第23話 ユウキ宰相の復讐

「おはようございます、穂積、皐月。色々と迷惑かけてごめんなさいでした」


 朝、学園の昇降口で穂積と皐月を待ち構えていた稀星は、2人を見つけると急いで駆け寄り、ペロっと舌を出した。

 毎朝変わらない送迎ラッシュの車寄せの近くでは、沢山の生徒がひしめき合って混雑しているなか、「ごきげんよう」とか「良い朝ですわね」とか、やはり毎朝変わらない挨拶が交わされている。


 穂積と皐月は、稀星を見つけて顔をほころばせた。

「稀星、身体はもう平気か?」

「おはよう。顔色は悪くないね」


 稀星は吹っ切れたような清々しい顔で2人に挨拶をすると、

「有難うございます。身体は全然平気なのですけど……、――突然ですが、わたくし、本日から隠れ家で生活しますので!」と、一変して、眉を顰めた。


「一体どうしたんだ、何かあったのか?」


 穂積が稀星の剣幕にオロオロと心配している隣で、皐月はやっぱりと納得して頷いた。


「どうせ親御さんに、例のこと反対されたんでしょう?」


「――例の事って……ああああああああ! き、稀星あぁ!!」


 穂積は大声を出してしまい、周りのお嬢様方に冷たい目線を送られる。


「ちょっと、穂積、その話は、時間のあるときにゆっくりしましょう! 学園では、特に人前では絶対に禁句です。いいですわね!?」


 稀星の迫力に押されて穂積は、両手で自分の口を押えながらコクコクと頷いている。

 皐月は小さく溜息をついて「そう簡単ではないよ……」と神妙な顔で呟いた。


 その後3人は、高等部のフロアまでの道のりを歩きながら、稀星に徳永邸でのこと、不気味な球体を撃退したことを掻い摘んで話して聞かせた。


「まあ、そんな大変なことがあったのですわね。全くお役に立てずに済みませんでした」


「ううん、今となっては稀星がいなくて良かったと思うよ」

 皐月の稀星を労わる言葉に、穂積は「そのとおりだよ」と思いっ切り賛同した。


「これで解決できたのか分からないけど、デュークさんの鎮静魔法のお陰もあって、学園内でコントロールされていた生徒達は普通に戻っているはずだよ。だから、2人とも自分のクラスの生徒会役員とか、いつも元気が無かった生徒の様子を注意してみてね」


「じゃあ、自分は徳永生徒会長に話しかけてみようかな。同じクラスだし!」


「穂積、花蓮様はわたくしとは異なり、正真正銘のお姫様なので、粗相はいけませんわよ」


 皐月はクスっと笑った。

「穂積が粗相なく喋りかけるなんてできないよ」


「皐月、失礼な! 自分は稀星の爺さんの道場で、ちゃんと礼儀を学んだから大丈夫だ、よし、絶対に話しかけてみるから」

 穂積は鼻息荒く意気込んだ。


「それはそうと、デュークさんは今日は学校にいますか? デュークさん、いえ、デューク先生にもお礼を申し上げたいし、隠れ家での生活のことをお伝えしたいのですが」


「――あ、今日は確か休みだって言っていたかも。何だか知らないけど、国の関係で外せない用事があるんだって」

 穂積は顎に人差し指をあてて、思い出すように上を見た。


「そうですか、それなら別に急ぐことでもないし放課後に隠れ家へ行った時でいいですわ。では、穂積、皐月、またお昼にサロンでお会いしましょう」


 高等部2年のフロアに到着した3人は、櫻組の前で稀星が手を振って教室に入って行った。


「あーーあ、今日も授業が始まるのかぁ……」


 情けない声を出す穂積と異なり、皐月は少し楽しそうだ。


「皐月は、どうしてそんなに楽しそうなんだ?」


「え? だって、今日は物理の実験で雷発生器を作るんだよ」


「それって、楽しいか?……」


「うん、とっても楽しいよ、この学園の授業は採算度返しで手厚いから、高い教材も沢山使わせてくれるし、色々と興味深いよ。あっ、椿組に到着だ。じゃあね、穂積」


 鼻歌混じりで皐月は教室に消えて行った。


「雷なんて発生させて、どこが楽しいんだよ……」


 勉強が苦手な穂積は、レベルが高いセント・エターナル女子学院の授業に嫌気がさしている。

 何とかデュークをたぶらかして、答えが見える魔法仕掛けの眼鏡を作ってもらえないものかと常日頃から考えており、穂積はニヤリと口元を歪めて悪い顔をした。



 *****


 デュークはこの日、隠れ家にある秘密部屋の研究室に籠るつもりで、沢山の本を積み上げていた。

「ポーションの真実」とか「精霊魔法のイロハ」、「土属性の知識」、「石からの目覚め」などのポーションとか土や石にまつわる本が多い。


 何故か突然、ぞわっと背中に悪寒を感じたデュークは、鼻を擦りながら肩を竦めた。


「風邪かな? そろそろ今日も授業が開始される時間だけど、穂積は居眠りせずにちゃんと授業を受けているのだろうか……?」


 まさか、その穂積に答えが分かる眼鏡の作成を依頼されるとは思いもよらないデュークは(――もちろんお断りをしたのだが)、風邪かと思って温かい紅茶を入れた。

 そして、お茶を一口含んで喉を潤しながら、先日の皐月との会話を思い起こしていた。




「デュークさん、研究室の魔法陣は無機質なものなら通すでいいのかな?」


「ああ、その通りだ皐月」


「うん、実際に私も実験したから分かるけど、そこで閃いちゃったんだよね」


 皐月は自分の思いつきと可能性について熱く語り出した。


「例えば、古代神話の一つにギリシア神話があるんだけど、その中で見たものを石に変える能力をもつ怪物メドゥーサが出てきて、人を石化しちゃうんだ。それを思い出して、人であっても石化しちゃえば無機になり、ひょっとして、魔法陣を通って異世界と行き来できるってことになるかなぁって思ってさ?」


 デュークは好奇の眼差しで皐月を観察した。相変わらず皐月から出る面白い発想と知識量は目を見張るものがある。


「その考えは、面白いな……」


「でしょう? やっぱり稀星の事を考えると、どうにかしてウィルをこちらに連れてきたいと思っちゃって。しかも子供が生まれるなら尚更だよ。人によって事情は違うし、叶わないこともあるけど、できれば子供には父親の愛情も必要なんだと思っている。しかも、この技術を上手く使えば、穂積とデュークさんだって別れる必要はなくなるんだよ」


 穂積の事を持ち出されて、デュークは皐月の話に一層興味を持った。


「……実際に見た事はないが、石化させるためのポーションは存在するはずだ。確か、魔物討伐なんかに使われることがある。でも、劇薬で厳重に管理されているし、そもそも石化したものを元に戻す薬があるのかどうかも分からない」


「稀星が出産するのは来年だから、まだ時間は十分にあるよ。ラドメフィール王国の石化ポーションを調べてもらえますか?」


「そうだな。王宮の薬師に手紙を出してみよう。もしかしたら、何かアイデアを持っているかもしれない」


「ありがとうございます! デュークさん」




 そんな遣り取りを皐月としてから、デュークは早速、石化に関する本を国から取り寄せ読み漁っているが、石化に関する記述はあっても、石化から元に戻す記述は見当たらない。特に「石からの目覚め」などはドンピシャのタイトルかと思いページを読み進めたが、とんでもない事に単なる石マニアの話しだったので、デュークは舌打ちして本を放り投げた。(石に興奮する変態がいるとは驚きだ……)

 普通、毒薬を作り出す場合は、必ず解毒薬もセットで開発することになっている。それを考えれば石化の薬に対して、石化を無効化する薬もあるはずだ。


(しかし……、国で一番優秀な薬師に頼み事をすると、引き換えに何かを要求されると聞く。薬師の姿を見た者は殆どいなくて、かなり偏屈らしい。こちらが直ぐにのめる要求ならいいが、そうでなければ……、苦しい取引になってしまう)


 皐月の願いは、稀星とウィルを思い遣ってのことであるが、確かに穂積とデュークにも深く関わってくる問題だ。特にデュークは無理やり穂積にくっついて日本へ来てしまったので、いつ国に戻されてもおかしくはない。正規に召喚されてない者は元あるべき場所へ戻されるのが自然の摂理なのだから、致し方無いのだ。

 しかし、自分は穂積の側にずっといたいという断固とした想いがある。もし、ラドメフィール王国と日本を自由に往来することができればどんなに素晴らしいことか。

 文献調査は早々に諦め、先ずは、不安は残るが国で一番の薬師に手紙で照会することにした。


 すると意外なことに朝出した手紙の返事が夕方には届いた。

 内容は、石化するポーションも、それを無効化するポーションも両方あるという。ただし、人間には用いた経験がなく、正常に使えるかどうか分からないとの事だった。

 恐らく石化はする。だけど、正常に戻るのかが分からないとの事。

 薬師としても人間で治験できるのなら願ったりかなったりで、是非使って貰って、薬の見返りとして使用した際のデータを提供してほしいと書いてあった。


 デュークは唸った。


 これは賭けみたいなもので、誰にも結果は分からない。何しろ前例がないのだから、成功するかもしれないし、しないかもしれない。もしかしたら石化から一生戻れないか、最悪は死ぬか、又は無効化が甘くて、例えば一部分だけ一生石のままという可能性だってある。


「ウィリアム・ブラウンに話して、彼に選択させるしかないな……」


 この件は、稀星ではなく、ウィルに話す必要があるとデュークは思う。稀星なら、そんな危険な事は止めろと言うだろう。でも、これはウィルの問題だと。ウィルならどうしたいのか。危険を冒してでも日本に渡ってきたいと思うかどうかで、それは2人の愛の深さにも関係するだろう。


 デュークは薬師からの手紙をぐしゃっと握りつぶした。――もし、自分だったらどうするかと考えてしまう。

 自分なら間違いなく石化する道を選ぶだろうなと、その目には炎のような熱が込められた。少しでも可能性があるのならそれに賭けるだろう。

 デュークは、迷わずウィリアム・ブラウンに手紙を送った。



 *****



 お昼の時間は御門サロンに集合するのが通常のルーティンとなっている。

 あの禍々しい光る球体を撃退してから数週間が過ぎ、学園はすっかり元の状態に戻った。生徒会の面々も会長の徳永花蓮以外はすっかりいつも通りに戻り、みんなマインドコントロールされていた時の記憶は無いらしい。


 7月に入り稀星は妊娠3ケ月を迎え、悪阻つわりの真っ最中だ。普通の食事を受け付けられなくて、主に冷やしトマトかもずく酢などサッパリしたメニューを好んだ。特にご飯が炊ける臭いは最も苦手らしい。

 学校でもちょくちょく具合が悪くなる稀星は、貧血と誤魔化して、悪阻が重い日などはサロンで横になる日々を過ごしている。


 一方の穂積は「今日も元気だ弁当が旨い」と言わんばかりに稀星の分までガツガツと余裕で平らげ、お弁当を2人分食べてすっかり満足した穂積は、食後のお茶を一口飲んだ。


「あのさ、徳永生徒会長がずっとお休みしているんだけど何か聞いてる……? だからさ、彼女が通常に戻ったのかどうなのか分からないんだ」


「そうみたいですわね。どうも家の病院に入院しているらしいですわよ」


「稀星、親父さんに聞いたの?」 皐月が気分の悪い稀星の背中をさすりながら聞いた。


「いえ、そこは守秘義務があるので聞いていませんが、しかも、わたくしは今、両親とは絶縁状態ですので話す機会も無いですし……、――このことは、理事長先生から伺いましたの。先生、とても心配されていました」


「ああ、薔薇組のクラスでも徳永花蓮は体調不良で入院してるって担任が言ってたわ……。自分は少し心配なんだよね、あの生徒会長。何しろ黒幕の一味だったし、あの球体の一番側にいたヤツだろう?」


「うん、私も同感だよ。ずっと引っ掛かっていて、あの球体は既に沢山の負のエネルギーを集めていたはずだから、もしかしたら、徳永花蓮を既に乗っ取っていて、彼女を自分の身体にするつもりではないかと……」


「では、3人でお見舞いにいってみましょうか」

 横になっていた稀星は上体を起こした。


「稀星、実家に足を踏み入れていいのか?」


「わたくしは家出中なので、よくはないですけど、花蓮様が心配ですから。良きも悪しきも花蓮様は、わたくしのライバルでした。だから、こんな形で花蓮様に異常が残るのは嫌なんです…………うっ、うううえぇ、――起きたら、やっぱり気持ち悪いぃ……」


 稀星はトイレに駆けこんだ。

 稀星のために皐月がカフェインフリーのハーブティーを用意している。ミントリーフが入って気分がすっきりするお茶は、皐月も稀星も大好きだけど、穂積だけは歯磨き湯といって毛嫌いする代物だ。


「……稀星、大丈夫か?」

 穂積がトイレに声をかけると、ヨレヨレした足取りで稀星が出てきた。


悪阻つわりって、大変なんだな……」


「――穂積、有難うございます。平気ですわ。母になるのですものこれくらい耐えられなくては……」


「稀星、はいお茶。悪阻は安定期といわれる4~5ケ月くらい迄には治まる人が多いらしいから、もう少しの辛抱だよ。とにかく今日は、放課後までサロンで休んでいた方がいいよ。先生には言っておくからさ」


「皐月も有難うございます。そうさせて頂きますわね」

 稀星は弱弱しい笑顔で、皐月の入れたお茶を飲んだ。

「あ、美味しい……。皐月、有難うございます」


「皐月って……、子供を産んだことないよなぁ……?」

 既に子育てを経験したことがあるような皐月の物言いに訝る穂積は、ジロリと疑いの眼差しを向けた。あらぬ疑いをかけられているとは全く思ってもいない皐月は、相変わらずのマイペースで文庫本を片手に食後のお茶を楽しんだ。



 *****



 御門総合医療センターは、いつ来ても患者や付き添いの家族などでいっぱいだ。何しろ医者でありながら経営センス抜群の稀星の父親、即ち病院長は、最新の設備を備えているだけではなく、腕の良い医師や検査技師、看護師等のスタッフを全国からスカウトしており、最高の医療体制を構築している。それにより、患者の評判が上々で最高の医療を受ける事ができるとして有名な病院だった。

 地下3階、地上20階建ての外見は大きなオフィスビルのようにスタイリッシュなデザインで、地域の中核病院としての役割を担っている。


 徳永花蓮の病室は上層階の特別室だった。JK3人組が特別室フロアのナースステーションで案内を受けると、この時間の花蓮はいつも屋上で散歩をしているらしい。早速3人は屋上へ向かった。


 屋上に到着して、エレベーターから一歩降りた途端、穂積と皐月は目を丸くした。


「なに、これ? ここは病院だよね??」


「まるで植物園だね」


「ふふふ、驚きますわよね。これは父の趣味が半分以上入っているのですが、屋上緑化が派手になったといいますか、アクアリウムと植物園が一体化したドーム型の温室になっています。入院が長引く患者様などは気軽に外出することができませんので、ここは憩いの場として活用してもらっているのです」


 中に入ると、温かくてベゴニアや蘭が咲き乱れ、とても良い花の香が漂っている。しかも、どこからか水が流れる音まで聞こえてくる。 


「凄い、本格的なんだね。――アマゾンの河を再現した水槽もあるよ。ちょっとした水族館並みの規模だよ」


 皐月が感心して中を歩き回っていると、ドーム型の温室から外に出られるドアを見つけた。ドアの外は、屋上広場になっていて、隅に機械室のような鉄製の壁にかこまれた部屋がある以外は何もない。高層なので風がそれなりに強いが、外の風を肌で感じることができて気持ちがいい。既に夕方を迎えた空は、禍々しいほどの赤い夕陽が出ていて空と雲を焦がしていた。


「逢魔が時かぁ……時間が悪いな……」

 禍々しい赤い夕陽を眺めて、皐月は小さく口を鳴らした。


「あっ、徳永生徒会長がいたぞ!!」穂積が叫んだ。


 屋上広場は安全のために周りをフェンスで囲ってある。そのフェンスに向かって白いシルク製のパジャマを着た徳永花蓮が立っていた。その視線はフェンス越しに赤い夕陽を眺めているように、ただ遠くへ向かっている。


「花蓮様、稀星です。突然、伺ってすみません。入院していたと聞いたのでお見舞いに参りました」


 徳永花蓮は稀星の声に反応してJK3人組の方をゆっくり向いた。ここ最近、何度も見かけた魂が抜けたような表情ではなく、しっかりした顔つきの以前の花蓮だと稀星は思った。

 花蓮は3人組を睨みつけた。


「皆様、お揃いで……、どうして――っ……、――何故こちらに来てしまったのですか!!」


 花蓮は初めから感情的に大声をあげた。目には涙が浮かび上がっている。

 JK3人組は花蓮の態度の理由が分からなくて戸惑っていると、次第に花蓮の様子がおかしくなってくる。

 花蓮が「ひっ」と小さい悲鳴をあげた直後に、瞳の色が赤黒く濁った色に変化した。さっきまでの真摯な表情から一変し、不気味に光る目と、ニヤリといやらしく歪んだ口元に、穂積達一同はゾッとしたものを感じ、氷で頬を撫でられた心境になった。


 花蓮の口元がゆっくりと動いた。

『この時を待ちわびたぞ、勇者殿』

 吐かれた声は花蓮のものではなく、しゃがれて老人を感じさせる。


「あんたは誰だよ」


 穂積が大声で威嚇した。さっきまで穏かだった風は急に強くなり、穂積のロングヘアーを巻き上げる。


『私を忘れたか勇者殿、お前が憎くて、憎くて、憎くて……、こんなところまで来てしまったわ! しかし、神は私を見捨てなかった!! 実体が無くなってしまったが、代わりにこの依り代を手に入れ、やっと一体化する準備が整ったところよ。病院も負のパワーを集めるには最適な環境だったわ!』


「お願い、花蓮様を返して下さい、あなたが何者であろうと関係ありません。わたくし達の大切な生徒会長を返して!!」


「あんた、――本当にユウキ宰相なのか」

 穂積が射るような目つきで睨みつけた。


『いかにも、ユウキだ。――お前達にめちゃくちゃにされた恨みは、私の奥深くに浸透し、いつしか自身をも蝕む呪いとなり果てたが、このまま泣き寝入りする私ではない!』


 ユウキ宰相の邪悪なエネルギーに誘われて、上空に暗雲が立ち込めて来た。今にも稲妻が落ちてきそうで黒い雲はピカピカと電気をはらんでいる。


「逆恨みも甚だしいよ。全てはラドメフィール王国の国民を偽り、酷い事をして隠していたのはそっちの方でしょうが!」


 穂積に続けて皐月も叫んだ。「自分のエゴで、またもや罪のない人達を巻き込むなんて、絶対に許せないよ!!」


「花蓮さんを解放するんだ」 穂積は一歩前に出た。


『そんなに、この女が大事か? どれ……』


 操られて意識の無い花蓮は、ポケットに手を入れると果物ナイフをとりだし、包丁部分を覆っていたケースを外した。そして、自分の首にナイフを当てると、ナイフで漢字の一の字を書くようにゆっくりと横に引いた。


「――やめろ――っ!!」

 穂積が叫ぶが、花蓮の手は止まらない。花蓮の首から赤い血が流れた。


『くっくっくっ――っ、愉快だ、もっと血を流せ、苦しめ、そして私の苦しみを味わうのだ――』


 操られた花蓮はナイフで腕や、頬などを、自傷していった。


「お願いだから、やめてーーっ」

「ユウキ宰相!!」


 稀星と皐月も叫んだ。阿鼻叫喚の光景とは正にこの事だ。

 自らの身体にナイフで傷をつけていく花蓮を見ていられなくなり、稀星は顔を手で覆って、その場に崩れ落ちた。


「やめろ、止めてくれ、こっちを恨んでいるのだったら、花蓮を傷つけるのはお門違いだろう!?」


『それならば、お前が身代わりになれ。そうだ、勇者殿を傷つけよう、もっと早くそうすれば良かったのだ。昔は拷問をよくやったものだ。悲鳴は快感となり身体を駆け抜ける。――くっくっくっ、こっちにこい、早く来るんだ……』


 穂積は下唇を噛みながら、ゆっくりと花蓮に近付いて行った。

 皐月は咄嗟に穂積の腕に飛びついた。荒い呼吸が邪魔をしてうまく声が出ないが、必死になって穂積を行かせないように言葉を紡いだ。


「穂積、行ってはダメだよ。奴に言葉は通じない、穂積が行ったって花蓮さんを手離すとは思えない! 行ってはダメ!!」


 穂積は一度頷くと、皐月を一瞥した。


「――皐月、それでも自分はいくよ。そもそも自分のせいでとばっちりを受けて酷い目にあっているのは花蓮じゃないか。彼女が傷を負う必要性も理由も、そんなものはどこにもないんだよ」


 花蓮は自傷した切り傷で、そこら中から流血している。致命傷までの深い傷は無さそうであるが、このままでは血が流れ過ぎて命が危険なことだってある。

 穂積はゆっくり花蓮に近付いていった。穂積もただやられる訳にはいかないと考えている。チャンスがあれば、速攻で反撃するつもりだった。


『これは愉快、愉快!』


 強く腕を引かれて捕まえられた穂積は、ユウキ宰相にコントロールされている花蓮に果物ナイフで腕を切り付けられた。


「うっ……」


「穂積!!!」

 皐月は悲鳴のような声を上げた。

 切られた穂積の腕から赤い血が滲んできた。


「――――っっ……」

 穂積は切られた腕を庇う様に反対の手で押さえたが、その押さえた手にさえも容赦なくナイフが降り落とされた。

 花蓮の目は猟奇的でサディストのユウキ宰相そのもの目になっていて、人を傷つけることを心底楽しんでいるように見える。このまま好きにされるままではいけないと思った穂積は、振り翳されるナイフを咄嗟によけて、ナイフを握っている花蓮の手首を捕まえた。

 花蓮の力は女性のものとは思えない程強く、簡単には押さえつけられない。穂積と花蓮はお互いが一歩も譲らず、激しくもみ合っているうちに、フェンスに何度も強くぶつかり、フェンスの金属音がバイン、バインと響き渡る。そして何度目かの衝撃で2人は弾かれたように一端左右に離れた。

 空は暗く、雷雲が発達していて今にも雨が落ちてきそうだった。

 穂積も花蓮も肩が上下に揺れ、呼吸が乱れている。


「穂積!」

「穂積、穂積」


 皐月も稀星もどうすることもできない。拳を握りしめながら、どう加勢したらよいのか状況を見極めている状態だ。

 地面に手を付いて呼吸を整えていた穂積を見て、花蓮が身体を揺らしながらぬらりと立ち上がった。

 花蓮のシルクのパジャマは所々血で赤く染まり、薔薇の花が咲いたように見える。

 ニタニタと気味の悪い表情を浮かべると、花蓮はナイフを持つ手を再び勢いよく振り上げた。上空にナイフを突き刺すように高く掲げ、花蓮の目は穂積の背中の中心、ちょうど心臓の位置にロックオンした。その時――――、

 ――――空が激しく稲光した。


『勇者よ、さらばだ。死ね―――!!!』


 雷鳴と共に花蓮(ユウキ宰相)が叫んだ瞬間、振り上げたナイフに轟音を伴って雷が落雷した。その凄まじい衝撃は爆風を発生させ、花蓮はフェンスに飛ばされた。


『あああああああぁ――――』 血を吐くようなユウキ宰相の絶叫が響き渡った。

 それと同時に稀星が、「きゃあああああ――――っっ」と、頭を抱えながら悲鳴を上げた。


「穂積、こっちにきて――っ」


 皐月はこの隙に穂積の肩を担いでを連れ戻した。穂積の意識は落雷のショックで朦朧としている。


「――皐月、穂積は大丈夫なのですかっ」


 涙で顔がぐちゃぐちゃになっている稀星は、穂積を心配そうに覗き込む。

 皐月は自分がしっかりしなければと、数回深呼吸して自らを奮い立たせると、穂積を横にさせた。


「穂積は多分大丈夫だよ。偶然にも物理で雷を勉強したばかりなんだけど、雷が落ちた時は、落雷の電流による電磁誘導によって近傍の人に落雷電流と逆方向の誘導電流が流れるらしい。その影響で短時間意識を失うこともあるけど、ほとんどの場合が軽傷だって。

 それよりも直接雷を受けた花蓮さんのダメージの方が心配だよ。体内に電流が流れれば心臓が止まることもあるから」


「――――み、皆さま……」


 予想外に花蓮の声が聞こえて、稀星はビクッと身体が強張った。

「花蓮様!? 気が付いたのですか?」 


 意識を取り戻した花蓮の表情は、さっきまでのユウキ宰相に乗っ取られたような邪悪なものではなく、花蓮本人そのものに戻っている。凛とした冷静な表情だ。


「――皆様、申し訳ございません……。わたくしの抑えがきかず、――悪魔に取り付かれてしまいました。先ほどの落雷で一時的に悪魔の意識が消え、わたくしの意識が戻りましたが、それでもまだ、わたくしの中には悪魔が巣くっております……」


 奇跡的に落雷がユウキ宰相にショックを与え、花蓮が意識を取り戻したということか。全身が血で赤く染まって、全身がボロボロの花蓮は、静かにフェンスの方に歩いて行った。


「――もう、わたくしは罪を重ねたくはありません。わたくしの大事な学園、大事な生徒達、そして、皆さまにも大変ご迷惑をおかけしました……」


「――……ん、んん……」

 皐月の膝の上に頭を乗せて横たわっていた穂積が覚醒して意識を取り戻した。


「穂積っ! 大丈夫、どこか痛いところはない?」

 皐月は穂積の顔を注意深く観察した。


「――頭に静電気を感じるが、大丈夫……と、思う……」


 穂積は自分の手のひらを何度も握ったり開いたりして、手の感触を確かめている。


「――穂積さん、傷つけてごめんなさい。――お許し下さい……」


 穂積は花蓮に話しかけられて驚いて視線を向けた。さっきまでの雰囲気とは全く別人の花蓮に動揺して皐月に目を向ける。


「うん、今の花蓮さんは正気を取り戻しているよ。――でも、――――待って、彼女はどこに向かって歩いているの? そっちは……ダメ!!」


「花蓮、そっちは危ない。戻ってくるんだ」


 徳永花蓮は落雷の衝撃で壊れたフェンスを潜り抜け、屋上の縁に立った。

 20階のビルの屋上だ。強風でも吹けば一瞬で下に落ちてしまうだろう。そして落ちることは死を意味していた。

 JK3人組は全員が息も吸えないほどの緊張を感じ、微動だにできないでいる。何か少しでもきっかけがあれば、花蓮が落ちてしまうと誰しもが思った。


「――もう、この悪夢を終わらせるにはこれしかありません……」


 花蓮は脇腹を押さえながらJK3人組の方を振り向き、美しくも儚い微笑を浮かべると、頬に一筋の涙を流した。


 穂積は走り出した。見えない力に弾かれたようにダッシュしていく。


(絶対にダメだ、何の関係も無い花蓮が死ぬなんておかしいだろう。ユウキ宰相が日本に来た理由だって、全部の責任は自分にあるのに――っ)


 刹那、穂積は花蓮が飛び降りる直前に屋上の縁に上がり、彼女の腕を捕まえることができた。だが、引き戻そうとして腕に力を入れた途端、バランスを崩して二人とも縁から一歩足を踏み出してしまった。


「穂積いいいいぃぃ――――っ」

「きゃあああああ――――っっ」


 皐月と稀星の絶叫が、真っ黒な天と屋上の間を流れるように響き渡った。


 *****


(お、落ちる――――っ)


 穂積の頭の中が真っ白になった。

 走馬灯ってこういうものなんだと、脳裏に皐月や稀星の笑顔が次々とコマ送りで表示される。

 そして、デュークの笑顔も。

 照れくさい顔、

 爽やかに笑った顔、

 熱が込められた顔、

 拗ねて怒った顔、

 穂積を見つめる真剣な顔……。


(死にたくない!!!)


「デュ―――――――ク――――――っ」


 穂積は自身が持てる精一杯の声を張り上げ、デュークを呼んでいた。



「――――穂積、呼ぶのが遅いぞ!!!」


 黒い空に光の裂け目ができて、光と共にデュークが転移魔法で現れた。同時に錫杖を振り上げ、時間を巻き戻す呪文を唱えた。


「時を司るクロノスよ、この錫杖に降臨し、我に力を与え給え」


 デュークの低い声が空に響き渡る。錫杖の宝玉から眩い光が派生し、穂積と花蓮を包み込んだ。

 そのまま時間が巻き戻るように穂積達はふわりと屋上に戻された。


 屋上に降り立った穂積をデュークが固く抱きしめる。


「穂積、こんな大変な事になっているのに、どうして早く俺を呼ばないんだ!!」


 デュークは後ほんの少しでも遅かったら、或いは穂積がデュークを呼ばなかったら、と想像するだけで手が震えてしまう。抱きしめた温もりを確かめるように何度も腕に力を込めた。

 ひとしきり穂積を抱き締めた後、周りを見れば皐月と稀星が号泣しながら立ちすくんでいる。デュークは、そっと穂積から離れて2人に場を譲った。

 皐月と稀星は、待っていましたと言わんばかりにヒシっと穂積に抱きついた。


「――もう、ダメかと思った……」

「良かったですわ、穂積、穂積ぃ――」


 皐月と稀星に抱き締められると穂積も感極まるらしく、二人の頭に顔を埋めて泣いた。

 穂積の無事を実感して落ち着いた皐月と稀星は、横たわって意識の無い花蓮に近寄った。

 穂積も腕の傷をデュークの治癒魔法で治療してもらうと、3人の側に近寄った。


「デューク、ユウキ宰相は花蓮に巣くっていたよ。花蓮を依り代にして、成りすまそうとしていたんだよ」


「偶然にも、雷のショックで花蓮さんの魂の奥に逃げ込んだみたいで、花蓮さんが正気を取り戻して……」

「でも、花蓮様は、全部自分で背負って解決しようとなさって……」

 涙腺が崩壊している稀星は、またもやボロボロと涙を流し始めた。


「どうする、デューク? どうしたら、ユウキ宰を花蓮から追い出せる」


 穂積に問われて、デュークは腕を組んだ。

 ユウキ宰相を一刻も早く国に送り返したい。このまま日本に置いておいたらどんな悪影響が生じるか図り切れないほど邪悪なものに成り下がっている。


「デュークさん、花蓮様を早く診て下さい」


 稀星に急かされて、デュークは横たわっている花蓮の側に立ち手をかざした。

 手を伸ばしてゆっくり左右に移動させながら治癒魔法が全身に行き渡るようにし、集中するように目を閉じた。

 花蓮の全身状態はとても悪く特に脇腹からの出血が多い。デュークが花蓮の脇腹を確認すると果物ナイフが脇腹に刺さっていた。雷の爆風で偶然刺さってしまったらしい。一同は惨い状態を目の当たりにし、息をのんだ。


「どうして……、花蓮様は笑っていましたわよね!? 穂積? 皐月!?」


「…………」


 花蓮はナイフが刺さっていることなど一ミリも顔に出さずに、全てを引き受けて屋上から飛び降りようとしていたのか。稀星は、さすが武家の血を引くお家柄であり、武士の魂とはこんなに凄いものなのかと、涙が止まらなかった。


「出血が多すぎる。解決策は一つしかないな……穂積、皐月、稀星」


 デュークが3人を呼んだ。


「酷な事を言うが、花蓮は命の灯が消えかけている」


「ええ!? そんな、嘘ですわ、花蓮様ぁ――」

 稀星は泣き崩れた。


「――――ただし、助かるかもしれない方法がある」


「それは、何だ? 早く言え、デューク!」


「それは、石化だ」


「石化!?」


 JK3人組は予想外の言葉にただ驚いた。


「ああ、一時的にこの状態を石化して保存する。そして、ユウキ宰相ごとラドメフィール王国に送り付けようと思う」


「デュークさん、あっちでは治療ができるの?」

 皐月が聞いた。


「ここよりは、いいと思う。何しろ治癒魔法を扱える魔術師が沢山いるし、邪悪なものを剥がせば、魔法が効きやすくなり、更に治療効果が見込まれるだろう」


「それなら、早く石化しようよ」

 穂積が急かした。


「ただ、石化はできるが元に戻れるかは保証できない。今まで、ラドメフィール王国でも人間を石化した経験は無いらしい。どうする? 俺には判断できない」


 JK3人組は顔を見合わせた。

「できるなら、自分は花蓮さんの意思を確認したいけど」


「この状態なら、無理でしょう、一番親しい稀星はどう思うの?」


「やりましょう」


 稀星は一瞬の迷いもなく言い切った。

「いいのか? 元に戻らないリスクもあるぞ」

 穂積はドキドキして目が血走っている。


「ええ、花蓮様は武家の流れを汲む家の姫です。何かあったときの覚悟は疾うにできているはず。先程だって、一人で背負って幕引きさせるおつもりでした。わたくしは諦めるより、少しでも可能性があるなら、それに賭けてみたいのです」


「――――稀星」

 穂積と皐月は何も言えなかった。


「稀星、もし、ウィルでも同じことを望むか?」


「はい。デュークさん、可能性があるなら、そちらに賭けるに決まっています。このまま命の炎が消えてしまうのを黙って見ているなんて嫌です」


「よし、よく言った」

 デュークは、フンと鼻を鳴らして微笑んだ。

 早速、善は急げと、空間魔法を駆使して、デュークの研究室を今いる屋上に繋げた。転移魔法の使い手らしく、空間を扱う魔法はデュークほど上手にできる人はいないらしい。デュークは研究室から石化のポーション持ってくると、JK3人組の顔を改めて見た。

 三人がそれぞれ頷いたのを見届けてから、デュークは花蓮に薬を飲ませた。

 すると、花蓮の全身が発光し、みるみるうちに全身が石像に変化した。白っぽい大理石のような美しい石像だった。


 目の前で繰り広げられた光景にJK3人組は、息を吸うことも忘れる程の衝撃を受けている。

「一体、どんな化学反応が起こったのか……」皐月は必死で理解しようと頭をフル回転させており、ブツブツと心の声が口から洩れている。

 一番心配しているのはゴーサインを出した稀星だろう。稀星はずっと胸元できつく両手を握りしめたままだ。

 全員がデュークの研究室に入ると、接続を解除して、そのまま屋上から隠れ家へと移動した。


 あとは、定期便の時間に合わせて石像をラドメフィール王国に送るだけだ。

 石像の内容、対処、ユウキ宰相については、デュークが細かく指示を書き、準備するように事前に手紙を送り準備は整った。


 魔法陣の上に置かれている花蓮像。

 魔法陣の光に照らされ、神々しくさえ見える。

 JK3人組は誰も何も発せず、ただその光景を眺めながら花蓮像が消える瞬間を見送った。

 もう出来ることはない、最善のことをやったのだと3人それぞれが信じようと思った。あとは花蓮が無事に戻ってくるのを祈るだけだ。


「――う、うっ……っ」


「稀星、どうした!?」


「なんだかホッとした途端、悪阻が……」


「胎教には最悪の一幕だったから、早く稀星を休ませないと」


 稀星は皐月に付き添われてデュークの秘密の部屋から隠れ家に戻って行った。



 デュークの部屋に残った穂積は、気になっていたことを聞いてみた。


「……デューク、さっき何故、稀星にウィルだったらと聞いたんだよ」


「穂積、珍しく鋭いじゃないか!」


 デュークはよしよしと穂積の頭を撫でた。穂積はムッとしてデュークの手を払った。


「も、もしかして、ウィルを石化して連れてくるつもりか?」


「ああ、そう思っている。今回の件は、徳永花蓮には悪いが、ウィルの前に実験することができて有難いと思った。もちろん苦肉の策なのだが」


(デューク……)

 デュークのしれっとした表情に複雑な感情が残るのは事実だが、花蓮を石化したのは致し方なかったものと穂積は納得している。


「…………そうか、もちろんウィルもこちらに来ることを望んでいるんだよな?」


「ああ、二つ返事でな」


 穂積は複雑な思いを抱えながらも、花蓮が無事に一命を取り留め、そしてウィルもこちら来られるならそんな素晴らしいことはないと、みんなの無事を願わずにはいられない。


 それから数か月間は事態が大きく動くことはなかったが、季節は冬に移り変わり、待ちに待ったラドメフィール王国からの便りは、徳永花蓮の石化が解けユウキ宰相の魂を追い出す事に成功したが、花蓮の昏睡状態が継続しているとの知らせだった。

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