****
アンバーの農業機器の蒸気機関を、器用に開いたジャスパーは、軍手でごそごそと機関の中に手を突っ込んで、石炭の中にひとつ、明らかにつるんとした石が入っていることに気付き「あった!」と小さく声を上げて、それを引っ張り出した。
「この賢者の石、不良品だよぉ。不良品使ってると、あんまり体によくないよー?」
そう言って、その石を皆に見せた。皆驚いて顔を見合わせる。
「そうなんですか? これ、帝国工業機関から買い取ったものなんで、いいものだとばかり思ったんですけど」
「最近、帝都で回ってる賢者の石って、不良品が多くってさあ。周りに注意するようにって言って回ってるんだけれど、なかなか聞いてもらえなくってね。区別も難しいから、一律に「賢者の石を使うな」って言うしかないから。シトリン、あの子もわざわざ帝都にまで錬金術師を呼びに来たんでしょう? あの子が苦労しないようにね。今チューニングしたから、わざわざ賢者の石を使わなくっても石炭だけで充分馬力が出るようになったから。あんまり帝国工業機関制だからって、鵜呑みにしないようにねー?」
ジャスパーの淀みのない言葉に、淀みのない腕。
蒸気機関に溜まりに溜まったすすは全て彼の手で落とされ、蒸気の通りもよくなった。この分ならわざわざ賢者の石を燃料として使わなくっても充分馬力は上がる。
「すみません、蒸気機関のことはちっともわからないので」
「いいよぉー。技師でもない限り、詳しくないのが普通だしー」
そう言って、ジャスパーは村人たちが持ってきた農業機器の賢者の石を全て取り除くと、それらを付属のゴミ箱にぽいぽいと捨てた。
最後のひとつも回収したところで、彼は「はふー」と息を吐いた。
「困るよねえ、帝都のいたちごっこでも手一杯だっていうのに、こんな田舎にまで賢者の石を蔓延させてさあ。いったいなに考えてるんだろ、お偉いさんは」
村人たちに聞こえないような声で、ジャスパーは眉をひそませながら、ガンッとゴミ箱を蹴った。ゴミ箱に溜まった賢者の石は、カシャンカシャンと音を立てるだけであった。
****
帝都諜報機関。
基本的に、この国のありとあらゆる情報規制統制を司る帝国機関の中でも力の強い機関であり、今のもっぱらの仕事は、この帝都で暗躍する『暁の明星団』の追跡、逮捕であった。彼らのなにが問題かというと、この国の主燃料として使われている賢者の石の強奪事件を次から次へと引き起こしていることであった。
ただの嫌がらせにしては、『暁の明星団』のリーダーである、指名手配犯ラリマー・モルガナイトの存在が大きく、彼らの行動にはなにかしらの思惑があるように見て取れる。
そんなわけで、昼間から堂々と列車に乗って移動をしていた構成員のひとり、カルサイト・ジルコンの尋問を行っているのだが、彼はなにひとつ吐くことはなかった。
「散歩だよ。散歩。地下にずっといるとなまっちまうから、日の当たる場所にお散歩」
シャツの上の皮の銃ホルダーを奪い、そこに装備していた武器は全て剥奪したものの、彼はどこ吹く風で、こんな適当なことしか言わなかった。
この男と腐れ縁のトリフェーンは、心底面白くない顔で言う。
「寝言は寝て言え。そもそも帝都に蒸気の昇らぬ場所があるか」
「こりゃ厳しいなあ、トリフェーンも」
心底楽し気にしゃべるカルサイトに、トリフェーンは眉を寄せる。彼は強く押してもひょいひょいと避けてしまうために、どうにも相性が悪い。
腕と足を縄で拘束し、得物を奪ってもなお、鼻歌を歌い出しそうな態度を崩さないのであった。
トリフェーンに尋問を任せてあくびをしていたジェードは、いい加減飽きてきたらしく、ようやく口を開いた。
「君もずいぶんと変だよねえ。君の経歴調べたけれど、テロリストに加担する背景が全然ないんだもの」
カルサイトはじっとジェードを見るが、ジェードは持っているボードに挟んでいる調書に目を移す。
「どうしてラリマーを支持しているのかわかんないし、騒ぎを起こして目立ちたい愉快犯って性分でもない。下町で育って下町で働いてたと思ったら、『暁の明星団』に参加って、訳わかんない。他の構成員だったらわかるよぉー? テロリストでも、ラリマーは優秀な錬金術師だもんね。病気の薬につられて参加っていうのだったら、支持できるできないはともかく理解はできるけど、君は病気ですらないじゃないか」
彼の言葉に、カルサイトはにやりと口角を持ち上げる。
「単純に俺は、帝国紳士なだけだよ」
「あっそ。ぼくそういうのに全然興味ないんだけどね。話を変えるけどさあ、ラリマーが連れて行ったあの女の子、なに? あの子さあ、ぼくにはトリフェーンが撃ち殺した子に見えるだけどさあ、どうして生きてんの?」
ジェードがそう言った途端に、不敵に浮かべていたカルサイトの笑みが消えた。
「……知ってどうする?」
「ううん、興味があっただけ。ぼくも本職は諜報員じゃないしさあ、あと一歩でチェックメイトまで運べるんだったら、あの子を捕獲するのもやぶさかではないよねって思ったのさ」
そこから先は、カルサイトはトリフェーンとジェード、交互に尋問をかけられても、ひと言も口を開くことはなかった。
ジェードが「あーきた。帰るー」と言って立ち去っていき、トリフェーンはカルサイトの縄を掴んだまま、留置施設まで彼を引きずっていく。
「貴様、一体いい年して、いつまで紳士ごっこをしているつもりだ?」
トリフェーンはボソリと言う。普段銃の打ち合いをしているにしては、若干砕けた言動であった。カルサイトは軽く肩を竦める。
「帝国の犬になって実家に仕送りをしているほうが偉いってか? 俺はそれで魂を売るのは嫌だね」
「ふざけるな……あの娘は生きているんだな?」
「一般人殺さなくってよかったな、お前も。お嬢さんは元気だよ、だからあんまり気にすんな」
「ふん」
それだけ言って、トリフェーンは乱暴にカルサイトを牢に放り込んだ。
「あまり目立つような行動を取るな。帝都をテロリストのいいようにされるのはごめんだ」
「ヘイヘイ。俺は俺の正義を、お前はお前の正義をいこうや」
トリフェーンはその言葉に答えることなく、さっさと立ち去ったのを見て、カルサイトは「さて」と言いながら、縛られたまま、自分の指先をシャツの袖の中に引っ掛けた。シャツの下にはブレスレット。そこにはロケットが付き、その中にはカルサイトと同じ名前の石が鋭い形をして入っている。カルサイトは器用にロケットを開いて石を取り出すと、その石を自身を縛っている縄に突き刺して、縄を解いた。
「おっし」
続いてロケットの中に石と一緒に仕込んでいた針金で、牢の鍵穴を弄って開けると、さっさと逃げ出すことにした。
このままアンバーに向かったら、シトリンのことを認知されるかもしれない。そう思ったら、教会に逃げるのが適切だろうか。どっちみち、先に得物の回収か。そう考えをまとめて、カルサイトは走り出した。
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