第9話

「それでその後、架橋さんはどうなんだい?」

ほいと近くの自販機で買ってきてくれたのだろう、ココアを差し出してくれる幹さんは私の横に腰掛けると自分用に買ったのだろう水を勢いよく飲み出した。

ベンチが意外と狭いせいで何か香水でもつけるのだろうか?

幹さんの体からなにやら爽やかな良い香りがしてきた。

私はその同世代の男子からは決して出せないだろうその大人の雰囲気に少しドギマギしてしまう。

家の近くの見知った公園、遊具という遊具もない簡素なその場所に立ち寄ったことなんてほとんどなかった、そこにまさか幹さんとこんな形で訪れるとは思ってもいなかった。

あの日の再会以降幹さんは度々私に会いにきてくれた。

仕事の都合でしばらくこの街に滞在することになったそうだ。

親友の妹だからだろうか?

何かと私のことを気遣ってくれている。

そうするうちのに私も幹さんに相談事をするようになってきて、例え解決しない事でもこうして話を聞いてもらえるだけで心はすごく軽くなった。

その居心地の良さに甘えてしまって最近は私から会えないかと連絡を取ってしまっている。

公男に悪いことをしている。

その自覚はあったけど、今日もこうして私達は会っている。

「意外と元気です。こっちが驚くくらいに

自分の子供をちゃんと育てたいって」

「そうか、強い子だ。相手の男は?」

私は首を振る。

「わからない。あの子が妊娠した後すぐに姿を消したみたいだし、芹香もそれ以上は教えてくれない」

逃げらたと悲しく笑った芹香を思い出すと悔しさが滲み出る。

あの時彼氏ができたと嬉しそうに笑った芹香、彼女のその思いを踏みにじった男のことを考えるとソイツを殺したくなる!

ギュッと拳を握りしめる私の頭を幹さんは優しく撫でてくれる。

「その怒りはもっともだが、今は抑えるんだ。君の友達、芹香さんをまず第一に支えてあげないと」

正論をと反論したくなるけれど確かにその通りだと頷く。

今何より辛いのは芹香なんだから。

私はしきりに頷いた。

「わかってる、わかってるよ」

「すまない。突き放すような言い方をしてしまって。私に出来ることがあれば言ってくれ。相談された身だ出来ることはしよう」

幹さんは仏頂面ながらもそう優しい口調で言ってくれて、先程よりもより強く手を握ってくる。

「こうして話を聞いてくれるだけで嬉しいです」

自分が赤面していることがわかって顔があげられない。

なんだか酷くいけないことをしている気がしてしまうけど、だけどまた幹さんに会いたいという思いは捨てるとが出来ないでいた。



好きなものは何か?

以前その話をした時、公男は家族そして私だと答えてくれた。

その気持ちは素直に嬉しかったけれど、好きなものと聞かれ服とか物を思い浮かべてしまった私とは価値観が随分と違うのかもと少し落ち込みもした。

そんな彼が一昨日結婚を申し込んできた。

正直いつかは来るだろうと思ってはいた。

高校を卒業して大学進学のために家を出て一人暮らしを始めるようになってから早四年。

まさか公男との関係がここまで続くなんて考えていなかった。

告白されたからというだけでなんとなく続けていた交際は気づけば結婚を目前とするところまで来ていた。

結婚の申し込みと共にもらった淡く銀色に輝く指輪を指で転がして弄ぶ。

「正直、公男が卒業したらこの関係も終わると思ってた」

一昨日指輪をもらった際行ってしまった言葉を再び呟く。

あの時の公男驚きと悲しみが混ざったような顔してたな。

悪いことしてしまった、その時のことを思い出すとチクリと胸が痛んだ。

公男自身は私との結婚を結構前から意識していたらしくて私の卒業を見計らってプロポーズをしようと考えてたらしい。

「迷惑だったかな?」

悲しそうに笑う公男の姿を思い出すたびに罪悪感が蘇る。

「迷惑じゃない。けど、いきなりだったから。少しだけ考えさせて」

そう逃げた私に公男は「うん、待ってる」と微笑んだ。

どうしよう。

未だにそう迷う。

結婚なんて正直言って実感が湧かない。

公男との未来がと言うより誰かと一緒に家庭を自分が築くということが正直わからないでいる。

子供ができたとしても私にその子がちゃんと育てれるのかという不安もある。

芹香のようにちゃんとできる自信がない。

兄のような子供ができるかもしれない。

そう思うと結婚に夢なんて持てない。

それに、どうしても公男ではなく幹さんのことが頭をよぎる。

あの人とはただの知り合いそれ以外の関係性はない。

けれど、自分に嘘がつけないほど私は彼に惹かれている。

公男のことが嫌いになったわけじゃない。

むしろこんな私を愛してくれるそんな彼には感謝しかない。

だけど、幹さんへの気持ちが治らない。

思いに踏ん切りがつかない以上、この指輪をはめるのは不誠実な気がする。

結局悩んだ末私はこのことを芹香に相談することにした。


「ってかさ、幹さんはほっしーの事女として見てんの?」

私の相談の根本的な問題を突いてくる芹香はなんだか少し機嫌が悪そうに見えた。

声が少し尖ってる気がするし、子供をあやしているせいもあるだろうけどさっきから私と目を合わせてくれない。

一人息子のマナキ君はそんな母親の機嫌の悪さを感じ取っているのか、こちらなど見向きもせず与えられた車のおもちゃで遊んでいる。

「わかんない。悪くは思われてはないと思う」

「まぁ、あれだけ人のいい人だかんねー。初対面の私なんかにもよくしてくれたし」

くぐもった笑いを漏らしながらそう答える芹香。

芹香と幹さんは私の紹介で既に顔を合わせていてこれまでも芹香と3人で出かけたりもした。

その度に私は芹香が幹さんに恋愛感情を持たないかとハラハラしたけれど結局芹香が幹さんに恋心を抱くことはなかった。

「まぁ結局はさ、ほっしーの気持ちだよね」

それはその通りなんだけど、それで決めれるならこんな相談しない事を察してほしい。

「どっちのことも好きだよ。公男はとても優しいくれ、安心感がある。多分これからも私の事を愛してくれると思う。だけど、

幹さんのことが頭にちらつくの。こんな気持ちで公男の思いに応えられるかなって考えちゃう」

言ってるうちに鼻がツーンとしてきて自然と涙がこぼれてきた。

自分でもどうすればいいのかわからず、話しているうちにこんな自分がすごく情けなく思えてきてしまった。

「なんかさ、結論急ぎすぎじゃない?」

ようやく私に方に目を向けてくれた芹香はそう言いながら私に頭を撫でる。

「そんなすぐに結論なんて出すもんじゃないよ、ほっしーの気持ちも揺れてるし、結婚だって人生を左右する決断そんなすぐに答え出すもんじゃないよ」

「でも、待たせるのも悪いし」

泣き顔を見せるのが嫌で顔を伏せながら答える。

「待たせるの悪いとかさ、ほっしーの人生じゃんそんなんで決めていいの?」

顔を上げると芹香はもう私の目だけをまっすぐに見つめていた。

「辛いなら逃げてもいい。でも自分の人生でしょ、自分で決断しないと」

その言葉はとても重く、子供を産むと言う決断をした芹香だからこそ重く私に突き刺さる。

けれど、芹香の言う通りだとわかっているのに結局逃げるなんて決断すらできない私は何も喋れなくて、答えは見つからない私を決断させたのは、幹さんが街を出ると言う知らせだった。


「どうして?」

突然のその知らせに問い詰める私を幹さんは少し困ったように目を伏せる。

「仕事の都合さ。この街に戻ってきたのもそうだと以前話しただろ?今回もそれだけの事だ」

「そんな急に」

あまりの事に頭がぐらりと揺れる。

体が揺さぶられているかのような視界の揺れは実際に地面が揺れているわけじゃないんだろう。

ただ私がそう感じているだけ。

そんな動揺が伝わったのか幹さんは心配そうに顔を覗き込む。

普段ならドキってするその仕草だけど今はそんなことを感じる余裕もない。

「急というわけじゃない、ここを出るのは三カ月先の話だ。どうした?別れは今回が初めてじゃないだろ」

何事もないかのような幹さんの口調が無性に腹立たしい。

私たちの関係ってその程度のものだったの?

何度もあった一緒に出かけたこともあった色々話しただから私はあなたが好きになったのに!

そう叫び出したいのを懸命に堪えた。

それは私のワガママだから。

「どこに行っちゃうの?」

「国を出る。今度はなかなか大きな仕事でな恐らく数年は戻らないだろう。私としても世界を見ておきたかったのでちょうど良かった」

以前なんとなく聞いた時幹さんは人材育成の仕事に携わっていると言っていた。

それがどんなものかはわからないけど、人と接する仕事だストレスも溜まると思う。

だからだろう、私は幹さんの本当の笑顔って思えるものをほとんど見た覚えがない。

いつもまるで遠くの子供を見守る親のように微笑むだけ。

そんな幹さんが楽しそうに語るその姿を見るともうワガママなんて言えなくなってしまった。

そして同時に気づいたんだ、幹さんの目には私は映っていないことに。

それで決断がついた公男の申し込みを受け入れようと。

これも一つの運命なんだと自分を納得させた。

そう思うとまるで今まであんなに悩んでいたのが馬鹿みたいに現実を受け入れることができたんだ。

だから幹さんとのお別れも思い残すことなんてなく笑顔で別れを告げることができたと思う。

そうして多分初めてだった私のこの想いは実ることなく散っていった。

それから10年月日はあっという間に流れ、女だった私はいつの間にか妻から母へと変わっていた。

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