第8話【閑話】若執事ハンス視点

 

 最近、我が主マリアンヌお嬢様は、変わられた。


 良い方向に変わったのか?


 それとも悪い方に?


 その真意はまだ掴めていない。


 幼少の頃からお仕えしてきた自分の目から見ても、最近のマリアンヌ様は本当に変わってしまった。


 ◇


 私の名はハンス。


 バルマン侯爵家に仕える若執事だ。


 齢は十七ほど。

 主マリアンヌお嬢様の二歳ほど年上になる。


 私には姓はない。

 なぜならば自分は"孤児”だからだ。


 実の親は妖魔ヨームの群れに襲われ、死んだと聞いている。

 村ごと皆殺しだったらしい。


 当時一、二歳だった私に、その時の記憶はほとんど無い。


 だが覚えている事が、二つだけある。


 それは妖魔ヨームに襲われ燃えさかる、生まれ故郷の赤さ。


 そして私を助け出してくれた、白銀の鎧の乙女指揮官ヴァルキリア・コマンダーの美しい姿だ。


 あの方……マリエル様は、幼い私の前に颯爽さっそうと現れた。


 姿は神話に語り継がれる、本物の戦乙女のようだった。


 その後の話は、私は大きくなってから聞いた。


 村を襲った妖魔ヨームは見事に滅ぼされたことを。


 王国随一の乙女指揮官ヴァルキリア・コマンダーマリアンヌ様に率いられた、蒼銀そうぎんの鎧を身にまとった騎士たちが、妖魔ヨームの群れを駆逐してくれたことを。


 マリエル様のお蔭で、幼い自分の命は救われたのだ。


 ◇


『いい眼をした子ね。ウチで引き取るわ』


 あの方マリエル様は、そう言ってくれた。


 そして屋敷に着いて、幼いながらも私は驚いた。

 そこは生まれ故郷とは、別世界だった。


 後日知ったことだが、マリエル様はバルマン侯爵家の御令嬢だったのだ。


『マリエルさま、ボク、騎士になりたいです!』


 だが潜在的な騎士の才能は、私には無かった。


『気にしないで、ハンス。自分の道は、自分で見つけるのよ』


 だから私は執事を目指すことにした。


 屋敷の全てを担う執事は、あらゆる知識と技術が必要になる。

 騎士になる以上の鍛錬も必要だった。


 だから幼い私は懸命に努力した。


 本当に辛い毎日だった、くじけたことは一度も無い。

 なぜなら命の恩人マリエル様の、少しでも役に立たかったのだ。


 ◇


 そんな最中、バルマン家に待望の長女が誕生する。


 マリエル様がお腹を痛めて産んだのは、マリアンヌ様。

 あの方と同じく乙女指揮官ヴァルキリア・コマンダーの才を有したお子だった。


 だが幸せと同時に、不幸も訪れてしまった。

 難産だった為に、マリエル様は産後に衰弱してしまったのだ。


 あの方は亡くなったのは、出産から二年後のこと。


 王国随一の乙女指揮官ヴァルキリア・コマンダーであった方も、自らの死の運命からは逃れられなかったのだ。


『ハンス……マリアンヌの事をお願い……』


 笑顔でそう言い残し、あの方はこの世を去った。


『かしこまりました、マリエル様。この一命に変えても、必ずマリアンヌ様を、立派な乙女指揮官ヴァルキリア・コマンダーに……』


 こうして遺言を守りマリアンヌお嬢さまに、私は十年近くお仕えしていく。


 ◇


 嬉しいことにマリアンヌ様には、幼いころから乙女指揮官ヴァルキリア・コマンダーとの才能が溢れていた。


 行動力があり明瞭な頭脳と、類まれな戦術センス。


 話術や人心掌握しんじんしょうあくも得意。


 冷静に対応できる客観性。


 指揮官としての才能にあふれていた。


 だが……残念なことに、優れた才能と、上位貴族令嬢の地位は、人はおごらせてしまう。


 十歳を過ぎた頃には、マリアンヌ様は性格が……少々悪くなっていた。


 他人を見下し、自分を中心とした言動が、とても多くなってしまった。


 優れた才能を、ライバルを陥れることに使うようなってしまったのだ。


(マリエル様、まことに申し訳ございました……)


 専任の若執事として、私は腹を切る覚悟を決めていた。


 ◇


 だが、そんなマリアンヌお嬢様が、ある日を境にして、突然“変わった”しまった。


 正確には今から、四日ほど前に。


 あの日のことは、よく覚えている。


 あれは……マリアンヌ様がお父上様と、夕食を共にしていた時だった。


 お嬢様は食事中に、いきなり動きが止まった。

 直後、『あっ』という声と共に、目を見開いていた。


 もしや毒でも?

 私は静かにお嬢様を観察する。


 だが健康的には問題はなさそうだった。

 私は一安心した。


 だが翌朝から、マリアンヌ様は行動がおかしくなってしまった。


 どんなことも、自分一人で積極的に行動するようになったのだ。


 着替え、化粧を一人やりたがる。

 飲み物でさえ自分で、厨房まで取りにいくようになった。


 これには屋敷中の者が驚いた。


 何故なら昨日まで自己中心的で、わがままだったマリアンヌ様が、別人のようになったからだ。


 もちろん私も衝撃を受けた。


 マリアンヌ様が生まれた時から見てきた自分にとって、信じられない変化だった。


 それ以外にもお嬢様の変化はあった。

 勉強と称して一人で散策。

 色んな書物を探し読みこんでいた。


 とにかく何事に対しても、他人に気を使うようになっていた。

 あの使用人を、まるで奴隷のように使っていた方が、だ。


 本当に、いったい何が起きたのであろう。

 原因も理由も不明。


 とにかく聖剣学園では事件を起こさずに、無事に卒業して欲しいと、私は願っていた。


 だが入学式の直後、マリアンヌ様は事件を起こす。


 事件の場所は、新入生の乙女指揮官ヴァルキリア・コマンダーと騎士たちの《顔合わせ会》の会場。


 なんと喧嘩していた二人を、自ら仲裁して止めたのだ。


 あの揉め事が何よりも好きだったマリアンヌ様が、争いを収めてしまったのだ。


 しかも大事にしていたマリエル様の形見のドレスを、赤ワインで汚してまで仲裁した。


 ……『このドレスは、今はまだ赤ワインの色。でも必ずや憎き妖魔ヨームどもを駆逐し、その返り血で真っ赤に染めることを! 人々の平和を守るために!』


 お嬢様のその言葉に、居合わせた騎士・令嬢たちは、誰もが魅入り言葉を失っていた。


 あの宣言は会場にいた全ての者の心に、深く響いていたのだ。


 私も同様。

 あの日のマリエル様……幼い私を救いにきてくれた方の、面影をあの時のマリアンヌ様に見ていた。


 そしてマリアンヌ様が颯爽さっそうと去った後も、会場の興奮は覚め止まなかった。


 残された騎士と乙女指揮官ヴァルキリア・コマンダーは、お嬢さまの言葉に胸を熱くしていたのだ。


 ◇


 《顔合わせ会》の直後から、マリアンヌ様は宿舎の自室に、引き籠ってしまった。


 部屋の中では何やら、奇声を発していた。

 今度はいったい何が、あったのだろうか?


 だが食事の時間になったら、マリアンヌ様へ部屋から飛び出てきた。


 よほど空腹であったのだろう。

 それ以来、引き籠り生活は終了した。


『こちらの料理も、とても美味しいわね。何という名の料理かしら、ハンス?』


 最近のマリアンヌ様は、本当に美味しそうに食事を口にする。


 以前とは別人ように、笑顔で食事をしている。


 これほどの変貌は普通に考えたら、かなり心配なこと。


 だが私はもう少しだけ、様子を見守ることにした。


 何故なら私は思ってしまったのだ。


『このようなマリアンヌ様にお仕えするのも、悪くはない』と。


 こんなことは執事が、本来なら思ってもいけないことだ。


 だが自分でも不思議なくらいに、今のお嬢様を大事にしたと思った。


 ◇


 そしてマリアンヌ様の学園生活も、本格的に幕を上げる。


 きっとお嬢様は色んな事件を起こしていく、予感がする。


 専任の若執事の私は忙しく、充実した毎日になりそうだ。

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