第55話 RoalingThunder!

 作戦開始から勇者が移動し、離島の作戦拠点に到着。

 そこに敷設された防護コンテナで、最終調整が始まった。リンが工具を手に持ち、重要なセンサー回路の一部を磁気異常に耐えられる仕様に変えていく。

 その過程で、やがて彼女の額に汗が浮かび始めた。


「はあ、はあ……。あ、暑……?」リンは一度作業を中断する。顔が紅潮していた。

『熱い? 済まぬ、聖剣の熱だろうか』

「い、いや違うよ。なんか、気温が上がってる気がする」


 リンは手で首を扇ぎながら、周囲を見渡す――他のメンバーもおおむね暑さを感じていたのか、皆何かしらの手段であおいでいた。やはり気温が上がっているのだ。

 夜にも関わらず上昇した気温。嫌な予感がして、冷や汗が伝い、悪寒が走る。顔は暑いのに血の気が引いたような心地だった。グロウムの嵐が近づいている。そのせいで、夏日のような気温になりつつあったのだ。


『リン殿、無理はしなくていい』

「……大丈夫、大丈夫」リンはそう答えると、腕まくりをして、作業を再開した。


・・・


 それから、露府支部観測室で、グロウムの嵐を観測されたのは午前2時――真夜中の出来事だった。同時に、支部長であるヘリーム・ピタゴラスが指令席に入る。

「ラスベガスから送電完了、最終加速に入りました」「市民避難誘導完了、戦闘可能です」と担当者から連絡が入ると、ピタゴラスは頷き、インカムに指をあてる…



「全作戦部隊に告ぐ。長官および露府支部長の連名のもとに、"特別指定魔物第一種の敵意ヘイトに係る対策制限規則"を限定的に解除し、敵視誘導を含める戦闘行為を許可するものとする――グロウム討伐作戦、開始」



 その瞬間、迎撃基地に光がともり、次々とミサイルが垂直に撃ち上がった。敵視誘導作戦が始まった合図である。

 ――その様子を、離島の作戦拠点からテルルは眺めていた。まるで花火のように垂直に撃ち上がった光は、直角にまがると海の向こうへ向かって飛んでいく。


「あそこにグロウムが……」

「おう。だが、全く見えねえな」と横のノイマンも応じる。


 テルルは目を細めた。ただでさえ暗雲をまとうグロウムの姿は、真夜中では見える気がしなかった。ただ、不愉快な熱風が冷たい風に混ざって吹き付けてくる。ミサイルが描く軌道が作戦拠点の明かりで照らされて、夜の空に線を描いた。

 目を凝らして、テルルが空を眺めていると――眩い光が空にひらめき、薙ぎ払うように光の扇を描いた。驚きのあまり数回瞬くと、瞼の裏に残光が張り付いているような感覚がした。耳を凝らすと、爆発音と遠雷の音が聞こえる。


(今のは……グロウムの魔法?)


「始まったか」チェスターがテントから出てきて、空を眺める。「索敵と敵視誘導作戦は2、3時間以内に終わるはずだ。奴はやがてこの付近を通りすぎる。その間はもっと酷い悪天候になるから、早いとこ拠点の防護コンテナに避難した方がいい」

 チェスターが作戦基地の方を指さしながら、そう言った。テルルはとっさに腕時計を見る。

「わ、分かりました」とテルルは数回頷いた。

「よし、じゃあ行こう。アルトリヱスたちはもう待機してる。グロウム一過の後で、討伐作戦が本格化するから」

「おう! なら待機しておこう。グロウムの嵐に巻き込まれたらたまらんからな!」


 ノイマンが言うと、3人ともコンテナへと向かった。中に入ると、数人の作戦部隊とアルトリヱスたちが待機済みだった。リンは一仕事を終えたらしく、ひたすら首を扇いでいる。


「安全のために扉を締め切るぞ!作業を中断して、急いで入れ!」


 外からは作戦部隊のそんな声が響いていた。やがて、テルルたちがいるコンテナの扉も締め切られて、一時的に防空壕のようになる。テルルは息を呑んだ。狭い空間に緊張感が走り、皆が口を閉ざす――


 次第に、壁が細かく震え出した。地震のような揺れが次第に大きくなる。大地をはがしてしまいそうな強い風が吹き、数百キロのコンテナの壁面を激しく叩いた。嵐が過ぎるのを静かに待つ――まさにそのような感覚だった。外の景色は全く分からないが、時折大粒の雫がコンテナの屋根に弾丸のように撃ち込まれて音を立てた。海が荒れて、海水が巻き上げられて高潮となり、作戦拠点まで届いているようだ。――。リンの頭の中に幼いころの記憶がよみがえっていく。首を扇ぐ手が止まる。。父親の仇の光がすぐそばを通るのだ。冷や汗が首を伝う。暗雲の冠が、待機地点の上空に差し掛かるが、コンテナ越しでは気付く由もない。暑さで少しぼうっとしたリンの脳内に不意に浮かんだのは、父親の最期の想像だった。

 飛行機の中で風に揺られ、雷の光に呑まれて、そして……






――毘沙嗚呼唖唖唖唖唖暗!!!!―――


「―――!!」

 その時、リンの両肩に誰かの手が置かれた。左を向けばテルルがいて、右には勇者がいた。「あ……」とリンは声をこぼす。

(大丈夫)とテルルが口だけを動かし、勇者が頷いた。

 彼女は自分が震えていたことに気付いていなかった……リンも頷き返して、小さく息を吐いた。

 それから、30分程度が経過したころ。

 コンテナの揺れも収まり、あとは雨がコンテナの屋根を叩くわずかな音が断続的に響いていた。隊員がコンテナの扉を一人分が通れるくらい少し開けると、生ぬるい風が吹き込んでくる……

 安全確認が終了次第、BMプロジェクトメンバーは作戦基地へ向かいサポート体制に入り、一方勇者は軍艦へ乗り込み、グロウムへと接近する手筈だった。聖剣の加護を取り戻した勇者は今や、グロウムに接近できる唯一の存在となっていた。


「……勇者」と、リンが小さく声をかける。「無理はしなくて良いから。何度も言うけど、あんたが死んだら世界もホントに終わりかもしれない――」

『……ふっ、はは。リン殿は優しいな』

「はっ!?」

『かつて拙者が戦ったときに、そこまで言う者はいなかった。戦うのが当たり前の時代だったからかもしれんが……。今は、戦う意味がより一層重くなったのだな』


 アルトリヱスは立ち上がった。ちょうどその時、扉の向こうから「安全確認終わりました! 準備願います!」との報告と共に、コンテナの扉が開け放たれる――

 空が少し白んで、暁の色を呈していた。外に出ると、まさに台風一過の直後のように外の景色が荒れていた。コンテナの中に避難していた基材類が、急いで外に運び出されている。一方、浜の方へ眼を移すと、そこは様変わりしていた。鉄くずの残骸が積み上がっていたのである。


「おう、なんだこれ? どっからこんなジャンクが……」


 ノイマンが残骸の一つに近付き、拾い上げた。“ごうん”と重い音が鳴る。薄い金属の板は錆びていて、茶色くざらついていた。


「グロウムの周りに集まった船の残骸だ」と、チェスターが答える。「奴が出現した時の災害で、いくつもの軍艦や空母が破壊された。調査船ゴーストシップも破壊された船の一つだ。その時の残骸は、磁力の影響のせいか、あいつの周囲に集まったままなんだ。浅瀬で引っかかった残骸が、ここに流れ着いたみたいだ」


「金属片は、グロウムに引き寄せられるんですね……」

 テルルは悲痛な表情を浮かべて残骸を見つめた。人類の敗戦の歴史が、魔物の足跡として浜に取り残されていったようだ。

「…………」

 リンは残骸を見つめて、黙り込んでいた。金属片は処分に困るゴミに過ぎない。だが、そのどれかはもしかすると、かつての飛行機の一部の可能性もある。リンの父親が乗っていた飛行機の残骸が、紛れ込んでいるのかもしれない。けれども、もはや見分けを付けることなど不可能だった。

 アルトリヱスはそんなリンのことを一瞥すると、日の昇る方へ眼を移した。グロウムが向かった方角だ。暁の光と暗雲が立ち込め、壮絶な空模様となっている。


『敗戦の歴史か……』

 小さくそう呟いた。風の音のせいで、誰にも聞かれなかった。

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