第25話 新しい挑戦

 セント・エターナル女子学院の高等部2年薔薇組には、不自然に空いた席があるのに、誰もそれを気にかける人はいない。事情を知っている穂積はかなり複雑であるが、ラドメフィール王国という異世界に行ってしまった徳永花蓮は、この世界には初めから存在しないことになってしまうのだ。穂積達JK3人組やデュークのように、ラドメフィール王国と特別な関係性がある人は別であるが、通常は花蓮を知る全ての人の記憶から消去されてしまう。

 そして、今、生徒会長に就任しているのは、以前は書記であった水森女史だ。

 花蓮が居なくなっても不自然ではないように世界が自動修正され取り繕われている。皐月はこれをパラレルワールドと言っていた。不思議で不可解で穂積の頭では理解不能な出来事なので、複雑に思いながらも穂積は、毎日を流されるように過ごしている。


 稀星の出産の日に、ウィリアム・ブラウンことウイルが石化してラドメフィール王国からこちらに渡ってきた。人に石化のポーションを試すのはこれで2例目。初めてポーションを使った徳永花蓮は石化になったあと、無事に解除できたものの昏睡状態で何か月も目を覚まさなかった。


 ――少し前の事。

 徳永花蓮は、治療のために魔法国家のラドメフィール王国に連れてこられ万全の状態で看護されているものの、このまま目を覚まさない可能性だってあり、予断を許さない状態だった。

 そのことがあったので、ウィルに対して石化をするかどうするかで、穂積、皐月、デュークとウィルは毎日遅くまで話し合った。


 デュークのお陰で、ラドメフィール王国から魔法陣を経由して映像を飛ばす技術は確立しており、デュークの研究室にある魔法陣上のウィルを囲んで、今日も話し合いがもたれた。


「穂積さん、皐月さん、俺、日本に行きたいです。稀星の側に行きたいんです!!」


 穂積と皐月は渋い顔を見合わせる。


「デューク様、お願いです。俺に石化のポーションを使わせて下さい」


「そっちの世界に徳永花蓮がいると思うが、石化が解けても目を覚まさない可能性があるぞ」


「そんなことになったら、稀星はショックでどうにかなっちゃうよ」


「穂積の言うとおりだよ。やっとこうして顔を見て話せるだけでもかなりの進歩で、稀星は泣いて喜んでいたでしょう? もし、会話すらできなくなったらどうするの?  ウィルの気持ちは分かるけど、自分の気持ちだけでなく、もう少し稀星の気持ちも考えてあげなよ」


「ごもっとも!!」


 穂積は思っていることを皐月が全部言ってくれたので、満足して頷いている。


「――分かりました。では、俺なりに花蓮がどうして目を覚まさないのか探ってみます。それで、もし原因が分かって、彼女が目を覚ますことができたら、ポーションを使ってもいいですか?」


「まあ、そんな事ができるなら、それに越したことはないが……」


 難しく眉を顰めてデュークがウィルを見た。


「俺だって、自分に何かあったら稀星が悲しむことぐらいよく分かっています。でも、俺の子供を宿した稀星の側にいたい、抱きしめたい、一緒に子供を育てていきたいって気持ちも理解して下さい」


「まぁ、初子だしな……」


「ねぇ、デューク、初めての子供って、そんなに特別か?」


「ああ、ラドメフィール王国ではウィルの年頃で父親になるのは平均的で、もし、それが男の子だったら一家総出でお祝いするものだ。と、言って最近は男子に拘らず、女子でも同じ感じになってきたが……。つまり、初めての子供は別格ってことだよ」


「日本では私達自体がまだ子供扱いで成人でもない。そんな世の中で子供を産み育てるななんて、褒められたものではなく辛いことの方が多いはずだよ。だからウィルが稀星の側にいることが最良なのは私達だって分かっている。ただ、リスクが大きすぎて……」


 この日も話し合いは平行線だった。しかし、ウィルは徳永花蓮を絶対に起こして見せるという一つの目標ができ、一歩前進したように思った。ウィルの顔には必ずやり遂げてみせるという強い決意が漲っていた。



 *****


 ラドメフィール王国の王立病院の一室に徳永花蓮は眠かされていた。

 無菌状態の環境が張り巡らされた白いベールに囲まれた空間の中で、ただ静かに眠っていた。石化は完全に解け、見た目は普通の人間なのに目を覚まさない。

 彼女はユウキ宰相に精神を支配された。しかし、石化を解除した後、すぐに国の魔術師達にユウキ宰相は花蓮から強引に引き剝がされ、厳重に封印された。そして彼女の全身の怪我も治療され、一命をとり止めたのだ。

 ユウキ宰相の罪は重く、ヘンリー国王により300年の封印刑を言い渡され、何重にも厳重に封印された後地下深くに埋められたらしい。その場所は国家の機密事項となり、ウィルのような一兵卒には聞かされていない。

 ウィルは徳永花蓮を前にして、小さく溜息をついた。

 ウィルは全身を防護服に身を包み、白いベールの中に入って、彼女の様子をじっと観察した。稀星と同じ国の黒髪の少女。瞳を見た事はないが、恐らく稀星達と同じ黒曜石色の瞳なのだろうか。


 ウィルは毛布から出ていた彼女の手を何となく握ってみた。


「もう怖い事はないよ。だから、目を覚まして」


 花蓮はウィルの声に反応するようにぎゅっと手を握り返した。


「!?」


 全く何も反応がなければ諦めたかもしれない。でも、確かに今、ウィルの声に反応したのだ。

 ウィルは一つの作戦を思いついた。彼女の夢の中に自分を送り込んでもらい、直接、彼女の精神と対話をしにいくしかない。

 望の綱を掛け、早速、知り合いの魔術師にお願いをして実行に移すことにした。


「なあ、ウィル、さっきも言ったが、何度も俺たちが彼女の精神の中に入って、直接呼びかけたけど、ダメだったんだ。お前が行ったところで無理だよ」


「ああ、でも、頼む。一度だけでいいから、俺を彼女の精神に送り込んでくれないか。頼む!」


 何度も食い下がるウィルに根負けした友人の魔術師は、「お前にも彼女にも負担がかかるから、一度だけだぞ」と約束をして、ウィルは花蓮が眠るベッドの脇の椅子に座って、スタンバイするように目を閉じた。

 魔術師が呪文を唱え始めると、ウィルはすぐに意識を手放した。


 自分の意識が次第にはっきりしてくると、そこは真っ暗な闇一色だった。何も見えない、ただの黒。深淵とはこんな場所を指すのかもしれないとウィルは思った。こんな暗闇に一人ぼっちでいるなら、なかなか抜け出せないのも理解できる。

 暗闇の中にポツンと立っていると、心の闇に負けて、辛い事や嫌な事、悲しい事などが思い出されてしまう。

 ウィルは思考を遮るように自分の顔を思いっきり叩いた。パンと頬を叩かれた刺激により気合が入ると、気分を変えるように大きな声をあげた。


「花蓮さーーん、お迎えにきました。返事をして下さい! 花蓮さーーん!!」


 ウィルは何度も何度も呼びかけた。全く反応がないことに心が折れかけた頃、遠くにぼんやりと白く囲まれた何かが見える。ウィルは急いで近寄った。

 側に来ると、それは概ね人型をしていて、だけど誰なのかはわからない。輪郭がかなり崩れていた。


 ウィルは恐る恐る手と思われる部分を握ってみたら、先程の花蓮と同じように握り返してきた。その感触にウィルの目に力が入る。


「花蓮さんですね? 目を覚ましましょう。もう、あなたを苦しめるものは何もありません」


『あたし、悪い子なの』


 その声は小さい子供のもので、言葉遣いも幼い。


『あたし、もう消えたい』


「何があなたを苦しめるのですか? あなたは悪くも無いし、消える必要もありませんよ」


『あたし、人にいっぱい悪い事をしたから、消えるの』


「もし、悪い事をしたって、それは操られていたから……」


 いや、こんなセリフでは恐らく説得できない。どうしたらいいんだ。ウィルは頭を抱えた。そして、頭を左右にブンブン振ってから、考えを一度リセットした。


(そうだ、自分だって魔力無しと蔑まれ、努力しても無駄で、消えたくなった経験がある。その時、俺はどうやってモチベーションを向上させた? もう、生きる希望が無いときにどうやって回復したんだった?)


 ――――――自己肯定感の回復が鍵だ!!


「花蓮さん、そうだよ。あなたはユウキ宰相に操られたとはいえ、多くの人を傷つけた。」


『……』


「だから、その責任を取って消えるなんて、自分勝手な考えだ。自分が何をやったか認め、償うのが筋ではないか」


 ウィルは煽った。薄っぺらい慰めでは花蓮を取り戻すことはできない。彼女の本質に訴えかけることに賭けた。


「あなたは、酷いことを沢山してきたんだ。目を背けてはいけない」


『ああああああ、消えたい、消えたい、消えたい……』


 白いぼんやりした人形は次第に小さな子供の輪郭を作った。


「消えることはズルい事だ。逃げないで向き合うんだ!!」


 人型は凄いスピードで成長し、幼い少女がどんどん成長していく。


「あなたは、どういう考えをもっていた人なんだ。あなたの求める場所、求める世界はどこにあるんだ!?」


『あなたに、私の気持ちはわからない!!』


「ああ、分からないさ。でも、死にたくなった経験はある、その気持ちは理解できる。だけど、失敗したっていい、何度でも失敗して、そこから気づきを学び、立ち上がるのが人じゃないのか!! やり直す事なんて、いくらでもできるっ」


 白い人型はいつの間にか徳永花蓮に戻っていた。凛とした佇まいで意思の強そうな瞳をしている。

 元の状態に戻ったのを確認したウィルは、一気にラストスパートをかけた。


「さあ、帰ろう。花蓮さん、みんながあなたを待っている。新しいチャレンジを始めるんだ」


『新しいチャレンジ……。そうだ、わたくしはセント・エターナル女子学院の生徒会長徳永花蓮。わたくしは、わたくしの全てをかけて生徒会を運営し、学園を安全で楽しいものにしようと尽力していたのに、それなのに……』


「大丈夫、何度でもやり直せる、全てのことに向き合おう。惨めで無様でも、格好悪くても、がむしゃらにやればきっとみんな理解してくれるさ、俺がそうだったように!」


『――――経験者の言葉はとても重みがあります。わたくしにそれを気が付かせていただき、心から深謝いたします……』


 ウィルに深々と一礼した花蓮は眩い光の中に立っている。気が付けば、暗闇は解け、ウィルの今まで一度も見た事のない建物の中に2人はいた。そこには、愛して止まない稀星や、揃いの制服を着た女生徒たちが楽しそうに集っている。

 ここは、彼女の意識の中の学校なのかもしれないとウィルは思った。


(――稀星……)

 花蓮の意識の中の稀星はとても可愛くて、生き生きしていて、ウィルがよく知っている彼女がそこにいた。花蓮と稀星は黒板を前にして、楽しそうに議論しているようだ。ウィルが思わず稀星に近寄って触れようとした瞬間、ぐらりと平衡感覚を失ったと同時に足元がグラグラと揺れ始め、周りの風景が次第に薄くなっていった。




「おい、ウィル、大丈夫か!? ウィル?」


「…………あ、ああ。大丈夫だ……。俺は、――戻ったのか……」


 花蓮の精神世界から戻ったウィルは、ぼんやりして夢うつつな状態だったが、側にいた魔術師の次の一声で正気に戻された。


「おい、ウィル、よくやったな!! 彼女が目覚めたぞ!」


「目が覚めた? 本当に!?」


 ウィルが花蓮を見ると、ベッドの上でまだ横になった状態であったが、しっかりと開かれた二つの綺麗な黒曜石が見えた。


(やっぱり、稀星と同じ瞳の色だ)


 ウィルは花蓮が目覚めたことに心底安堵し、心の中でガッツポーズを決めた。



 *****



 デュークの研究室では、穂積、皐月、デュークが、今か今かと到着を待ち構えている。

 奇しくも、ウィルの到着は稀星の出産の兆しがあった日と同じ日になってしまった。

 ウィルはラドメフィール側の魔法陣の上で、花蓮と共に石化のポーションを飲んで、こちらに渡ってくることになっている。


「ウィルは本当によくやってくれたよ。まさか花蓮を目覚めさせるなんて凄いじゃないか」


「そうだね。意外と根性あったね」


 感心する穂積に変わって、皐月はディスりにもとれるセリフを吐く。


「それだけではなく、石化解除のポーションにある重大な欠点を見つけてくれた」


「欠点って、何だったのですか? デュークさん。それは花蓮さんが目覚めなかったことにも関係していますか?」


「ああ、大いに関係がある。どうやら、人は石化してしまうと身体も精神も全てが冷たい無機になってしまうことから、胸に抱えたネガティブな感情が鮮明に浮き彫りになるらしい。あまり悩みのない人ならそれほど影響はないが、己を責め立てるような考えをする人、失敗をいつまでも気にする人などは、石化の解除ができても、精神の石化が解除されないことが分かった」


「精神の石化か……」

 皐月は眉を寄せた。

「私達はつい表面上の情報から石化は肉体だけかと思ったけど、精神まで石化してしまうとは盲点だね」


「そのとおりだ。だから、ポーションの新薬がでるまでは、この薬を使うときは注意しなければならない。例えば、事前にネガティブな感情を解放しておくこと、元に戻ることを強く念じておくことなど、事前の用法がとても重要になる」


「なるほど、それなら花蓮さんがずっと目覚めなかった理由がつくよ。彼女は自分を責めて、全て自分の責任として始末しようとしていたからね」


 デュークも穂積も頷いた。

「その点に関して、ウィルは大丈夫だと思うけど、花蓮はまた石化しても大丈夫かな」


「分からんが、ウィルは大丈夫と言っているから信じるしかあるまいな」

 デュークは顎に指を這わせた。


「あっ、魔法陣に光が灯ったよ!」

 穂積はワクワクして弾んだ声を出した。


 定時ジャスト。魔法陣上に二体の石像が並んで現れる。

 魔法陣の光の中に一つは灰色がかったウィル像と、見覚えのある大理石のような白い花蓮像が音もなく神々しく佇む。


 皐月がこの世のものとは思えないものを見たと言わんばかりに、恍惚とした表情を浮かべている。

「この光景は、圧巻だね。本当に、この世のものとは思えないよ」


 魔法陣を眺める穂積と皐月にデュークは声をかけた。

「さあ、急ごう。石化を解除するんだ」


「よし、分かった」

「おっけー」

 穂積と皐月は事前に打ち合わせした手順どおりにウィルはこの場で、花蓮は生徒会室の中で石化を解除することにした。

 二人ともすんなり人に戻ることができ、十分後には正気を取り戻した。

 そして、ウィルは一目散に稀星の病院へと駆け付けて行った。



 *****


「会長、徳永生徒会長!」


「ああ、水森書記。わたくしとしたことが、会長の椅子で居眠りしてしまうなんて……」


「会長はお疲れなんですよ」


「わたくしに変わったことはありませんでしたか、何か壮大な出来事があったような気がするのですが……」


 水森書記は不思議そうに徳永生徒会長の顔を覗き込んだ。そしてクスっと小さく笑った。

「会長、やはりお疲れですね。あとの仕事は私がやりますので休んでいて下さい。それと、会長は毎日いつもどおりの会長でしたよ。ご安心下さいませ」


 花蓮は水森書記の後ろ姿を見送ると、背後にある窓の外を眺めた。木枯らしが吹いて寒そうな外の風景は、まるでワンシーズンを飛び越してしまったような不思議な感覚がする。


「わたくしは夢を見ていたの? 何も思い出せないけど、随分と長い時間を別の場所にいたような気がしますわ……」



 生徒会室と隣接する教室からそっと見ていたデュークは、花蓮の様子を確認し、安心して踵を返した。

 夢オチにするには色々なことがあり過ぎたかもしれない。しかし、異世界と異世界が繋がるたびに、新たなパラレルワールドが形成されていくのは致し方ないことである。

 花蓮がいなかった世界もあれば、今日のような世界もあるのだ。

 花蓮がラドメフィール王国を覚えておく必要は全くない。ましてや、洗脳されていた記憶は抹消された方がいい。

 デュークは廊下の窓から冬の透き通った空を見た。


「大団円とはこういった展開のことをいうのかも知れないな。あとは、穂積と俺の関係だけか……」


 デュークは自国のラドメフィール王国に戻される日が近い事を感じ取っていた。

 朝起きると、身体の一部分が消えて見えるようになったからだ。これは皐月から聞いて分かっていたが、消えて見える面積が徐々に大きくなっていき、いずれ自国に戻るのだという。

 この事態を穂積にはまだ話していない。

 デュークは早めに穂積に話す必要があるなと、眉の辺りに決意の色を浮かべ、稀星が出産する病院へ急いだ。



 *****



 稀星が出産してから数日経ったある日、穂積はデュークに呼ばれて、隠れ家のクローゼットが入口になっているデュークの秘密の部屋に入った。

 が、部屋に入った途端、穂積は愕然とした。


「――――えっ、どういうこと?……」


 デュークの部屋は引っ越し前夜のよう荷物が整理されており、置いてあった家具などもすっかり綺麗になくなっていた。


「デューク、これって、もしかして……」


「穂積、俺は近く国に戻されそうだ」


「――――やっぱり……」


 穂積は急転直下の事態に頭の中が空っぽになり、一方で感情が抑えられず一気に涙が込み上げてきた。


「……泣いてごめん。――困らせるつもりはないんだ」


 ハラハラと静かに涙を流す穂積をデュークは優しく抱きしめた。


「出来れば、穂積をラドメフィール王国に連れて行きたい」


「…………」


 穂積はデュークの言葉に何も返せず、一瞬でも躊躇した自分を殴りたくなった。


「――自分もついて行きたい。ホントだよ」


 デュークは優しく微笑んだ。何せ穂積のことは全てお見通しなのだから、誤魔化しは通用しない。


「穂積の国にきて、一緒に生活をして、穂積がこの国や友を捨ててまでラドメフィール王国に行きたいとは思っていないことは分かっている」


「違う――っ」反論したいが、言葉が詰まって出てこない。


 デュークは穂積を抱きしめる腕に力を込めた。


「デューク、そうじゃない。幸せそうな稀星とウィルを見て、自分はずっと日本でデュークと一緒だなんて甘い事を考えていたから、急に思考が追い付かないだけだ」


「ラドメフィール王国には皐月も稀星もいない、それでもいいのか?」


「いい……と思うけど、まだ全力で返事をする自信はない。もっと、日本とラドメフィール王国の行き来がしやすければ大手を振ってついて行けるのに」


 混乱する穂積は、まるで駄々っ子のようになっている。


「ああ、俺もそれが一番いいと思って色々と方法を考えたが、石化のポーションはまだ完全に安全ではない」


「でも、嫌だ、嫌だよ。デュークが居なくなるなんて考えられない。デューク、デューク!!」


「――っ、穂積」


 二人は抱きしめ合ってお互いの体温を確かめた。これが無くなってしまうなんて穂積には信じられなかった。ずっと稀星の苦しみを側で見て痛いほど知っているはずなのに。


「穂積、考えたんだが、俺はまもなく自動的にこの国から消えてしまう。だけど、俺の研究室の魔法陣は、魔力を十分に残しておくから半年くらいは持つと思う。その間に石化のポーションを改良しようと思う。改良できたら定期便で送るからラドメフィール王国に来てくれないか?」


 穂積はまっすぐデュークの目をみると、ゆっくり頷いた。

 今日すぐにラドメフィール王国に行くとなると正直困るが、数か月の準備期間をもらえるのなら稀星や皐月と、けじめをつけてお別れすることができる。


「分かった。必ず行く。何があっても行く。絶対に行くから」


 デュークは、やっといつもの穏やかな微笑みを浮かべた。

 そして、一変して神妙な顔をすると、穂積の前に跪いて穂積の左手を取った。


「穂積、俺と結婚して下さい」


 言葉と同時に、穂積の左手の薬指にスターサファイアの石が収まった指輪を嵌めた。その石はデュークの瞳と同じ菫色をしている。光を当てると十字のスターが浮かび上がるスターサファイアはとても綺麗だ。


「俺は、前にも結婚を申し込んだことがあるが、今回は、確固たる約束が欲しかったんだ。もう、魂が引きちぎられるような想いは二度とごめんだから」


「…………」


 穂積は頷いた、そして穂積も覚悟を決めた。デュークは指輪まで用意して本気で穂積と結婚したいと思っている。それが苦しいほど伝わった穂積は、今こそ自分の信念に基づき、行動にでるべきではないかと思った。覚悟を決めると誰よりも強く、一本気な性格だ。

 デュークを静かにじっと見つめてから、そっと視線を外して頬をピンクに染めた。次に口に出す言葉を準備して、穂積の鼓動が早鐘のように鳴っている。


「……デューク、じゃあ、今すぐに自分を本当のお嫁さんにして」


 デュークは瞠目した。「穂積、それはどう意味で言っているんだ」


「だから、そのままの意味だよ」

 穂積は赤い顔でそっぽを向いた。その言葉の意味が分からないほど子供ではない。


「――初夜を過ごしてくれるのか」


「そうだよ! そう言ってるじゃないか!! 自分らしくないと分かっている。きっと男の人からみて自分は色気も魅力もないよ。でも、そんな自分でもデュークはいいと言ってくれから、――それに、自分だって証がほしいから……」


 逆切れの穂積を前にまだ驚きを隠せないデュークは、一転して艶めいた目で穂積を見ると、穂積の唇を自分の唇で塞いだ。

 そのまま、何度も角度を変え穂積に口付けしながら、デュークは自分のローブを外して器用に部屋の床に敷くと、穂積を横たわらせた。始めて経験する深い口付けはどう応えればいいのか分からないし、呼吸がうまく出来ないし、緊張も相まって穂積の胸は激しく上下している。


「…………デューク、あの、自分は逃げないから、それに絶対殴らないし、そのっ、落ち着いて、とにかく、ゆっくり頼む……」


 デュークは目を閉じて落ち着くように深呼吸をすると、反省したように顔を顰めて心の底から微笑んだ。


「穂積、すまない。今まで自制していた気持ちが外れて、がっついてしまった」


 デュークは組み敷いた下にいる穂積の頬を優しく指先で撫で、温かい眼差しを向ける。


「穂積、愛している。穂積の嫌がることは絶対にしないから、俺に全てを委ねてくれないか……」


 穂積はコクと小さく頷いて目を閉じると、デュークの首に自ら腕を回した。


「自分も大好きだ、愛してる、デューク……」


 何もないこの部屋で、デュークのお嫁さんになった日のことを穂積は一生忘れることは無いだろう。



 

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