第6話
生物実験室にやってきた波多野が僕の隣の席に着く。背もたれのない木片だけで作られた椅子は波多野にサイズが合っておらず、ちぐはぐに見えた。横に座られると、不快な蒸気を右半身に感じる。外が暑いとはいえ、異常な汗の量だった。冷凍庫に長い間保存されてから外に出されたみたいだ。
波多野はすぐに作業に入るわけでもなく、かといって誰かと話したり携帯電話を見たりとなんらかの意味があることをするわけでもない。ぼーっと虚空を見ていた。
何もせずにいる波多野に手伝えよと声をかけようと、喉にほんの少しの力が入りかけた、そのときに波多野はしらすの袋に手をかけた。いちいち他人をイラつかせるやつだった。喉に込めた力の吐き出しどころが分からなくなり僕は、
「今日は食べんなよ」
とだけ伝えた。後輩二人は何も言わずニヤニヤ笑っていた。
「わかった」
とだけ答える波多野はピンセットを使い出した。
作業中、とにかくしらすだけは大量にあるので暇つぶしのように口に運ぶことはよくある。食べるならまだ良い方で、先生が来ないのを良いことに実験室の教卓に入っているマッチを使って火葬と称して燃やしてしまうこともあった。
数日前、波多野は作業中に選り分けた珍しい稚魚や甲殻類の幼生を食べてしまった。作業している中、あっ、とだけ声を出したので、目をやるとモグモグと口を動かしながら「レアな方食べちゃった」とだけ言った。普通間違って食べてしまったら咀嚼をやめるだろうと思った。
その後1時間ほど作業を続けていても、僕の皿に盛ったしらすからは特別なものは何一つ見つからなかった。全て選り分け終わると、からっぽの皿には乾燥したしらすの垢みたいな粉だけが残った。
僕は帰ることにした。こんな無駄なことで時間を過ごすくらいなら家で寝ていたかった。帰るときには17時くらいで日差しはだいぶ傾いていた。空がオレンジに染まる、その少し前の一番見どころのない状態だった。
後輩二人と波多野はまだ作業を続けていた。
「鍵だけ頼める?」
「うん、わかった」
良く覚えてはいないけれど、そんな会話だけを交わして僕は学校の外に出た。下りの長い階段を降りるとき、僕はいつも寂しい。生物部も、そこにいる人間たちも、そしてその作業も特段好きではないけれど、いつも一足早く一人部屋を出る僕は誰より寂しい。
期末テストが近いも近いので、図書館によって勉強をしようかなと思い立ったけれど、無意識に足は駅の方に進んでいった。
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