第17話

『ごめん急用で少しだけ遅くなるね。今回が最後だからごめんね』

LINE画面の文面はやけに含みを持していて何かあると言っている様なものだった。

これで公男が聞いてくるなら全部話すつもりだったそれが私のできる償いだから。

なのに帰ってきた返信は、『あまり無理しないでね』と最後まで私を心配するものだった。

それを見て申し訳なさで顔を伏せる。

せめて泣けるほどに後悔できれば良かったのにこう言う時に限って涙は流れず、対向車の光が涙の代わりにに顔を流れる。

「少しは後悔してんのか?」

俯く私に海峡先輩はそう尋ねる。

別に私を心配してる訳じゃない。

多分私の罪悪感を刺激させようとしてわざと聞いてるんだろう。

それにどう答えれば良いか分からない。

後悔はしているけど、それで素直にはいと言っても軽い気がする。

でも後悔していない訳じゃない。

無言に私に呆れたのか海峡先輩は話題を変える。

「相手のその幹ってやつは誰?」

「昔の知り合い。兄の友達でよくして貰ってました」

「ふん」

その説明に海峡先輩は下らないと笑う。

「それでコロっと傾くなんてクソみたいな女だな」

「はい」

そこからは会話はなく幹さんの家に着くまで私たちは互いに別方向の窓から夜景を眺めていた。

子供の頃兄たちの虐げに耐えれなくなって数回だけお邪魔したあの家は昔の記憶よりずっと朽ち果ててそこに建っていた。

ひび割れた外壁に薄汚れた白い壁庭も荒れ放題で子供の頃遊んだ空き家とそう変わらない風貌をしている。

いつもきっちりとした幹さんさんとはまるでそぐわないイメージ。

これは月日がたったとかそんな問題だけじゃない。

明らかにここに住んでいる人の問題だ。

窓の向こうから光が見えるということは人がいる事は間違い無いんだろうけれど真っ当な人が住んでおる様に思えない。

それは海峡先輩も感じているのか、本当にあってるのかと疑う目線を向ける。

幹さんにはここにくる事を連絡していない。

連絡を入れれば逃げ出すかもしれないと海峡先輩が言ったからだ。

本当にこの家の中にあの人がいるのだろうか?

恐る恐るインターホンを押す。

ポーンと虚しいほどに軽い機械音が夜の闇夜に静かに溶け込む。

音が漏れ出しているのかやけにチャイムが辺りに響き驚く。

家はあまりに存在感がないくせに音だけはやけに大きくて私たちはその音に飲み込まれそうになる。

「はい」

そして開かれたドアの向こうから顔を覗かせたのは白髪を無造作に束ねた老女だった。

シワだらけの血色の悪い顔はひび割れた荒地の様でボサボサの髪も枯れ草の様に艶がない。

その表情も魂を抜かれたかの様に虚で目の前の私のことを認識できているのかと思うほどに目が泳いでいる。

「あの幹さんのお宅ですよね?和彦さんはいらっしゃりますか?」

恐る恐るそう尋ねると女性は一瞬目を見開いたと思うと再び魂が抜ける様な虚な瞳に戻り。

「和彦は息子は死にました」

そう告げた。

「え?」

どうにも反応できない、冗談を言っている風ではないでも幹さんが死んでいるなんてあり得ない。

私かどうすれば良いか分からず立ち尽くしていると海峡先輩が私の前に出てきた。

「実は俺たち和彦さんの後輩で最近こちらに帰ってきて事情をよく知らないんです。申し訳ありません。和彦さんが死んだって一体いつ?」

見ず知らずの私たちがずいぶん失礼な態度だけど相手の女の人はそんなこと気にしてる素振りは見せない。

それは寛容とかではなくて、心ここに無いという風だ。

「息子はもう10年以上前に死にました。友達と海に遊びに行って溺れて、あっけなく。泳ぎ得意だったのに」


「どうゆう事だよ一体」

あの後逃げる様にあの家から離れた私たちはタクシーを呼ぶこともなく、この迷路の様な街をあてもなく彷徨っていた。

私にどうゆう事だと聞く海峡先輩は苛立たしげでありながらどこか不安げにも見える。

どういう事?そんな事私がわかる訳ない。

「なぁ、お前いったい誰と会ってたんだ?」

それは私が一番教えてほしい。

いったい何がどうなってるのか悪い夢でも見ているかの様だ。

私は一体誰を信じて今まで抱かれていたのか?

私の中で幹さんの姿がガラガラと音を立てて崩れる。

得体の知れない存在が自分に寄り添っていたことが怖い。

怖くて声も出ない。

「オイ電話してみろ」

完全な放心している状態な私に海峡先輩が怒鳴る。

不安な気持ちを怒りに回して発散している様に見える。

「電話して呼び出せ。もうそれしかないだろ」

当然の様に言ってくれるが、それがどれだけ怖いことかわかっているんだろうか?

「会わなきゃ終われないだろうが。それにお前は知りたくないのか自分がいったい誰と一緒にいたのか?」

結局その言葉が決め手となって私は幹さんだと思ってた人に電話をかける。

いつも彼に電話をかけるときはドキドキしていたそれは今も変わらない。

ただその質は今までと大きく変わってる。

幸せなど感じない、あるのは緊張と足元が抜けたかの様な底しれぬ恐怖だけ。

できれば出ないでほしいそんな切なる願いは叶うはずなく電話はすぐに繋がる。

「珍しいな電話してくるなんて、どうかしたか?」

驚いた風も不審げでもないいつも通りの落ち着いた声。

それが今までは心地良かったが今は心のうちの見えないその様が不気味だ。

「あの幹さん?その話があって、今から会えるかな?」

「急だな。それは私たちの今後に関わる重要な事かい?」

突然な申し出だが幹さんの声に驚きはない、どこまでも冷静に聞いてくる。

「はい、とても重要な事」

「そうかわかったすぐに向かう、場所はいつものコンビニの跡地でいいか?」

「はい」

「わかった」

そこで電話が切れる、それと同時にどっと疲労感が波の様に押し寄せてきてつい腰を地面に落としてしまう。

「それで、どうなった?」

そんな私など気にもならないのか海峡先輩は結果を促す。

「すぐにこっちに来るらしいです」

「そうか、さて一体何者だろうなそいつは」

どこか楽しげにも見える海峡先輩の言葉を聞きながら私もそのことについて考える。

本当の幹さんはすでに死んでいた。

けれど、あの人は確かに私のことを知っていた。

私はあの人の記憶がなかった少なくとも幹さんと別人に間違えるほどに。

でもあの人は私の事を知っていた、すぐに私だと気づいたことからそれは間違いない。

だとすれば最初に言っていた兄の友達と言うのは本当のことなのかもしれない。

兄の知り合いなら私の事を知っていた可能性もある。

兄はそう友人の多い人じゃなかった。

少なくとも私の記憶の中で兄の友達と呼べるのは二人だけ。

一人が幹さん。

そしてもう一人の友人。

兄に虐げられる私を楽しそうに見ていた男。

私の事を兄にの事そして幹さんの事それら全てを知っていて幹さんと偽り私の前に現れたのはこの男しかいない。

私は海峡先輩にその男の名前を告げた。

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