第6.8話 白昼の墜星

「テルル〜、勇者ぁ、いるー?」

 研究室の扉をノックしてリンは壁の向こうに声をかけた。返答は無い。

 誰もいないようだ。

「んー? どっか出てんのかな?」

 彼女はスマホを手に取り、テルルの出勤状態を確認しようとする。そこで二件の通知に気づいた

 一件は天気予報。

 もう一件は滅多に目にしない内容だった。

「うわ、墜星ついせい? 珍し……この辺りだ」

 リンは廊下の窓の外から、空を見上げる。

「基地に落ちてこないでよ……」

と、祈るように呟いた。

 ちょうどその時、喧しいサイレンが響き渡った。



「うわ、墜星?!」

 同じころ、テルルも通知に気づいた。彼女は今、着陸寸前の観覧車のゴンドラの中であった。

『墜星とな? 一体何のことだ?』

 アルトリヱスはすかさず彼女に尋ねる。テルルは話を始めようとしたが、ゴンドラの扉が開かれたので、口を閉じた。

「すみません。一度、降りましょう」

『む、そうか。一周で終わりなのだな』

 少し口惜しそうにアルトリヱスは言う。そんな様子が本来はうれしいところだが、そんな場合ではなくなっていた。

 搭乗台では、係員が焦ったように人々を誘導し、危機感無く呑気な車輪から遠ざけている。

 降りるや否や、テルルは機体の腕を引いて観覧車乗り場から離れた。


 その時、サイレンが鳴り、こう告げる。

《墜星警報、市民の皆様は、墜星の落下予測地点を確認し、直ちに避難をお願いします》


 アナウンスの切れ目を狙い、


「良いですか。墜星というのは、"人工衛星の墜落"のことです」

と、彼女はそう簡潔に説明した。


『人工衛星……とは?』

 当然の疑問をアルトリヱスは投げかけた。勇者の時代には概念すら無かったものである。説明に困ったテルルは、ほどなくして口を開いた。

「詳細は割愛しますが、宙に打ち上げた機械です。雲よりもずっと上を飛んでいます」

 そんな解説に留めた。

 勇者はそんなシンプル極まる説明に感心していた。

『ほお、空か! ははっ、未来のカラクリはげに恐ろしきよな。魔法もなしに空を飛ぶとは……』

 そう言って数回も頷く。確かに人工衛星は人類の叡智の産物のハイエンドのひとつと言っても良い。

『だが、なぜそれが落ちるのだ? 拙者の体のように、エネルギーが切れるからか? 随分と危険な代物よ』

「いえ、普通は落ちてきません。ただ今はある魔物のせいで、打ち上げてきた全ての人工衛星の制御を失っているのです」

『魔物?』

 アルトリヱスの目の色が変わる。文字通り、緑から黄へと。

『空の魔物ということか』

「より正確には、はるか上空……宇宙という空間にいます」

 テルルはそう言い、曇り空を見上げる。この空模様では、落ちてくる火の玉を見極めるのは難しい。


特別指定魔物ネームドターゲット第一種の、ラアという魔物です。通称、星王と呼ばれています」


『星王ラア……四天王の一角か。そやつはリン殿が言っていた雷王にも匹敵する魔物なのか?』

「交戦経験はありませんが、ラアは人工衛星を破壊して、破片を円環のように纏っています。それが地上まで落ちることを、墜星と呼んでいます」


 “いくつも環を纏った星のような魔物”

 “悪意の遊星”

 ラアはそう評されている。


「具体的な能力は不明ですが、大切な人工衛星を失って人類は大損失を被り、墜星という二次災害も受けています。宇宙災害の原因たるラアは、第一種に指定されたのです」

 事情を話し合えると、通知が入り、テルルはスマホを手に取った。

 同時に、アナウンスが鳴り響く。


《墜星警報、落下地点は……――》


 テルルは放送を聞くと、はっとして空を見上げた。

「うそ、……?!」

 アルトリヱスも何かに気づく。ぴりぴりと、空気が震えるような感覚をセンサが捉えた。

『これは、魔法か……?』

 アルトリヱスはその魔力のを、はっきりと察知した。

 上空の暗雲赤く染まったかと思うと、白い雲が払われ、空が晴れ渡る……

「もう、落ちてきた……?!」

と、テルルが焦る。

 炎よりも赤い光を放つものが、眩い火の粉のように破片を散らしながら地上を目指している。

 その光が魔力の産物だとアルトリヱスは察した。その魔力の強さは、以前戦った臥蛇蓮華の比ではない。空間に亀裂が入りそうな、痺れる感覚が満たされる。

『あれが、墜星――!』

 アルトリヱスは剣を構えようと腰に手を伸ばす。しかし、鞘も剣もない。今は聖剣がないのだ。

「アルトリヱス様、逃げましょう! この近くに落ちてきます!」

『く、致し方ない!』

 地上が怪しげな光に照らされて、赤く変色していく。

 墜星が地上に達するまで、あと数分もない。風の流れも豹変する。

 アルトリヱスは振り返り、星の様子を確認した。まるで勇者を狙って落とされたのかというほど、近くに堕ちそうだ。

「この墜星、普通じゃないかも……!」

 テルルは息を呑む。

「いつもより落下速度が速いです! 警報発報のタイミングが間に合ってないみたいです!」

『魔法で加速しているようだ! 急ぐぞ!』

 二人は橋の上にたどり着く。

 そこには、駆けつけたFORCE職員が警察とともに市民の避難誘導を始めていた。


《こちらへ! 川に近づかないでください! 墜星で水が逆流する可能性があります!》

《誘導に従って通りを進んでください! 焦らずに! 後戻りしないで!》


「すみません!」

 テルルは職員に話しかける。

《急いでくだ……うお!?》

 アルトリヱスの機体を見て驚いた職員が、拡声器を口元から遠ざける。ただ、その機体には“FORCE”の表示があった。

「驚いた……FORCEの方ですか?」

「はい、テルル・シャルルです」

と、手早くネームプレートをポケットから覗かせる。職員は頭を軽く下げて、口早にこう言った。

「避難誘導を手伝ってください! 大半の部隊は被災地のほうに行っているので、人手が足りてませんで……! 通りを進んで川から離れるように、皆さんを誘導してください!」

「落下予測地点は? あと時間はどれくらいですか?」

と、テルルは先に問う。

「すぐそこの川に落ちると思われます!」

と、川の流れの先を指さす。「時間のほうは、あと…くそ、もうない! 逃げ遅れた人は河原にいませんでしたか?!」

 その質問を聞いて、テルルとアルトリヱスは同時に河原を見る――

「あ……」

 そこに搭乗口やチケット売り場で見た人々の顔が見えた。

 観覧車の係員たちだ。

「ま、まずい……!」と、避難誘導員が頭を抱えるのを横目に、アルトリヱスはすぐさま、直接橋の上から川へと降り立った。

「あ、アルトリヱス様?!」

 テルルが呼びかけると、勇者は一瞬だけ彼女を窺う。

『拙者が彼らを橋まで連れていく! 皆の者は逃げる準備をしてくれ!』

 そう言い残すと逃げ遅れた係員たちの下へ向かった。

「あのロボットは…!? 救助ロボか? 被災地に回ってるんじゃないのか?」

 職員がそう尋ねる。

「いえ、あれは……」

 勇者である、と返事できなかった。



 アルトリヱスは河岸沿いに走る人影の数を数える。

(1、2……4、4人か! 抱えられるか…?!)

『皆のもの、こっちだ! 急げ!』

 一番遅れている者がアルトリヱスの下までたどり着くのを待って、その人物を抱え上げた。

「わっ!?」

『じっとしておれよ!!』

 そのまま最後尾から猛追して走り抜け、避難者を追い越す際に担ぎ上げていく。

 その間も墜星は迫り、河原も川の水の色も、赤い光を反射して染まっていく。

(2人、3人……!)

『これで……4!』

 無理やり4人を肩に担ぎ、姿勢を崩すことなく橋を目指して走る。一跳びでそのまま、橋の上まで上がった。

 逃げ遅れた彼らは、膝を折ったアルトリヱスの肩の上から転げ落ちるように降り、すぐにFORCEの車両へ誘導される。

「ありがとう!」

 口々に避難者が言った。

『構わぬ、行け! 急げ!』

 彼らを乗せた車両2台が去るのを見送ることもなく、アルトリヱスはもう一度川のほうを振り向いた。今度こそ、逃げ遅れた者はもういない。

「アルトリヱス様も急いで!」

 テルルの声を聴き、アルトリヱスは最後の一台に乗り込む。エンジン音がかかり……



 ――墜星が地上に着弾した。ほぼ予測された通りの川の中である。人工衛星が弾丸のように川底に突き刺さったのだ。

 他の一切の音をかき消して爆裂音が響き、大地に亀裂が入り、突風が吹き荒れる。

 周囲の民家の窓ガラスが割れ、テルルたちが乗った車両も風に揺れて傾き、橋の手すりに激突して大きな音を立てた。

「――きゃっ――」

と、テルルの短い悲鳴。

 川では高い水しぶきが上がった。

 一時的に落下地点の川底が露になって、脇の河原に水が押しのけられ、赤く照らされた水が川を勢いよく逆流する。

 刹那の大災害の中で、歪んだ金属音――その独特な音は、車中のアルトリヱスまで聞こえた。

『――今の音―――』 

 振り向くと、観覧車の支柱が歪み、車輪が外れて地面に落ちた。そのまま強風に煽られてバランスを保ち、タイヤのように転がって河原を遡上していく――

『……!!』

 アルトリヱスはとっさに車を出る。背後からテルルが名を呼んだが、川と水の音、そして車輪が大地を駆ける音が混じって、ろくに聞こえなかった。

 車輪は橋に向かって突き進む。

 このままでは、ゴールテープを横切る走者のように車輪が橋に激突する。橋はただでは済まない。

 アルトリヱスは再び河原に降り立ち、車輪の進路に立ちふさがった。そして大質量を受け止める。

 金属の掌から黄金の火花が散った。

 目の粗いやすりのようなアスファルトの河岸と、足の裏の間からも激しい火花を散らす。

『ぐ……っ!!』

 ――やがて火花と車輪は同時に止まった。

 アルトリヱスは半分押しつぶされかかっていたが、渾身の力で川に向かって倒すように車輪を手放すと、また大きな水しぶきが上がり、通り雨のように激しく地面に水が落ちる。

「アルトリヱス様あー! ご無事ですか?!」

 テルルはすぐさま、橋の上からアルトリヱスへと声をかけた。下の様子は地面がえぐれ、すさまじい惨状と化している。

『な、なんとか……だが、視界が、暗く……』

「え?」

 不穏な発言を聞いて、ぎくりとして、彼女は急いでスマホを確認する。

 アルトリヱスの機体のステータスメッセージ、曰く、


“LOW BATTERY(充電残量 小)”


とのことだ。

 バッテリーを消費して、節電モードに入っているらしい。しかし、他の異常を示すメッセージはなかった。

 ひとまず安心したテルルは、手すりに寄りかかるようにしてへたり込んで、大きく息を吐いた。





 ――その後。

「……って、ことがあったんだ」

「いや、ちょっと外に出てる間になんてことしてんのよ、あんたは」

 大騒動の一部始終をかいつまんで説明すると、リンはあきれたように肩を竦めた。

「よくもまあ、そんな稀有なトラブルに巻き込まれるもんだわ。観覧車って落ちることあんだね」

「状況が状況だしね…」

「墜星がすぐそばに落ちてくる、ってのも超レアだわ。ラッキーではないけど」

「さすがに死ぬかと思ったよ……」

「勇者様も大した肝っ玉ね。伝説に偽りなしって感じ」

 リンはそういうと、台の上に置かれた機体を見る。

 掌と足の裏に傷ができているが、軽傷だ。あえて取り換える必要はないだろう。

「変な言い方だけど、勇者様の体の使い方が上手くなったのかな? 損傷は軽いよ」

 リンの言葉に、ほっと息を漏らすテルル。アルトリヱスは今は眠っている。いわゆる“スリープ”だ。


「で、勇者様とのデート楽しかった?」

「はえ!?」

 リンの唐突な質問に、テルルは面食らったのであった……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る