大きく腰を入れて振りかぶって

 「いや、冷静に考えてくださいよ」



 「このっ……!! 状況でっ……!! どう冷静になれと……!!」



 若干、端正な顔を腫らした吸血鬼は、怪しげに眼を光らせて、じっと私を見てきた。


 ただその顔は若干赤く、火照っている。口調もさっきより早く、落ち着きがなくなっていて……なんかお酒にに酔ったみたいになってない?




 「血を貰うってなったら、お姉さん。どうやって貰います?」




 ただ眼前の吸血鬼は朗々と少しニヤつきながら、言葉を紡ぎ続ける。


 「…………普通、首に噛みつくんじゃないの?」


 一般的なイメージといえばそうだろう。あれ、肩だっけ。どっちにせよ、その鋭利な牙で噛み付くのではないのだろうか。その証拠ににやりと笑う彼女の犬歯は明確に鋭利で、私の皮膚くらいはいとも簡単に髪やぶりそうだった。


 「……そんなことしたら、その人、吸血鬼になっちゃうじゃないですか。いちいち食事のたびに同胞なんて増やしてられないです。若者の性の乱れどころの騒ぎじゃないでしょ。まあ、実際それで増えるんか知らないですけど」


 赤ら顔の吸血鬼はふんと胸を張って憤慨した。全体的にスレンダーだから、張られた胸も控えめだけど。それでも、不思議と謎の色気があるのは吸血鬼だからだろうか。


 「……じゃあ注射器使うとか」


 なんとなく、健康診断の血液検査を思い浮かべる。私、アレ苦手なんだよね、なんかぞわっとするし。


 「朝、目が覚めたら知らない注射痕あるの怖すぎません? 正直、ヤクとかのこと考えたら、吸血鬼なんかよりよっぽど怖いですよ」


 再度、呆れたように吸血鬼に常識を説かれる。いや、なんでこの非常識生物に私は常識を説かれているんだろう。理不尽にも程がある。


 「だから……?」


 若干嫌な予感を感じながら、興奮気味の女にそう問いかける。


 案の定、トロンとした瞳で彼女は怪しく笑うと、どこか愛おしそうに私のナプキンを、そっと指でなぞる。


 「だから、経血が一番手っ取り早く、お互いのメンタル的によろしいと言うわけです」




 「んなわけあるかーーーー!!」




 足が出た。




 生まれてこの方、他人を蹴った経験なんてない。だからかは知らないけど、私の蹴りは身を逸らしてひらりと躱された。



 「あと経血が個人的に一番おいし……」



 「そっちが絶対本音だろーーーー!!!」




 限界にきた羞恥心が私の背筋を、肩を、腕を動かした。




 身体全体が、真っ赤になった私の心を後押しして右手を思いっきり振りかぶらせた。



 身体全体を使った。一撃目とは比較にならないくらい、大きな音が不法侵入吸血鬼の頬へと鳴り響かせた。




 我ながら多分、生涯最高のビンタだった。




 ただ、果たして、こんなとこで生涯最高の一撃を使い切っていいんだろうか。




 そんな若干の気まずさといたたまれなさをかかえながら、私は振りかぶった手をそっと正面に戻す。




 掌には、確かに何かをこの手で確かに打ちのめした感覚が、嫌というほど沁みついている。



 ただ、肝心のはたかれた吸血鬼は、私をじっと見て笑っていた。



 「なんだ、ちゃんと自分守れるじゃん」



 そう言って、ニヤリと笑った。



 その笑顔が―――。



 その声が―――。



 どこかで見た覚えがあって―――。



 「じゃ、私、帰りますね。ごちそうさまでした」



 暗い密室の部屋の中で、ざあっと風が吹いた。



 そんなこと、あるわけないのに、煽られる風に驚いて眼を咄嗟につぶって。



 再び目を開けたときには、どこにも吸血鬼の姿はなかった。



 残されたのは、結局、吸血鬼になれずじまいの私と。



 ナプキンがなくなって少しスース―する大事なところの感覚だけだった。

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