第2話 異世界からの招待状
身体にまとわりつくような細かい霧雨が降る20時頃。
『ガタン、ガタン、ゴー…――』
5分間隔で走る電車の高架下は、周りから死角になるだけでなく電車の騒音が全ての音をかき消すので絶好の喧嘩スポットとしてこの界隈では有名だ。
それを物語るように折れた木刀などが散乱し、高架線の橋げたにはスプレー塗料で何重にも落書きが上書きされ、一目で治安の悪さが分かる。
まともな人間なら近寄らないこの場所にバイクと改造して車体が低くなっている車が数台止まっており、暴走族と思しき男が7~8人、女子高生3人を取り囲んでいた。
「あ~あ、何でこんなことになっちゃったの?
小ざっぱりとしたショートヘアの
皐月は紺色のブレザーに同色の膝丈のプリーツスカートという近隣でも学力トップを誇る有数の進学校の制服を着ていながら、髪の毛はブリーチして茶髪のJK。しかしながらブラウスのリボンはエンジ色であり、一見で主席であるという事が周知の事実なのだから実にアンバランスな少女である。
「だって、しょうがないんだ。そこのパンチパーマのヤツがさ、さっきのゲーセンで
黒髪のロングヘアと涼し気な目元が印象的な穂積が深く溜息をついた。
女性にしては身長が高く、170センチ近くある。この身長を活かしてセーラ服のプリーツスカートは足の踝まで長くしている。往年のスケバンそのもの装いであるが、足を見せたくない穂積はこのスカート丈が気に入っていた。
「穂積が軽く握手するなんて、骨折ものじゃないの」
皐月がやれやれといった表情で横に首を振った。
この状況をも深く理解していないようにせっせとメイクを直していた稀星は、パンチパーマを睨んでベーっと舌を出した。
くるっとした巻き毛と大きな瞳が印象的な稀星は、幼稚舎から大学まで全てエスカレート式である有数のお嬢様学校の生徒であり、稀星は大病院の院長の娘だ。
「あいつ、すごくキモイんですの。それにしつこいんです」
小雨の湿度で自慢のカールが萎んでいることがひどく気に食わない様子で、必死に髪を手で揉みこんでボリュームを出すことに躍起になっている。
女子高生3人を値踏みしていたパンチパーマが鼻の下を伸ばして唇をペロリと舐めた。
「なあ、あいつらまとめて
男数人がギラギラした獣の眼で女子高生たちを見回した。
ぴゅうっと唇を鳴らしながら、「やろうぜ」と男達が興奮気味に騒めき出す。
「お前ら、ちょっと待て!」
いかにも暴走族ですって主張している特攻スタイルの男が口を挟んだ。
「何だよ、タケ、早くやっちまおうぜ」
パンチパーマが欲望をむき出しに股間を押さえながら息を上げて唸る。
「バカ、冷静になれよ。俺はこいつらを知っているんだ」
タケと呼ばれた男は真剣な表情でパンチパーマの肩をぐっと掴んで引き留めようとしたが、その手を思いっきり振り切られた。
「こいつらが何でもいいじゃないかよ」
我慢できない様子で、鼻息荒く稀星に近付くと彼女の腕を強引に掴んで引き寄せた。
「いっ、痛ああぁぃぃ――」
掴まれた反動で稀星の手から鏡が滑り落ちると、地面に到達とともにパリンと割れた音が響いた。
「ああぁ! アナスイの鏡なのにぃ」
その瞬間、穂積が動いた。
パンチパーマの空いている方の腕を取り、逆手にギリギリと捻じり上げる。
「いっ、いてえぇ! なんて力なんだ。ひっ、腕が捥げる!!」
パンチパーマの悲鳴が皮切りとなり乱闘が始まった。
「こるらああぁぁ、女、舐めるんじゃねぇぇ」
体格がよく腕っぷしが強そうな男が穂積に殴り掛かってきた。
直ぐ様、状況を冷静に見ていた皐月が男に足を駆けてバランスを崩させ、反動で稀星の方によろけてきたので、稀星が鞄で思いっ切り頭部をぶっ叩いて気絶させた。稀星の鞄には鉄板が仕込んであり、ちょっとした武器になっている。
男は無残に水溜まりにバタンと倒れこんだ。その拍子に稀星のスカートに泥が跳ねたから、「きゃっ、嫌だぁ最悪ぅ~。このヤロうっ!」と蹴りを追加でお見舞いしたのを皐月は、いつもの事と見て見ぬふりをする。
それに気が付いた稀星が、「あら、失礼、オホホホ」と何も無かったように振舞うのもいつもの事だ。
皐月は相手のどこに力を加えたら反作用で体制を崩すことができるかを瞬時に計算し、無駄な動きを一切しないで状況を適格に分析する。自分の意思に反して皐月に動かされた男達は自然に穂積や稀星に向けられ、穂積は腹部にパンチか蹴りを入れ一撃で確実に倒していく。
一方の稀星は、落ちていた木刀を拾うと男達の攻撃を舞を舞うかのように華麗にかわしていき、パシっと空気を切り裂く破裂音を靡かせながら男達の急所に木刀を振り落とす。ぶりっ子の様子からは微塵も想像もできないほどの攻撃力を見せた。
3人の連携プレーにより、ものの10分足らずで大勢が判明し、男達は最初に「待て」と牽制したタケ一人だけが残った。
「だから、待てと言ったのに……」
タケは青ざめ、茫然と立ち尽くす他ない。
「――あんた達は、ブラックエンジェルの神3だな」
タケは鋭い視線を3人に向けた。
「さあね」
穂積が長いスカートの汚れを払いながら答えた。
「この街を牛耳るレディースの『ブラックエンジェル』特にトップ3人組の神3を慕ってJKやJC達がメンバーになりたいと集まってくるという。その全貌は謎であるが、硬派の武闘集団と言われ、売られた喧嘩は負けなしの百戦百勝だというが……」
「そんなの知らないね」
同じく制服をポンポンとはたきながら皐月が言った。
JK3人組は軽く運動でも終わらせたかのように、自由に身体を伸ばしてクールダウンしている。とても派手な乱闘騒ぎの後とは思えない。
「稀星、もう帰りたぁーい。クレープ食べたい。アイス食べたい。甘いもの食べたあぁーい!」
稀星が小さな子どものように地団駄をふんだ。
「さあ、帰ろう」
「うん、帰ろう」
「腹減ったなぁ」
穂積が鞄を肩に背負いながら皐月を見た。
「ファミレス行く?」
「ふぁみれすで、ぱふぇ食べるうぅー」
女子高生らしくきゃぴきゃぴしながら、茫然と立ち尽くす男を一人残し、3人は夜の街に消えて行った。
「…………」
タケは目前で繰り広げられた理解不能な出来事にただ閉口した。
JK3人組に倒された男達がうめき声を上げる他、辺りは電車の音だけが一定間隔で響いている。
タケが見上げると霧雨はいつの間にか上がり、何か変異が起こる前触れのように雲が忙しく流れていた。
*****
「ここは何処だ? 自分は何をしている??」
穂積は感覚的にこれが夢だと分かった。
だって、現実としては有り得ない風景が眼下に広がっているから。
まず空には月が二つあった。そしてまるで太古にタイムスリップしたかのように推定樹齢百年を超えるような大木が林立し、鬱蒼とした森の中に穂積はポツンと立っていた。何故か中世の修道女のような首まで襟が詰まっていて、肌を見せないようなデザインの黒いドレスを着ている。
森の道なき道を歩いていたら、穂積の前に突然男の人が現れた。
身長の高い穂積でも見上げる程背が高くて、菫色の瞳。歳は20歳前後か、瞳に悲しさ? 寂しさ? 分からないが陰りが伺える。ベルベットのローブを羽織り、フードを目深に被っている。東洋と西洋が混ざったような顔立ちだが、全く異性に興味がない穂積でもゾクリとするような色気がある美丈夫だった。
彼は穂積の手を握り熱心かつ情熱的に何かを語りかける。だけど、何を言われているのか全く分からない。
「ごめん、何を言っているのか分からない」
そう告げると、彼は悲しい顔をしてどこかへに消えてしまうのだ。
そして目が覚めると自分の家のベッドの上にいる。
ここ最近、穂積はずっと同じ夢に悩まされていた。
「――どういう事なんだろう……」
(全く同じ夢を何度も繰り返し見るなんて……。気味が悪い)
オカルトとか占いとか一ミリも興味がない穂積にとっても、流石に何回も見れば気になるし、この夢が何を意味しているのか興味が湧く。
でも現時点ではお手上げの状態だった。
朝から頭がぼーっとするのは、きっと寝不足のせいだ。頭を抱えながら自室を出てキッチンに向かった。
「今日は、学校……、サボるかなぁ……っ」
独り言のようにそう呟いて決め込むと、ダイニングテーブルの上に用意してあった冷めた朝食を食べ、いつものセーラと長いスカートをはいて身支度を整えた。
穂積は母一人子一人の家庭で、父親を知らない。母親は結婚することなくシングルマザーとして穂積を育てたが、生きる事、即ち収入を得ることに必死になり、穂積は小さい頃から一人で過ごすことが多かった。今まで育ててくれた母親には感謝しているが、母親は穂積が普段何をしているかについてはつゆ程も知らないだろう。
今朝も早朝から母親は仕事に出ているようだ。
穂積はいつもと同じ時間に家を出てから3人が堪り場にしている古い洋館へ向かった。ここは稀星の親の所有であり、近く取り壊されることが決定しているから、取り壊すまでの間は3人が自由に使っていた。
建物自体は古い平屋建ての洋館で、昔は稀星の家の病院のホスピスとして使っていたそうだ。そのため病室の様に部屋が横並びにあり、ベッドが沢山置いたままになっている。使えそうなベッドには、自分たちで毛布などを持ち込んでいるから昼寝には最適な環境だ。唯一電気が使えないのが不便であるが、水道やトイレは使えるので最高の隠れ家と言える。
実はブラックエンジェルに入りたいと言ってくるJK、JCの中には行き場がなく家出同然の少女が後を絶たない。そんな少女達は寝る場所を確保する代わりに、行きずりの男性に身を差し出すこともあるという。硬派の穂積にとって、そんな彼女達の望まない性行為には大反対し、この隠れ家を使うことを勧めた。自分自身も恵まれた環境では育ってないので、とても他人事には思えない。食べ物もここには十分にある。稀星の家に届く大量のお中元やらお歳暮の缶詰やジュース、焼き菓子などで、偏ってはいるが腹は満たせる。
前に穂積が稀星にこんなに持ち出して大丈夫なのか聞いてみると、
「大丈夫ですの。どうせ家では食べませんので、必要な場所に寄付すると言いましたら、両親は喜んで沢山持たせてくれるのですわ」と言っていた。
(お金持ちは凄い……)
少女達の駆け込み寺のようなこの洋館は一部では有名になりつつあるが、事情をよく知らない人からしてみれば、不良集団であるブラックエンジェルのアジトであり、仲間の不良少女達が集っているように見えるのだろう。
小学生の間では、この建物をお化け屋敷と噂して、恐れられているという話まである。あながち昔はホスピスだっただけに全く違うとも言い切れないのだが。
(でも、――そんなこと、笑っちゃうね)
穂積にとっては、生きている人間が一番怖くてやっかいだ。お化けなんて全然怖くないし、そんな噂があることで返って人が寄り付かなくていいとさえ思えた。
「ふあぁぁぁ~」
穂積は両腕を頭の後ろで組んで胸襟を開くように伸びると、
(寝るか……)
自分の指定席のベッドに潜り込んだ。
誰もいないだろうと思っていたが、突然ガタンと音が聞こえた。
さすがの穂積もビクッとして部屋の入口に目を向けると一人の見知らぬ少女が立っていた。その少女はやや俯き加減にしているが、顔の右頬に明らかに殴られた痣がある。
(――そういえば、この前皐月が一人連れてきたって言っていたな)
「――あのぉ……っ」
少女がおどおどしながら穂積に声をかけた。
「何? こっちに来なよ」
少女は嬉しそうにニコリとすると傍に寄ってきた。穂積は手で自分のベッドの足元を指差し、座るように促した。
「初めまして、穂積さんですよね」
「うん。そうだけど」
「私、穂積さんに会いたかったんです。すごく嬉しいな」
少女は人懐っこい雰囲気でいそいそと穂積のベッドに腰を下ろした。
(見た感じ中学生くらいかな)
穂積は自分が何を聞きたいのか敢えて分かりやすいように少女の頬をガン見した。
「……この頬、やっぱり目立ちますよね」
「それ、どうした」
「――親父にやられました。昔から私の存在を無視して、まるでぼろ雑巾のように扱われていて、いい加減何もかもが嫌になって学校にも行かなくなって……、そのうち酔っぱらった親父に寝込みまで殴られるようになったから、耐えられなくなって家出したんですよ……」
穂積は深いため息を落とした。
「――そうか……。名前は? 何年生?」
「みゆき。中三……」
みゆきはさっきまでの笑顔が消え自分の膝を見つめている。
穂積は自分の子供に手を上げる親が心底許せなく思う。親の勝手で子供を作り、生まれた後も碌に世話もしないで虐待する毒親たちが、この世の中に一定数いる現実。このような種類の人間は、例え法の下で裁かれても根本から変わることは無いとは思うが……。
穂積は言いづらそうに淀みながらも思い切って切り出した。
「みゆきね……。――みゆき、……あのさ、その顔を医者にみせれば医者が通報してくれるよ、稀星の家は病院だし、彼女に頼めば悪いようにはされないと思うけど」
「……」
「そんな親父は豚箱に入った方がいいんじゃないの?」
「……」
「まあ、ここに好きなだけいてもいいけどさ、逃げてばかりいても解決しないし、よく考えなよ」
「……」
みゆきは一貫して無言だった。ただ、自分の下唇をぎゅっと血がにじむほど噛んでいた。
そんな様子をみた穂積はこれ以上は踏み込むまいと思った。
人には人の事情がある。
穂積にとっては最悪なことでも、他人にとっては真逆の場合がある。
それと一緒。他人の事情に深入りは禁物ってこと。
「じゃあ、自分は昼寝するから好きに過ごして」
「まだ午前中なのに昼寝ですか?」
みゆきは学校をさぼっている事実には触れずに何故眠いのかを聞いてきた。
変なことを聞くなと思ったが、自分が同じ夢を繰り返し見て寝不足になっていることを簡単に話した。
穂積の話を聞いた途端、みゆきは目を爛々と輝かせ、自分の鞄から何度も読み返してボロボロになったと見える夢占いの本を取り出した。
「私、夢を読み解くの得意です!」
嬉々としてパラパラとページをめくっていった。
「相手の訴えていることが分からないんですよね?」
「ああ、まあ……」
穂積はみゆきの張り切った様子に戸惑いつつ、無意識に毛布を胸まで引き上げた。
「それなら、その人とキスをするんですよ。それにより言葉が使えるようになるはず!」
「は?」
「キ・ス! です」
「はああぁぁ!? そんなの無理に決まっている!」
「何でですか? 夢ですから何でもありです。目が覚めれば夢の中のことなんてきれいさっぱり現実とは無関係ですよ」
「まあ、そういう考えもあるか。い、嫌、でも、自分の信念に反する……」
「何度も同じ夢を見るのは、心に強い思いを抱えているか、感受性が強いかのどちらかです」
穂積は前のめりに説明するみゆきに若干引きつつも、考えを巡らした。
「――悩み事はないかな」
「じゃあ、穂積さんがアンテナとなって夢のメッセージを受信している可能性が高いです。同じ夢を見るのが嫌なら次に見た時に相手と話をして、内容をきいて、スッキリしてきて下さい」
「……なるほど」
穂積はベッドの上で胡坐をかき、考える素振りで右足に右肘を乗せて頬杖をついた。みゆきは穂積が納得した様子を見せたのでとても満足した。さっきまでの暗い表情が嘘のように生き生きとしている。そして、とっても良い思い付きがあったように手をポンと合わせた。
「そうだ、私夢占い師になろうかな!」
「……」
目が点になる穂積を尻目に、みゆきは満面の笑みを浮かべた。
「穂積さん、私占い師になれますかね?」
「……さあ? ――スマホで検索してみれ、ば……?」
みゆきは目を輝かせて「そうですね~」と言うと、部屋から出て行った。
穂積はみゆきの背中を見送り、若い娘の考える事は分からないなと思いながらも横になってやっと昼寝に興じることができた。
*****
「ここは何処だ? 自分は何をしている??」
穂積は直観的にこれが同じ夢の中だと分かった。
いつも通りに空には月が二つあって、太古にタイムスリップしたかのように推定樹齢百年を超える大木が林立する鬱蒼とした森の中にいる。そして、自分は中世の修道女のような首まで襟が詰まって、肌を見せないようなデザインの黒いドレスを着ている。森の道なき道を歩いていたら、穂積の前に突然男の人が現れた。
いつもの彼だ。
彼は穂積を確認すると笑顔になり、自分のフードをパサっと外した。
フードを取った姿は初めて見たと思う。全体的に黒髪だけど、所々にグレーがかった銀髪が混ざっている。
彼は近くにあった木の切り株に座り込むと視線を下げ、うな垂れている様子だった。いつもなら出会い頭から唐突に熱く話しかけてくるのだが、今日の彼は何も発しない。
穂積は引き寄せられるように座っている彼の前に立った。
彼の頭部を上から見ると髪の毛が一層よく見える。特に銀髪が月光に映えて、柄にもなく綺麗だと思った。
(キラキラして綺麗……)
穂積は我慢できずに手を伸ばして彼の髪に触れてしまった。
彼はハッとした表情で穂積を見上げた。その目には熱い感情が込められていたことに穂積はこれっぽっちも気が付いていない。
穂積はしまったと思い直ぐに手を引っ込めたが、その瞬間、腰に腕を回され抱きつかれた。
(えっ、何!? この展開は初めてなんだけど!!)
喧嘩で男に羽交い絞めにされることは今までにも何度かあったが、男に抱きしめられるのは初めてかもしれない。心臓が100m全力で走った後のように激しく動いている。
(くそっ、なんだよ、ドキドキが止まらない)
更に彼の顔が穂積の胸元にぎゅっと押し付けられた。
(ちょっと、ちょっと)
穂積の顔は急速に赤く染まっていく。今にも沸騰して頭から湯気が出そうだ。
「ちょっとストップ! 待て! ウェイト!!」
彼は穂積を見上げて何を言われたのか分からないといった表情でキョトンとしている。
「そうだ、言葉が通じていないんだよな――。どうする、いっそのこと殴り倒すか……」
一人で目を白黒させ百面相をしている穂積を見て、彼はクスリと笑みをこぼした。
そして穂積に抱きついたまま熱心に何かを早口で語り始めた。
いつもの夢と状況こそは異なるが、多分語られている内容はいつもと同じだろう。
彼の菫色の瞳は何かを訴えかけるように真剣で、少なくとも邪なことを語るようなものでは無いと直感的に感じた。穂積の野生の感は今まで外れたことがない。
穂積は横を向いて彼から視線を外すと、落ち着くように何度か深呼吸した。
(彼は一体自分に何を伝えたいんだろう……。こうも何度も言われると気になるし。
言葉が通じるにはあれしか無いのか……。大変不本意ではあるが、これは夢だ。――ええい、儘よ!!)
穂積は自問自答の末、目をぎゅっと瞑ると自分からそっと彼に口付けた。
驚いた彼は一瞬腕の力を抜いたが、その直後、穂積を更にぎゅっと強く抱きしめた。穂積は自分の身体がカッと熱くなるのを感じたが、10カウントくらいは我慢した。
そろそろと顔を引いて離れようとした時、彼の長い腕が穂積のうなじを後ろから掴みこみ、顔をしっかりと固定されていたことに気が付く。
(んんん! 放せ、放せよ)
彼の肩をバシバシ叩いて必死に抵抗したが、彼の力は微塵も緩まなかった。
唇が離れないどころか、突然にゅるっと何かが穂積の唇を押し開け侵入してきた。
「っん――んんん!!」
驚いた穂積は両手で思いっ切り彼を突き飛ばした。
やっちまったと思ったが、ハッキリ言って自業自得でしょう。
でも、待てよ倒れこむ音が聞こえてこない。
恐る恐る目を開けてみると、
「あれ、いない!?」
彼が座っていた切り株の周辺にてっきり倒れていると予想していたが、そこには何もない。
(思いっ切り押した感触が手に残っているのに何故?)
穂積が茫然と立ち尽くしていたら、後ろからトンと肩を叩かれ驚いて振り返った。
「っ――どうして!?」
彼が何事も無かったように平然と立って穂積を見下ろしているではないか。
「転移魔法だよ。このくらいなら詠唱無しでいける」
低くて落ち着いたトーンの聞き慣れない声。
「ああそう、転移魔法ね……、って?? ええーっ、転移魔法!?」
穂積の目がまん丸になっていたからなのだろう、彼は面白そうにクスリと笑った。
「やっと、会話ができるようになったな。俺もこの方法しかないと思っていたけど、まさか君から仕掛けてくるとは思わなかった」
穂積は混乱する頭の中、一度冷静にならねばと思い、ストンとその場に座り込んだ。腕組みをして考え込む穂積を彼は面白そうに眺めている。
「ん? あのさ、もしかして、会話が成立している?」
「ああ、さっきからそう言っているが?」
会話が成立したことに喜びを感じつつも、穂積とは対照的にひどく冷静で余裕のある態度が癪に障った。
穂積はすくっと立ち上がると、彼を下から掬い上げるようにギロリと睨みつけた。要はがんを飛ばしたってことだけど。
穂積は彼に人差し指をピンと突きつけると、
「ちょっと、あんた、色々と言いたいことがあるが、さっきのアレは何だよ」
「アレとは?」
「だからぁ、アレって言えばアレ、つまり、勝手に舌まで入れてきて……」
穂積は不覚にも真っ赤に赤面してしまい、段々と声が小さく尻つぼみしていく。
「ああ、口付けのことか」
「――く、く、くちづけって!」
「もしかして、初めてだったのか?」
「当たり前だろう!!」
彼はニヤリとすると、目の前で狼狽える女がとても可愛らしく感じた。
自分は口付けすることなど初めてではないが、自分と口付けして怒ってくる女は初めてだ。
「初めてのことなら、それなりにいい思い出となったと思うが」
「どこがだ!!! と、とにかく……」
穂積はこれ以上キスの話題には触れたくないと思い、慌てて本題に話を移した。
「まず、何で人の夢に勝手に毎晩登場してくるんだよ。目的は何なのさ。それにさっきの転移魔法って何? ゲームの中じゃあるまいし訳が分からないね。あと、ここは何処なんだよ、月が二つもあるなんて普通じゃないだろう。そうそう、思い出した、一番大事なことだけどね、そもそもあんたは一体誰なのさ」
肩を上下に揺らしながら早口で一気に捲し立てた。
彼は穂積の話を一通り聞いた後、ふむと頷き腕を組むとゆっくり話し始めた。
「俺はデューク・ウルフェン。この国の上級魔術師兼召喚士だ。今この国はクーデターの危機にあり、この困難を克服するには異世界から勇者を召喚する必要があると法王が予言された。国の星読み達が調べあげて出来上がった召喚図からは君が浮かび上がったのだ」
「はぁ? 何それ、全くチンプンカンプンですがね」
穂積は小ばかにするような態度で手をヒラヒラさせた。
「頼む、勇者殿、この国をラドメフィール王国を救う手伝いをしてくれないか。頼む」
「そんなわけ分からない話を『はい、そうですか』と易々と承諾する訳がないだろうが!」
「頼む。この国を救ってくれ」
デュークは菫色の目を揺らし、穂積の手をギュッと握って真剣な面持ちで懇願した。穂積はすぐさま彼の手を乱暴に振り払うと、首を激しくブンブンと横に振って頑なな態度を見せた。
「この話はきっぱり断るから」
(まったく何処の三流ファンタジーだよ。こんな夢、とっとと目を覚まそう)
そう強く思った時、『穂積さん、穂積さん』と遠くで自分を呼ぶ声が頭に反響してきた。
『穂積さん、穂積さん』
再び自分を呼ぶ声が聞こえ、その声を認識すると同時に突然視界に薄い幕がかかった。その幕はどんどん厚みを増していき、不思議な夢の世界も徐々に見えなくなってくる。きっと目が覚めるんだと自覚したとき、最後に視界に入ったデュークの絶望的な表情が脳裏に焼き付いて胸がチクりとした。
「穂積さん、穂積さん、大丈夫ですか? うなされていましたよ」
「――みゆきか……」
気が付くと穂積は全身に汗をかいていた。
ゆっくりと起き上がり、額の汗を手の甲で拭った。
周囲を確認して隠れ家で仮眠していたことを思い出す。
「もしかして、また同じ夢を見たのですか?」
「……嫌、ただの悪夢だよ……」
穂積は一言そう言うと、心配そうなみゆきをよそに鞄を持って無言で部屋から出て行った。
*****
日が傾きかけ空にオレンジ色の夕焼けが見えるころ、駅前のファーストフード店は、学校帰りの学生達のたまり場と化す。店員のハキハキした快活な声と学生達の騒めきで店内は賑わっていた。
皆が楽しそうな雰囲気でお喋りを楽しんでいるなか、店の隅の席で一人だけ頭上に雨雲を乗っけて、苦虫を嚙み潰したような顔をしている穂積がいた。
穂積は洋館の隠れ家を出た後ここで考え事をしていたら、学校が終わった皐月と稀星が購入済みのバーガーセットをトレイに乗せてやってきた。
「ちぃ~す」
「ああ、お疲れ、皐月」
「ほ、穂積っ、どうかしましたか? 穂積の方がとてもお疲れの顔をしていますわよ」
皐月と稀星が腰を下ろしながら、穂積を覗き込んだ。
「ちょっと悪夢にうなされていて、最近よく眠れていないんだ」
皐月がポテトを頬張りながら穂積に顔を向けた。
「穂積が寝不足なんて、珍しいね。運動不足なんじゃない?」
「そうかもね」
稀星は期間限定のプリンシェイクを思い切り吸い込んで、むせながら涙目で聞いた。
「ちなみにどんな悪夢ですの?」
穂積は考えた。ここで夢の話をしたら、いつも硬派で通している自分の頭がおかしくなってしまったと思われるのではないかと。
(正直に話して良いものか、どうか……)
穂積が腕組みをして「うん、うん」唸っていると、店内の喧騒が一瞬ピタリと止まった。
「ん?」
他の客が注目している先を三人が一斉に見ると、見覚えがあるパンチパーマ他数人が店舗の入り口で渋い表情をして立っていた。まるでヤクザ映画の冒頭シーンのように木刀を抱えて臨戦態勢で私達を見ている。
皐月がゴキブリを見るような目をした。
「あ~あ、この前のチンピラだよね」
「うっそ! 大変だわ」
チンピラに押しかけられることより鏡を壊されることを恐れる稀星は、急いでお気に入りの鏡を鞄にしまう。この前割られてしまったので、既に同じものを入手していたようだ。
「穂積、どうしますの?」
穂積はニヤリとすると
「ちょうど運動したかったんだよね。いいよ。お相手しましょう」
両手の指を交差させ、ボキボキと小気味よい音を立てた。
穂積たち三人がファーストフード店を出て商店街を抜けると例の喧嘩スポットまでは直ぐの道のりだ。JK三人の後ろに10人程のチンピラがぞろぞろ付いてくる。これでは仲間だと思われるだろうなぁと穂積は小さくため息をついた。
高架下に到着すると、皐月が素早く周りに異変がないか確認をし、穂積に目配せでOKのサインを出す。
「てめえら、この前の一件で懲りていないようだな」
穂積は落ちていた木刀を拾うと稀星にぽーんと投げて渡す。
「何度やっても同じだけどね」
皐月はやや後ろに下がり、全体を見渡しやすい場所に移動する。
稀星は受け取った木刀を構え、
「ふふふ、こう見えてワタクシたち負けなしですのよ」
3人がそれぞれ戦闘態勢に入った。
JKと男達は2メートルの間隔を保ったまま両者とも動かない。
辺りには相変わらず電車の音が鳴り響いており他の音をかき消していた。
稀星が木刀をギュッと握りなおした。
パンチパーマが一歩前に出て、いよいよ喧嘩が始まりそうなその時――。
「ねーさん、先日は済みませんでしたっっ」
パンチパーマが土下座したのを皮切りに、男達は一斉に地面に膝をつけ土下座した。
「……」
JK三人組は突然毒気が抜かれたような気になり、口をあんぐりしてお互いを見合った。
「てめえら、一体どういう了見なんだい」
穂積がわなわなと拳を震わせた。
「ねーさん、この前の夜は本当に申し訳なかった。水に流してくれるかい?」
穂積は大きく息を吸って大声で怒鳴った。
「ふざけんなよ!!」
皐月が穂積を手で制した。
「水に流すも何もそんな話じゃないでしょうが、そもそもそっちが勝手に因縁つけてきただけでしょう!」
「そうですわ。いくら稀星が可愛いからといって、無理を言ってはいけませんわ」
「稀星は黙ってて」
皐月にぴしゃりと言われて稀星はぷーっと頬を膨らました。
「ねーさん達がブラックエンジェルの神3とは知らなかったんですよ。是非、俺らを仲間にしてください」
パンチパーマが頭を地面にこすり付けた。
それを見て隣の男が顔を上げた。
「実は、隣町の暴走族と近く抗争があって、是非、ねーさん達の力を借りたいんです」
「はあああぁ!? 何だって?」
穂積は目を見開いた。夢の中だけでなく現実までもが力を借りたいなんて縁起でもない。
「稀星、塩!!」
稀星が、さっと塩を取り出す。
「なんで塩を持ってんのよ」って皐月が呆れているなか、穂積は「縁起でもねぇ」と塩を辺りにまき始める。
「抗争だろうが、何だろうが知らないけど、人の力を借りるなんて邪道なことはご法度だ! てめえらで勝手にやるんだな」
穂積が塩をまき終え、憤慨しながら手の塩をパンパンとはたき落としていると、パンチパーマが足元まで匍匐前進してきて穂積の足首を捕まえて縋った。
「ねーさん、頼みます。パシリでも何でもやります。どうかブラックエンジェルに入れて下さい」
「断固として断る。放せ、――放せよっ」
穂積が足をブンブン振って振り払っていたら、
「ほっ、穂積!!!」
突然皐月が大声を出した。
「穂積の足元に、ひ、ひっ光が浮かび上がっている、いや、これは魔法陣みたいな模様だ」
「うわああああぁぁぁぁぁぁぁ」
パンチパーマは仰天して、腰を抜かしながら、後ずさりした。
「穂積!」
「穂積!!」
皐月と稀星が同時に叫ぶ。
穂積の足元には、穂積を中心に半径一メートルの大きな円状の魔法陣が現れた。
青かったり、紫だったりする光が次々に変化していき、周りを何重にも見た事がない文字が囲んでいる。まるで一見はプロジェクションマッピングのようだ。
ここにいた誰もがこの怪異現象に驚いて動けないでいると、やがて魔法陣の中心から何本もの触手のような光の線が現れ、穂積をらせん状に巻き始めた。
それを見た暴走族は、一人が駆け出すとそれを皮切りにして一目散に蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「さ、皐月、これは何なの?」
稀星の身体は震えていた。
「――分からない、こんな事、現実的に在りえないことだよ。でも、このままだと穂積はこの魔法陣に取り込まれそうだ。何とかして止めないと――っ」
皐月の頭はフル回転でどうすればと考えるが、在りえない事変に至極シンプルな対策しか思いつかない。皐月は無我夢中で穂積に飛び掛かり、穂積が連れて行かれないようきつく抱きしめた。それを見た稀星も急いで皐月の真似をして同じように穂積に抱きついた。するとその光の線は離れるどころか皐月と稀星までをも巻き込み、やがて三人は繭状の光の線の中に閉じ込められてしまった。
「何、何なの!?」
「皐月、稀星!! 自分から早く離れて」
「嫌ですわ、絶対に放しません」
魔法陣の光はどんどん煌めきを増していき、3人の身体は光と同化するように眩く輝いた。
あまりの眩しさに3人はギュッと目を瞑った。瞼を閉じていても目には刺すように光の強さが感じられ、もう駄目かもと3人が3人とも諦めの境地に差し掛かった頃だったと思う。
気が付けば瞼に異常な光が感じられなくなり、穂積がそっと目を開けてみると、そこは今まで一度も見た事がない大きな礼拝堂の中だった。
その中心に置かれた台の上に、JK3人組はひしっと抱き合いながら立っている。
礼拝堂の中では台を囲むように十数人のローブを被った人達が3人を見上げているが、どんな顔なのか台の上からは見えない。
その一人がフードをパサリと外した。
穂積は瞠目した。緊張して全身から汗が吹き出し、一瞬で身体が冷たくなったのが分かった。
(――あ、あいつは――っ、くそっ、やられた!!)
「ようこそ、勇者様、ラドメフィール王国へ」
ニヤリと不敵な笑みを見せたデューク・ウルフェンその人だった。
デュークは考え込むように顎に指を這わせながら「余計な2人がくっついて来たなぁ……、やはり魔法陣のどこかに欠陥があったのか……」とブツブツ独り
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます