二日目 前編

昨日梅の木の下で告白されたこと、告白してくれた少年と青年の境目みたいな男の人が忘れられない。片付ける必要のない物しか置いてない私の病室を見ながら思い返す。

私がここに入院するのはまだ五回目だけれど最初の時に比べて慣れたのか、荷物が少なくなってきている。

この病室の中で私物は私の脳みその代わりの表紙も裏表紙も真っ黒な日記代わりのクロッキ帳だけ。そこにはいろいろな方法で毎日のことが書かれている。

 例えば7月15日。その日は綺麗な絵が大きく描いてある。その下にはその絵を描いた人だと思う人の補足が書いてある絵日記と言うに相応しい日記。

 例えば9月31日。その日は楽し気な文字が長々と綴られている。その文字たちは色とりどりに色が付けられ、文字が楽しげに踊るという表現が合っているという日記。

 例えば1月15日。その日は機械で書いたかのように行間、文字の大きさが同じ文章が並んでいる読みやすい日記。

 そして今日、3月15日の日記は何の特徴もない日記。字はどこにでもありそうな丸文字。読めないわけじゃないけど、お世辞にも達筆とは言えない文章。

夏の日記みたいに綺麗な絵があるわけでも、秋の日記のように文才があるわけでも、冬の日記のように特別読みやすいわけでもない。

私の書いた日記は見ていて面白みがない。そんな日記を眺めながら、家に帰ったら何をしようか悩む。とりあえず、『会社とかに行く』みたいに絶対にやらないといけないことはないみたい。それでもやることがいっぱいある。例えば身の回りの整理だとかバイト探し。私の家を前に使っていた人たちの伝言探しとか。


病院を出てから見慣れない道を歩きながら住み慣れた家に帰る。私にとっての昨日までとは何もかも違うっていうこの不思議な感覚にはもう慣れた。家具の配置も、お隣の夫婦の子供の背の高さも何もかも。

それでも慣れないのは家具の配置が変わってること。1LDKだけれども年によっては大きく模様替えがされていて困る。

そして……今年も部屋の間取りがガラリと変わっていた。

まず壁に見慣れない絵がかけられてる。それだけならまだしもベットは窓の近くで日が昇るのが早くなってくるこの季節だとのんびり寝ることができないからベットの配置を変えることは近々の問題だな……。でもその前に壁にかかっている絵を見て下の方に付箋でも使って感想を残しておく。

その絵は今までと違って切なげなえだった。今まではここに飾られる絵は明るい色を中心にファンタジー風の絵だった。でも今年はトーンが低いというか暗めの色を中心にした四季の絵だった。

この絵を見るのは私が最後だから前の人たちのコメントを見ることができる。絵の下にあるコメントは共感だったり感動がメインだった。綺麗な絵だとは思うけど私は…この絵に感動できない。それは描いてあることは分かるけど…共感ができないからだと思う。

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