第46話 ロサンゼルス迎撃基地

 ……時に世界では、

「現代世界に最初に現れた魔物が何だったか」

という議題が上がるが、これは未だに答えを得ていない。ただ、

「現代世界で最初に名付けられた魔物が何か」

という問題に対しては、誰もが答えを知っている。

 つまり「グロウム」、時に「雷王」と呼ばれる魔物こそがその答えである。今でこそFORCEは特別指定魔物ネームドターゲットによる分類をシステム化しているが、グロウムはそのシステムが生まれる前に名前が付いた魔物であり、当初は、作戦上の討伐目標についたコードネームに過ぎなかった。


 グロウムは太平洋上空に現れた。その時、航空機では磁気異常が観測されていたとされているが、それは十年以上にわたって続く大混乱の些細な前兆だった。最終的な雷王の出現位置は、まさに“最悪”と呼ぶにふさわしい位置だった。

 太平洋に浮かぶ南の島。その周辺海域で展開されていた「環太平洋合同演習」には各国の海軍空軍が参加していた。

 そこに突如現れた円環状の黒い雲と吹き付ける異様な熱風――暗雲の冠の下には、局所的な天光に照らされた銀色の球体がぽつんと浮かんでいた。


「Что это――?」

「What is that?」

「那是什么?」

「What's that one?」

「Qu'est-ce que c'est ?」

「……なんだ、あれは?」


 わずか数秒の間に出現した悪天候を発見して、皆が観察体勢に入る。同時に息の詰まる緊張が走った。各国の軍が結集する場に正体不明の浮遊物体。全員の心の中で、銃口は同じ方向に向いていた――




―――毘沙嗚呼唖唖唖唖唖暗!!!―――




 鼓膜が裂けるほどの轟音が海洋に波紋を広げ、太陽が目の前に落ちたと錯覚するほど眩い光が視界を覆った。

「Shit…・・・・――――!!」「Дерьмо……・・・・――!」

 直後、光が落ちた二隻の戦艦が同時に真っ二つに割れ、煙を上げて、渦の中に消えていった…。

 それからもひとつ、またひとつ、またひとつと――!!

 その時点で参加していた戦艦数十隻の半分が光に討たれた。生き残った戦艦たちは、しかし凶悪な磁気異常によって方向感覚、通信機能を失い、かたやその船体は、まるで渦に寄せられるように銀色の球体へと引き寄せられていく。

「なんなんだこれは、くそ!!」

「Qu'est-ce qui se passe ?!」

 轟音、光、風――積乱雲の中を航海するが如き激烈な環境を必死に抜け出し、最後にはたった数隻の船が凪の沖に残り、果てに臨む暗黒の雲を呆然と眺めていた。

 静かな波の音が聞こえる場所まで離れて、皆はようやく、あの光と音の正体に気付いたのだ。

「……гром?」

「雷、なのか…?」



――それからの歴史はFORCEの歴史となる。ある意味、グロウムのもたらした被害がFORCEが結成される契機となったと言ってよい。誰彼構わず破壊をまき散らしたあの光の害悪は人類の敵である、と誰もが納得したのだ。

 世界に大小さまざまな名もなき魔物があふれ出していくにつれて、同盟組織は自然の摂理のように結成される流れとなった。人同士ではなく人と「それ以外」が敵対したのは人類史上では久方ぶりで、単純な同種族の同盟関係こそ人類に残された生存戦略になった。

 “FORCE”結成時には環太平洋合同軍事演習で「銀色の球体」の被害を受けた米国、中国、露国、仏国、日本、そしてアーカイアの6国が加わった。歴史上でも異色となる組み合わせの同盟は中立的立場のアーカイアがとりまとめるという荒業で成立した。最も、これは「人ならざる者」との抗争という人類史上でも特殊な情勢が後押しとなり、体裁上の仲介を以って不可抗力的に発足された同盟である。

 その第一の目標(というより結成当初の唯一の目標)は太平洋沖に発生した「銀色の球体」の征伐である。対象のコードネームは発見国の言葉で「雷」を意味する「グロウム」となった。


 そして歴史に残るグロウムとFORCEとの交戦が、幕を開けたのだ。だがその幕は、作戦開始からほんの半日で下ろされた。

 空海軍による集中砲火作戦に関して言えば、十数分以内に終了した。作戦部隊は壊滅したとされている。当時の作戦で何が起きたか、衛星からの映像も暗雲の冠に隠され、誰にも観測されていない。推測では電磁パルスのような広範囲の無差別攻撃によって数十キロ離れた戦艦を含め全軍の通信機能が失われ、作戦遂行能力を破壊されたと考えられている――





『―――というのが、過去のグロウム征伐作戦に関する基本的な情報である。質問は? Mr.アルトリヱス?』


 説明を終えると、FORCE米国支部長ヘリーム・ピタゴラスはこう尋ねた。アルトリヱスは『Mr.…?』と短く呟いた後、画面の向こうから聞こえる質問に対して首を縦に振った。


『お主はグロウムに詳しいと聞いた。その電磁パルス?というのは何なのだ?』

『ああ、確かに貴方には馴染みがないかもれいないな。この際、機械だけ選択的に壊す魔法攻撃だと思ってもらって構わない』

『機械だけを……?』


 それだけを聞くと確かに、まるで魔法のような攻撃だと思えた。さらにピタゴラスは説明を続けた。


『グロウムの能力は四天王の中でも最も分かりやすい。魔法が分からずとも、ある程度であれば電磁気学と電気化学のロジックで説明できる。例えば奴の周囲の海と上空は異常な高温になっており、雲すら生成しない。これはなぜか分かるか?』

『雷のせいではないのか?』とアルトリヱス。

『大まかには正解である。だがより深刻な理由がある。やつの周りでは“地磁気”が乱れる。それ故に、本来であれば地磁気によって防がれ、地表に届かないはずのの一部が海面に到達するのである』


 テルルはぎょっとして目を丸くした。そんなことまで考えたことはなかった。


『電解と放射線による影響で、苛烈な化学反応が絶え間なく起こる台風の目のような場所が発生する。いわば“反応炉リアクタ”だ。pHも放射線量も正常値ではないかもしれない。電気的中性すら乱れているかもしれない。予測がつかない。Mr.アルトリヱスの体も機械だろう? 機械向けのケアを考えなければ、近寄ることも憚られる。そのあたりはどう考えている?』


「それについては、私から説明します」


 テルルが緊張気味に口を開いた。まさか、通話相手が支部長クラスだとは思いもよらなかった。ケイが「詳しい相手につなげる」というからどんな相手が来るかと思えば、予想できない相手だった。


「現在、聖剣の強化を考えています」

『聖剣の強化?』と、画面は言葉を跳ね返す。

「電磁パルスに耐えうる耐性を付与できる可能性があります。ただ聖剣については不確定要素が多く……並行して電磁波を遮断する改良をする必要があります」

『だがそれでは、Mr.アルトリヱスとの通信も途絶える恐れもあるのではないか』

「う……」

 つい、テルルは言葉に詰まる。

『まったくの無策ではないようだが、不確定要素のある策は少々心もとない。こちらでも手を打つ予定だ』

「え?」

『話は少し変わるが、グロウムのビジュアルを知っているか? Dr.テルル』

「……銀色の球体、ですよね?」


 脳内に金属の球体を思い浮かべながら、テルルは答える。まるで仮想の力学の問題に出てきそうなシンプルな概念だった。


『うちの研究室の説によれば、あの球体が電磁異常を招く最大の要因だとされている』

「どういうことですか? ……あの球体が、グロウムですよね」


『あれは“電子殻”である』


 その短い返答を聞いてテルルは目を丸くして「はあ?」とごく小さい声で息を漏らすと、そのまま開いた口がふさがらないようだった。一方でアルトリヱスは『電子殻?』と、その物理的概念に関して初めて耳にしたかのように呟いた。

 電子殻。化学あるいは物理を習えば、多くの人間は言葉くらい聞くことになるだろう。その正体は原子を形成する「輪郭」。本来であれば肉眼では見えない素粒子で構成された、極小であいまいな構造体の名称である。

 ――それが半径数メートルの球となって、海に浮かんでいるということらしい。


『あの銀の外殻は全面が負に帯電している。逆に中身は正に帯電しているのだろう。電磁パルスを発生させているのは、巨大な電荷を持つ構造体半径の揺らぎや変形によるものだと予想されている――我々があれを破壊しよう』

「は、破壊って……でも、どうやって?」

『簡単なことだ、Dr.テルル。電子殻自体には物理的に干渉できる。魔法という不思議な力が根源にあっても、その結果が電子殻なのであれば、我々は物理的に破壊する手段を用意してある――羅府ロサンゼルス迎撃基地にな』


 テルルは息を呑んだ。半径数メートルにも及ぶ電子殻を破壊する「実験装置」が羅府の基地で既に完成しているということらしい。


『――ただ、今はグロウムの嵐の範囲が広くて強い周期に入っている。海上で有効な作戦を行うにも、1週間程度様子を見てからが良いだろう。君の言う聖剣の強化も、進めておくとよい。最悪の結果を避ける最も確実な方法は、最善を尽くすことだからな』

「は、はい」


『ではまた会おう。次は羅府でな』

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