第4話

 中学3年生の二学期の半ば、雨の降っていた日の放課後、日直だった僕は課題のプリントを回収して持ってくるよう頼まれていた。職員室に行くと、担任の机には「プリント、机に置いといて!」と書いた紙があった。重し代わりにドリンク剤の空き瓶が二本載せられていた。雨のせいで湿度が高く、わら半紙のプリントの束はいつもより澱んで見えた。

 

 職員室を出ようと机の島の間を歩く途中、職員室の奥にある、生徒が入っているのを一度も見たことがない応接室に波多野の後ろ姿が見えた。あいつの背中越し、正対する位置に座った学年主任の国語教師は茶色い革のソファーから前屈みに身を乗り出し、紙の上からガラス製のテーブルをとんとん叩いていた。中等部から高等部への内部進学に成績が足りないという趣旨のことを言われているようだった。書き置きを残した担任の先生は、その横でボクシングのレフェリーみたいな位置で直立して、見守っていた。

 波多野の横には白髪混じりの女性が一人座っていた。使い古したバスタオルみたいなごわごわした質感のセーターを着ていて、深く何度も頭を下げ、モグラ叩きのようにソファーの背もたれから出たり入ったりを繰り返していた。

 

 職員室を一礼して出た僕はその辺りの廊下ですることもなく、生徒新聞の張り紙だとか、オーストラリアの高校への短期留学募集のチラシを読んで時間を潰した。10分ほどして職員室を出て来た波多野を確認して、あたかも職員室に用事があるような素振りで歩み寄り、


「おお、波多野くん、なにしてたの」


 と声をかけた。思えばこれがあいつとの初めての会話だった。会話と言っても、波多野の返答は僕の耳に届く前に空中分解して、なにも聞き取れはしなかった。

 横にいる女性に丁寧にお辞儀して、自己紹介をした。波多野のお母さんだった。お母さんというよりむしろ祖母に近い感じの年齢に見えた。出来の悪い息子との差を見せつけてやりたいと思って、必要以上にハキハキと笑顔で挨拶した。

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