第48話 隠れた被害者
沖縄分室の夕方。
疲れがたまったテルルはあくびをすると、気分転換に外に出ることにした。ここ最近は時差ボケの影響が抜けぬままに数日を過ごし、日中緊張感を欠くと直ぐに眠気が出てしまう。
(あれ…そういえばリンは……?)
いなかった。彼女は今、磁気異常に耐えうる機械的構造を模索しているが、行き詰まっていた。装甲で覆って完全な磁気耐性を付与してしまうと、外部との通信手段も実質的に失われてしまう。かたやセンサー類を装甲で完全に覆うことはできるはずもなく、リンのうち手は欠けていたのだ。
彼女は普段、アルトリヱスのそばにいることが多い。実のところソフトウェア開発のテルルと違って、機体ありきのリンの方が勇者のメンテナンスに掛ける時間は長いほどである――ただ、今日に限って言えば、アルトリヱスはヨウドのところにいる予定である。テルルは彼が作業している部屋に向かって、その扉をノックした。
「ヨウドさん、アルトリヱスさま。いますか?」
すると、数秒して扉が開けられた。ヨウドが目の前にいて、部屋の奥ではアルトリヱスが立っている。
「おやシャルルさん。どうかしたんですかい?」
「ここにリンって来ましたか? 今日、見てないなって思って」
「シュタインさん? ……いえ、今日は来てないですがねえ」
奥のアルトリヱスも彼の言葉にうなずいて賛同を示していた。
「そうだシャルルさん。旦那にまた
「アクセサリを?」
『うむ。これだ』
勇者が何かを指し示し、テルルはそれを見遣る。その腰には「鞘」のような付属品が増えていた。外観から素材を察するに、革製らしい。
「どこからあんな材料を……」
「余ってる軍服の手袋からちょいとね。それよりシュタインさんに何か御用でもあるんですかい?」
「その、磁気異常対策はどうなったかなって思いまして。ヨウドさん、何かご存じでしょうか?」
テルルが尋ねると、ヨウドは肩を竦めた。
「シュタインさんの進捗はよく知りませんねえ。まあ僕も大して進んでないんですが……どうしたもんか」
「ですよね……」
磁気異常の影響を受けないように遮蔽防御をすること自体は可能なのだが、その場合、電波の受信感度も同時にかなり落ちてしまう。つまり通信不能になる。それだけでなく、遮蔽物を使うと音視以外の光センサー類も使い物にならなくなる。
その条件はどんな素材を使ったところで同じであった。テルルは現在のセンサー類の回路や動作に関して確認していたが、磁気異常によって電流にも異常が発生すると、いずれの危機も動作に支障をきたす見込みだった。
機械の体であるアルトリヱスの立場になぞらえれば、前後不覚の「混乱」状態になってしまうのだ。
「露府支部でも磁気異常に対抗するとは言っていましたが……それだけに賭けるわけにはいかないですよね。不測の事態はいくらでもあります」
『うむ。ノイマン殿が聖剣の欠片を上手く見つけられればより盤石となるだろうが、それも中々困難よな。見つからぬ可能性の方が高いのだから』
アルトリヱスは腕を組んだ。なんだか戦う前から追い詰められたような雰囲気である。
「やっぱり私、リンを探してきます。どんな些細な対策でも、ないよりはマシですから」
テルルはそう言い残して部屋を出ていった。部屋に残されたヨウドとアルトリヱスは顔を見合わせる。
『ふむ。確かにその通りよな……』
「へっ、まあそうですね。今回ばっかりは出る幕が無さそうなんですが、僕ももうちっと知恵を絞りますわ」
『拙者はテルル殿を手伝うとしよう。リン殿を探してくる』
*
ぶ厚くて影のかかった不穏な雲を見るとなにやら気持ちが落ち着かなくなることは誰しもにあることだ。なぜなら大雨や雷、突風の前兆なのだから。
テルルが外に出たときに感じたざわつきも、それと似たような感覚だったかもしれない。遠くの空に積乱雲のような白い影が見える。今にもごろごろと不機嫌なうめきを鳴らし始めそうだった。
「……あ、リン」
リンはそこにいた。基地を出てすぐ差し掛かる階段の踊り場で、手すりに肘をかけてどこかを眺めていた。彼女はテルルの呼びかけに気付くと、驚いたように振り向いた。
「どうしたの、こんなところで? 雨降りそうだし、中に戻った方が」
「…………」
リンは俯いて、しばらく黙っていた。妙な様子の彼女に、テルルはおろおろとして、少し腰を折って視線を下げる。
「どうしたの、リン? 体調でも悪いの……? 時差ボケ?」
「あのさ、テルル」
「うん」
「雷王と戦うの、止めない?」
テルルは――言葉に詰まり、数秒何も言い返せなかった。
「ど、え?……どうして?」
ようやく出て来た言葉はそんなものだった。
「勝てないよ。機械の体じゃ、あいつには」
「で、でも……銘骸羅だって、機械の体で勝つのは不可能だって言われてたのに、勝てたんだよ? グロウムだって――」
「セレンさんがいなかったら、銘骸羅だって無理だったよ。それにグロウムの磁気異常は機械にとってはもっと厄介じゃん。テルルが一番分かってるでしょ……?」
テルルは言い返せなかった。
銘骸羅の腐食と、グロウムの磁気異常。どちらも機械にとっては天敵だが、腐食が引き起こすのは所詮ハードの問題である。人間で例えれば「擦り傷」や「骨折」に近い。
――磁気異常はソフトの問題を起こす。誤作動で済めばいいが、最悪EMPのような破壊的なダメージをCPUが受ければ勇者のメモリーが失われる可能性がある。人間で例えればそれは「毒」や「精神破壊」に近い。
もし勇者がCPUから失われたとき、再びあの体に勇者を宿すことができるのか?
一度失われた勇者のメモリーをもう一度再現できたとして、それは“今の”アルトリヱスと同じなのか?
聖剣は、そのアルトリヱスを再び選ぶのか?
誰も言葉にしなかった最大の懸念点がそこにあった――グロウムは「
「ともかく、私は戦いたくない。じゃないと勇者も失うかもしれない」
「で、でも――」
(……え? 勇者も?)
『そういう話なら、拙者は退くわけにはいかぬ』
その機械音声を聞いてリンはびくりと肩を揺らした。アルトリヱスが階段を上がってくる。どうやら一階の方から外に出て階段を上がってきたところらしい。
「な、なんでよ。あんたが死んだらこの世界は終わりなんだよ、分かってんの?」
『だからといって、グロウムから逃げ続けて解決するわけではない。拙者が死んで世界が終わるか、拙者が戦わずに世界が終わるか――いずれかの結末を避けるには、誰かが戦って奴を討つしかない。戦わなければ結末は一つだがな』
テルルはいつぞやのケテラーとの会話を思い出す。あの時も、勇者は銘骸羅の分裂個体と戦うのをケテラーに引き留められた。ヘイトが人類に向くことが無いように。嵐が過ぎ去るのを待つべきだと諭されて――
勇者はその時も言い返したのだ。戦わずにやり過ごせば、それで受けた被害に言い訳できるのかと。
「でも、
『今はネロもいる。奴がグロウムの体を喰らい、同じ能力を得れば世界に被害が出る可能性は高い――奴は空から歩いてマッターホルンにも現れたのだ。奴はこの世界の果てにだって、歩いて行くことができるだろう」
勇者はリンの目の前に立った――彼女は気圧されて、一歩後ずさる。
『拙者とて無謀な状態で戦うつもりはない。だが、逃げるつもりは毛頭ない』
「……なんであんたがそんなに戦えんのよ? 勇者だからって、今の世界を守る義務なんてないのに……」
『守るために戦った者の業だ。拙者は、かつて守り抜いたものがずっと未来まで続くことを願った――今はその未来の窮地に来れたのだ。傍観するはずがない。守ることに理由はもうないのだ』
「…………」
リンは黙って俯いた。
「……分かってるよ、そんなこと……でも、恐いんだよ……」
『恐い……グロウムが、か?』
脈絡的にリンが怖がっているものがグロウムであることは察することができた。だが只ならぬ恐怖心を抱いていることも容易に察せた。勇者を失う可能性があるから恐がっているのではなく、もとから恐怖心があるからネガティブなことを言ったのだと、そう思わせるほどである。
以前にも抱いた疑問が、テルルとアルトリヱスの中に同時に想起される。
“なぜリンは、グロウムを異様に恐れるのか?”
「……リン?」
テルルは彼女の目の前に立ち、まっすぐと目を見て尋ねた。
「なにかあったの?」
「…………」
――さて実のところ、雷王は世界に及ぼした直接的な被害が最も小さい四天王である。
代表的な被害は環太平洋合同軍事演習の襲撃と、その後のFORCE交戦における作戦部隊の殲滅。その後の大きな混乱も相まって、世界的に知られているのはそれだけである。
些細な被害として、航空機の一部が磁気異常の影響で一時的に方向感覚を失ったことがあげられるが……その被害の大きさは、当事者以外にはおよそ知られていなかった。その後の世界の混乱に、すぐに塗りつぶされたのだ。
小さな悲劇が起きたのはもう十数年前。
リンがまだ幼かったころ――そして、雷王が世界に現れた日のことである。
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