第43話 伝説または後日談

 銘骸羅が消滅してから、日本各地を染めていた紫色の物質は消滅。さらに聖剣によってエネルギーを吸収されたことで崩壊して瓦礫のようになっていた肉体の残骸も、チリとなって消滅した。

 瘴気に侵されていた川や近隣の海の水は、嘘のように透明になった――。銘骸羅の出現によって微生物がすべて死滅し、一切の水棲生物が棲みつかない代わりに、まるでガラスのように澄んだ水となっていた。

 白くなって死んでしまった草木は戻ることはなかったが、大地の色は、銘骸羅の肉体が避けたことで土の色に戻った。掘り返せば、生き残った生物たちが残っているかもしれない。

 ついでに錆びて崩壊したインフラ類が復活する――なんてことは当然なかったが、ようやく人が住める環境に戻った今、復興も時間の問題だろう。


 銘骸羅の根城である地下神殿(首都圏外郭放水路)の調査は丸一日かけて行われたが、銘骸羅の消滅は調査開始直後、すぐに確認された。

 一方で銘骸羅が集めた無数の骸は、地下神殿から取り出されたあと土の下で供養された。――衛生環境が問題になるかと思われたが、銘骸羅の瘴気のせい(おかげ)で、細菌の量は検出感度以下であり、骸骨はまさに標本のように清潔であった。ただ、コンクリートの表面が変質し、組成の分からない“ぬめり”が残っているため、調査の後、数年以内の工事が予定されている。





 勇者さん……、あれ? まだ起きてないの?

 まだ充電が――いや、もうほとんど終わってるか……

 アルトリヱス様――


「アルトリヱス様」

『……む』

 呼びかけに既視感を覚えつつ、アルトリヱスは体を起こす。思い返してみると、魔物と戦うたびに意識を失っているような気がしたが、実際のところは、まさにその通りだった。

「あっ、おはよう!」

とセレン。一瞬、表情が明るく変化したような気配があったが、非常に分解能の高い観察眼が無ければ気づけないほどだった。

「いま、夜ですけどね……」リンは窓の外を見る。


『拙者は――ふむ、覚えておるぞ。今回は確か、カラクリの中身が錆びてしまったのだったな。それで回復のために、ここに――』

 アルトリヱスは天井を見上げ、壁を見て、テルルを見た。

『む、ここはどこだ?』

「沖縄分室さ。沖縄の方のね」

 背後から答えたのは、ケイだった。

『ケイ殿。沖縄分室ということは、戻ってきたのだな。見覚えのない部屋だと思ったが……』

「ここに着いてすぐ船の方に移動して、会議室しか使ってなかったですから見覚えがなくても仕方ないですね」とテルル。

『確かに……』

 電池で動くアルトリヱスですら、“疲れる”という感覚を抱く怒涛の展開だった。

「ケイさん、それで――」


 テルルがケイを見ると、彼女はアルトリヱスをじっと見つめて黙っていた。

『ケイ殿? どうかしたか――』

「―――よくやった!! ありがとう、アルトリヱス殿!!」

と、ケイは機体に抱き着いた。アルトリヱスが固まり、テルルとリンがぎょっと目を剝く中、セレンだけが肩を竦めていた。

「ケイは嬉しいことがあるとすぐ人に抱き着くんだから。変わらないね」


(ケイさんって、そんなセレンさんみたいなキャラなの?)

(ケイさんって、そんな子供みたいなキャラだったの?)

 テルルとリンはそれぞれ思うところがあったが、いずれも口にすると失礼に当たりそうな感想だったので、二人ともなにも言わなかった。


「貴方と言う人は――うわ熱っ!!」

「あっ、起動したばかりなので、ちょっとCPUの排熱が……すいません」

 テルルが頭を下げる。どこかで見たような展開のあと、手を振って冷却するケイは、頬をほころばせた。


「FORCEはお祭り騒ぎになってるぞ! 銘骸羅はもう、分裂個体も含めて完全に消滅したみたいだ。すでにFORCEの調査部隊が入って、活動拠点の敷設が始まってる」

「なんか、すごい手が早いですね?」とリン。

「えっ? ま、まあ……なにせ、特別指定魔物第一種は、直接手を出さずに観察に徹するしかなかったから……それで……」

 ケイは痛いところ突かれたように、急に歯切れが悪くなる。

「要するにな時間はみーんな、復興策のことばかり考えてたんだよね」とセレンが結論を先回りする。

「こ、こらっ……、暇とか言うな。セレンだって元沖縄分室だろ…!」

「けど、それも沖縄分室の使命の一つだったの。例えば太平洋や南極を占拠されても、ある意味復興は必要ないから。四天王に関連して復興策が必要なのは、日本だけだったの」

「南極とか別に人は住んでないですもんね」

「ま、まあそんなわけで……数年以上計画されてきた復興策が、ようやく動き出したんだ。皆、そりゃ嬉しいさ。ただ、もとに戻れるかもしれないだけでも……」

 涙ぐんだケイはそこで振り返る。

「ごめん、ちょっと」


「……私もうれしいよ、勇者さん」

とセレンがほほ笑む。その表情が見間違いかと思って、テルルが瞬きをすると、すでに無表情のセレンに戻っていた。いつも通りだ。

「私は銘骸羅の瘴気を見破ったって、いろんな人が称えたりしたけど――倒し方なんて、思いつかないままだったから。ずっと歯がゆかった」


『ふむ。確かに聖剣を使ったのは拙者だが、倒せたのはお主の策あってこそよな。正直ずっと聖剣を使ってきて、魔物の魔力を奪うという発想はなかった』

 アルトリヱスは銘骸羅の巨人の目に向かって、聖剣を投げ込んだときのことを思い返す――たとえ「召喚」できるとしても、戦場で武器を手放すという大きな隙を晒すような行為は相当の度胸か、絶対的な勝ち筋か、絶望による自棄が無ければ取らない。

 今回は、まさにそれが勝ち筋だったのだ。

 自棄も多少あったかもしれない。

『上手く行かないかもしれない、という思いはあまりなかったな。セレン殿は慧眼ゆえ』


「そうですね。私も、聖剣の拒絶のことは研究してたのに、戦闘に使うなんて思いもよらなかったですから」

「裏技って感じよね。セレンさんらしい」

 二人の後輩も口々に言う。

「テルルちゃん、リンちゃん、ありがとう!」

 セレンは二人に飛びつく。勇者のほうに行かなかったのは、機体が熱いのを知っているからだ。


『そういえば……ヨウド殿は? 最初に魔力を吸収するときに使ったあの長いケーブルだが、よく短期間で用意できたものだ』

「ヨウドさんは……」テルルはちらりと、ドアの方を見る。「……おそらく、ノイマンさんと一緒に、ケテラー支部長に報告中かと」

「なんか、いつもヨウドさんたちに任せてて悪いな~……」


「ま、良いんじゃない?」とセレンが軽く言う。「そういうのは、先輩たちに任せときなって」



『―――よくやった』

 開口一番、ケテラーが手放しに賞賛を告げたので、カメラをオフにした状態のまま、ヨウドとノイマンはこっそり顔を見合わせる。

(よくやった、って言いましたかね、今)

(いったぞ、聞いた)

『とはいえ、BMプロジェクトメンバー全員に伝えたいところだがな。世界の不治の癌ともいえるネームドターゲット第一種を討ったのだ。賞賛するだけでは罰が当たる功績だろう』

「ま……、第一種、一体増えちまいましたけどねえ」

『喫緊の課題は変わらず、そこだな』


 はあー、と深いため息が響く。いろいろなことを察せる音だった。


『新第一種、“ネロ”だが……少なくとも今のところは、まだ再発見されていない。銘骸羅の肉体が食われる心配はもういらないだろうが……もし他の四天王どもの“グロオム”や“ヴァイス”が食われた日には、それだけで絶望的だ』

「おう。にしても、FORCEが血眼になって探してんのに、見つかんねえなんてな」

「銘骸羅みてえに馬鹿でかかったり、グロオムみてえに広範囲に天候の変化があれば分かりやすいんですけどねえ」

「まあそれじゃあ、見つかる見つからない以前に、いるだけで迷惑だがな……」

と、ノイマンはもっともなことを補足する。


『BMプロジェクトには第一種討伐を最優先事項として命ずる。長官いわく、

今は雑魚のことは気にするな

――とのことだ』

「おう! 威勢が良いですな。しかし、次の第一種か……」


 ネロを除く、残りのネームドターゲット第一種・通称四天王は、もはや残り3者となった。

 

「ラア……はすぐにはちと厳しいか。少なくとも、航空宇宙局の協力がねえとな」


「個人的な意見ですけど、ヴァイスも嫌ですねえ。どれも相手すんのは嫌なんですけど下手なことするとあいつは世界中を水没させかねないんで、恐いですし」


『討伐順序の問題はすでに第一種研究員たちから提案されている。仮に討伐する手段が用意できたとしても、、とな』


 その話を聞いて、ヨウドは目を丸くする。


「なんでです? ぶっちゃけ、ラアの方が強そうですが」

『引力だ。ラアが強力な引力を行使するところは観測済みだ』

「……ああ、なるほど。海ですね」

 一言聞くだけで、ヨウドは納得する。


『もしヴァイスと敵対し、やつが本当に世界中の氷をすべて溶かした場合、予想されている水没地帯は計り知れないほど広い。ただでさえな。だがもし、その状態でラアが生存していると――』

「引力によって、海面水位が見かけ上跳ね上がるわけですね。満ち潮地帯が移動して、各地が順番に水没して、最後は世界が全部水に呑まれる――」

『そうだ。それこそ高山の一部を除いてすべて沈む――高山地区も、ヴァイスが起こした雪崩で破壊されているだろうがな』


「だとすっと―――」

 ノイマンは、結論に至った。

「いま直ぐに戦うべき相手を選ぶなら、“雷王”――グロウム、ってことだな!」


『そうしろ』

 ケテラーは端的に応じた。

『それとノイマン。君は聖剣の欠片探しに着手しろ。銘骸羅を討った今なら、日本国内の調査は可能だ――最も、博物館は営業してないだろうが』

「おう! おまかせください!」








 さて、日本の復興のため、東京へと集う船の乗組員が、風の変化に気付いたのは、銘骸羅の討伐数日後のことだった。

 双眼鏡で水平線の果てを見て、乗組員たちにむかって声を上げる。

「…嵐が来てます! 一度近くの湾岸まで寄った方が良いかもしれません」

「嵐……? いや、あれは嵐じゃないな」

 年をとった乗組員が同じように海を眺めると、別の結論を出した。

「えっ? 嵐じゃないのですか?」

「だが、沖に出ねえほうがいい! オイ、舵を切ってくれ、航路を修正しないと!」

 ――乗組員は、ベテランが指示を出すのを眺めながら、もう一度だけ双眼鏡を覗き込んだ。

 

 真っ暗な雲の下には、やたらと光る海が見える。雷は止めどなく、空から海へと落ち――その暗い嵐の中央には、その距離からではごく小さく見える、銀色の球体が見えた。


「……なんだありゃ? UFO?」

 彼は未確認飛行物体と見間違えたが――


 彼が目にしたものこそ、雷王の姿であった。


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