錬金術師と逃亡戦
シトリンはポカンとしながら、あちこちを走り回っている列車を眺めていた。
明らかに豪奢な内装の列車が隣の路線を突っ切っていったと思えば、上の路線を貨物列車が通過していく。地下に潜伏していた『暁の明星団』が堂々と走っているのに、誰も気にも留めない。
「あの……私は列車に乗るのなんて、今回帝都に来るまで機会がなかったんですけど、帝都ではこんなもんなんですか?」
ポカンとしながら窓を眺めているシトリンとは対照的に、カルサイトはあぐらをかいて座っているだけだし、ラリマーは普通に手持ちの本を読んでいるだけだった。見慣れた光景だかららしい。
シトリンの質問に、カルサイトは答える。
「はっきり言っちまえば、これだけ路線が入り組んでいたら、帝都もそこまで面倒見てられねえって感じだな。だから大昔の路線をそのまま使っていても、線路を切り替えて公道を使っていたとしても、誰もなにも文句を言わねえってだけで。まあ、さすがに正面衝突なんてことになったら、帝都機関が動くから、そこそこ帝都機関を騙くらかす必要があるっつうだけで」
「はあ……使ってない線路を廃線にはしないんでしょうか。この線路だって、廃線だったものを再利用しているみたいですし」
「利権がありますからね、帝国はしたくとも、なかなか各機関が承認しないのだと思いますよ」
ラリマーがさらりと口を挟んだのに、シトリンは窓から彼のほうに視線を移す。ラリマーは本から視線を離さないままだった。
「使わないのに、ですか……?」
「そうですね。皇帝はともかく、機関はやたらと利権や面子を気にしますからね。過去の抵抗にすがって、現在のために未来を食い物にしているのでしょう」
その物言いに、彼女は「あれ」と思う。
ラリマーは自分の村のために、わざわざ出向いてくれるいい人だという印象があったから、皮肉を言う人とは思っていなかったのだ。
シトリンがきょとんとしている中、ふいにカルサイトがシトリンの頭を無理矢理掴んで、そのまま座席より下に下げた。
途端に、背後の窓がパリンパリンと音を立てて割れる。
これには見覚えがあった……パラパラと音を立てて飛んでくるプロペラ飛行機は、帝国諜報機関のものだ。あのとき撃たれたことを思い出して、シトリンは背筋が冷たくなるのを感じた。
「ラリマー・モルガナイト! 貴様、またも列車を走らせてまた貨物列車を襲撃する気か!?」
こちらに猟銃を向けて撃ち込んできたのは、先日も見かけた黒コートの男性だった。
シトリンが背筋を震わせているのに、カルサイトは「このまま伏せてろ」と言うと、ジャケットを彼女の頭に被せた。彼はそのまま銃を取る。
「人助けだよ、トリフェーン。つうか、あんたも熱くなると物事見えなくなるよなあ。可愛い普通の女の子を殺しちゃって、ショックを受けてるんだろ?」
カルサイトの挑発に、トリフェーンと呼ばれた男性はあからさまに顔を引きつらせていた。
「あの、私。生きてます……」
「挑発させといたほうがいい。あいつ、冷静なときは狙撃でこっちの手を焼かせてくるから、血が昇って見境なくなってるときのほうが扱いやすい」
この人、いい人なのか悪い人なのか、本当にわからない。シトリンはそう思いながら、トリフェーンに見えないように、座席にしゃがんだままでいたら、ラリマーは苦笑する。
「トリフェーンくんとは腐れ縁ですからね、彼の相手はカルサイトくんに任せておきましょう。ジャスパーくん、本来でしたら貨物列車に連結させる予定でしたが、予定変更します。列車は回収を任せ、郊外に出たところで、車に乗り換えます」
ラリマーの指示に、先頭で運転をしているジャスパーは、金色の髪を揺らして頷く。
「そりゃいいけどさあ。トリフェーン、本当に今日は調子悪いみたいだし、シトリンが生きてるの見つかったらまずくない? まだこいつの胸の奴、見つかってないんだしさあ」
「ええ……ですから、カルサイトくんは列車に残します。追いつけますね?」
既にシトリンやラリマーの頭上では、銃撃の応酬がはじまっている。
カルサイトの挑発に乗せられてしまったのか、トリフェーンの銃はたしかにぶれぶれで、簡単にカルサイトに避けられ、彼も撃ち返している。しかしプロペラ飛行機の操縦士は優秀なのか、列車の近くを並行飛行しつつ、銃を曲芸しながら避けている。
「いいよ。トリフェーンともうひとりの相手をするのは嫌だけどさあ。お嬢さん、俺のジャケット預けておくから、それ被って逃げろ。あと、帝国機関の連中には顔を覚えられんなよ」
「えっと……はい。あの、カルサイトさんもお気を付けて」
シトリンはカルサイトのジャケットを頭に被ってペコンと頭を下げると、彼は軽い調子で手を振った。
そのまま列車の先頭へと、銃を気にしながら移動すると、ジャスパーがさっさと準備を進めていた。
運転車両はそのまま客席車両を外し、線路から外せるようになっていた。ジャスパーは手元に広げていた路線地図を確認する。
「もうちょっと走ったら、カーブに出る。そこで客席車両を外すよ。この時間帯だったら、他の列車は来ないから、客席車両が飛んでも、大丈夫だと思うし」
「そうですね」
目の前を見ると、きらびやかな建物群から抜け、草原が広がっているのが目に入る。
郊外で車を出すことが多いと聞いていたが、このことだろうかとシトリンは思う。
ラリマーは、床下から椅子を引き出すと、シトリンの分も進めて、自分も座った。
「シトリンさん、そのままベルトをしてください。少々荒っぽいことになりますから」
「えっと? はい」
「うん。それじゃ、行っくよー」
ラリマーがぐいっと操縦かんを引っ張った。途端に、車体がぐらっと前方に傾いたかと思ったら、客席車両を引きちぎり、運転車両が線路から飛び出した。
客席車両はそのまま大きく傾いて車体がひっくり返ったのを見て、シトリンは喉を鳴らす。
「あ、あの……カルサイトさんは大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫ですよ、あれくらいだったら彼は」
「そうそう。カルは強運の持ち主だしねえ。うちで錬金術師でもなく、幻想病でもなく、治癒師でもないのに構成員やってるのなんて、カルくらいだもんねえ」
「はあ……」
プロペラ飛行機は焦ってこちらのほうに飛ぼうとしたが、それより先に、客席車両のほうからなにかが飛んだ。
カルサイトがジャケットの下から、ネット銃を取り出し、ネットをプロペラに巻き込んで、動きを止めているのだ。多分あの帝国諜報機関が増援でも送ってこない限りはこちらを追撃はしてこないだろうが、このまま大丈夫なんだろうか、とシトリンは思った。
村のことに、カルサイトのこと。あの帝国諜報機関のこと。考えれば考えるほど、シトリンの胸は千切れんばかりに乱れるが、まずは故郷に向かわないといけない。
アンバーには錬金術師はいない。ラリマーを連れて帰らないことには、幻想病は治らないのだから。
****
「ちっ……カルサイト・ジルコン……何度も何度も邪魔をして……おい、プロペラに巻き込んだネットは外せるか?」
「あーあー……『暁の明星団』の技術師は優秀だよねえ。前にも使ってきたから、ネット対策としてプロペラにナイフを仕込んでおいたけど、外せないようにネットに粘着性を加えてるよねえ。無理して飛んでもいいけど、あの車に追いつく前に落ちるだろうねえ」
トリフェーンはいらいらとしながら操縦士のほうに声をかけると、甲高い声の少年は、面白がってそう返す。
「でも今回の通報は不可思議なものだねえ。前回は賢者の石の強奪だったから、てっきり今回もそうだとばかり思っていたのに、張っていた場所には来なかったし、そのまま郊外にまで飛び出しちゃったし」
「……そのまま『暁の明星団』の拠点を移動させるというのは?」
「ないんじゃないかなあ。今回のことは不可解過ぎるしさあ。それに、君が撃ったはずの子。どうして生きてんだろうねえ?」
「……はあ?」
トリフェーンの声に、少年はからからと笑う。栗色の切り揃えられた髪の少年は、またも飛行機を軟着陸させないといけないにもかかわらず、面白がって走り去っていった車を見送っていた。
「一般人を人質に取る趣味はないけど、『暁の明星団』がラリマー以外に隠さないといけないものってなんだろうね?」
「ジェード、貴様は……一般人を実験台にするんじゃない」
「テロリストが保護している人間を一般人に認定していいのかは、ぼくもわかんないけどねえ」
ジェードの甲高い声の皮肉に、トリフェーンは押し黙った。
ひとまず、まだ逃げてはいないはずのカルサイトを捕獲し、『暁の明星団』のリーダーの逃走先を吐かせないといけない。
彼が逃げ出していなければ、だが。
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