第47話ハンスの決意

「おそれながらエドワード様、進言いたします」


 沈黙の“司令の間”に、新たなる声が響く。


 それは第三者の発言。

 作戦会議では発言権すらない、部外者の言葉だった。


「えっ……ハンス?」


 声の主は、私の後ろに控えていた青年。

 いつも影のように付き添っている、若執事であるハンスだった。


 だが突然の部外者の執事の発言も。戦で高揚していた家臣団は激怒する。


「なんだ⁉ 執事ごときが大切な作戦会議に口をはさむな!」


「身の程を知れ、若造が!」


 執事とは聞こえはいいが、基本的には使用人の身分。

 いきなり当主であるエドワードに進言してきたのだから、彼らが怒るのも無理はない。


「……どうしたハンスよ? 述べよ」


 だがハンスの真剣な瞳を見つめながら、お父様は静かに尋ねる。


「お許しありがとうございます。この状況を打開するために"北”に、救援を求めるのが得策かと」


 ハンスは静かに提案する。

 まだ援軍のふみを出せないでいた"北”に、これから救援を求めようと。

 それにより一か八かの勝負ができると、提案していた。


 この世界には遠距離通信の魔道具も、一応は存在している。

 だが妖魔が大量に近くにいると、魔道具は正常に作動できない。

 そのために戦場では早馬や伝書鳩が活躍しているのだ。


 "北”の方角には、その早馬や伝書鳩による救援の文を、まだ出していない。

 でもそれには“理由”があった。

 理由はハンスもそれは知っているのに、なぜこんな提案を?



「何を言うかと思えば、“北”だと⁉」


「お前の目は節穴か? この地図と窓の外をよく見てみろ! あのバルマン山脈が見えんのか?」


 案の定、家臣団は反論する。

 もはや怒りを通り越して呆れていた。


 確かバルマンの北方には、頼りになる国や都市国家はある。

 でも険しいバルマン山脈が、早馬や伝書鳩を阻んでいた。


 北方の都市にたどり着くには、東西のどちらかの街道を、迂回して行かなくてならない。そのためには妖魔ヨームの大軍のど真ん中を、使者が突っ切っていく必要があるが。


「ハンスよ。たしかに理論上、山脈越えの獣道が〝北”への最短ルートだ。だが山にも妖魔の群れが待ちかまえている。どう対応する?」


 お父様はハンスをジッと見つめて、静かに問いかける。

 堅物で融通のきかない男であるが、ハンスは冗談を言う男ではない。

 その真意を問いているのだ。


「僭越ならが、このわたくしなら、北にたどり着く、可能性があります」


 ハンスは静かに答える。


「この命はバルマン家に……マリアナ様に救われた身。あの方の家を守るは、我が天命。例えこの身が妖魔に食われようとも、必ず文だけは届けてみせます」


 まさか熱い言葉だった。


 いつも冷静なハンスから、は想像もできない熱い魂の言葉。

 私マリアンヌも聞いたことがない、男ハンスの言葉であった。


「ハンス……お主……」


 その決死の覚悟に騒いでいた、家臣団の誰もが黙る。

 彼らとて礼節と仁義を、重んじるバルマンの騎士。

 もはやハンスのことを軽んじる者は、誰もいなかった。


「ではハンスに命じる。必ず救援の文を“北”へ届けるのだぞ」


 お父様はハンスに直筆の文を手渡す。

 最後の頼みの綱ともいえる、今回の強行軍だ。


 だがお父様ですら『生きて帰って来い』とは言えないでいた。

 それほどまでに今回の作戦は、不可能に近い成功率になるのだ。


 ◇


 会議が終わる。ハンスが出発する時間となる。


 ハンスは出発の準備を終えていた。

 いつもの執事服から、動きやすい格好に着替えいる。


 見たこともない黒装束に、身を包んだハンスが目の前にいる。

 他の者は挨拶を済ませて、今は私と二人きりだ。


「ハンス、本当に一人で行くのですか?」


「ええ、お嬢様。私の足には他の者は、付いて来られませんので」


 ハンスは苦笑で答えてくる。


 私は驚く。

 あの堅物で仏頂面のハンスが、苦笑いをしていのだ。


 マリアンヌの記憶で幼いころから一緒だが、こんな彼の表情は今まで一度も見たことはない。


 上手く言えないけど、何かが、こう、いつもと違う。


 ああ、そうか。

 そういうことか。


 ハンスは本当に命を賭けて、文を届けるつもりなのだ。


 今回の任務は本当に無謀。

 妖魔の大軍の中を突っ切り、難所であるバルマン山脈を乗り越えていく、危険な任務なのだ。


 だからハンスは笑みを浮かべているのだ。

 私を心配させないように。


 幼い時から毎日、一緒だったハンスとの永遠の別れ。


 いや……そんなのは、嫌だ。


「ハンス、あなたにこれを預けます」


 意を決した私は、自分の右耳からイヤリングを取り外す。

 私マリアンヌのお母様の大事な形見の一つだ。


「そして命じます。〝必ず”これを返してください。その手で私に返すのです」


 突然のことで唖然としているハンス。

 私は強引にイヤリングを手渡し、強い口調で命令する。


 ――――これを返すために、必ず生きて戻って来いと。


 無茶な命令で、私的なお願いかもしれない。

 でも言わずにはいられなかったのだ。


「マリアお嬢さま、そっくりになりましたね。御母上さまに……」


 素直に受け取ったイヤリングを、見つめハンスはつぶやく。

 マリアお嬢さま、という幼い時の愛称を、久しぶりに口にしてきた。


「負けましたよ、マリアお嬢さま。必ず返しにこのハンス、戻って来ます」


 ハンスは答えてくれた。

 必ず生きて帰ると、言葉に発してくれたのだ。


 希望的観測かもしれないけど、これで少しだけ心が落ち着く。


 あっ、そうだ……あれも渡さないと。


「これは私の〝幸運のお守り”です。カバンに入れていきなさい」


「これは、例の木の枝の……」


「ええ、道に迷った時には、ご利益があります。あと幸運が貴方を守ってくれます」


 私が渡したのは“木の枝くん”。

 学園の庭園で拾った、何の変哲のない木の棒だ。


 でも、これを見つけてから、私は本当に運が良くなった。

 ジーク様と仲良くなり、クラスの皆とも距離が縮まった。


 これは気のせいかもしれない。

 けど万が一でもご利益がある物は、全てハンスに渡したい。

 必ず生きて戻ってきて欲しいのだ。


「ありがとうございます、マリア様。では行ってまいります」


 ついにハンスは旅立つ。

 たった一人の決死隊として、妖夢の大軍を突っ切り、大山脈越えに挑むのだ。


「必ず戻ってくるのですよ、ハンス」


「…………」


 最後のその命令に、ハンスは静かにうなずく。

 あえて返事をせずに、北の闇夜に消えていった。


 その行く先には数万の妖魔兵が、待ちかまえ、更には険しいバルマン山脈がある。


「ハンス……」


 彼が挑む困難の過酷さを想像して、思わず涙があふれ出す。

 この涙は……マリアンヌさんの涙だ。


 自分が産まれた時から、いつもそばにいて守っていてくれたハンス。

 今思うと家族と同等の存在。

 彼を失う怖さが、マリアンヌさんの胸の奥から、涙となってこぼれてきたのだ。


「ハンス……必ず戻って来るのですよ……」


 彼が消え去った闇夜に、私も願いながら呟くのだった。

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