第12話 閑話・穂積の決断

「……――穂積も元の世界に戻るか?」


 穂積が、そうデュークに言われてから急遽4日後に元の世界へ帰ることが決まった。

 星の動きのタイミングが良かったことと、デュークの計らいによりとんとん拍子に穂積が戻る段取りが決まっていく。

 穂積は元の世界に帰れる事に喜びを感じつつも、デュークが淡々と元の世界へ戻す段取りを整えていくことにモヤモヤとした複雑な心境になる。どうしてモヤモヤしてしまうのかを突き詰めると、それ自体を考えるのが面倒になって思考を停止してぼんやりとしてしまう。

(デュークは自分の事を好きだと言ったのに、帰りたいと言った自分を嫌いになったのかな……)


 あと数日でこの世界を去らなければならないため、使わせてもらっていた自室の整理や掃除、お世話になったミランダ姫やヘンリー国王に挨拶だって行かなければならないのに、ほっとしたのか、嬉しいのか、寂しいのか、悲しいのか、よく分からず、ただ焦燥感だけが際立って、結局何事にも手が付かないのだ。


 今朝も窓から入ってくる朝日を身に受けながら早く起きなきゃと思いつつも、ベッドの中で悶々と考えてしまって、ぐるっと一周回ってまた同じ思考に陥ったところでやっと上半身を起こすことができた。穂積は自分の両頬をバチンと叩いて気合を入れた。


「――いっててえぇぇ…」


 何にせよ、いつもと同じ生活をしようと思った穂積は、赤くなった頬をさすりながら身支度をし、シャングリラへ出かけることにした。


 幾度となく通った道を乗り慣れた相乗り馬車から降りてシャングリラの前に立つと、改めてその厳つい佇まいを見上げて圧倒される。外観が監獄のようなシャングリラであるが、一歩中に入ると印象が180度変わってアットホームな空間になるのは、何度通っても不思議な気持ちにさせられる。門番ともすっかり顔見知りになった穂積は、勝手知ったる様子で室内に入っていき挨拶した。


「おはようございます」


 いつもと同じように一階の広い作業場に足を踏み入れたはず、だがしかし、何故かいつもと違って一斉に注目されたから驚いた。


「穂積さん、自国にお戻りになるんですって!?」


「――ええっ! 情報が早いなぁ。ああ、まぁ、うん、そうだけど……」


 シャングリラの女性達とは毎日通ううちにすっかり仲良くなり、穂積は皆のことが大好きだった。

 老若の女性だけが住むシャングリラは、みんな穏やかで優しく居心地が良い。穂積は皐月と違って考える作業には向かないので、いつも力仕事を引き受けたり、子供たちの遊び相手になっていた。

 シャングリラの女性達も穂積のことが大好きで、穂積が帰国する話は一大ニュースになっており、穂積はすっかり女性達に取り囲まれて質問攻めにあってしまった。


「穂積さん、この国が嫌になったのですか?」


「いや、そういうわけでは無いし、むしろ好きだけど……」


「じゃあ、私達がご迷惑をおかけしたからですか?」


「いや、迷惑なんてかかってないよ!!」


 女性達それぞれが、困惑した心配そうな顔を穂積に向けている。小さい女の子達は目に涙まで浮かべている。

 穂積がどう説明すべきか迷っていると、突然後ろからパンパンと手を打つ音が響き渡った。

 音の方へ注意を向けると、腕を組んで青筋をたてている侍女長とその後ろに魔女カミーラが「あらら」という表情で立っていた。


「あなた達、作業はどうしたのですか? 午前中のうちに新しくオープンした仮店舗に陳列するパンやお菓子の準備をしなければならないのに、全く進んでいませんよ。一体どうなっているのですか」


 侍女長の睨みが効き、女性達は一端、それぞれの持ち場に下がって行った。

 穂積が良く知っている少女マーラだけは最後まで穂積の傍を離れようとしなかったが、「マーラ、後でちゃんとお話しするからね」と穂積が声をかけたことで納得して離れて行った。


「穂積は人気者ですねぇ~」と呑気に声をかけるのは穂積が愛称カーラと呼んでいる、ここの主の魔女カミーラだ。


「カーラ、情報が早いな。デュークから聞いたのか?」


「デュークではありませんが、これでも私は情報通なのですよぉ。穂積の話題ならすぐ耳に届きますね」


 カミーラは、シンプルな麻の生成り色のワンピースを着て豊かな金髪を後ろで一つに結んでいるが、シンプルなスタイルがカミーラの美しさを一層際立たせている。


「カーラ、もし時間があるなら少し散歩でもしないか」


 穂積のどんよりしている様子を見かねたカミーラは、「もちろん」と、ニコニコしながら頷いた。


 *****


 二人はシャングリラから少し離れたところにある河沿いをゆっくりと歩いていた。

 今日はいいお天気で、風も少なく水面が凪いでキラキラと光っている。まだ午前中のため、行き交う人が少なくて、のんびりした雰囲気だ。カミーラは鼻歌混じりで穂積の一歩後ろを歩いていた。


「カーラ、初めて会ったのも河の近くだったな。あの時は自分がローブを外して座っていたら、カーラが後ろから話しかけてきてさ」


「そうでしたね。魔術師団がウロウロしているのに、穂積ったら、髪の毛を出しているんですからぁ、そりゃあ、驚きましたよぉ。でも、今ではすっかりローブが必要なくなり、本当に過ごしやすくなりました。よかったですねぇ」


 カミーラはテコテコと穂積の前に移動すると、穂積の手を取った。ひんやりしてほっそりとした白い手に握られて、穂積は驚いてカミーラの目を覗き込んだ。カミーラの菫色の瞳は、穂積の心を占めているデュークの色と同じものだ。


「穂積、本当に有難うございます。全部、穂積達のお陰ですよぉ。感謝・感謝・感謝してもしきれないぐらいに大感謝です」


「そんな、きっかけはカーラの活動によるものだし、自分達は何も大した役には立ってないよ」


「そんなことは無いですよぉ。穂積達がいなけれはこの革命は成り立っていないと思います。私は穂積達3人を見ていましたから、よおおおおぉくぅ、分かりますね。だから、穂積が自国に帰るという決断は間違っていないと思っていますよぉ」


 穂積はカミーラと視線を合わせた。美しいかんばせには、いつもと同じ穏やかな笑みがのっている。


「穂積達は3人でいるととてつもないパワーを発揮します。この国に穂積を引き止めたい人が多いと思いますが、穂積達は3人でいるべきです。だから胸を張って帰っていいと思いますが、晴れない顔をしているのは、――穂積の心残りは、もしかしてデュークですか……?」


「――うん、多分、そうだと思う……」


 カミーラにずばり指摘された穂積は、自分の胸の内を素直に認めてしまった。

 穂積は、皐月や稀星に自分がどれだけ助けられていたかを、2人がいなくなって初めて思い知っている。一方で、デュークと知り合って、初めて恋心というものを知った。穂積の本当の望みは、皐月や稀星やデューク達、みんなで一緒にいる事なのだ。でもそれは穂積の我儘で叶うことがない、無理な内容だから今まで口に出すことはしなかった。皐月と稀星又はデュークのどちらかしか選択できないのであれば、苦渋の決断だけど、皐月や稀星の元に戻る選択をするしか無かった。穂積は高校生で、日本の基準で言えばまだ子供なのだ。何もかも捨ててこの国で生活する覚悟ができない。


 デュークの事は、異性として初めて意識して好きになった人だと思う。異世界と日本なんて簡単に行き来できないだけに、デュークと別れることに寂しさが募るし、悲しくもあり、穂積が帰る準備を進めるデュークを冷たいなんて思ってしまう。デュークの気持ちなんて、これっぽっちも理解しないでそう考えてしまう穂積はやっぱりまだ子供なのだ。理想を言えば、デュークが一緒に日本へ来てくれればいいのにとさえ勝手な考えが頭の片隅に過る。

 そして、カミーラに促されるまま、穂積の願いが口から零れ落ちた。


「本当は、みんな一緒がいい……」


「穂積、自分の思いを我慢するのはよくありませんねぇ。この王都の中心を流れる聖なる大河は、ウンディーネ達が願いを叶える河だとも言い伝えられています。大声で心の中の願いを叫んでみて下さい」


「えっ!? そんなこと無理だよ」


 穂積は、カミーラの無茶ぶりに両手を振って出来ないアピールをして見せた。


「わたしの願いはあぁ、女性達みんなが自分の生きたい人生を送れることですよおおおぉ――」


 突然、両手をメガホンのように口にあてて、河に向かってカミーラが大声で叫んだ。予想外の行動に驚いた穂積は、突拍子のないカミーラが健在であることに苦笑してしまう。


「ほら、誰も気にしませんね」


 ドヤ顔のカミーラを後目に周りを見渡せば、通行人から歩みを止めて注目されることもなく、皆、自分の目的地に向かって歩いている。後で思い返せば、カミーラが防音魔法を施していたのだという事に、この時は全く気が付かなかった穂積は、自分も叫んでみようかと思った。穂積は思い出したのだ。昔、皐月が言っていたことを。


(確か、言霊……)



『穂積、日本には古代から言葉に霊が宿ると言われているんだよ。事に通じる「言葉」に宿る呪力を発動させるためにも自分の願いは口に出して、声に乗せて発した方がいいんだ』


(――皐月……)


 得意げに講釈してくれた皐月の顔が脳裏に浮かぶ。それを聞いていた稀星が、隣で『れ・ん・あ・い・成就――っ』と大声で叫んでいたっけ。穂積は思い出し笑いを浮かべながらも叫ぶことに決めた。

 穏やかに流れる大河にむかって静かに一礼してから、胸一杯に空気を吸い込んだ。


「自分は、自分の願いは、みんなで一緒にいたいんだぁーーーーっ。皐月、稀星、デュークと一緒にいたいんだあああぁーーーーっっ」


 穂積はおもいっきり叫んだ。叫んだ言葉が、まるで金色のベールに変化して空中に消えて行ったように見えた。自分の願いをこれほどストレートに言葉に出したのは初めてかもしれない。スッキリとした清々しい気持ちになり、モヤモヤした気分が一掃されたようだ。しかし、落ち着いてみると恥ずかしくなり、カミーラの方をチラリと見た。

 カミーラは飄々として、唇を突き出して口笛を吹いている。嫌、吹く真似をしているだけかもしれない。必死に音を出そうとしても音階にならないヒューヒューとした風音が聞こえてくるだけだ。カミーラの思い遣りに穂積は胸が熱くなった。


「穂積、願いは、きっと叶いますよぉ」


 カミーラは、不敵な笑みを浮かべている。

 この願いが叶うのか、叶わないのか、今の穂積には分からないが、願いを声に出したことで何かが吹っ切れたと思った。日本に戻ったとしても、この国とは、デュークとは、これ切りではないような予感がする。穂積の野生の感は今まで一度だって外れたことは無いのだ。そんな希望を胸に抱いて、穂積はカミーラと一緒にシャングリラへ戻った。


「マーラ!」


 シャングリラの前では、花束を持ったマーラが心配そうに立っており、穂積を見つけた途端、弾けるような笑顔を見せて穂積の元に駆け寄ってきた。


「この国に来てよかった。みんな、有難う」


 マーラを抱きしめて破顔した穂積は、心からの感謝をしっかりと言葉にした。

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