第55話【閑話】教皇ヒリスの最期
「ヒリス
「うむ、今行く」
帝都にあるヒリス教皇の屋敷は、"破棄”される準備が行われていた。
重要書類や宝石類が、慌ただしく馬車に積み込まれている。
ヒリスが大事な物だけ持ち出し、屋敷に“事故”として火を放つのだ。
「それにしても、まさかバルマン軍が勝利してしまうとはな……」
自分の執務室内に誰もいないことを確認してから、教皇ヒリスは毒づく。
バルマンを滅ぼすために、この男は多くの策を放っていた。
だが数日に前に、バルマンの完全勝利の報告が、ヒリスの元に届けられた。
マリアンヌ=バルマンの殺害にも失敗してしまったのだ。
「なぜだ⁉ 策は完璧だったはず……」
ある人物からアドバイスを受けて、自分が実行した今回の策は完璧だった。
まずはバルマン軍内の内通者を置き、情報を仕入れる。
妖魔の大軍を召喚するための妖石も、教皇権限で内密に持ち出しバルマン周囲に配置した。
また皇帝の偽の文で、主力騎士団をバルマンから引き離し、戦力を分断。
今回の殺害目標であるマリアンヌ=バルマンも、偽の文でバルマンに帰還させた。
あとは大量の妖魔によって、邪魔なバルマン家が全て滅ぶはずだったのだ。
「全てが順調だったはずだったのに……」
だが作戦は失敗してまった。
想定外の事態が起きたのだ。
ファルマの
これはまさに想定外のこと。
政敵である憎きバルマンが滅ぶとなれば、各諸侯は見守るのが常識。
だが今回は格諸侯が競い合うように、バルマンに援軍を差し向けたのだ。
いったい何が起きたのか、予想もつかいない状況だった。
「くっ……今はとにかく、ここを離れなければ」
教皇ヒリスは焦り、急いでいた。
今回のマリアンヌ=バルマン殺害とバルマン家の消滅のために、教皇の範疇を超えてかなり強引な手段を使っていた。そのため証拠がまだ残っているのだ。
「早く避難しなければ、バルマンの暗部の犬が、ここに来てしまう!」
教皇ヒリスが恐れていたのは、バルマン家からの報復だ。
連中の裏の組織“暗部”は最近では、情報収集が主だった。
だが暗部の恐ろしさを、教皇は十分に知っている。
「だが今は神聖騎士団が、この館を守っている。このまま“聖山”に非難するば、誰もこの私には手を出せない!」
作戦の失敗を知った教皇ヒリスは、即座に退却を選択した。臆病であることは、権力者には賢明でもある。
絶対に安全な"聖山に”に一時的に避難。そこでバルマン家からの暗殺を防ぎ、次は政治的な力でバルマンを弱体化させる予定だった。
「はっはっは……やはり最終的に勝つのは、神に愛された私なのだよ!」
今回の作戦は失敗してしまった。
だが最終的な勝利を、教皇ヒリスは見据えている。醜い高笑いが、執務室に響いていく。
「――――よう、爺さん。元気だな」
――――その時だった。“誰か”が背後から、ヒリスに声をかけてきた。
「なっ……」
いったい何者じゃ!、と口を開こうとしたヒリスの動きが止まる。
全身が、指一本すら動かせないのだ。
全身に鳥肌がたち、背筋に悪寒がはしり、いやな脂汗が流れ落ちる。
恐怖で身体が動かせないのだ。
「ぐぬぬ……」
ヒリスは強引に身体に力を込めて、後ろを振り返る。
そこいたのは“一匹の野獣”。
いや――――野獣のような男がいた。
やや褐色がかかった肌は、異国の血が混じっているのであろうか。
たくましい長身の男であった。
「鉄塊……じゃと?」
ヒリスが鉄塊と見間違えるほどの、無骨な大剣を男は持っていた。
身の丈ほどある大剣からは、真新しい鮮血が滴り落ちている。
明らかに侵入者だ。
「ぐ……誰かおらぬか! 神聖騎士団よ、不審者であるぞ!」
目の前の男から発せられる気に、気圧されながらヒリスは叫ぶ。
相手は恐ろしい覇気を放つ大剣使い。
だがヒリスも教皇として、数多くの修羅場をくぐり抜けてきた強者。
この程度の暗殺者など、いくらでも撃退してきたのだ。
「ん⁉ どうした⁉ なぜ誰も来ぬ⁉」
だが不可思議なことが起こっていた。
誰も自分の命令に反応して、駆けつけて来ないのだ。
執務室の前に、配置していたはずの護衛の兵。
館中に随所の配置してあった、神聖騎士団の精鋭たち。
バルマン家の暗殺者を警戒して、厳重に配置してあった戦力から、何の反応がないのだ。
「ま、まさか……」
警戒心が強く、思慮深いヒリスはハッと気がつく。
目の前の男は厳重な警備の館に、どうやって忍び込んできたのだ?
この目立つ風貌と鉄塊のような大剣では、暗部のように侵入するなど不可能。つまり……
「役立たずの護衛なら、先に天に召したぞ、爺さん」
つまらなそうな表情で、大剣使いが口を開く。
ヒリスは確信した。間違いない。
屋敷に配置してあった護衛騎士団を、この大剣使いが始末していたのだ。
「さて。こっちも嫌な“仕事”だから、サッサと楽にしてやるぞ」
「なっ……」
大剣使いの言葉と共に、ヒリスの命の火はスッと消え去った。
目にも止まらぬ剣さばきで、教皇ヒリスは天に召されたのだ。
「ちっ……くだらない仕事だったな、今回は」
一人残った大剣使い……騎士ベルガは悪態をつく。
いくら“ある人物”からの最優先の仕事だったとはいえ、ベルガにとって今回の暗殺は、くだらない仕事だったのだ。
「これだったらバルマンに行った方が、百倍は楽しめたな。まったく運がねぇぜ」
バルマン攻防戦では数万の妖魔の大軍を、斬り放題だったらしい。
今回の仕事のために、お預けをくらったらベルガため息をついていた。
「だが運命すらも捻じ曲げて、生き残ったか、マリアン。思っていた通りに、最高の素材になりそうだな、あの女は!」
先ほどまで不機嫌であったベルガは、笑みを浮かべる。
新しい獲物を見つけた、猛禽類のように歓喜の笑みだった。
「さて、たまには学園に、顔でも出してみるか」
こうして教皇ヒリスは亡くなった。
表向きは自らの館で"病死”という公式発表とされた。
教皇を超える大きな権力によって、バルマン事件の真相は闇に葬られたのだ。
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