雷王編
第44話 グロウムの嵐
銘骸羅の討伐から、はや数日。テルルたちはまだ日本にいた。
「ま、米国側の受け入れ体制が整わないとな」
ケイは言う。
BMプロジェクトの一行は今、沖縄にいた――波の音が穏やかに響く、ビーチである。宝石を溶かしたような海が目の前に広がっていた……ここに行こうと言ったセレンはどこへやら、パラソルの下にはケイとテルルのみが残っていた。
当然と言えば当然かもしれないが、他の海水浴客など一切いない。つい数日前まで日本に「住人」も「観光客」もいなかったのだから。
「ケイさんは、グロウムを見たことはありますか?」とテルルが尋ねた。
グロウム、通称“雷王”は、特別指定魔物第一種の一角である。FORCEの職員にあって、その名前を知らぬものはいないが、実際の姿は見たことがない人間がほとんどである。
「一度か、二度かな……っていっても、グロウムの起こす嵐が特別でね。いわゆる“グロウムの嵐”を見たことがあるだけで、グロウム本体は直接見たことがない」
「グロウムの嵐? 確か、データベースにもあった気が…」
テルルはデータベースのUIを思い出しながら、そう答えた。さわさわ、と心地よい風が海から吹きぬけていく。
「普通の台風では、台風の中心に向かって風が吹く。原理は単純。中心が低気圧で、周囲の気圧が高いところから風が集まるからだ。浴槽の水を排水溝へ流すような流れ方だな」
と、ケイが続ける。
「ええ、それは知ってますが……」
テルルは渦巻きをイメージする。
「グロウムの嵐は、中心から外に向かって風が流れる。逆方向の嵐なんだ」
それを聞いて、テルルの脳内の渦巻きが破壊された。
「……な、なんでそんなことに?」
「それは――」
「高圧力空間だから!」
横から誰かが答えたので、二人が顔を上げると、声の主はセレンだった。髪に水が滴っている。彼女の背景が海で、格好が水着なので、誰がどう見ても海で遊んできた後だった。
「その通り。グロウムの周囲は魔法で、莫大な電位差――まあ平たく言うと、超強力な雷が降ってるんだが、その雷の経路にある水も空気も、プラズマになる」
セレンの水に濡れた様相はとくに触れず、ケイは続きを答えた。テルルはそれを聞いて驚く。
「ぷ、プラズマ? すさまじいですね」
「そこから発散する粒子が局所的に高圧環境を作って、周囲に圧縮した空気を押しのける逆向きの台風の目の中心になっちゃう。そして凝集した水が円環の形の雲を作る。それが、“グロウムの嵐”。嵐が来ると雷が鳴るけど、ある意味グロウムはそこも逆――雷を鳴らして嵐を呼ぶんだ」
テルルは息を呑む。銘骸羅というサイズのスケールが狂った魔物がいたが、グロウムも負けず劣らず、スケールが違う――魔法で特殊な天候を作り出すのだ。超出力の魔物である。
「セレン、君は確かグロウムの本体も見たことがあるんだろう? どんな奴なんだ?」
「うん。えっとね、一言でいえば――“銀色の球体”」
「?」「?」
妙な答えを聞いて、ケイとテルルは顔を見合わせる。
「なにかの比喩?」ケイは真意を尋ねた。
「いや、見た目は本当に銀色の球体だよ。しかも結構小さい。多分、直径は20メートルくらいかな」
「なんか、銘骸羅と随分対照的だな…」
「ま、見たことあるって言っても、正直私も自慢できたものじゃないよ。周囲が悪天候すぎて、まともに近づけないからさ」
「……それ、どうやって聖剣で倒したら?」
「……どうしようね?」とセレン。
すると、その会話にもう一人が混ざった。
「あー、セレンさん、もう! もう、こんなとこにいた! 波に流されたのかと思ったわ……! もう!」
彼女の後ろから、リンが声をかけた。怒りを匂わせる声色で、涙目である。ただ、手にビーチボールを持ち、格好が水着で背景が海なので、気迫を大いに欠いた。
「ごめん……」
「あ、いや、その……別にそこまで本気で怒ってないですよ。えと……、なんの話してたんですか?」
「グロウムのこと」
それを聞いたとき、リンは一瞬だけ、眉をひそめた。
「……グロウムですか?」
「うん、その、もしアルトリヱス様が戦うとしたら、どうやって倒したら良いのかって――」
テルルも先ほどまでの話題の要点をかいつまむ。
「ふん。そもそもあの勇者、あれに近付けんの? 磁気異常もあんのに」
「そっか、磁気異常もあった……」
いま分かっている情報だけでも、戦闘に際しての条件は厳しいものだった。
グロウムの嵐と呼ばれる特殊な悪天候。
それに加えて磁気異常――アルトリヱスの機体にとって、磁気異常は致命的である。ほかの条件と比較すると、本質的な対処が最も難しいと思えた。
「腐食の次は、磁気異常か……」
テルルも難しい表情を浮かべる。
「ま、勇者にもそのことを伝えといてよ。どうせ、磁気のことなんてさっぱりだろうし」
リンはそれだけ言い残して、その場を去った。手にビーチボールを持って、ぽんぽんとつきながら、その遊びのような仕草にそぐわないネガティブな感情が、背中に漂っていた。
「……リンちゃんってさ。グロウムのこと、嫌いなのかな」
「ふつう、魔物を好きな人なんていないだろ?」
ケイがそういう。
それは当たり前だろう、とテルルは思った。
「そういえば、当のアルトリヱス殿は? 今日は一緒じゃないのか?」
「今は、ノイマンさんのところにいます」
*
『さてノイマン殿。聖剣の欠片が日本のどこにあるか、目星はあるだろうか?』
会議室の中で、アルトリヱスはノイマンに尋ねる。
「おう!というより、ここになかったら他の候補がねえ!困ったことですがな」
『ふむ……。確かに以前聞いた話によれば、聖剣に触れたことによる悪影響は、大陸を東に向かって伝わっていったのよな。そしてその終着点が、日本だった』
「その通り! もっと場所を絞れば――聖剣の拒絶にともなう“呪い”が最後に記録された場所は、京都という場所だ」
『京都……』
アルトリヱスの眼光が細くなる。
『それはどこだ? この前、出向いた場所から近いか?』
「おう……いや、東京からはちと遠いな」
ノイマンはマップを指さす。見れば、確かに東京から少し離れた位置にある。
「ここには大昔の日本の都があった。ある意味、聖剣があってもおかしくねえと言える場所だ」
『古都か……だが、銘骸羅によって、とっくにそこも吞まれてしまったのだろう?』
「おそらくな。詳細は現地調査で改めて確認する必要があるが、まだ手がかりがあるかどうか」
『なにはともあれ、手がかりがある場所へ向かうべきだろう……次の戦いの相手は、雷王なのだろう? できれば、聖剣の力を完全に取り戻しておく方が良い』
「“聖剣の加護”ってやつのことですな」
『以前、リン殿から聞いた。拙者のカラクリの体では、雷王を討つには相性が悪すぎると。だが、聖剣の加護があればその弱点は補えるかもしれぬ』
「おう、磁気異常か……。ま、他の残りの四天王どもも、同じくらい面倒な影響が予想されてますがな」
『ふむ、そうか。リン殿がかなり恐れているようだったから、さぞ致命的なのだと思ってな』
「確かに勇者様の機械の体にとっては、そうだが――」
ノイマンは腕を組んで、気難しく唸る。
『どうしたのだ?』
「どうも、リンのやつはグロウムを特に嫌っている気が――いや、はっは! まあ気のせいでしょうな!」
アルトリヱスは肩を竦めた。
『やつらは恐ろしいやつだ。無理もなかろう』
「おう! おっしゃる通りだ。ただ……これは、ある意味身内事だからこそ言えることだが」と、ノイマンは声を潜める。
「グロウムは他の四天王と比べりゃ、世界への被害が一番小さい四天王だ。確かに交戦した大きな部隊を滅ぼした。だが、それ以来直接的な被害はねえ……まあ渡航ルートの影響もあるが」
『む? ふむ……』
アルトリヱスは頭の中で、他の四天王たちのことを思い返す、
一つは国を滅ぼし、一つは宇宙と星を制し、一つは大洪水を招いた。
――それと比較して、雷王グロウムは、交戦した部隊をせん滅しただけである。簡単に無視できるほど小さな被害ではなかったが、あくまで組織が受けた被害に過ぎないのだ。世界を破壊するほどの影響はまだ出していない。
「雷王はおそらく、四天王の中で一番大人しい。過去にFORCEをせん滅して以来、ずっと太平洋でじっとしてるだけだからな」
『一理あるが……。ならば、リン殿のあの雷王への警戒はどこから来たのだ?』
「うーむ…」『うーむ…』
二名は揃って唸った。
「正直、儂もリンの考えのことは詳しくねえがな。あいつなりに、グロウムという魔物を相手に手詰まりがあって、苦悩してるのかもしれんな」
『ふむ。リン殿ゆえの悩みか』
リンはアルトリヱスのボディフレームを含めるパーツの製造部の橋渡し役である。故に、魔物との戦闘で生じる機体の不具合について、最も気を砕いているのも彼女である。
『リン殿がいなければ、このカラクリも成立せぬからな。彼女が憂慮することは、無視できぬだろう』
「おう! 一応あいつもすごい奴だからな! 勇者様の機体の元になってる、現行のFORCEロボットを設計したのはリンだ。ある意味、今FORCEにあるロボットすべての生みの親だ」
『ほう――?』
アルトリヱスは自分の体を眺める。『そうか。リン殿がこれを……道理で、治すのが早いと思ったのだ』
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