第18話 暗黒の生徒会
『妬み、嫉み、恨み、羨み、辛み、僻み、やっかみ、……、人間の負の感情とはなんと美味しいものであろうか』
徳永花蓮は生徒会室に隣接する和室で、生徒会の面々と生徒十数名を前にして上座に座っている。花蓮は別名白百合の上と呼ばれており、生徒会室にいるときは制服の上に何枚か重ねた絹の袿を羽織り、さながら平安時代の女御様風情で生徒会のメンバーにかしずかれていた。白を基調にした氷の重ねは白百合の名に相応しくもあり、彼女自身のクールさを強調させるものでもある。
花蓮の横で水森書記が名前を読み上げており、呼ばれた者は花蓮の前に出てくる。花蓮の前で正座をさせられると、花蓮は丸い水晶体のような球体を女生徒のおでこに付けた。
「――う、うううううっ、あ、あああああぁ……ぁ……」
球体は鈍く怪しく煌めきながら、若き精気を吸い上げる。吸われた生徒は白目を剥き、絶叫を上げたのちパタリと気を失った。花蓮の前で倒れた生徒は、生徒会のメンバーに直ちに回収されて他の部屋へ連れて行かれる。
「次、久保さやかさん前へ」
名前を呼ばれた久保さやかは、小刻みに震えていた。
「――早く、前へ!」
「……いっ、嫌です。私は嫌です! 怖い! 退出させて下さい」
水森は眼鏡の位置を人差し指で直すと、手元のノートを確認して眉をひそめた。
「なるほど。あなたは今日が初めてなんですね。それならば、負の感情を一杯蓄積しているはずでしょう。くっくっく……っ。久保さやかさん、怖い事は全くなく、むしろエクスタシーを感じられる体験です。さあ、前へ」
「嫌、嫌です、――嫌、嫌、嫌!!」
久保さやかは必死で抵抗するものの、生徒会のメンバーに両脇をがっちりと掴まれ、ずるずると引きずられるように花蓮の前へ出された。
彼女が、今、脳裏に浮かんでいる言葉は「後悔先に立たず」という言葉だ。
(一体どうして――、こんな集まりにきてしまうなんて……っ)
さやかは下唇をぎゅっと噛んだ。
何故さやかが、今この場所にいるのかというと、きっかけはちょっとした嫉妬だった。
これまで学園では稀星の相手はいつも自分が一番で、御門サロンにもよく御呼ばれしていた。それなのに、6月に入って、稀星の親友とか言われる二方が編入してきてからというもの状況が一変してしまう。
(少し不良っぽい雰囲気を持つ穂積さんは薔薇組、髪色を明るく脱色しているくせに編入試験が満点だったと言われている皐月さんは椿組。そして櫻組の稀星様と自分)
クラスが異なる3人だけど、お昼休みや放課後など時間があれば穂積、皐月、稀星は常に集まっている。
(――それに……)
稀星がスカウトしてきた英語のデューク先生だが、同時期に入ってきたのに、3人とよく親し気に話している様子を目にする。まるでずっと前からの知り合いのように。それにも違和感を感じていた。
(稀星様は、お背が小さくて、ふわふわのヘアスタイルも素敵でとても可愛らしい憧れの令嬢であり、一方で剣術を学ばれるなど勇ましい一面もあって、わたくしにとっては、とても大好きで大切な方。……――それなのに、どうして急に現れた面々にわたくしの大切な稀星様を奪われなければならないの……)
さやかだって、初めは稀星に穂積と皐月を紹介してもらって、自分もお友達になれるかと期待していた。
穂積達が編入してまもない頃、授業の間の休み時間に穂積と皐月は呼ばれて稀星のクラスに行った。
「穂積、皐月、こちらに来てください。わたくしの友人をご紹介しますわ」
「こちら、久保さやかさん、学園で一番のわたくしの仲良しさんです」
稀星からの紹介のされ方は、さやかにとって承認欲求を満たすもので、とても満足した。
「こんにちは! 穂積と呼んでくれ」
穂積は普段どおり飾り気なしの調子で、元気いっぱいに挨拶した。
――――が、さやかの目にはとても下品に映った。
(なんなの、この人。我が校の制服を着崩すなんて、品が無さ過ぎますわ。胸のリボンを結ばないで首にひっかけているなんて、この学園で、こんな人見た事ないです……それに、となりの方も……なんて、なんて無愛想で……)
「よろしく、相川皐月です……」
もう一方の皐月は、さやかと全く目を合わせようとせずに横を向いていた。
「――ど、どうぞよろしくお願いいたします。仲良くしてくださいませね」
顔に引きつった感じが見られたかもしれないが、さやかはできるだけ愛想よく挨拶した。
いつもなら、淑女らしからぬ行動をとった人がいたら稀星は諫める方なのに、穂積と皐月の品性下劣の振舞いに関しては、これっぽっちも指摘しないのにも正直、癪に障った。
しかも、さやかを前にしても3人のペースは崩さない。
「ところで、稀星、昨日の隠れ家での話しの続きだけど……」
「皐月、その件なら調達済みでして……」
「――稀星、腹減ったなぁ」
「穂積、あと1時限ありますから我慢して下さい」
「我慢できないよぉ……、あ、デュークだ。お――い、デューク――!」
「ちょっと、穂積、デューク先生でしょう!!」
「……やれやれ」 皐月は首を横に振っている。
テンポ良く交わされる会話に茫然とするさやかは、ワチャワチャして楽しそうで、自分の入り込める余地は一ミリも無いように感じる。それでもさやかは勇気を振り絞って、声をかけた。
「――あっ、あのぉ……、稀星様、良かったらお近づきのしるしに、皆さんと一緒にランチすることは可能で、しょう、か?……」
3人の全く聞こえていない様子に、さやかは意気消沈して声がどんどん尻すぼみしていく。
「ん? さやかさん、何か言われましたか?? ごめんなさいね。本当にうるさくて。穂積、少し静かにして下さい!……全く、穂積ときたら他の方のお話しが全然聞こえないではないですか……」
「――――いっ、いえ、特に何も……、ござい、ま、せ、ん…………」
さやかはこの日を境に心が波立ち騒いで落ち着かなくなる。稀星達3人を直視すると胸にチリチリと痛みを感じ胸元を押さえた。
今まで自分は、当然のように稀星の一番の友人だと信じて疑わなかった。
でも、3人が話している様子をみると心底打ち解けている感じがして、たとえ乱暴なことを言ったって軽蔑されることはない、否定もされないといった安心感や揺るぎない信頼関係まで垣間見えてくる。
さやかは思い起こした。そういえば、自分を紹介する時に稀星はこう言ったんだ。
『学園で一番の仲良しさん』と、『学園』でと!! そう言われて呑気に喜んでいる自分はなんて浅はかなのだ。
(――――わたくしはちっとも稀星様の一番ではなかった……バカみたい……)
さやかは目に絶望の色を乗せ、ふらふらとした足取りで教室の自席に戻った。
「久保さん?」
ショックを受けたさやかは、自席で項垂れていた。そんな様子を見たのか、同じクラスの生徒会役員がさやかに声をかけた。
生徒会とは消沈しているクラスメイトの面倒までみなければならないなんて大変ですねと、やさぐれた気持ちで視線を向けた。
一方の生徒会役員で庶務担当の尾崎女史は、さやかに対して聖母のような慈愛の眼差しをくれる。
瞬間的に尾崎女史の笑顔にホッとしている自分がいた。
「久保さん、泣きそうなお顔をされてどうしたのですか?」
「少し、嫌な事というか、ショックな出来事がありまして……」
「まぁ、それはいけませんわね……。そんなときは、辛い気持ちを全部吐き出してすっきりされることをお勧めしますわ」
さやかは明るく穏やかに話してくれる尾崎女史のお陰で少しだけ笑みが戻った。
「久保さん、良かったら生徒会主催の集会がありますの。白百合の上様とも仲良くなれますし、憂さ晴らしにもなりますから是非、お出で下さいな」
「尾崎さん、有難うございます。でも、わたくしなんて、今まで生徒会活動に何もお役に立てたことはございませんから、分不相応なのではないでしょうか」
「いえ、そこは全く大丈夫です。ご安心下さい。沢山の生徒が参加しますから、きっと楽しいですよ。もし、差し支えなければ伺いたいのですが、久保さんのお悩みはどういったものですか?」
さやかは言おうかどうしようか迷ったが、敢えて言いたくなった。
「――わたくしは真の友人が欲しいのです。親友と呼べる人が……」
尾崎女史はさやかの妬みや嫉みのような感情を汲み取り、ニヤリと口角を上げた。
「それなら、もってこいの集会です。同じように、悩みを抱える生徒が沢山来ますから、みんなとお話ししてすっきりして下さい。きっと、その中で気の合う生徒もおりましょう」
さやかは尾崎女史の提案に魅力を感じた。基本この学園の生徒はお嬢様なので、パーティーなどに慣れており、色々な場所に参加すること自体に抵抗は感じない。
さやかは生徒会主催の集会に参加することに決めた。
きっと、尾崎女史の優し気な雰囲気に絆されていたのだと思った。
「久保さん」
「久保さやかさん!!」
「さあ、観念して下さい」
さやかは余りの恐怖に意識を飛ばしていたが、しっかり目を開けると、ここは生徒会主催の集会で、とても怪しい集会で、生徒会長の前に引きずり出されてる途中であった。
黒魔術の集会かと思わせるほど普通ではない。いや、
「――サバト」と呼んだ方が近いかもしれない。魔女や悪魔が開く秘密の集会。
生徒会のメンバーが6名に、その他女生徒が10数名。上座に座っている生徒会長の前に順番に出ると、水晶体のような謎の球体をおでこに当てられ、それを当てられた途端に喚き出し、苦しそうに喘ぎ、最後は失神する。
恐ろしい光景に、とてもじゃないけど自分はごめんだとさやかは抵抗したが、とうとう生徒会長の前に正座させられてしまった。
生徒会長の表情もいつもとは異なり普通じゃなかった。同じ高等部2年だから、顔を合わせる機会も多く、稀星と好敵手のような立場の徳永花蓮は、さやかもよく知っている人物だ。
しなやかに強く凛とした女性。その瞳にはいつも好奇心が溢れ、生徒会長だけに色々なアイデアを豊富に持っていて、学園の行事を任されていた。
今、さやかを見つめる瞳は好奇心に溢れていた花蓮のものではなく、赤と黒がドロリと混ざった光の無い陰湿な目なのだ。
「花蓮様、目を覚まして下さい!」
思わずさやかは呼びかけた。
「いつものあなた様ではないです。何ですか、この集会は! この怪しい球体は一体何なのですか! 花蓮様!!」
水森書記は眉をひそめて、口を開きかけたが、すっと上がった花蓮の手が制止を意味していた。
花蓮の声はいつも以上に低く、冷気さえも含んでいるように冷たい。
「久保さやかさん、あなたがここにいるということは、何か辛いことがあったのでしょう?」
さやかはドキッとして目を伏せた。
「妬み、嫉み、恨み、羨み、辛み、僻み、やっかみ、……、人間の負の感情とはなんとも美味しい栄養なのか……。負の感情は時として、大きなエネルギーになるもの。さやかさん、その感情をこちらに渡しなさい。そうすれば、あなたはずっと楽になれますから、苦しみから解放され、何も悩まなくなる。そして、今までが嘘のように素晴らしい生活が遅れますから、心配しなくても大丈夫です」
「何それ……、そんな、お人形みたいになんて、嫌……っ――――なり、た、くない……」
花蓮の暗示にかけるような一本調子の口調と低い声色により、さやかは徐々にトランス状態に陥っていく。
「さあ、楽にして、わたくしを信じて、目を閉じて……」
さやかの完全に落ちた様子を確認し、花蓮はさやかのおでこに球体を当てた。
『ウオオオオオ……』
底冷えのするような気味の悪い声が球体から響く。
『オオオオォ――、旨い、旨いぞ。最近では一番旨い嫉妬、やっかみ、負の感情だ』
球体はふわふわと浮かび上がり、強い光を放った。
『使い魔と化した生徒達、もっと、もっと負の感情を、もっと、もっと、もっと精気を集めて我に与えよ。我こそは偉大な魔法使いであり、己の力が満ちた暁には、かのルシファーをも凌駕する存在になろうぞ……』
一堂は虚ろ目をして、球体にひれ伏した。
球体の隣で静かに正座している徳永花蓮の頬に一筋の涙が伝って落ちた。
*****
セント・エターナル女子学院の朝は高級車の展示会のようだ。なぜなら、お嬢様方を送る車が列をなして連なり、校門の車寄せは大渋滞になるからだ。
毎度のことながら、電車と徒歩で通学している少数派の穂積と皐月は毎朝の光景にうんざりする。校門までの道のりを2人で喋りながらブラブラ登校するのに慣れてきた頃だが、お金持ちの生活習慣には中々慣れない。このうっとおしい車の列も、電気自動車やハイブリット自動車がほとんどなので、空気が汚れないだけが、唯一の救いだ。
「今朝も車がすごいなぁ。知らなかったけど、お金持ちって沢山いるんだなぁ」
穂積は後ろ手にカバンを持ちながら、車列を見渡した。
「稀星だって、かなりのセレブでしょう」
「そうだけどさぁ、稀星はお金持ちをひけらかさないっていうか、普通に付き合えるからさ。この学園は庶民からすれば別世界だよ。見栄の張り合いや嫌味の応酬、お嬢様達はマジで性格悪くて、人を家柄で判断する。こんな世界があるなんて知らなかったなぁ」
「確かに、普通とかけ離れた雰囲気があるね。何一つ不自由なんてない生活のはずなのに嫉妬が凄く多い。人間の欲って無限大なのかな。ある意味恐ろしいかも……」
皐月は呆れたように感心している。
「それにこの学園は実際に世間から隔離されている。だからこそ、外からは見えにくくて、余計に浮世離れしてくるし、外からもそう見えるのかもね」
穂積は納得した顔で頷いた。
「ところでさ、皐月、クラスに変わったことあった?」
「ううん、何人か元気の無さそうな生徒はいるけど、今のところ特にって感じ。様子見かなぁ」
「自分の薔薇組は、生徒会長が一番怪しいんだよね。ボーっとしているかと思えば、突然牙を向いてくる。何重人格かって感じだよ。だから少し生徒会長をマークしようと思うんだ」
「――何重人格って、どういう意味? 他の人格を持っているか、何か憑いているかってこと? 確かにいい着眼点かもしれない。例の『助けて』のメモの件もあるし、何かおかしいことがあったら共有してよ、お昼にまた相談しよう」
「分かった。ああ、――それにしてもやっと校舎だよ。一体、校門から何分かかるんだよ」
「10分かな」
皐月は平然と事実を言っただけだが、穂積は何度目かのうんざり顔で、せっかく結んであった胸のリボンを雑に外して胸元から冷気を取り込んだ。
*****
球体に精気を吸われた生徒は、負の感情だけではなく、気力、体力、希望までもが同時に奪われる。そのため、集会後の数日間は倒れる生徒が続出する。中には、吸引された時の恐怖が突然フラッシュバックして、パニックになり、一人をきっかけにして集団ヒステリーが発生してしまうことさえあった。
特に、久保さやかの参加した集会の翌日は酷いものだった。
今までで一番大規模な集会だっただけに穂積や皐月のクラスでも様子がいつもと違ってどんよりと俯いている生徒が多数いた。櫻組のさやかも顔を上にあげていられないほどの気怠さを感じ、何とか登校したもののずっと俯いていた。
「さやかさん、おはようございます。今日も素敵な一日になりそうですわね」
稀星はいつもと同じ挨拶をさやかに向けた。
しかし、いつもなら元気に挨拶を返してくれるはずのさやかの様子がおかしい。
「さやかさん、体調がお悪いのですか?」
さやかは黙ったままだった。最初に起こった集団ヒステリーの後の花蓮と様子がほぼ同じ気がして、稀星は無性に嫌な予感がした。不安からか鼓動が速まってくるし、なんだか吐き気までする。
周りを見渡せば、明らかにいつもより元気のない生徒が多い。昨日、何かあったのかもしれないと、他のクラスの様子を確認しようと席を立ちあがったその時、行き成り目が眩むほどの強い光を感じた。
それは、ピカッと稲光のようであり、何かが爆発したようでもあり、クラス中を覆うような大きな光であった。
稀星は反射的に閉じた瞼をそっと開けてみると、久保さやかが隣に立っていたことに驚いて、咄嗟に身体を固くしてしまう。
「――――稀星様は、わたくしが側に来るのもお嫌なのですね。わたくしはもはや用済みなのでしょうか。稀星さまの親友の方々が編入されたので、わたくしは切り捨てられるのですね……」
「さやかさん、――何をいっているのですか? 意味が分かりません」
さやかは初めこそは静かな語り口調であったが、自らが語る内容により、感情が込められてどんどんヒートアップしていく。
「――稀星様は、わたくしにはあの方達のように本音でお話してはくれません。秘密も共有して下さいません。わたくしは稀星様のことが大好きで、憧れていて、尊敬していて、本当に大好きなのに、わたくしと同じ想いを返してはくれません!!」
稀星はさやかの様子にただ驚くばかりで、言葉を発せなかった。
いつもきれいに結んでいるさやかの髪の毛は、櫛さえも通していないぼさぼさで登校していて、彼女が普通でないことを物語っている。しかも、顔面蒼白にもかかわらず、目だけは赤く血走っており、その視線は稀星を掴んで離さない。
「稀星様が憎い、好きだけど憎い、憎い、憎い、憎い、憎い……。稀星様、知っていましたか? わたくしは、穂積さんと皐月さんが来てからは、ずっと寂しかったことを。そして、穂積さんと皐月さんなんか死ねばいいんだって、ずっと思っていたことを!!」
稀星の目頭が熱くなり、涙が溢れてきた。
そして、気が付けば、さやかの頬を思いっきり平手打ちしていた。
パーーンと乾いた音が教室に響き、打たれたさやかは目を見開いた。
「――――さやかさん、わたくしは貴方を大切な友人だと思っていましたよ。穂積や皐月も同じくらい大切な友人です。友人に優劣や順位なんて付けられません」
稀星はさやかにこんなにも想われていたことを知り大きなショックを受けた。そして、自分の配慮が足りないばかりに、他者を死ねばいいなどとまで思わせてしまったことが、ただ悲しくて、さやかを思いやれなかった自分が情けなくて、どういえば自分の気持ちがさやかに正しく伝わるのか分からなくなる。
「うそ、うそよ。わたくしに対する態度と編入した二人への態度は、明らかに違いますから!」
「そう見えたのであれば、わたくしの罪です。わたくしは、もし、さやかさんに危険があれば、火の中だって助けに参りますわ……」
「――そんな、でも、わたくしの想い以上に稀星様からは想っていただいていません」
稀星はゆっくりと首を横に振った。
「人の想いなんて、誰がどうやって量るのかしら。わたくしは貴方の事を大切に想っています」
「――――うそよ、うそ、うそ、憎い、いや、大好きで、嫌、うそ、嫌い、憎い、好き……」
さやかはバグったコンピュータのように支離滅裂の言葉が溢れ、次第に瞳がぐるぐると揺れ始めた。
櫻組の騒動に周りのクラスからも人が集まってきた。
皐月は早々に駆け付けており、稀星とさやかが言い争っている様子を一部始終聞いていたが、内容からして皐月が踏み込むべき問題ではないと考えて遠くから見守っていたのだ。
そして、この騒動のきっかけとなった強烈な光を発した張本人は、教室の入口で涼しい顔をして立っているのを、穂積はずっと厳しい目つきで睨みつけている。
生徒会長をずっとマークしていた穂積は、光を発した球体をそっとブレザーのポケットにしまった様子をはっきりとこの目で確認した。
「穂積、皐月、来てください!!」
稀星は、二人が側にいることを知っているように大声で呼びかけた。
「稀星、大丈夫か?」
阿吽の呼吸とは正にこの事。穂積と皐月は直ぐに姿を見せた。
「穂積、わたくしは大丈夫ですが、さやかさんがパニックになっています。お願い、デュークさんを呼んでください」
「分かった」二つ返事で穂積は急いで教室を出ていく。
「皐月は倒れた人の介抱をお願いします。強烈な光が発せられたあと、クラスの数人が倒れました」
「オッケー、救急車呼ぶ?」
「いえ、何かショックを受けただけなので、和室で休んでもらいます」稀星は大声を出した。「クラスで動ける方は、倒れた方を移動させるお手伝いしてください。先生も呼んで下さい!!」
稀星はテキパキと指示を出した。
まもなくデュークがやってきて、直ぐにさやかを抱えて運び出した。さやかは身体がびくびく痙攣しており、意識が全くない。穂積はデュークに同行して、さやかを保健室のベッドに寝かせることにした。
保健室に幸い先客はなく、校医もこの騒動で出払っていたので、デュークは早々に治療を始めた。手から煌めく宝玉が収まる錫杖を顕現させると、呪文を口上し、光の粉をさやかの額にかける。すると、さやかは、眉間に寄っていた皺がほどけ、荒かった呼吸が規則正しい穏やかなものに変化した。
「デューク、さやかさんの容体はどうなんだろうか」
「いま、鎮静魔法をかけたから、もう大丈夫だろう。――それにしても、もう少し調べてみるが、彼女からは魔力が感じられる。しかも、この気配は前に国で感じたものと似ている気がする……」
「え? まさか、ラドメフィール王国の関係者が関与しているとか!?」
「――分からない、が、可能性は無いとは言えない……」
「…………」
一拍の沈黙の後、ガラっと勢いよく保健室の引き戸が開けられた。
「すみません、少しよろしいですか――」
生徒会書記の水森女史、庶務の尾崎女史他役員の面々と生徒会に出入りしている数名の生徒が押しかけて来た。
「突然、何だよ。保健室には病人がいるんだぞ!」
穂積はいきり立った。穂積の怒りなど全くスルーして無感情の眼差しの尾崎女史は、すっと一方向を指をさした。指さした先のカーテンの向こうには、さやかが横になっている。
「久保さやかさんは、生徒会で回収しますので、引き渡して下さい」
「はあ?」
穂積の眉間に青筋が立つ。穂積は生徒会のメンバーを睨みつけた。
「物じゃあるまいし、回収とはどういったことですかね? 皆さん、ちょっと、まずは、部屋から出ましょうか――っ」
「我々は、久保さんを回収するまでは部屋から出ません」
そう水森書記が言い切った、直後のこと。
穂積は近くにあった机の側に移動すると、拳を垂直にテーブルへ叩き込んだ。
会議用の足が折りたためる長方形の机は天板がぶち抜かれ、バキっと大きな音とともに見事に2つ折りになる。生徒会の面々は息をのんだ。
「あんた達、病人の前で騒ぐのもいい加減にしろよ。こちとら気が立っているんだ。お嬢様だからって一切手加減はしねぇからな」
穂積は威嚇するように生徒会役員の前で両手の拳をボキボキと鳴らし見せつけた。
元々の土台が違うのだ。不良どもと喧嘩してきた百戦錬磨の穂積と令嬢達では戦う前から勝敗が目に見えている。しかも、深層の令嬢は、穂積のようなタイプには嫌悪感を持つのが一般的であり、穂積の暴力的な振舞いを前に委縮している。
生徒会役員達は顔を見合わせると、「白百合の上様に指示を仰ぎましょう」と誰かが言ったのをきっかけに、そそくさと退散していった。
「――――穂積……」
カーテンが開けられる音とともに、さやかに付き添っていたデュークが姿を見せた。そして、ぽつりと一言「一番、騒がしいのは穂積だな……」と、溜息をついた。
「す、すまない……。それと、この机だけど、元に戻せるか?」
「これも貸しだぞ」
デュークは瞬く間に机を元に戻してみせた。
一体、デュークに今までの分を含めどのくらい貸しがあるのか、そして見返りに何を要求されるのかと戦々恐々としてしまう。穂積が、値引き交渉をしようと考えていたら、次第に誰かが駆けてくる足音が聞こえてきた。
(また生徒会の奴らか?)
穂積は腕を組んで待ち構えていると、再びガラっと勢いよく開けられた引き戸からは、珍しく血相を変えた皐月が飛び込んできた。
「大変だよ! 稀星が倒れた!!」
耳を疑うような思いもよらない知らせに、穂積とデュークは目を見合わせた。
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