第5話 王都メルト

 ユウジーン王立学園から王都メルトまでは馬車で40分くらいの道のりだった。

 デュークは転移魔法の使い手なので、自分だけなら瞬時に王都へ移動できるのだろうが、穂積を伴っては無理なため、馬車を利用する時点で朝からちょっとした小旅行気分になる。


 穂積は馬車の向かい側の席で目を閉じて眠っている(?)デュークをじっと見つめた。初めて会った時も思ったが、ゾクリとする色気がある美丈夫である。


 今朝、穂積が顔を洗って1階に降りると、既に朝食が用意されており皐月と稀星が紅茶を片手に談笑していた。穂積が席につくと、なんとこの朝食はデュークが作ってくれたものというから驚いた。スクランブルエッグにソーセージを焼いたもの、後はサラダくらいの簡単なものであるが、穂積が作るよりずっと完成度が高いし、何より卵の半熟具合など最高に旨い。

 デュークは俺様タイプなのに、意外と女子力も高くて、色々な引き出しがあることに驚かされる。


(国の上級魔術師で、召喚士でもあって、転移魔法と医療系の魔術が得意と言っていたような……)


 穂積にとっては『迷惑な男』の一言に尽きるが、まだまだ色んな顔があるのではないかとついつい訝って観察してしまう。


「穂積、俺の顔が気に入ったのか?」


 デュークが片目を開けた。眠っていると思っていたから不躾にジロジロ見ていたため、大変にばつが悪い。

 穂積は首を左右にブンブン振り、『まさか』と目で訴えると、デュークが被っていたローブのフードを目が隠れるまでグイっと引き下げてやった。何か声を発するとてんぱりそうだったので、無言の否定である。

 デュークは、大勢がいる時は自分の事を『私』と言うくせに、穂積に対しては『俺』と一人称を変える。それだけでも妙にイラつきを覚えるのだから、つくづく相性が悪いのだと思う。


 王都に入るまでは悪路なので、車酔いしそうな振動があり時々激しく身体が上下する。土煙が舞い上がり車窓からの視界も悪い。穂積は到着するまでひと眠りすることにして、自分もローブのフードを目深に被った。

 フードの隙間から自分の足元が見える。なめし革の魔術師見習いが履くブーツを借りて履いているため違う人の足みたいだ。今日の装いだっていつもの穂積とは違う。襟が詰まった紺色のシンプルなワンピースにデュークと同じタイプのローブを纏っている。

 昨日食堂で実感済みだが、何といってもローブは性別を隠せるのだ。ただし、スカートの裾がローブから出たら女性と判別されてしまうので、敢えて、膝丈のワンピースにするなど、なるべく市民に同化できるように準備万端にしている。

 ブーツを眺めているうちに、馬車の揺れも手伝って穂積はウトウトと眠ってしまった。



「おい、着いたぞ」


「……」


「穂積、おい、起きろ」


「……むにゃむにゃ……、……へっ!?」


 デュークに肩を揺らされて突然覚醒したから何事があったかと驚いた。自分が思ったより深く眠ってしまったようだ。

 デュークの顔があまりにも近くにあり反射的に身を固くしてしまう。


「穂積、よだれ……」


「……、うっ――!」

 指摘されて、慌てて口元を拭う穂積。


 追い立てられるように馬車から降りろとデュークに促されて、ブツブツ文句を言いながら外にでると、


「うわあぁ……」


 気分が一転した。


 硬派の穂積であっても歓声が口から零れてしまうほど、目の前に広がるのは可愛らしい街なのだ。

 まず目に飛び込んできたのは立派な噴水だった。穂積が前にテレビで見たフランスのコンコルド広場によく似ている。この噴水を取り巻くように放射状に建物が配置されており、ここが街の中心だとデュークが教えてくれた。

 これが王都メルト。

 絵本やお伽林の世界というのはこんな場所なのかもしれないと穂積は思った。

 デュークと少し歩いてみると、石畳の道に沿ってレンガや丸太で作られた建物が並んでいる。屋根の色はカラフルで、黄色、赤、みどり、青など色分けされてとても綺麗。デュークによると建物の用途別に屋根の色が違うとのことだった。例えばお店は黄色か緑。住居は青、赤やオレンジは警察や役所、学校などの国の所有施設らしい。


 通りは賑わっており、ローブを被った人、又は男性とすぐ分かる人達が忙し気に歩いていた。ステッキを片手に持って三つ揃いのスーツを着ている紳士や、紳士に伴ってドレスを着た淑女も見かけたが、女性の数は圧倒的に少ない。稀に見る女性は、全員が揃って足首が見えないほど丈の長いスカートをはいており、つばが広く花やリボンで飾りを付けた帽子を被っているところなど貴族階級のお姫様なのだろう。


 デュークは自分のフードを外して辺りを見回した。


「そうか、今日は市場が立つ日だから、いつもより賑わっているみたいだな」


「へぇー」


 真似して穂積もフードを外そうとしたが、デュークにダメだと言われて更に深く被される。それでなくとも『お上りさん』とバレてしまうほど、穂積がキョロキョロしているから、デュークは気が抜けない。心が浮き立っている様子の穂積を時々肘で小突いて注意した。


 噴水の広場から一本横道に入ると市場があった。細い道の両側に露店が並び、真ん中の通路は買い物客でごった返している。まるで日本の縁日みたいだと穂積は思った。露店には肉や魚、野菜や果物などの生鮮品が中心に売られている。穂積が何気なく手に取ったリンゴはつやつやして真っ赤でとても新鮮だ。


(――そういえば、皐月が昨日美味しそうに齧りついていたな)


 ラドメフィール王国は魔力を使って作物の最適環境を人工的に作り出しているため、食料は全て国内で生産できており、いつでも旬の美味しさを味わえるように5毛作~12毛作農業などが普通らしい。


 穂積が品物から買い物客に目を移せば、ローブ姿の人が多くて分かりにくいのだが、小柄な人が多く女性客が一定数いるように見えた。

 台所を預かるのは主に女性の仕事だから、そのせいだろう。

 ちなみに今朝、デュークが料理して朝食を準備してくれたが、この国では信じられない珍事に分類されることだと後から聞いた。

 穂積達の世界では男性が料理することは普通だけど、この国では異常なのだ。

 何につけてもお互いの常識が大きく異なっていて、歩み寄るのに多くの時間と根気が必要になる。


 しばらく市場の通りを歩いていたら、穂積はさっきから違和感があったことに気が付く。何に対して変なのか分からないでいると、横からデュークが呟いた。


「今日は売り子に女性がいないな……」


 穂積がポンと手を打った。


「そうか、違和感があると思っていたら、売っている側に女性がいないんだ。いつもそうなのか?」


「嫌、いつもは半分くらい女性だったと記憶しているが」


 そう言うとデュークは、フレッシュジュースを販売している露店に近づいた。


「ミックスジュースを2つもらおう」


「ああ、魔術師の旦那、いつもお世話になっています」


 露店の店主はデュークと顔見知りだった。

 店主は魔力で力を強化した手で専用の絞り器を使ってリンゴやオレンジ、イチゴなどのフルーツをぎゅっと絞り、手際よく冷えたグラスに注いでデュークに渡す。

 グラスを受け取ったデュークは一つを穂積に渡し、自分も一口飲んだ。

 赤身かかったオレンジ色のとろみのあるジュースを一口飲むと、今まで味わったことのない美味しさに穂積は目を輝かせて一気に飲み干した。

 デュークはそんな穂積に苦笑しながらグラスを受け取り、店主に戻す。


「今日、奥さんは来ていないのか?」


「えっ? ――……ええ、……家の奥は……、その、家の仕事をしていますから……」


「――そうか。今日は女性が売り子に全然立っていないから……どうしたのかと思っただけだ」


 明らかに店主が動揺して、落ち着きを失っているのが見て取れる。

 穂積も気になり(もっと、深く聞けよ)と言わんばかりにデュークのローブをクイクイと引っ張っていたら、不意に後ろから男性に声をかけられた。

 

「珍しいな、デューク・ウルフェンじゃないか」


 デュークは相手を確認すると同時に鼻筋に皺を寄せた。


「ユウキ宰相閣下」


 デュークは瞬時に自身の胸に手をあて、礼の姿勢を取る。

 宰相は目つきの鋭い護衛の魔術師を2人連れて、人込みからいきなり現れた。

 デュークは護衛の1人と目を合わせたが、直ぐに視線を外した。もう一人の護衛は厳しい顔で常に周りに注意を向けていた。


(この人がユウキ宰相か……) 

 穂積はローブのフードを目深に被り、慎重に宰相を伺った。


 身長は穂積よりやや低く恰幅がよい。初老を感じさせる白髪の割合が多い髪の毛を後ろで一括りにまとめているところなど、音楽室に飾られている有名な作曲家に似ていると穂積は思った。

 先日会ったヘンリー殿下と同じような金糸で刺繍の入った豪華なベストを着ており、同じく刺繍の入った重たそうなマントを纏っている。口元などはミランダ姫とよく似ているが、見詰められると背筋が冷たくなるような冷笑をおびた目元などは、ミランダ姫の人懐っこい瞳とは全く違うものだ。穂積は無意識にデュークの後ろにさっと隠れた。

 

 ユウキ宰相は月に2回開かれる市場の視察に来ていた。最近、売り子として女性が店に立つことが多く、それを取り締まるためとの事だった。少し前はここまで取り締まることはなかったが、魔女カミーラがクーデターを起こし、騎士団を掌握した時から、宰相は女性が表立って目立つことを禁じた。騎士団の持っていた警邏や逮捕権なども、宰相の権限で魔術師団に移した。宰相は魔女カミーラを潰そうと躍起になっているいため、とにかく女性が前に出て活動することを厳しく禁じ、女性は家の奥に引きこもり奥の仕事に徹するように御触書を出した。


「ウルフェン、一緒の方はどなたかな?」


 宰相の値踏みするような、一方でつき刺すような視線が穂積を捕らえる。

 ゴクリと生唾を飲み込む穂積。女性だとバレると大変面倒なことになるだろう。


「ユウジーン王立学園の新しい生徒です。田舎から出てきたばかりなので今日は不足のものを買い足す事と見物を兼ねてこちらへ……」

 

「おい、見習い宰相閣下に挨拶しろ」


 宰相の護衛の一人が穂積に怒鳴った。

 とっさに穂積はデュークの真似をして礼の姿勢を取ってみせる。声は一切発しなかった。


「まあ、よい。まだ見習いだ」

 宰相は礼の姿勢を取ったことで満足したわけではないだろうが、宰相の関心は別にあったから、穂積への注意は簡単に逸れた。


「それよりウルフェン、昨日召喚した勇者はどうしている?」

 宰相は周りに聞かれないように、こそっとデュークに耳打ちした。


「はい、昨日の今日なので、この世界のことを説明しているところです」


「うむ。くれぐれもこちらの意図に沿うようにしっかり教育するのだ。分かったな。洗脳が終了した頃に私もユウジーンへ一度向かう」


「……」宰相の囁きにデュークは無言を貫いた。


 漏れ聞こえてくる内容に穂積はただ身体が震えるような恐怖を感じて、デュークのローブを掴んでいる手を離すことが出来なかった。時間が早く過ぎてほしい、宰相に早く立ち去ってほしいと願ってしまう。

 デュークもそんな穂積の様子を察して、自分が盾となり、背に穂積をしっかり隠した。

 


「いらっしゃい、いらっしゃあぁい。新鮮な野菜があるよぉ」


 少し離れたところから快活で明るい声が響き渡った。女の子の声だ。


 すぐさま宰相の護衛の一人が厳つい顔で声の方を向いた。護衛のもう1人が声の方へ急いで走る。穂積達も急いで後を追っていくと、護衛が6~7歳くらいの女の子の腕を捻り上げていた。

 周りはこの騒ぎに騒然としており、他の買い物客や他の露店の店主は、護衛と女の子から距離をとって遠巻きから見ていた。


(ブチっ!!)


 穂積は頭の中で堪忍袋の緒がブチ切れる音が聞こえた、と思う。

 さっきまで感じていた恐怖はどっかへ吹っ飛んでいき、思うままに行動していた。


 穂積はローブのフードが外れないようにしっかりと押えると、出来るだけ低い声で護衛に詰め寄った。


「子供相手にそれは良くないと思います」


「ああん? 見習い。知らないのか? 子供だろうと今は女が大声で商売することは禁じられているのだ」


 女の子は、腕が痛いと泣き出しそうな顔をしている。

「離して、離してよ。だって、今日は市の立つ日で、野菜が沢山あるのに父さんが病気で売りにこられないから私が来たんだよ。それのどこがいけないの? いたっ、腕が痛いよぉ。離して……」


「小童、子供だろうが決まりは決まりだ。お前は宰相閣下の御触書を破ったのだから、しばらく牢屋で反省だな」


 護衛は子供だろうが容赦はしない。更に腕を強く引っ張り、連れ去ろうとしている。まるで家畜を扱うように子供を引きずっているではないか。


「ちょっと、待ってよ」


 穂積は女の子を引きずる護衛の腕を取ると、ぎゅううっと強く力を入れた。

 護衛は馬鹿力で握られたことに驚き、とっさに子供の手を離した。穂積はすかさず女の子の手を取ると自分の背後に隠した。

 

「おい、見習い。見習いだからといって、そうは甘い顔はできないぞ。警邏中の逮捕権は、例え見習いの魔術師にだって行使できる。早く、その小童をこちらに出せ」


「出せないし、出さない。なんだよ、大の大人が子供相手にみっともない。この子は野菜を売っていただけだろ」


「見習い、お前だってこの国の男だろうが。女が出しゃばるのが駄目なことぐらい知らないわけであるまい」

 護衛が訝る目で穂積を睨む。


「……うぅ、あ……、まぁ……でも、暴力はいけないと思う」


 散々暴力には暴力で対抗してきた穂積の台詞ではないとは思ったが、適切な回答を出せなかった。そもそも穂積は女だって出しゃばっていいと思っているのだから仕方がない。


「暴力ではない、躾だ。そもそも女は生まれた時から家庭でどうあるべきかを躾けられているはずなのだが……、ふん、どうせ貧乏人なんだろう、子供をきちんと躾けられないなんて。こんな子供はこちらで引き取り、厳しく再教育してやるのだから、感謝して欲しいものだ。さあ、早く子供を出せ」


「嫌だ。絶対に嫌だ」


 穂積は護衛を睨みつける。一歩も引かないつもりだ。

 そこへ、デュークが人込みをかき分け、護衛と穂積の間に割り込んできた。


「穂積、子供を渡せ」


(えっ?)


「デューク、――もしかして、子供を渡せって言っているのか……?」


 穂積は自分の耳を疑った。まさか、デュークが護衛に子供を渡せと言うなんて。


(聞き間違いなのか……。多分そう、きっと、そうに違いない)


 穂積は真っ直ぐデュークの目を見た。彼の真意を聞きたい。

 デュークは落ち着き払った真剣な態度で、もう一度同じことを告げた。


「穂積、子供を護衛に引き渡すんだ」


 穂積は冷静になれなかった。頭をおもいっきり強打されたようにショックを受けている。ここに皐月や稀星がいれば違った対応ができたかもしれない。でも、この場所で唯一見方であると信じているデュークが、自分を裏切るのだから、途端に足元がぐらぐらと崩れ落ちていく。

 自分はどこかでデュークに甘えていたのだろう。穂積が暴走しても食堂の騒動のようにデュークが守ってくれると知らないうちに期待していたのだ。

 子供を守ってやりたいのに、デュークに裏切られたショックが大きくて、頭も身体もフリーズしてしまった。


(どうしちゃったんだよ――、自分……)

 

 少し前の自分ならこんなこと考えられない。お構いなしに、ムカつく護衛の顔にパンチを入れていただろう。穂積は常に本能のまま動いていたのだから……。

 穂積はそっと女の子の手を離した。


「――守れなくてごめんな……っ」


 穂積はショックを抱えたまま、決して後ろを振り返ることなく、フラフラとその場からいなくなってしまった。

 一方、部下の監督責任を問われてしまったデュークは、宰相に命じられ、この騒動の事後処理をするはめになる。


「――チッ……」

 

 穂積を追いかけることも叶わず、彼女の項垂れる背中を見失ってしまったデュークは、舌打ちをした。



 *****


 日は真上にあり、お腹も減ってきたところをみるとお昼を過ぎた頃だろう。放心状態の穂積は何処をどう歩いているのか分からないけど、ただ目的もなくフラフラと王都の中を彷徨い歩いた。気が付くと目の前で雄大な河がゆったりと流れている。対岸までは300メートル以上はありそうな大きな河だ。綺麗なアーチ状の橋を渡って、向こう側へ行くと、河のほとりに沿ってガス灯のような照明が等間隔で立ち、ベンチが点在するなどちょっとした憩いの場になっている。穂積はようやくこの場所で足を止めた。

 木製のベンチにストンと腰を下ろし、横の視界を遮る邪魔なフードを取ると長い黒髪を表に出した。河から吹き上がる風が穂積の頬や黒髪を優しく撫ぜて心地好い。

 次第に落ち着きを取り戻して、冷静になると自己嫌悪に陥った。


(あーああ……、異世界まで来て、自分は何をやっているんだろうか。自分の矜持に反する行動をとり、いじけるなんて、とんでもないだろう……)


 穂積はベンチに深く座り、背もたれに身体をあずけた。眼下に広がる雄大な河の水面が日光を反射してキラキラと光っている。ふと、キラキラからデュークの銀髪を連想してしまい、いかんいかんと首を左右に振って、デュークのイメージを思考から追い出す。


 まだ穂積達の計画は始まったばかりで、皐月の作戦どおりに市井を見学して帰る予定だった。皐月は穂積の感じたままを教えてほしいと言っていた。

 そんなに見て回ってはいないが、街並みは綺麗で可愛いくて、だけど、魔術師団が幅を利かせて取り締まりをして、例え小さな女の子であっても、露店で商売できないくらいに女性が押し込められている。


(なんで? なんで女性が虐げられて、家の奥で小さくなって生活をしなければならないんだ? 意味が分からない。そうしなければならない理由は何なんだよ!?)


 さっきのことを思い出して色々と考えを巡らすとカッカと頭に血が上ってくる。

 そのお陰で背後から人が近づいてきたことに穂積は全く気が付かなかった。


「――っ!?」

 突然、背後に人が立つ気配を察知して背筋がピリッと緊張した。

 緊張感とは裏腹に、もしかしたらデュークが探しに来たのかもしれないとの淡い期待が脳裏に浮かんだ。きっとそうに違いないと思いこんだ穂積は、最高のしかめっ面をして振り向いてやることにした。


(くくくっ、デュークのやつ絶対に驚くぞー、せいーーのぉーーっ)

 含み笑いをしながら、顔を準備して勢い良く振り向くと、


「!!」


 後ろに立っていた菫色の瞳が丸くなった。


「あっ、ごめん。人違いだったわ……」


 穂積の後ろには、暗めのえんじ色のローブを被った女性が立っていた。

 穂積が慌てて謝ると、大丈夫というように、コックリ頷いて見せた。

 印象的だったのはデュークと同じ菫色の瞳の持ち主で、かなりの美人であること。あとは、ローブのフードから綺麗な金髪がのぞいて見えたことだ。

 当然この国に知り合いはいないから用心して、警戒する声音で言葉をかけた。


「なんですかねぇ?」

 

「あなたこそ、なんですかねぇ? 何かワケありですかぁ? この国で、しかもこんな往来で女性をひけらかす人はいませんよぉ?」


 女性はあっけらかんとして穂積に尋ねた。

 彼女の容姿と口からでる言葉のギャップが凄まじい。


 女性をひけらかすってなんだ? 穂積は頭にクエスチョンを乗っけて、自分の身なりをキョロキョロ確認した。

 ちらっと女性を伺うと、女性の視線が穂積の髪の毛を指している。


「なるほど、髪の毛を出しているからか」


 ローブの女性は人差し指をピッと穂積に向けると楽しそうにウィンクした。

「ピンポーン! 正解ですっ! 特に最近は魔術師団からの女性に対する偏見が大きくなっていますから、絶対にローブのフードは取ってはいけませんよぉ」


「――は、はい。……どうも」


 とっても美人なのに、どっか残念な雰囲気の持ち主の彼女は、穂積を物珍しそうに見ている。

 穂積は稀星に近いタイプなだけに親近感が湧いた。


「あなたは、一体何処から……」

 と、彼女が質問をした時、その質問に被さるように、突然数メートル先から怒声が響いた。


「おい、お前ら、このビラに関係あるか」


 警邏中の魔術師だ。とても身長が高く大きな体躯の彼は、手にビラを数枚もって駆け寄ってきた。

 魔術師がビラを掲げたので穂積が覗き込むと、女性達が楽しそうにお茶をしている絵が描かれている。残念ながらこの国の文字が読めない穂積は、ローブの女性に尋ねると、「魔女カミーラからこの国の女性へ女子会のご案内ですねぇ~」と楽しそうに教えてくれた。


「おい、黒髪の女。お前はこのビラの関係者だな」


「え、どうして? 違うけど」


「黒髪を出して女をひけらかしているからだ」


 また、ひけらかすかと穂積はムッとした。


「この国は女性が髪の毛を出して、外を歩くことも許されないのですかね」


「当たり前のことだ」


 威圧感を全面に出し、上から自分を見下す魔術師に心底イラつきを覚えた穂積。


(この国は一体どうなっているんだよ。――ああ、もう、本当に腹が立つ)


 ジワリジワリと怒りがこみ上げ、さっきまでの怒りも手伝って、再び沸点に達してしまった。

 もう我慢できないと、とうとう啖呵をきってしまう。


「この野郎、どの面下げて物を言っているんだ、このイカレポンチ!! こちとら外国人だから、治外法権なんだよ。おめぇんとこの決まり事なんてクソくらえだぁ」

 

 穂積に罵声を浴びせられた魔術師は、女性に怒鳴られたことに初めは驚いたものの、みるみる肌が紅潮し、白目が見えるほどに目を見開いた。


「おんなあぁ、外国人だろうが、郷に入れば郷に従えだ。女のくせに生意気な、躾けてやるっ!」


 穂積も引き下がらない。


「女とみれば二言目には躾けるなんて偉そうに。冗談じゃねぇ。力のある者は力がない者を守るのが本来の役目、そのための力じゃねぇのか!? この国の男は力の使い方を間違っている! 女だって力が強い奴もいるってことを教えてやるよ!!」

 

 そう言って穂積は素早く魔術師の懐に入ると、魔術師のボディに渾身のパンチをくれてやった。


「女は男の奴隷じゃないんだよ。このクソがあぁ!」


 続けざまにワン・ツーとボディーブローをお見舞いする。

 穂積のパンチを受け、魔術師はごふっと胃液を吐いた。男は目の焦点を必死で戻しながら、手の甲で口を拭うと「殺してやる」と指の関節をポキポキ鳴らし、歯をむき出しにした形相で穂積を威嚇した。


「上等だ、やってみろってんだよ」


 穂積の煽る言葉に魔術師はいよいよ錫杖を顕現させた。


「この国の男は、すぐそうやって女が持たない力で捻じ伏せようとしやがる。魔力抜きで正々堂々と喧嘩できないのか、このゴリラ野郎」

 

 ゴリラ野郎とはよく言ったものだと、自画自賛するほどゴリラ顔な魔術師だ。ゴリラ魔術師は顔を真っ赤にさせて怒り狂っている。

 そしてゴリラ魔術師は、勝ち誇った顔で自身に似合う太い錫杖を空に振り上げたので、「あ、やっちまった。ここで詰んだな」と穂積は一瞬遠い目をした。

 自分の短気に嫌気がさしたが、それでも穂積は間違ったことは何一つ言っていないと自負している。


「皐月、稀星、ごめん。後は任せた……」と目を瞑って半ば観念したその時、


 パチパチパチパチと傍らから乾いた拍手が鳴り響いた。


「素晴らしい! あなた、最高ですねぇ。痺れちゃいました! 後は私が引き取りますぅ。この私にお任せ下さぁ~い。あなたは、少し離れていて下さいね~」


 こう言ったのは、傍観していたローブの女性だった。

 彼女は素早くフードを外し豊かで長い金髪を風に靡かせると、ぱっと右手を大きく振り上げ金色の錫杖を顕現させた。錫杖の先には見事な七色に光る玉が収まっている。ゴリラ魔術師の錫杖の玉よりも二回りは大きい。


 女が錫杖を顕現させたことにゴリラ魔術師はひどく狼狽した。

 こんなことができる女性は一人しかいないと男は脳裏に一人の魔女を思い浮かべる。恐らくあいつだ。あいつに違いないと、額に脂汗を乗せて小刻みに身体を震わせた。


「せっかく貼ったビラもこんなに剝がされて、私、許せません――っ」


 彼女は深呼吸をすると祈るように胸の前で手を握り合わせた。


「父なる大空、母なる大地、聖なる大河、どうぞ力を貸してください。――パンパカパーン! 本日は聖なる大河のウンディーネよ、私の錫杖にその力を降臨たもれ」


 続けて呪文を詠唱すると、河が一瞬発光し、傍の河から何本もの水柱がまるで命があるように上陸し、男の周りを囲い始めた。巨大な樹木のような水柱は徐々に男との距離を詰めていく。


「うわあああぁぁぁ」


 ゴリラ魔術師は一瞬怯むものの、応戦の構えを見せ呪文を唱えると、錫杖から次々と風を発生させ、強風で水柱を吹き飛ばそうとした。水柱が風によりぐにゃりと大きく形を変えると、その手応えにゴリラ魔術師はしてやったりという顔を見せる。


 すると彼女は呪文を再度詠唱し錫杖を大きく振った。

 風により辺りに散らばった水を一か所に集めるとその水自体が次第に形を変えていき、瞬く間に極限まで細かくなって虹色の水蒸気に変化した。今度はその水蒸気が更に板状に形を変えて男を取り囲むと、男の身長に沿って長方形の箱が完成した。当然、そのまま男は閉じ込められている。


 穂積は虹色の電話BOXにゴリラが入っているみたいだと、思わず吹き出した。

 ゴリラ魔術師は必死の形相で中から魔力を使って箱を壊そうとするが、その魔法が狭い箱の中でビュンビュン跳ね返り、挙句の果てには自分に当たって、昏倒してしまう始末。


「魔力を通さない結界付きの箱ですよぉ。少し経てば自然と消えてしまう囲いですから心配いりませんね」と彼女は穂積にニッコリ微笑んだ。

 

 穂積は近くに駆け寄り、金髪の彼女の両手を取ると、ブンブンと激しく上下に振って喜んだ。

「あんた、凄いね。魔法が使えるんだね!」


「いえ、大したことありません……。――た、だ――、わ、たしは……魔力量が少ないので……」と、言うとその場に崩れ落ちてしまった。


「ちょ、ちょっと、大丈夫か!」


「だ、だい――じょう――ぶ、で、す……。シャングリラに……、つれ、て……行って……」


「ねぇ、おい、ちょっと!!」

 

 穂積は崩れ落ちて倒れてしまった彼女を支えながら、何度も声をかけたが全く目を開けてくれなかった。息はしているし、気を失っただけなのだろうと思うが心配でたまらない。このままここに居ても、第二第三の魔術師が現れるかもしれないし。


「行こう!」


 穂積はローブのフードをしっかり被ると彼女を背負って、歩き出した。


(でも、『シャングリラ』って、一体、何処なんだよぉ……)


 不安に押しつぶされそうになりながらも、穂積はまた一歩、さらに一歩と、その足で歩き始めた。

 穂積の勇者としての使命は本人の与り知らないところで、着実に動き出していた。

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