第5話

 生物実験室には数年前まで、人が一人すっぽり寝そべっても収まるようなサイズの水槽があって、名前は忘れてしまったけれど大きめの魚が数匹飼育されていた。中学生の頃、二、三度の授業で行ったことがあるくらいだったが、それでも記憶に残っている。水槽の上の方を泳ぐ顎のしゃくれた魚の白と黒の色違いが一匹ずつ、そして水槽の底の方を這ってまわる、鱗の頑丈そうな魚が三匹。だが僕が生物部に入った頃には、かつて水槽が置かれていた日当たりの良い壁際のスペースはがらんどうになっていた。

 

 入部してまだ日の浅いある日、当時の三年生の部長だった先輩との会話の糸口に、あそこに置かれていた魚はどこに行ったんですかと聞くと、

「俺も実際に見たわけじゃないから、本人に聞いたのと想像が混じってるんだけど」

 という前置きで教えてくれた。苦笑混じりで話してくれたのはざっとこんなようなことだった。


 僕が中学二年生の頃、中等部の受験の採点作業で休校になる2月の初旬。

 その日波多野は水槽の水を換えたり、餌をやったりという雑事があって朝から学校にいたらしい。前日から雪の予報が出ていて、電車が運休になってしまうだろうから、学校から家の近い波多野が他の生徒と世話係のシフトを交代することになった。

 予報通り、明け方から雪が降り、朝には真っ白な日だった。波多野が水槽の水の半分を灯油のホースみたいなので吸い上げ、新しい水を足し終わった。ちょうどその時、入れ替えたての水が波を立て出した。


 地震だった。


 5階建ての校舎はしなるように大きく揺れた。水槽は机に金具とボルトで固定されているし、中等部は耐震構造になっていたので大きな事故にはならなかった。けれど揺れの途中に消えた電気は付かなくなった。送電設備に何かトラブルがあったのか、詳しくは分からないけれど学校の辺り一帯は停電したのだ。


 地震が起きて4時間ほどだったろうか、電気が復旧した頃、部長の元に電話が来た。普段は滅多に電話なんて寄越さない顧問の先生からだった。電話口の先生は焦った口調で、生物部の魚が全部死んだ、波多野が今職員室に来て、見に行ったら本当に全部死んでいる。雪と地震で大変だろうけど、学校に来てほしい。そう言われて行ってみると5匹の巨大魚は全て天に腹を向けて浮いていた。

 波多野に事情を聞くと、停電で水槽のヒーターが全て止まり、水温が下がり死んだとだけ答えた。南米が原産だったので冷たい水の中では生きられない魚だった。

 

 波多野に死んでどれくらいたったのか、死ぬまで何もせず見ていたのか、すぐに誰かに連絡を取れば良かったんじゃないかと問うても、さっき死にました。見てました。焦っていて連絡取れませんでした。そう言って他にはなにも答えず下を向くだけだったので、怒りをぶつける甲斐もなく、魚をゴミ袋に入れ、処分するのを手伝わせただけで帰らせたそうだ。

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