第12話
僕達が帰ると後輩の二人、そして浅田先生が戻ってきていた。
「おう、お前らどこ行ってた?」
「解剖で出たゴミ捨てに行ってました」
僕は普段の声色が分からなくなっている気がした。けれど先生の顔を見ても僕の言葉を怪しんでいる様子はなかった。先生はどこ行ってたんですか、と聞くと
「調理実習室見に行ってたんだ。こんな大きな魚釣れるなんて思ってなかったからさ。包丁とまな板、あと醤油。あんまり下処理ちゃんとしてないからさ、美味くないかもしれないけど、せっかく釣ったしさ、勿体ないじゃん」
人の指を食いちぎり、胃袋に収めていたクロダイが綺麗に水で洗われて、まな板の上に乗せられていた。僕は叫び出したいような気持ちだった。叫ぶだけでは足りず、部屋中を走り回ってしまいたかった。
浅田先生は手際良くクロダイの骨を断つように頭を落とし、三枚に下ろしていった。その調理中も浅田先生はうんちくか豆知識か何かを得意げに披露していたけれど、ひとつも頭に残らなかった。クロダイの身と皮の間に包丁を入れて剥いでいった。最後に大きさを整えるように、さくを取ったあと、斜めに丁寧かつ素早く包丁を入れ、クロダイは刺身になった。
「じゃあまずは先輩方から」
と浅田先生はおどけた口調でのたまい、僕と波多野のいる方にまな板を押してずらした。実はこいつの胃袋に人の指が入ってたんですと言ってしまいたかった。そういえばこの刺身を食べなくてすむ。そう言えたら楽だった。浅田先生は紙皿に醤油を入れて僕達の前に置いた。
なんとか断る理由を考えたが何も思いつかない。僕はまな板の上の刺身の右端を素手で掴んだ。
「お、良いな。海の男みたいで」
浅田先生の軽口が煩わしかった。僕は波多野を促すような目付きでじっと見つめた。すると波多野も素手で刺身を掴んだ。お互い決心がついた。醤油の皿にその身の半分を浸して、口に運んだ。噛むたびに誰かの血液で口が満たされていく感じがした。胃がむかついて、飲み込むのを身体が拒絶しているような感じがしたけれど、僕の理性が飲み込むことをやめなかった。
僕は刺身を食べ終わると、無言でまな板を後輩の前に押して差し出した。まな板を押す指は朝の怪我で痛かった。傷の近くは熱を持っていて、明日には膿んでしまうだろうと本能的に分かった。
クロダイの身は全て五人の胃袋に収まった。
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