第3話 ラドメフィール王国

 穂積ほずみ皐月さつき稀星きららの三人は、礼拝堂から場所を移して豪奢で優美な調度品が揃う応接室に通された。

 穂積は夢の話をまだ2人にしていないのに、こんなところに強引に連れてこられ、イライラが頂点に達していた。今にも牙を向いて飛びかかりそうな穂積の様子を察して、先頭で案内したデューク・ウルフェンは肩をすくめた。


 ロココ調の真っ白な応接セットの長椅子に腰をかけるように勧められた3人は、稀星と皐月は直ぐに腰を下ろしたものの、穂積は座らずに唇をきつく一文字に結んで、デュークを軽蔑と怒りの目で睨み続けている。


「勇者殿、そう睨みつけないで座ってくれ」


「この状況で『はい、そうですか』と座れるわけがないだろう。自分は今すぐお前を殴りつける」

 穂積は拳をぎゅっと強く握りしめると、テーブルに手をついてひょいと向こう側へ跨ぎ、デュークの胸ぐらを掴んで、ギリギリと強く締め上げた。


「お、落ち着いてくれ」


「これが落ち着ける状況かよ。とくにかく一発殴らないと気が済まねぇ」


 穂積は真っ直ぐに拳を振り上げると渾身の力をこめて右ストレートを放った。穂積の右ストレートは綺麗にデュークの左頬に入り、鈍い音とともに、デュークの上半身が後ろに傾いた。


「――うっ…」


「穂積!」


 皐月は驚いて立ち上がったが、稀星は目を細めてあちゃ~と口を両手で覆っている。皐月は殴られたデュークを見て、ぴゅうっと小さく口笛を鳴らした。


「穂積のパンチをくらっても倒れないなんて、相当なもんだよ」


 皐月の感心した呟きが聞こえて、穂積はイライラを強めた。


(くそっ、もう一発お見舞いするかっ……)


 穂積がデューク目掛けて再度拳を振り上げたところだった。

 突然、穂積の拳の回りにぽわっと白い光が纏った。

 穂積がビクッとした瞬間、一瞬で右腕の力が抜け、まるで操り人形の紐がぷつんと切れたような状態になり、腕がだらんと下におりた。


「な、なんだ!? 急に、全く右腕に力が入らない――っ」


「穂積、大丈夫なの」


 急いで皐月が駆け寄って、穂積の腕を持ち上げると、それはまるでタコの足のように軟体化していた。


「わっ、ぐにょぐにょ……」


 JK達は一瞬で穂積の腕が変化したことに青ざめ、常識では測れない事に今更ながら恐怖を感じた。


『トントン』


 重たい空気を切り裂くようにノックの音が響き、「ひっ」と稀星が驚いて声を上げた。装飾が施された重厚な扉が使用人によって開かれると、白いマントを翻しながら、金髪に碧眼の青年が、デュークと同じ黒いローブを着た眼光の鋭い青年を従えて入ってきた。


「やあ、ようこそ ラドメフィール王国へ」


 金髪の青年が軽やかにそう挨拶したのを合図に数人の侍女が部屋に入ってきて、お茶とお菓子の給仕を始める。

「さあ、さあ、お茶にしようか。皆さん座って下さい」


 青年は笑顔で親しみやすい雰囲気を纏っているが、その瞳は笑っていない。

 常に指示することに慣れている人だと穂積は瞬時に察し警戒した。ぐにゃぐにゃの右手を左手で庇いながら大人しく腰をかけると、茫然と突っ立っていた皐月と稀星に声をかけて、穂積の隣に座らせた。


 金髪の青年が3人の様子を見て、納得といった表情で拳をポンと掌に打ち付けた。

「ああ、そうか、勇者殿以外は言葉が通じていないんだね。キアヌ、頼む」と後ろに控えていた従者を見た。


「はい。殿下」


 キアヌと呼ばれた男は自分の右手と左手を合掌するようにパンと合わせ、それをゆっくり離していくと手の中から光る錫杖が現れた。長さが1メートルほどの金色の錫杖は、先端に七色に光る不思議な石が収まり怪しく光っている。

 ゴクリと生唾飲んだ音が稀星から発せられ、3人とも金縛りにあったかのように身体が硬直してキアヌから目が離せない。特に皐月は食い入るように見入っていた。


 キアヌは錫杖を握って高く掲げた。それから、ぶつぶつ独り言のように何かを唱えてから大きく半円を描くように錫杖を振ると錫杖の動きをキラキラとした光の粒が軌跡を作り、稀星と皐月の上に降り注ぐ。

 稀星と皐月は自身に降りかかる光の粒に興奮気味に頬を紅潮させながら綺麗と歓声を上げた。

 それからキアヌは半眼で穂積を見ると、錫杖をぐにゃりとしている腕の上にチョンとついでに振り下ろした。彼は物を右から左へ移動させる事よりもいとも簡単といった風に魔法を行使した。


「うわあぁ、腕に力が入る!」


 穂積の歓喜の声にフンとそっぽを向いたキアヌは、不機嫌な顔をしてデュークの方へ向いた。


「その顔は自分で治せよ。そもそもなんで、お前ともあろうものがこんな娘にいいように殴られているんだか……、俺が止めなかったら、もう一発くらっていたぞ」


 デュークは忘れていたように殴られた頬をなで、一瞬目を伏せた。

「もう一度、殴られてもいいと思ったから……」


「はっ! お前は上級魔術師の一人だぞ。その娘への罪悪感なら、この国へ召喚した時点でとっとと捨てちまうことだな……」


「ゴッホン!」


 殿下と呼ばれた金髪の青年がわざとらしく咳払いし、カップをソーサーごと持ち上げ、優雅にお茶を一口飲んだ。

 今にも口論が始まりそうな2人の様子に、殿下がデュークとキアヌの会話に割り込んだのだ。続けて、二人に着席するように目線で促すと、改めてJK3人の方へ向き直り背筋を正した。


「お嬢さんたち、私の言葉が通じているかな?」


「はい」3人は頷いた。


「でも、穂積は初めから言葉が通じていたようですけど。何故ですか?」


「あんた、時々鋭いこと聞くよね」皐月が感心して稀星と穂積を見たら、突然地雷を踏んだように穂積の顔がボフンと赤くなった。


「それなら……」


 デュークが説明しようとしたので、穂積は慌てて言葉を遮った。

「そ、そんなことより、色々と説明してもらいたいんだけど。自分だけでなく、皐月と稀星を巻き込んだことだけは絶対に許せないんだけどね」


 穂積は殿下をジロリと睨んだ。


「ふむ。まあ、誰だって異世界に召喚されれば驚くし、怒りっぽくもなるもんだよ」


「い、異世界!?」

 3人は目を丸くして同時に叫んだ。


「そう、ようこそ、ラドメフィール王国へ。ああ、さっきも言ったね。私はこの国の第一王子、ヘンリー・エドガー・ド・オスカービッツだ」


「王子様ですかぁ」

 稀星が急に態度を一変させ、目をキラキラさせながら両手を胸元で握りしめている。


 客観的に見ても、ヘンリー殿下は王子の装いだ。白いマントの下は細かい金色の刺繡が施された上質なえんじ色のベストに白いシャツを合わせ、白いパンツを同色の膝丈までのブーツにインして履いている。

 一方の魔法を使って見せた2人は黒いローブの下は濃紺のシャツに黒いパンツを合わせ、膝丈の黒いブーツを履いていたが、きらびやかな雰囲気は皆無だ。


 金髪に碧眼のヘンリー殿下は誰が見ても目を引く容姿であるが、一番背が高い黒髪で菫色の瞳のデュークと、デュークより若干背が低いもののやはり長身の赤い髪に緑の瞳のキアヌも、それぞれが映画から抜け出てきた俳優のような整った顔立ちをしている。


「俺は、殿下の専属の護衛をしているキアヌ・ダンビュライトだ。そこのデューク・ウルフェンと同じ上級魔術師であり、戦闘系の魔術を得意としている」

 キアヌは愛想も素っ気もない態度で腕組みをしながら3人をジロリと威嚇するような目で睨んだ。


「最後に俺はデューク・ウルフェンだ。この国の上級魔術師兼召喚士をしている。得意な魔術は転移魔法と医術系白魔術だ。事情があって、彼女を勇者として召喚したら、君たちも一緒に巻き込んでしまった。本当に申し訳ない」

 デュークは未だ怒りの収まらない穂積を見つめた。


「まあ、こちらはそんなところだ、君たちも自己紹介をお願いできるかな。名前が分からないと呼ぶのが不便だしね」

 ヘンリー殿下はウインクして、3人に興味を示した。


 その仕草にきゅーーんとなった稀星から口火を切った。

「殿下初めまして。わたくしは、御門稀星みかどきららと申します。ファミリーネームは御門みかどでファーストネームは稀星きららですのよ。わたくしたちは地球が日本という小さな国の女子高校生なのです」


「私は相川皐月あいかわさつき。私たち3人は小さいころからの幼馴染だから、いつも一緒にいることが多くて、たまたまこの召喚劇に稀星と私が巻き込まれたって感じ。でも私たちの世界は魔法なんて空想の中の話だから、今でもここにいるのが夢なんじゃないかと思っているよ」

 冷静な皐月は小さく溜息を落とした。


「私は穂積ほずみ、そこのデューク目をつけられた不運な女だよ」

 穂積は怒りを露わにして、デュークの視線を外すべくそっぽを向いた。


「穂積はファミリーネーム? それともファーストネーム?」

 ヘンリー殿下が質問した。

 その回答には一瞬言葉に詰まり、嫌悪感を全開にしながら穂積が睨んだ。

「……ファミリーネームだけど……っ、なんか文句ある」


「お前、殿下に失礼だぞ」

 キアヌがガタっという大きな音と共に椅子から腰を浮かせ目を剥いたが、ヘンリー殿下がキアヌを手で制する。


「いや、私は親しい仲になる者とはファーストネームで呼び合いたいと思っているんですよ」

「え? 親しくですか? 殿下、どうぞ遠慮なくキララと呼んでくださいませ」


 皐月は冷たい目で稀星を見た。

「――あんた、意外とイケメン好きだったのね……」

「だって、本物の王子様ですわよぉ。わたくしは昔からプリンセスに憧れていましたから」


 マイペースな稀星に皐月は消沈して首を横に振った。そして改めてヘンリー殿下を見た。

「王子さんねぇ、穂積は昔から穂積でいいんだよ」


 皐月のフォローに穂積が大きく頷ている。


「了解、分かったよ、穂積ちゃんね」

 ヘンリー殿下は肩をすくめて顎を手で触るとふむと頷いた。


 お茶を飲みながら若干落ち着きを取り戻したJK3人は、まるで中世ヨーロッパにタイムスリップしたかのような目の前の人たちと室内の様相に戸惑いを感じてしまう。何より『魔法』という概念は、穂積達には物語やゲームの中でしかあり得ない事であり、それが目の当たりに繰り広げられた様には、自分達の常識では計れない世界なのだと否応なしに納得させられる。


「――あの……」


「皐月、質問をどうぞ」

 ヘンリー殿下がニコリとした。


「まず第一に穂積が召喚された目的を知りたい。第二にこの国の人たちは全員魔法が使えるのかどうか。あと、第三に私たちは元の世界に帰れるんでしょうね? この三点について知りたいんだけど」


 ヘンリー殿下は再度ふむと顎に指を這わせると、長くなるからとお茶のお替りを侍女に命じた。


「最初と次の質問は関連があるからまとめての説明になるかな……」



 ヘンリー殿下の話はこうだ。

 ラドメフィール王国は何百年もオスカービッツ王家が守る絶対王政国家であり、国内には大小様々な領主が守る領地が300からなる王国である。様々な鉱石や鉱物などの資源が豊富で、広大な敷地は山に囲まれ、森や湖などの自然豊かな国である。更に魔法を上手く第一次産業に活かし、100%の地産地消が成り立っていた。

 この国に生まれた人は、男は体内に魔力を宿し、女は体内に子を宿す性のため魔力を持たなかった。

 この生まれながらの性質の違いが長い歴史の中で大きく作用し、男が全て実権を握っており、政治、仕事、学問、引いては家庭の中までもが発言力、決定権は全て男性に委ねられた。

 一方で女性は子供の頃から最低限の学問しか与えられず、女性に生まれたからには強い魔力を有する男子を宿す事だけが至上の幸せと教えられ、そのための食生活や決まり事などを遵守するよう厳しく躾けられる。このように性の違いによって生き方に大きな差があった。


「なんだよ、それ。女を馬鹿にしてる!」


 穂積がテーブルに拳を振り落とし、ティーカップがソーサーとぶつかりガチャンと音が立った。


「昔の日本のようだね」


「そうですわね。でも日本では女性たちが声を上げ、女性の参政権や男女雇用機会均等法などを勝ち取っていくのですわ。だから私たちの国では、結婚、即ち子供を産むことだけが女の幸せではなく、政治、仕事、学問、医学など様々な分野で女性が活躍しておりますの。もちろん結婚して幸せな女性も多く、女性自らが色々な選択をすることができるのですわ」


 皐月の言葉を引き取り稀星が凛とした態度で説明した。

 厳しい顔をして考え込んでいた穂積は、皐月に視線を投げた。

 皐月は穂積の考えを即座に汲み取って頷いた。


「ああ、きっとあるだろうね」


 ヘンリー殿下はアイコンタクトで会話をするJK達を見て首を傾げた。

「んん? 穂積何かな? 君たちも魔法が使えるように目だけで会話するんだね」


「それは、長く一緒にいるからの阿吽の呼吸だよ」


「あ、うん?」


 ヘンリー殿下がきょとんとするから稀星がクスっと笑った。

 稀星を後目に皐月が真剣な表情でヘンリー殿下を真っ直ぐに見据えた。


「つまり、穂積が言いたかったのは、この国では女の地位がそんなに低いのなら、女の子が生まれた場合に心無い親が多いのではないかという心配ですね」


 ヘンリー殿下とデュークとキアヌは揃って目を開いた。


「国の暗部とも言える事なので、私から続きを……」

 デュークが会話に入った。


「男だって女性から生まれるわけなのだから、母親は大事だし、君たちが考えるほど酷い扱いではないと思っている。ただ、系統を大事にしている貴族階級や極端に貧しい家などに女が生まれると不要と思う人が一定数いるのも事実だ」


 これは国民の価値観から昔からの問題でもあったため、子供を保護する専用の施設が設けられていた。捨てるというより、子供をその施設に預けるという言い方の方が正しいとデュークは最後に言った。


「そんなの捨てるも預けるも同じだろうが」


 穂積はいきり立った。


「それで、どうせ問題が起きたんだろう。そもそもがこの国の価値観こそが大きな問題だけどね」


 デュークは頷いた。


「国は全く認知していなかったんだ。この保護施設で女性たちが組織的に動いていたことを」


 この保護施設はインキュベートと呼ばれ、ラドメフィール王国の王都であるメルトに最大級の施設があった。インキュベートに預けられた女の子は、成年である18歳を迎えた時に施設を出て結婚するか施設の職員となってここで一生を過ごすかの2択の内どちらかを選択しなければならなかった。

 結婚の場合は、国が斡旋した相手と強制的に番にさせられる決まりとなっており、全員が幸せな結婚をしているわけではないだろう。かと言って残っても一生が塀の中ではまるで修道女である。


 そんな状況の中、インキュベートに預けられた女の子の中に強力な魔力持ちがいたことが発覚した。女として性を受けても稀に弱い魔力を持って生まれることは今までもあったが、強力な魔力を持つ女性はいなかったし、強力な魔力を女性が持つこと自体あり得ないと思われていた。


 魔力をもった女の子は小さい時にインキュベートに預けられ、他の子と同じ様に目立つことなく生活していた。だが、ある時に自分には魔力があると気が付いていたのだろう、この力を活かして女性としての生き方を改革しようと立ち上がった。ずっと目立たずに時期を伺って綿密に準備しているあたり、かなり頭の切れる者だとデュークは語った。

 彼女は閉鎖されたインキュベートの中で、長い年月をかけて地道に女性たちに種を蒔き続け、自分たちも声を上げて、意見を言う必要があると自らの思想と理想を植え付けていった。当の女性自らの考え方を変えていく必要があったため求心力が必要であった。彼女は魔力を持つことにより、皆が嫌がる仕事を積極的に引き受けたり、問題があれば盾になるなど人からの信頼をも同時に築き上げていった。


「そして、彼女が成人の18歳となった昨年にクーデターを引き起こし、騎士団を瞬く間に掌握していった。全くインキュベート上がりの女性ごときに騎士団も不甲斐ないことよ」


 キアヌが憮然と表情を険しくした。

 キアヌの差別ともとられない発言にヘンリー殿下はゴホンと咳払いし、右の眉根を上げた。


「今やリーダーとなり改革派のトップにいる彼女は魔女カミーラと呼ばれています。カミーラはオスカービッツ王家の国王交代及び、女性の市民権獲得のための議会制度の設立を要望しています」


 ヘンリー殿下の話に頷くとデュークは穂積の前に移動し、右ひざを下について跪き穂積の右手を取った。


「穂積、カミーラは自分たちとの交渉は女性であることを限定しています。でも、先ほどの説明のとおり、この国で人前に出て交渉するような女性はおらず、苦肉の策として異世界から勇者を呼び寄せることになったのです。頼む、どうか力を貸してくれないか」


「――そ、そんなことを言われても……」


 穂積は隣に座っている皐月と稀星に助けを求めた。

 二人はうーんと考え込んでおり、とても助け舟を出してくれそうにない。


「大体さ、その魔女の言うことが正しいと思う。この国は女性を蔑ろにしすぎだよ。自分はこの国側より魔女側の意見に賛同するね。穏便に解決するなら、さっさと向こうの要求をのんだ方がいいと思うけどね」


「穂積の言うことには一理ある」と皐月がヘンリー殿下を一瞥して口を開いた。


「我が国の歴史を鑑みても女性を力で奥に閉じ込めておくことはできない。女性の中には能力のある人達も沢山いると思うし、色んな意見を率直に交換できる議会制度は、国の在り方を考えていく上では悪いことではないと思う。そもそも、この国の王様はどう考えているの?」


 ヘンリー殿下は一瞬だけ動揺して瞳を揺らしたことを皐月は見逃さなかった。


「この国の王は……、――私の父上は……っ」


「王は長く病気で伏せっておいでです」


「デューク!」キアヌが目を剥いた。


「――その通りだ……、私の力が及ばないために今は国の宰相が実権を握っており、宰相は保守派の代表格なのです。宰相は魔女一派が騎士団を掌握したことに立腹し、上級魔術師を集めてインキュベートを攻撃しました」


 稀星は青ざめた。

「で、インキュベートはどうなったのですか?」


「向こうの方が一枚上手だったんです。既に結界の魔法を何重にも張り巡らせ、手が出せなかった」


 ヘンリー殿下はその時のことを思い出し、詰めていた息をそっと吐いた。

 魔女側は防御に徹し、こちらを一切攻撃してこなかった。その事実からしても国を乗っ取りたいという考えはなく、現状を変えたい。或いは変えることを認めてほしいという意思の表れだとヘンリー殿下は感じた。国王が存命のうちは自分には実権がなく、特に魔術師や召喚士達を束ねる宰相の権限に比べるとできることは少なかった。しかも最近になって宰相は自分の娘とヘンリー王子との縁談を王家に申し入れており、もしこの婚姻を成立させられたら自分は雁字搦めになってしまうだろう。


「じゃあさ、ヘンリー王子はこの国をどうしたい?」


「皐月、いいこと聞くね。自分もそれ聞きたいな」穂積は稀星と共に頷いた。


「私は……」


 ヘンリー殿下は目を閉じてゆっくりと考えをまとめた。この国は一見は平和に見えるが、自分の目からみても歪みがあるのは事実だ。

 ヘンリー殿下の様子を臣下の2人が真剣な面持ちで見守っている。


「私は、魔女カミーラと一度話をしてみたい。この国は変革期にきているのだと感じている」


「ターニングポイントってことだね」

 皐月はにぃーっと歯を見せて笑った。


「自分が、いや自分たちに何ができるのか分からないけど、ヘンリー王子の気持ちは分かったよ」

 JK3人組は顔を見合わせた。


「ブラックエンジェルの神3と呼ばれた自分たち」


「売られた喧嘩は百戦錬磨で常勝無敗」


「困っている人を捨て置けませんわ!」


 穂積、皐月、稀星の3人は円陣を組んでがっちりと手を握りあわせた。

 この3人が本気を出せば難攻不落のどんな問題だって解決できる気がする。


「あ、大事なこと忘れていたけど、協力したら元の世界に戻してくれるんだろうね?」

 皐月はヘンリー殿下を振り返った。



『コンコン』と再びノックの音が響き、場の空気を一新させた。


 それと同時にキアヌが鋭い視線を入り口に向ける。皆も一斉にドアに注目すると、開かれたドアの側に黄色のサテン地にレースとリボンで装飾された豪華なドレスを着た女性が立っていた。

 穂積はどこかで見た事がある女性だけど、誰だったか思い出せずに腕組みしながら唸っていると、隣から驚くべき名前が聞こえた。


「みゆき!!」


 皐月が目を丸くしている。


「みゆきだって?」


 穂積も驚いて、改めて女性をまじまじと見る。確かに日本の隠れ家で夢の話をしたみゆきだ。頬には親父に殴られたといっていた痣が薄く紫色に変色して、とても痛々しそうに残っている。


「ヘンリー殿下、皆さま、失礼いたします」


 その女性は部屋に入ってくると、ヘンリー殿下に向かってドレスを少し持ち上げ礼の姿勢を取った。

 そして、まるで狐につままれたような顔をしたJK3人組の前に向き直り軽く会釈をした。


「わたくしは宰相が娘のミランダ・ユウキと申します」


 ヘンリー殿下はミランダ姫の手を取ってエスコートし、自分の隣の椅子を勧めた。洗練された所作から深層のお姫様であることが見て取れた。

 先ほどのヘンリー殿下の話しでは、この姫との婚姻の話があり困るように言っていたが、穂積の目からみてもヘンリー殿下は満更ではない様子だし、とてもお似合いの二人に見える。


「あの、先ほどの皐月さんの質問ですが、わたくしからお答えいたします。殿下よろしいでしょうか?」


「ああ、ミランダ姫の思うままに」


 ヘンリー殿下は優しい笑顔でミランダ姫を見て、ゆっくりと頷いた。


「あの、そんなに久しぶりではないのですが、ごきげんよう。穂積さん」


「み、みゆきなのか? 本当に」


「はい。驚かせてしまいまして申し訳ございません。それにしても、デュークと無事にお話しできて良かったですわ。わたくしのアドバイスを実践していただいたのですね」

 ミランダ姫は上品に口元に扇子をあてて微笑んだ。


「穂積が仕掛けてきたのは、ミランダ姫のご示唆でしたか」


 デュークが納得した様子で自身の唇をなでた。デュークは「その節は助かりました」などとミランダ姫と談笑している。

 穂積はデュークとミランダ姫のやりとりを聞いているうちに、みるみると顔が赤く染まっていった。

 パクパクと声にならない口で必死に止めようとして慌てている穂積の様子にミランダ姫はクスリと笑みを零した。そして穂積の耳元にそっと近づくと小声で「口付けのことは内緒にして差し上げますわ」といたずらな瞳を向けられたから、穂積は卒倒しかけて椅子に深く座りなおした。


「わたくしは、微弱な魔力があるようで異世界に飛ぶことが体質的に得意ですの。なぜなら、わたくし専用の魔法陣があるからですわ。国の召喚士はそれは優秀で、わたくしの魔法陣もデュークが用意してくれたものです」

 ミランダ姫はデュークに笑みを向けた。


「国を揺るがすクーデターが起こり、女の身としては僭越ですが、何かお手伝いができないかとお父様に申し上げましたら、激高されまして『身を弁えよ』とこの通りでございまして……」

 ミランダ姫は目を伏せて薄く紫色がかる頬に手をあてた。

「だから、お父様には協力せずにデュークに同じことを申し上げたのですわ。わたくしは宰相の娘ということもあり、宰相の直下に属する魔術師の皆さまが護衛について下さることが多く、デュークとも幼い頃から顔馴染みでしたから」


 デュークの方はミランダ姫に何かをさせることはないと考えていたが、この頃は穂積の夢に度々入りこむものの言葉が通じず、勇者として召喚する事すら伝えられない状況であり、かなり煮詰まっていた。それをポロっと話してしまった途端、ミランダ姫は水を得た魚のように生き生きして、穂積の世界に飛ぶと言い出した。何度断ってもミランダ姫の意思は固く、デュークとしては根負けしてしまったようなものだった。もちろん危険が無いように法王からの加護を頂戴し、宰相には秘密裡に事を運び異世界へ飛んでもらったのだが。


 その時のことを思い出し、楽しそうにするミランダ姫とは対象的にヘンリー殿下は渋い表情をした。

「ミランダ姫、私はあの時も強く反対していたのですよ。無事にお帰り頂いたから良かったものの、お帰りになるまでは眠られない日々を過ごしました」


「まぁ、殿下ったら。恐縮ですわ」


 ヘンリー殿下は心配しすぎですとコロコロ笑うミランダ姫の手をそっと取って、ミランダ姫の瞳をじっと見つめた。

「あなたは宰相にとって大事な姫ですよ、それを分かって下さい」


「いいえ、お父様は少しもわたくしを大事に考えておりません。いつもお兄様が優先ですから。わたくしの事が大事なら、こうまで強く叩きますでしょうか? お父様は女性をどこかで蔑視しておいでです。特に意見する女は最もお嫌いなのですわ」

 

 ミランダ姫の剣幕にヘンリー殿下は、取っていたミランダ姫の手にもう一方の自分の手を添えて、両手で包み込むようにぎゅっと強く握った。


「姫、言い方を間違えました。私があなたを大事に思っているのです」


 ヘンリー殿下はミランダ姫の叩かれた頬に手をあてると治癒魔法を施した。ヘンリー殿下の手から光が放たれミランダ姫の頬はみるみる元通りになる。ミランダ姫はヘンリー殿下の真剣な面持ちにコクっと小さく喉を鳴らした。そして、下からそうっとヘンリー殿下の顔を伺い、目が合うと頬が熱くなるのを感じて、殿下の視線を遮るように慌てて扇子で顔を隠した。



「…………」

 ロマンス映画のような一幕を見せつけられたJK3人。


「ねぇ、王城ロマンスを実写で見ている感じかな」ぼそっと皐月が呟く。


「だね。興味ないんだけど」次々にお菓子に手を伸ばす穂積。


 一人だけ納得いかない表情でハンカチを握りしめてギリギリと歯ぎしりしているのは稀星だ。

「あーーん、わたくしの王子様には本命がいましたのね……」


「元々異世界の人間で、身分違いも甚だしいって」


「皐月の意地悪! 少しくらい夢を見てもいいではありませんか」


 稀星はむーーっとしてクッキーを鷲掴みするとボリボリと頬張った。



「みゆき、嫌、ミランダ姫」


「な、何ですか、穂積さん」

 ミランダ姫は一瞬ビクりとして、意識的に引き締めた表情で扇子から顔を半分覗かせた。


「ミランダ姫が私たちの日本に来たってことは分かったよ。つまり、さっきの皐月の元に戻れるかという質問だけど、できるってことでいいのかな」


「そ、それについては、――そのっ、……」


 ミランダ姫は急に歯切れの悪い返答をして、「デューク、説明してください」とデュークを見た。


「出来ると言えば出来るし、出来ないと言えば出来ない……」


 デュークは自問自答するように呟いた。デュークはかすかに口の中が酸っぱく感じ、胃が締め付けられる気がするのは罪悪感からなのか。


「出来ないって?」穂積が凄味のある声を出した。「それは、どういう意味だよ」



「異世界への出入りには魔法陣が必要だ。それを使って飛べるのは、その目的地への強い思念とその人のためだけに完璧にカスタマイズした魔法陣が必要になる。穂積を召喚するために使った魔法陣だってクーデターが起こって勇者が特定されたあとすぐに試作したが、複雑かつ緻密な魔術式を何千回も書き直して1年掛かりでやっと出来上がった。それでも結果として穂積以外の皐月と稀星も一緒に召喚してしまうところなどやっぱり欠陥が残っている」


 魔法陣の作成にはとにかく時間がかかる。穂積を召喚した時に使用した魔法陣をベースに書き直すとしても3人分を作り込むには数年は必要だと考える。

 それを今素直に伝えて再度穂積の怒りを買い、もし、協力してもらえなくなると、改めて説得するのは骨の折れることになるだろう。デュークはどう言葉を紡いだらよいのか目を閉じて考えを巡らした。しかし、どう考えても穂積の性格的に小細工は逆効果であると思い至る。デュークは意を決してそのまま伝えることにした。


「魔法陣の作成には相当な時間がかかる。それでも、必ず君たちが元の世界に戻れるように尽力しよう」


「私からも約束しよう。国の召喚士達の叡知を集結させ、君たちを元の世界に必ず戻せるようにする。それで納得してもらうことはできないだろうか」

 ヘンリー殿下を筆頭にデューク、キアヌ、ミランダ姫は、穂積達3人に深く頭を下げた。

 


「……」

 穂積は無言だった。


「まぁ、ここまで連れてこられて、簡単に帰れないのなら致し方ない、の、かな? ね、穂積」

 皐月が心配そうに穂積を見た。穂積がへそを曲げるとやっかいなのは、皐月も稀星も小さいときからよく知っている。


 あれは小学生の頃、穂積と皐月は同じ小学校に通っていた。食の細いクラスメイトが給食を完食できずに連日休み時間まで教室で冷めた給食を前に座らされていたのを見て、穂積が何かを思ったらしく、自分もそれに付き合うと言い出した。当然穂積には嫌いなものは無いし、給食はものの5分で完食できる。

 先生は穂積が完食できる事を知っていたので、わざと完食しない穂積を𠮟り、勝手にするように言ったが、いつも居残りのクラスメイトが珍しく完食した日だって、穂積はわざと給食を残して居残りを続けていた。

 1週間経った頃、先生の方が根負けし、以降、食べられない生徒については予め量を調整する等の対応をし、休み時間にはクラスメイトが全員遊べるようになった。

 無言の抗議とでも言おうか、先生がちゃんと考えてくれるまで頑固に居残り続けたのだから、穂積の行動力に皐月はとても感心したのを覚えている。穂積のアイデンティティともいうべき自分の信念に基づき行動するスタイルは既に小学生の頃に確立されていたのだ。


「穂積は、わたくしたちの事を心配してくれているのですわね」

 稀星はむすっと渋い表情をしている穂積の肩に手をかけた。


「もともと、自分だけで良かった話が、皐月や稀星を巻き込んでいる。最初はすぐに元に戻れるならと思ったけど、帰るまでに時間がかかるのなら話は違う。自分が日本からいなくなったって大差ないと思うが、皐月や稀星は違う。きっと大問題になるはずだ。それに皐月や稀星の親御さんが心配することを考えると居ても立っても居られない気持ちになる……」


「――穂積っ」


 稀星が大きな声で呼ぶと、ウルウルして穂積の腕にしがみついた。

 皐月も「確かに親は心配するよね」と遥か彼方を見ているような遠い目をした。


「そんなことは心配無用だ」

 デュークが意気消沈する3人を前に感情のない声で言った。


「異世界に召喚された時点で、元の世界では初めから存在していなかったことになる」


 稀星が目を見開いた。他2人も一斉にデュークに注目した。


「えっ! デュークさん、一体どういう事ですか?」


「そのようにラドメフィール王国の『召喚の手引き』に書いてある」


「召喚にハウツー本があるんですの?」脱力した稀星がさらにツッコミを入れる。


「ああ、召喚士見習いが一番初めに読む本だ。それによると、異世界とコネクトし、時間も次元も歪めて渡ったものは、元の世界ではその存在の全てを無にし、平行世界を作成する、とある」


「皐月、平行世界とは何ですの?」


「うん、言い換えればパラレルワールドのことだよ。つまり、私流の解釈だけど『もしも』の数だけ異世界があるってこと。と、いうことはだよ、私たちの存在が初めから無くなる以上、突然行方不明になったことにはならないし、家族に心配させることはない。逆に、日本に戻ったら、こちらの世界での私たちの存在が無になるってことだよね。でも、待って、なんでミランダ姫は異世界を渡り歩いてもその存在が無にならないんだ?」


「それは、多分……」ミランダ姫が扇子をパンと小さく畳んで畏まった。

「わたくしにも微弱ながら魔力がありますし、法王からいただいた加護がこの国の糸となり存在を含め、繋ぎとめて下さいますの。あとは、殿下の御心なども……」


 ミランダ姫は自分で言っておきながら赤面して俯いた。すかざすヘンリー殿下が、ミランダ姫の髪に口付けを落とした。

 臣下2人は視線を彷徨わせて見て見ぬふりをしている。



「穂積」稀星が咳払いをしつつ穂積を呼んだ。


「穂積」皐月も更に大きな声で呼んだ。



「――……、うん分かった。2人を巻き込んだことはこの国を許せないし、腹が立つけど、2人がいれば自分も心強いのは間違いない。よし、協力しよう」


 デュークは穂積の言葉に感極まって片手で口を押えると、天を見上げた。

 ヘンリー殿下とミランダ姫も詰めていた息をそっと吐いて、胸を撫でおろした。


「やれやれ、とんだ勇者殿だな。あまり殿下にご心痛をおかけしないように頼みたいものだ。では、この国にしばらく滞在してもらうので、部屋を用意することにしよう」


 キアヌが事務的に説明すると、侍女へ連絡するため、手の中から小さな白い蝶を飛ばした。

 白い蝶はドアを通り抜けて、どこかへ消えていった。

 まだまだ魔法に慣れないJK3人組は、目を擦ってただ驚くばかりだった。


「殿下とミランダ姫は王城にお戻りですね。あとは、私にお任せください」


「デューク、頼んだよ。くれぐれも粗相のないように。今日は色々あったから穂積たちはしっかり休養して下さい」


「皆さま、ごきげんよう」


 3人はそれぞれヘンリー殿下と握手をして別れた。

 ラドメフィール王国側の4名が居なくなると、どっと疲れを感じ3人は椅子に深く座りなおした。

 これから何が起こるのか、今までの経験からは予測も想像もできない事に不安を感じずにはいられない穂積だった。

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