第13話

 指のことがあってからも僕と波多野は特別仲良くなりはしなかった。仲良くなることはお互いが望んでいなかったのかもしれない。あの日のことをお互いが忘れないために、そして他言することが無いよう監視しあうために、こそこそと話していた。

 波多野は現役で大学に受からなかった。そして一浪しても行くところが決まらず二浪目に入ったと成人式の二次会で聞いた。波多野は勿論その場には居なかったから、陰口の恰好の的になった。

 あいつは今どうしているだろう、ふと話したくなった。大学の最寄駅のホーム、人の流れを阻まない場所に立ち止まり、僕は卒業式の日に登録した波多野のメールアドレスを探した。



    ひさしぶり 田邊です

    浪人生活はどう?予備校とか行ってるんだっけ?

    さっきひさびさに指のこと思い出したから、メールした

    覚えてる?



 送ってすぐに電話が掛かってきた。波多野からだ。


「もしもし、波多野?」


「うん」


「びっくりしたわ、電話かけてくるから」


「指のことちょうど考えてたから」


「あぁ、そうなの。ってか忙しくなかった?勉強してんの?」


「うん、勉強はしてる。でももう受からない気がしてきた」


「勉強してんでしょ、二浪したら受かるでしょ、普通」


「うーん、どうなんだろ」


 後に何か続くのかと思って聞いていたけれど、何も言ってこない。会話が終わるのがなんだか心細くて、何か会話の糸口がないか考えた。波多野に関して、一つ気になっていたけど、一度も聞いたことがないことがあった。聞いちゃいけない気がしたけれど、他に話すこともなかった。


「高一の時に生物部の先輩に聞いたんだけど、波多野、地震があった日、覚えてる?」


「うーん、いつの地震?」


「中三のとき、波多野、学校にいたんでしょ、停電してさ、生物実験室の魚が全部死んだじゃん」


「ああ、あったね」


「あのとき、波多野何してたの? 見殺しにしたの? お前が殺したんじゃないかって、凄い失礼な話だけど、おもっちゃったんだよね。本当はどうなの?」


「うーん、電気が止まって寒そうにしてたから、一匹ずつ手で握ってあげた」


「握ってあげた?」


「うん、水槽置いてある机に登って、水の中にいるピラルクを両手で順番に握ってあげた、死んじゃうかもしれないけど、温めてあげようとおもって」


 電気のつかない薄暗い部屋で机によじ登り、水槽を覗き込んで、両手で魚を包む波多野の姿を頭に描いた。

 波多野の手の中で大きな熱帯魚が少しずつ目に光を失っていく。

 言葉数が足りずに自らを表現しきれない波多野が僕の頭の中で、補完された。人間らしさがないのだと思っていたし、知能が低いのではと疑っていた。けれど死んでいく魚を少しでも温めてやろうと手を尽くす波多野は、僕なんかよりよっぽど慈悲深い。

 波多野があの魚を殺めたのだと思っていた。事実、そうなのだろう。温めようとして手で握れば、魚は簡単に死んでしまう。けれど、波多野に人間らしい優しさがあるという事実が僕にとって、受け止めきれないほどの苦痛を生んだ。

 

 あいつは僕よりも下に位置すべき人間だと思っていたのに。いや、人間だとも思っていなかったのかもしれない、人に似た、違う生物だと見下してきた。


 悔しさなのか、悲しさなのか、形容し難い感情が込み上げた。僕の心の内が自分でも理解できなかった。波多野が人になった。その代わりに自分は人ではない生き物に格下げされたような気がした。

 僕と波多野の順位は入れ替わった。僕は人から外れているのかもしれないけれど、あいつはもっと外れていると安心して生きてきたのに。


「そうだったんだ、ごめん、大学の授業あるから切るね」


「うん、ごめん。ありがとう」


 大学に行くのをやめて、僕は再び電車に乗った。向かう先は決まっていた。電車の中でリュックを探ると、病院でもらった数種類の錠剤の束と飲み掛けのペットボトルが入っていた。処方された睡眠薬の説明を読み直す。 

 乗り換えの駅の売店で缶の酒を買った。アルコール度数の一番高いやつを選んだ。睡眠薬と酒の飲み合わせは禁忌と処方箋に赤字で書かれていた。乗り換えの電車に乗ると向かい合った四人がけのボックス席の窓側に一人で座り酒を飲んだ。

 2時間半ほど掛かるだろうか。外を眺めるとビルの多く並ぶ街並みは次第に自然の多い風景に移り変わっていった。

 アドレス帳を開く。酒を飲んだから、文字を打つ手は少し震えたけれど文面に迷いはなかった。

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