幻想病と賢者の石
その病気が流行しはじめたのは、本当に突然だった。
ある日、帝都にいた男性がいきなり額から角が突き出て、周りは大騒ぎになったことがある。
その男性を皮切りに、様々な症例が出るようになった。
あるものはいきなり皮膚が硬化してしまい、あるものは皮膚からいきなり茨が飛び出た。その症状は様々で、同じ症例がひとつも見当たらなかった。
この原因不明な病気は、通称・幻想病という名前で広まり、帝都を中心に国内に広がっていったのだという。
ただどの症状にも共通項があり、きちんと対処をしていれば死ぬことはないのだ。硬化してしまった皮膚も、定期的に硬化した皮膚を剥がせば窒息死することはないし、皮膚から飛び出た茨も麻酔をして引っこ抜けば皮膚をむやみやたらと傷付けるようなことはない。
ただ一般人では正しい対処法が見出せないために、錬金術師が診た上で判断しなければいけなかった。
シトリンの住むアンバーには、錬金術師がいない。そもそも農村であるアンバーに幻想病が流行りはじめたのはずいぶん遅かったがために、わざわざ錬金術師を呼ぶ必要がなかったのだ。
そうも言ってられなくなったのは、あまりにも幻想病の患者が増え過ぎてしまったからであった。
爪が鉱石になってしまい、爪が伸びるたびに痛みが生じるので爪を剥がないといけなくなった少年。
髪が木の根っこになってしまい、恥ずかしくって家に閉じこもって出てこなくなってしまった女性。
咳をするたびに砂金を吐き出すようになってしまったシトリンのおばあちゃんは、毎日咳をして苦しそうだ。
見かねたシトリンは、村長や周りの人々を説得して、一か月かけてどうにか帝都に向かうめどを立てて出発した次第であった。
ところが。
列車で銃撃戦に巻き込まれた途端に、自分が幻想病になってしまったのである。いったいなんのために帝都に向かったのかわかったもんじゃないと、沈み込んでしまったのであった。
「落ち着いてください、お嬢さん……では、呼びにくいですね? あなたのお名前を教えてくださいませんか?」
ラリマーはゆったりとそう声をかけるので、シトリンは開いた胸元を閉じて、ぺこんと頭を下げる。
「……シトリン・アイオライトです」
「シトリンさん、ですね。僕はラリマー・モルガナイトと申します。まず誤解を解いておきますと、あなたのその症状は、幻想病ではありませんよ。少なくとも、錬金術師である僕の見立てでは」
「え……?」
シトリンはワンピース越しに、胸元に広がる石に触れながら、きょとんとする。
村でもさんざんこんな症状の人たちを見てきたのに、それでも目の前の錬金術師は、彼女の症状を幻想病ではないと言うのだ。
隣で黙って聞いていたカルサイトは「んー……」と言いながら、頭を引っ掻いた。
「俺も、何度説明受けても全然わかんねえんだよなあ、その理屈。ルビアはわかったか?」
「そうですねえ。シトリンさんの現状がまずいってことまでしかわからないんですけれど」
幻想病じゃないのに、このままシトリンを外に出すのはまずいと言って、テロリスト集団に連れてこられた。
シトリンはますます困惑している中、ラリマーがゆっくりと言う。
「今まで、ルビアの連れてきた幻想病の患者の症例にはさんざん立ち会ってきましたが、皆が皆、間違った処方をすれば死に至るものでした。皮膚が硬化した人も、全員が全員、安易に硬化した皮膚を剥がせば済む人ではなく、皮膚が完全に石になってしまっている人と、皮膚に石が貼りついてしまっている人で、処術を変えなければいけませんでしたが……シトリンさんの症状はそんなことがありませんでした」
「ええっと……?」
「あなたが銃撃されたときに、あなたの胸から石が生えて、あなたを守ったのですよ。あなたの血は、銃で撃たれたものではありません。石が皮膚を突き破って流れたものです。それでも、女性が胸に石を生やしていては駄目だろうと石を取れないかとその石を見て、このままあなたを外に出すのは難しいということで、お連れしました。落ち着いて聞いてくださいね」
頭の悪いシトリンは、いまいちラリマーの言っていることがわからず、助けを求めるようにカルサイトとルビアを見たが、カルサイトは首を振るだけであった。
ルビアはやんわりと「この部分だけ聞けば充分ですよ」と教えてくれたので、ラリマーの次の句を待つことにした。
「あなたの胸から生えている石は、賢者の石です。今まで、偶発的に生成できたことはありますが、これを量産できた例はありません。錬金術師が喉から手が出るほど欲しがっているそれがあなたの胸から大量に生えていては、シトリンさんの命の保証がないために、こうしてお連れしました」
「……え。ええ? ええ…………?」
一瞬、なにを言われているのかわからず、シトリンはおろおろとして、周りを見回した。
この人のよさそうな錬金術師であるラリマーが嘘をついているとは思えないし、ルビアは困った顔で笑うばかり。カルサイトは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
賢者の石というのは、最新の燃料としてもてはやされているものだ。石炭よりも空気を汚さない上に、少量で大量の蒸気機関を動かすことができると。その代わりにあまりにも値段が高いために、帝都以外にはほぼ出回っていない燃料だと聞いていた。
そんなものがシトリンの胸から生えていると言われても、彼女だって困ってしまうし、そもそもなんでそんなものが生えてきたのか、自分だって知らない。
「と、取れないんですか!? 困ります、こんなもの」
「除去できないか確認しましたが、下手に取ろうとすれば、あなたの心臓を傷付けてしまう恐れがあるため、抉り取ることも無理だと判断しました」
「わ、私……そんなものが生えても……本当に……どうして……」
シトリンは混乱してボロボロと涙を溢してしまったが、ふと頭に浮かんだのは、村に残してきたおばあちゃんの姿であった。
今頃背中を丸めて、ゲホゲホと咳をしているんじゃないだろうか。こんなところで悲劇のヒロインごっこをしている暇があるんだろうか。幻想病ではないと錬金術師に断言された以上、自分は村にいる人たちみたいに苦しいことにはならないんだろうと思う。
「……私、それでも。村に錬金術師を連れて戻らないといけないんですよ。うち、小さな農村ですけど、半分くらいが幻想病で苦しんでいますから。ラリマーさんはここの教会の錬金術師でしたら、紹介してくださったら……」
「危ないですよ? 本当に、外に出る気ですか?」
ラリマーが心配そうにシトリンを見るのに、彼女は不思議な気分になった。
やったことは列車強奪であり、帝国機関と銃撃戦を行っているような人たちで、どう考えてもここにいる人たちは悪い人の区分にしないといけないはずなのに。どうにもここの人たちは帝国的には問題があれども、いい人たちなような気がするのだ。
シトリンは首を縦に振る。
「せめて、私が逃げ回らないといけなくっても、先にやらないといけないことがありますから。私のおばあちゃんや、村の皆が待ってますから」
「……わかりました。ルビアさん、しばらく僕が留守しますが、患者さんたちの処方薬はどれだけ残っていますか?」
ラリマーがルビアに振り返ると、彼女はころころと笑う。
「あなたが心配性なおかげで、ひと月分はもちますよ。ひと月ほどあなたがいなくても大丈夫です」
「わかりました。カルサイトくん、ジャスパーくんを呼んでください。列車使いますから。あとシトリンさん。ご実家は?」
「えっ?」
一瞬意味がわからず、シトリンはラリマーを見ると、隣でぼそりとカルサイトが言う。
「ラリマーに感謝しとけよ。あんたの村の連中、診てくれるってさ。この人、本当だったらここに引きこもってたほうが安全なんだからな」
「えっと……その。私の村は、アンバーです。よろしく、お願いします!」
シトリンがぺこりと頭を下げると、先にカルサイトはシトリンに貸していたジャケットを羽織り直して、先に院長室を出て行った。
でも。列車に乗るんだろうか。また列車を強奪して? もしかしなくても、自分の村のためにとんでもないことに加担させられるんじゃとシトリンは、少しだけ震えた。
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