第20話 徳永邸に潜入

 稀星きららが先日学校で倒れたため、念のため2~3日学校をお休みすることになったが、様子を知っている穂積と皐月はそう心配はしていない。

 一方、デュークの鎮静魔法により回復した久保さやか嬢は、稀星が体調不良と聞きつけて一早くお見舞いに駆け付けたらしい。稀星とのわだかまりもこれで一件落着だろう。


 稀星にはまだ色々と懸念材料がありそうなので、何とかして穂積と皐月の2人で事態を収束させられないかと考える。

 目立った動きがないまま、今日も午前の授業が終了してお昼休み時間を迎えた。御門サロンの鍵を稀星から預かっているので、穂積と皐月はお昼休みなど自由に使わせてもらっている。


 まず穂積は、皐月の指示により、徳永花蓮のノートをこっそり拝借して御門サロンに持ち込んだ。なぜなら、穂積は確信に近く感じていたから。


 ――――犯人で黒幕なのは 徳永花蓮だと。

 穂積の野生の感は未だかつて一度も外れた事が無い。



 何しろ、変な球体を使って、強烈な光を放出し、その直後に倒れる生徒が続出したのを穂積はこの目で見たのだから間違いない。すっきりしないのは、徳永花蓮という人物がよく分からないことだ。鉄仮面のような無表情の時もあれば、牙を剥くほど攻撃的な面もある。花蓮が犯人であるという確実な証拠があればいい。2人は早く証拠を掴みたかった。


「この『助けて』のメモと、ノートの筆跡はかなり類似しているね。平仮名は特徴が出やすいけど、見て、この『け』なんて、ノートと同じに見える」


 皐月の目的は筆跡鑑定だ。皐月の言葉からすると、メモを落としていったのは徳永花蓮生徒会長ということになる。


「けどさぁ、黒幕なのに助けてっておかしくないか? しかも何度も助けてを発信している」


「うん、おかしいけど、だって、穂積が自分で言ってたじゃん。何重人格なんだよって」


「じゃあ、一人の人間の中に2つの人格を有するってことか?」


「その場合は精神病だけど、他の人格に憑依されるってこともある」


「憑依って、そんなオカルトチックなこと、自分は信じてないから」


「穂積、そういうけど、例えば青森県の恐山で有名な『いたこ』なんて、自分に死んだ人を憑依させて依頼人とお喋りさせるんだよ」


「でたらめを言ってるんじゃないの?」


「その可能性もあるけど、全て嘘とは言い切れない」


 皐月は、生徒会長は他者に憑依されてしまったが、どこかで正気に戻る時があって、その時にSOSを発信してメモを残しているのではないかと仮説を立てた。


「じゃあさ、いっその事自宅へ行ってみる? 花蓮ちゃーん、あ、そ、ぼ、ってさ」

 穂積はおどけた声を出した。


「それ、いい考えかも!」


「えっ、いや、皐月、冗談だよ……」


「いやいや、穂積、生徒会長の自宅に乗り込もうよ。何か糸口を掴めるかもしれない。虎穴に入らずんば虎子を得ずってね!」


「だけど、自分は嫌われているよ?」


「関係ないよ。そうだ、丁度いいから、このノートを拾ったとか言って届けに行こう」


 皐月の悪知恵は底なしだ。

 好奇心の塊のような皐月に促され、穂積はしぶしぶ放課後に徳永邸へ行く運びとなった。


 *****


 徳永邸は学校から車で30分程離れた郊外にある。穂積達はバスに乗ってスマホの地図アプリを頼りに歩いてきたが、通りすがりの人に徳永邸を聞くと、二つ返事で教えてくれる。誰もが知っている地元の名家のようだ。それもそのはず、暫くすると白壁が現れ、瓦屋根と白壁の塀の横を延々と歩いていたら、重厚な構えの門に到着した。塀にぐるっと囲まれた武家屋敷のような立派な日本家屋だ。お寺か道場のようにも見える。裏には山が隣接していて、敷地内から竹の葉が見えるので、竹林もありそう。一言でいうと敷地を肉眼では計り切れない程かなりの豪邸なのだ。


 門の前で、あまりの豪邸さに穂積は口をあんぐり開けアホ面を晒している。

 そんな穂積を余所に感情の起伏が少ない皐月は、さっさとインターフォンを押した。その瞬間、ビーっとけたたましい電子音が静寂を引き裂く。


「――はい、どちら様でしょうか」


「セント・エターナル女子学院の花蓮さんの同級生で、相川皐月と申します。花蓮さんの忘れ物を届けにきました」


「――左様でございますか。お嬢様に確認しますので、少々お待ちください」


 お手伝いさんの女性の声が一端途切れた。すぐ脇には勝手口専用の門があり、皐月達と同じタイミングで宅配業者が配達にきた。インターフォンを鳴らして機械的なやり取りをしているが、こちらは直ぐに入口を開錠してもらったようで、宅配業者は台車をガラガラ押して中に入って行った。

 入口はそのまま開いている……。皐月の視線は勝手口の門に釘付けのままだ。


「――穂積……」


 皐月の低い声に反応して、穂積は調子よく頷いた。


「うん! 分かった。行くよ!」


 穂積は、皐月を一瞥してから、素早く勝手口用の門の中にするりと滑り込んで消えて行った。


 ほどなくして、皐月の待つ正門も開けられ、中から徳永花蓮が姿を現した。


「相川さん、ごきげんよう。こんな遠くまで、わざわざ有難うございます。良かったら、お茶を用意しますので、上がっていって下さいませ」


「……あ、あ。どうも。はい」


 皐月はぎこちなく承諾した。花蓮の瞳には全く精気が感じられず、感情も見えなくて、ロボットと話しているようにさえ感じられる。


 花蓮に連れられて中に入ると、門から母屋の玄関ま50メートルほどある。日本庭園風に手入れされた庭には女性の曲線のように幹が折れ曲がっている松などが植えられ、奥には竹林があった。大きな池まであって錦鯉が優雅に泳いでいる。

 花蓮に案内されるまま、(……家のリビングよりも広いわ、この玄関……)などと色々と驚きながらも廊下の角を何度も曲がり家の奥へと進む。長い年月をかけて磨き込まれた照りがある板張りの廊下は、いつか見た二条城の鴬張りの廊下を彷彿させた。


 花蓮は和室の前に止まって静かに襖を開けた。

 外見の和風とはガラッと異なり、部屋の中は洋風でアールデコ調の近代的な雰囲気であることに皐月は驚いた。花蓮に座るように言われて、キョロキョロしながら中央に配置されている応接セットに腰を下ろした。


 部屋を見渡すと、一体いくらするのか分からないほど高級な壺や工芸品が飾られてあるし、南側には大きなベランダがあって、日本庭園を眺められるようになっている。皐月は穂積の事を心配しつつ、日本庭園を注意深く眺めた。

 少しして、さっきインターフォンで対応してくれた人だろうか、お手伝いさんが日本茶とお茶請けの最中を出し終わったのを見計らって、相変わらず無表情の花蓮は、手をそっと差し出した。


「良かったら、どうぞ」


「有難う。それで、忘れ物はこのノートなんだけど……」


 本当は穂積が拝借したものだが、わざとらしく出す。


「お手数をおかけして済みません」


「……」


 皐月は鎌をかけるつもりで、例の助けてのメモをテーブルに出した。


「で、このメモがノートに挟まっていたんだけど、徳永さんのメモなの?」


「……知りません」


 皐月は花蓮の表情に変化が無いか慎重にガン見しているが、まったく表情筋に変化がない。ふうっと、小さく溜息をついた。

(……何もないか。こっちは収穫ゼロだな)

 と思って、美味しそうな最中に手を出そうとしたら、


「うわあああああああぁ……」


「――――この悲鳴は何!?」


 遠くの方からではあるが、明らかに男の悲鳴が聞こえた。


(もしかして、穂積が何かしたのか?)


 その瞬間、初めて花蓮の表情が動いたのを皐月は見逃さない。今までの無表情が嘘のように目に力が入り、顔が露骨に歪んだ。


「相川さん、少し席を外しますが、くつろいでいてください」


「あ、どうも……」


 花蓮は立ち上がると早々に部屋の外へ出ていった。

 皐月は後を追うつもりで、一拍おいて部屋の外に出ると、先程の給仕にきたお手伝いさんが立っておりジロリと睨まれたので、「と、トイレはどこかなぁ……」などと白々しく呟いて、大人しく部屋に戻った。


「監視されているのかな」


 皐月は自分の鞄からスマホを取り出し、位置情報共有アプリを開いた。


「穂積は、家の北側にいるみたいだね。あの悲鳴……何かあったには間違いないんだ」


 皐月は部屋を見渡した。部屋の外はお手伝いさんが立っているから、部屋から出るにはこのベランダからしかない。大きな窓を音が出ないように慎重に開けたら、足元に黒いゴム製のサンダルが置いてある。有難いと拝借し、庭を突っ切って位置情報が示す穂積の場所へと急いだ。


 *****


 穂積は皐月と別れると、宅急便の業者が勝手口でお手伝いさんと話しているうちに、まるでこの家の関係者ですと言った体で、そそくさと家屋の裏側に回った。南側は日本庭園を眺めるように縁側になっているが、北側はほとんどが壁になっている。コソ泥感満載の気分で慎重に奥へ進んだ。


「生徒会長の部屋が分かればいいんだけどなぁ……」


 南側とは異なり北側は寂しい雰囲気で、所々苔むしていて滑りやすい。何度も足を取られながら屋敷の奥にある木造の物置までたどり着いた。すぐ後ろには裏山があり、蛇が出てきそうだ。

 ここからどうしようかと考えていたら、聞き覚えのある声が物置から聞こえたので穂積はじっと耳を澄ました。


「何日も精気を吸引していると、人間も枯れ木のようになるのね」


「水森書記、この男はどうしますか?」


「これはもう使い物にならないから、裏山に捨てましょう。……次は、こいつだ」


「……や、や、めて……く……れ…………」


「……こいつも駄目だ。ほとんど枯れている。――新しい餌が必要ですね……」


 穂積は不穏な会話に我慢が出来ず、中を覗けるところがないか探した。

 板が張り付けられたような簡素な物置小屋なので、板と板の僅かな覗ける隙間を見つけて、顔をくっ付けた。板のざらついた感じが顔に密着して気持ち悪いが、それどころではない。

 中を覗くと昼間なのにとても薄暗く感じ、所々に蝋燭が置かれているなど不気味に感じる。生徒会の水森女史と尾崎女史が手に蝋燭の燭台を持って立っていた様子が穂積の目に入った。


 この物置は南側にドアがあり、水森女史達はドアを背に立っている。その視線の先には何故か街でうろついているようなヤンキーとかチンピラのような半グレっぽい男が3人いて、全員ぐったりして倒れていた。北側にいる穂積の覗いた先は、生徒会と不良が対峙している様をちょうど男側の背後から見ている構図だ。

 男達の顔がよく分からないが、体制を崩して顔がこちら向きになっている男だけは分かった。少し前に街で見かけたパンチパーマのやつだ。殴られた風には見えないがぐったりして、全身が弛緩しているように見える。


(――なんで、パンチのやろう、徳永花蓮なんかについていくから……、めちゃくちゃ酷い目にあってるじゃないかよ!)


 水森女史は燭台を側に置くと、小さい座布団のような台座に置いてあった鈍く光っている水晶体のような球体を大事そうに持ち上げた。


『――早く、早く精気を吸わせてくれ――……、どす黒い感情、嫉妬、負のエナジーを……』


(球が喋った!!!)

 穂積は悲鳴を上げそうになり、あわてて口を押えて声を飲み込んだ。


 水森女史は倒れているパンチの額に球体を近づけると、パンチは白目を剥いて、口から泡とともに大きな声で喚いた。


「――うわあああああああぁ――っ」


 錯乱しているようであり、恐怖を感じているようにも見える。


『ぅぅぅぅぅ……旨くない、虚無しか感じない……、他の餌は無いのか、活きの良い負のエナジーを集めろ、我の前に集めて平伏せよ』


 球体は水森女史の手を離れふわっと空間を浮遊し始めた。

 こんな奇怪な出来事に、水森、尾崎の両女史は微塵も驚かない。

 しかも二人の表情はまるで意思がなく操り人形に見える。


(――まさか、あの気味が悪いそのものが黒幕なのか――っ)


『まずい餌は始末しろおぉ……、手も足も落として、傀儡にして、捨ててしまえ……』


「――御意」


 水森女史はゆらっと動くと、脇に置いてあった斧を持ち上げた。


 穂積は動いた。

「このままでは、あいつらが死んでしまう!」

 急いで、入口に回って、ドアを勢いよく蹴り飛ばす。

 そのまま中に入り、水森女史の手にある斧を叩き落としてから、彼女に突進して突き飛ばした。すぐさま尾崎女史が穂積目掛けて飛びかかってきたのを咄嗟によけ、後ろから頸椎めがけて手を振り下ろす。穂積は何気に編入試験の武道特訓が生きており、彼女達二人は瞬く間に倒れ込んだ。


 穂積の動きはまだ止まらない。水森女史が落とした斧を拾うと、怪しい球体目掛けて叩き割ろうと振り上げた。この球体は絶対に始末しなければならないと、確信めいた強い思いが穂積を動かす。

 渾身の力を込めて振り下ろそうとしたとき――、

 ――――刹那、球体が強烈な照度で発光した。


 それは、目の前で白い爆発を起こしたみたいに強烈な光だった。

 光とともに『見つけたああぁ』と地獄の底から込み上げたようなしゃがれた声が、空間いっぱいに響いた。


(――まずい、目が……)

 強い光によって、くらんだ目の網膜には閃光と点滅する星が飛び交って見える。穂積は次第に意識を手放してしまった。



 *****



 同じ頃、学園でも急展開を見せ、犯人が判明した。


 デュークが様子のおかしい生徒を呼びつけ、片っ端から鎮静魔法をかけていく。恐ろしい事に30人以上もの生徒が洗脳されていて、気力を吸い取られていた。流石にデュークでも1日に鎮静魔法をかけるのは20人が限度だ。残り十数人と生徒会の面々は翌日に持ち越した。


 疲れた足取りで帰路についたデューク。鞄の中には、また、知らない間に何通もの手紙が入れられている。どれも生徒からの告白の手紙で、読まずに手の上の炎で燃やすのが日課だった。デュークは小さく溜息をついた。


(……疲れた、穂積に会いたいな……)


 自分でも気がつかなかったが、穂積のぶっきらぼうな感じが癒しになっているし、キャンキャンと怒っている姿が可愛く思う。むしろ、怒って欲しいなんて思い始めている自分はかなりMっけがあった事に我ながら驚いてしまう。


 この日の穂積と皐月は徳永邸の調査、稀星は入院中と、久しぶりにデューク一人の夜だった。隠れ家の自室でパンとチーズとワインだけという簡単な夕食を済ませると、研究室に向かう。

 研究室では、一際目立つ大きな魔法陣の上に一通の手紙が乗っていた。

 デュークはそれを拾って開封する。

 いつもの定期便の手紙だと思ったが、内容を確かめているうちに顔が青ざめ、心臓が早鐘のように鳴り響く。


「――――何てことだ……、穂積達が危険だ!!」


 手紙の内容は、ラドメフィール王国のユウキ宰相が行方不明という知らせだった。

 ユウキ宰相とは、宰相職でありながら魔術師団を牛耳り、国王の代わりに国を私物化して悪政を強いていた黒幕だ。以前、JK3人組にその悪政を叩き潰された過去がある。

 穂積がラドメフィール王国から日本へ戻るその直前まで穂積の命を狙ってきたくらいなので、穂積達JK3人組を相当恨んでいるといっても過言ではない。


 手紙には穂積が日本へ戻る時に使った魔法陣の術式を再発動した形跡があると書いてある。確かに魔術師団のトップに君臨していたユウキ宰相の魔力は強く、魔法の知識も深い。穂積を追うために穂積専用の魔法陣に乗ってこちら側へ渡ってきたかもしれない。

 しかし、他人の魔法陣を使って異世界に飛ぶことほど危険なものはなく、魔法陣の誤作動で意に反して異世界へ渡るならいざ知らず、そうでなければ、過去の例からしてもユウキ宰相の実体は失っている可能性が非常に高い。


 実体は失ってしまっても精神だけは残ることも考えられ、ラドメフィール王国から日本に無理やり渡ってきたユウキ宰相の執念からして、どんな災いがあるのか計り知れない。

 もし、セント・エターナル女子学院での問題がユウキ宰相によるものであったのなら、もし、ユウキ宰相が新たな実体を持つために生徒会を洗脳し、特に生徒会長の花蓮を依り代にして学園内に巣くっていったら――。


「――チッ」

 デュークは直ぐに転移魔法を使って、穂積の元へ急いだ。



 *****


「――何事ですか」

 花蓮は、男の悲鳴を聞いて駆け付けた。

 突然来訪してきた相川皐月を不可解に思いながら、このタイミングで何かを見られてしまえば今までの苦労は水の泡だ。

 球体は浮遊しながら花蓮に話しかけた。


『おお、白百合よ、我は大変満足している。獲物が飛び込んできた。こいつこそ我の最大の敵であり、最も殺したい敵である、100万回殺しても殺し足りないほど、憎き勇者ぞ』


 球体は花蓮を見つけると花蓮の手の中に収まった。


「――勇者ですか……」

 花蓮はぼんやりした目で、物置内で倒れている穂積を見た。奥の方には水森と尾崎の生徒会役員、そして更に奥には男3人それぞれ全員が倒れている。


『さあ、我を、勇者の額に当てるんだぁ。早く、早く、早くしろ白百合――、どう苦しませてやろうか、――こんな愉快なことは誠に久しぶりだ……』


 花蓮が足を一歩前に出そうとした時、


「徳永さん、何してるの!」

 皐月が血相を変えて呼び止めた。


「――――穂積っ!! どうしたの、穂積、大丈夫!!!」


 皐月は、悲鳴のような大声を上げ、倒れている大勢の中から穂積を見つけて駆け寄ったが、穂積から反応は無い。

 皐月が応接室のベランダから抜け出し、穂積の位置情報を頼りにこの物置に辿り着いたら、物置のドアはけ破られているし、中に入るとこの有り様だ。

 もっと早く来られればと、皐月は下唇を噛んだ。


「――相川さん」

 花蓮は皐月が飛び込んできたことに驚いたようだったが、相変わらず覇気が感じられない。


『おお――っ、もう一匹舞い込んできた。よいよい、よいぞおぉ』


 今まで何か事が起こる前は必ずと言っていいほど強い光が現れる。今も花蓮の手には鈍い光を放っている球体が握りしめられているのを皐月は見逃さない。

 皐月は履いていたサンダルをそっと両手に持ち、その時に備えて準備した。必ず光り出すだろうと予測していた皐月は、ゴム製のサンダルを見た時から、(これは、使える!)、雷だって通さないゴム製のものなら防御できるのではないかと考えていた。


 皐月の考えは的中し、球体は、目が眩むほどの強い光を発射したが、その瞬間うつ伏せになってサンダルで目を覆ったため、球体の光はゴムを遠さなかった。

 そして、そのまま皐月は攻撃の機会を見計らうため気絶したフリをする。何しろ体力担当の穂積と稀星に頼れないので、専ら頭脳担当の皐月は、絶好のタイミングで、持てる最大限の攻撃を仕掛けるしかない。

 球体の底冷えするような怪し気な笑い声は、皐月の耳にも届いた。


『――クックック、ウオオオオオォォ……早く、早く、我を勇者に近付けるのだ』


(――えっ、勇者って言った!? まさかラドメフィール王国の関係者なのか?)


 うつ伏せになりながらも皐月は驚きの声が出そうになった。もし、ラドメフィール王国の関係者なら自分達を恨んでいるのはユウキ宰相しかいない。皐月はそっと片目を開けて花蓮の様子を見た。

 花蓮は球体を穂積に近づけようとしている。だけど、もう一方の手で球体の手首を握りしめ阻止しようとしているようにも見える。一つの身体に二つの人格があるということで間違いないだろう。

(球体を身体につけられたら良くない事が起こる予感がする。花蓮の良心が必死で止めているのだから――)


 皐月は慎重にタイミングを伺った。

(落ち着け――っ、――まだまだ……、まだダメ、……もう少し……あと少し……)

 緊張で背中に冷や汗を感じる。

 穂積の額と球体の間は30センチになった、さらにどんどん差が縮まっていく。


「今だ!!!」


 皐月は勢いよく上体を起こすと、直ぐに球体に近寄り、ゴムのサンダルをラケットのようにして、花蓮の手の上から球体を思いっきり叩き落とした。

 パーンと小気味よい音が小屋に響く。

 皐月の意表を突いた行動により、球体は地面に叩きつけられてどこかへ転がっていった。


 近くに球体は見当たらなくなったのに徳永花蓮の制御は続いているらしく、ギギギと機械仕掛けの人形が振り返るような仕草で顔を向けた。その表情は、敵意が剥き出しで、かつ憎悪の目で皐月を睨みつけてくる。

 皐月はジリジリと一歩ずつ後ろに下がった。

 他人の憎悪にこれほどの恐怖を感じるなんて、感心すらしてしまう。彼女にここまで恨まれる謂れはないのに、どうしてと理不尽な思いが駆け巡る。


 一歩、また一歩――――とうとう壁際まで追い詰められた。


「徳永さん、目を覚まして!」


「……」


 無反応の花蓮を前に皐月は声が震え出した。


「私は、女性に壁ドンされる趣味はないから!!」


「……」 花蓮はただ無言で、皐月の首に手をかけた。


「――ヒッ」


 皐月は息を吞む。

 首に回された手にゆっくりと力が込められるのを感じる。

 人間って本当に恐怖を感じると声も出ないし、動くこともできない……、ただ無念な気持ちだけが残るんだと、またもや変な発見をして感心してしまうところが皐月らしい。


「……うっ、く、苦しい……しい……ぃ……」


 目がチカチカしてきて、指先が小さく震える。もう駄目だと観念しかけた時、横から強い衝撃波を受けた花蓮が、弾けるように一瞬で吹っ飛んだ。


「――ゲホゲホゲホ……」


 一気に呼吸が楽になり激しくむせてしまう。涙目になりながら、必死で目を凝らすとデュークが錫杖をもって現れた。


「――デュークさん、――良かった、助かったぁ……マジで死ぬかと思ったよ……」


「皐月、大丈夫か? 間に合って良かった。穂積は?」


「うん、あそこに倒れているけど、多分、命に別状はないと思う」


 デュークは皐月の無事を確認すると直ぐに穂積に駆け寄った。


「穂積、穂積、――穂積!!」 


 呼びかけに答えない穂積を前にして、周りを見ながら「チッ」と口を鳴らした。

 なぜなら、むせかえる程空気が淀んでいるのだ。

 デュークは呪文を唱えて錫杖を大きく振った。物置小屋の中に花火が上がったように一瞬明るくなると、清らかな風がサーっと吹き込み物置中の空気を一新させる。 

 デュークは小屋の中全体に鎮静魔法をかけた。


「ここは、邪悪な気配が立ち込め過ぎている」


 魔法が行き渡ったのを確認して、デュークは錫杖をしまった。

 皐月は、さっきまで異常にだるかった気分がスッキリして身体が軽くなったように感じられる。自分はコントロールされていないと思っていたけど、何かしらの邪気にあてられていたんだ。

 デュークが横たわっている穂積を抱えると、「皐月、帰るぞ」とさっさと前を歩き出した。


「あ、うん」


 皐月はデュークの背中を追いながら、物置小屋の中を振り返った。

 倒れていた人達がデュークの鎮静魔法により解毒され、動き出しているのが見えたので安堵した。これで暗示や操りも消滅するだろう。花蓮のことは生徒会にお任せするとして、一刻も早く帰りたいデュークを見失わないように、急いで後を追った。


 あと気がかりなのは、あの球体だ。皐月がサンダルで殴って以来、見えなくなっている。そんな簡単に消滅するわけが無いと思うので、いつまた、ひょっこり出てくるかと思ったら、背筋が凍る思いがする。

 しかも今回の一件で明確にラドメフィール王国絡みと判明した。

 事態を早く収拾しなければ、この日本が途轍もない恐怖に見舞われる可能性があるかもしれない。何しろ相手は、日本での常識がまったく通用しない異世界からの侵入者なのだから。


 すっかり夕方になってしまい、皐月は赤く染まる空を見上げた。

 終末予言を残す宗教家たちは、こんな血のように赤く染まった雲が浮かぶ空を見上げて、この世の行く末を案じたのかもしれない。


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