第6.5話 ロンドンツアー

 ある日の昼。

「おはようございます、アルトリヱス様。今日は外へ行きませんか?」

と、テルルは起動した勇者に尋ねた。

 ヨウド・ガロアの紹介があるアポイントの日より前のことであり、特に予定の入っていない日である。

『……外?』

と、アルトリヱスは聞き返す。

「街です。つまりその、単なる外出だと思っていただければ」

『ほお、それは良いな!』

 眼光の輪郭がわずかに変形する。表情が豊かだ。

『以前、街の様子を見たとき随分と栄えていると思ったのだ……なんという名前の街だったか?』

倫敦ロンドンです」

 テルルは端的に答える。

「ここもFORCE倫敦基地という名前です。今日はアルトリヱス様に街を案内できたら、と思いまして……」

『うむ! こちらこそ、よろしく頼む。しかし……』

 アルトリヱスは顎に手を当てて、自分の体の節々を観察する。

『このカラクリの体で街に行っても問題ないのか?』

「それは問題ないです。街にはアルトリヱス様と同じような機体も珍しくありませんので」

『ふむ……それを聞くと、いよいよ街の様子を見てみたくなった』

 アルトリヱスが頷くと、テルルはにっこりとほほ笑んだ。「はい! 行きましょう!」





 倫敦ロンドン

 どこかの世界に同じ名前の街はあるかもしれないが、アルトリヱスは初めて聞く名前の街だった。

 精密な舗装道、石造りの建物、装飾の細かな橋と、美しい街並みが目に入る。天気はあいにく、曇りだ。絞る前の雑巾のような暗い雲と、霧のような薄い雲が空を覆っている。陽光は辛うじて影を作るのに足りる位である。

 テルルは、

「雨、降るかもしれないですね」

と、空を見上げて呟く。

『確かに天気は良くはないが、街は見事なものだ。美しい。しかし……』

 眼光を細めて、アルトリヱスは遠くに見つけた異物に焦点を合わせた。

 色彩の統制された街並みのなかで、異彩を放つものを看過できなかったのである。

『あれが、テルル殿の言っていた“拙者に似ているもの”か?』


 視線の先には、回転するモップを足の代わりにして道を進む円筒のロボットが、落ち葉をつまみ食いするように回収している。

 他にはアシダカグモのような外見の威圧感満載の大型ロボットも見える。しかし道行く通行人は、その偉業の面々を横目にもせず、平然と通り過ぎていく。


 アルトリヱスはその異様な“からくり”たちを見て、

『魔物ではないのよな?』

と尋ねつつ、テルルの前に歩み出る。

「はは……アルトリヱス様みたいな人型ロボットもいるんですが、被災地の復興の手伝いに回っているのかも」

 テルルは苦笑する。

 はたと、クモ型ロボットのセンサーがアルトリヱスとテルルの姿をとらえ、機械音を立てて節足を動かし、近づいてきたのだ。勇者は微動だにしないまま、その到来を迎える。

 無数のセンサーを勇者の機体に差し向け、じっと見つめている。アルトリヱスも眼光をアシダカグモに向けて、にらみ返しているようだ。

 テルルはなぜかハラハラした。

 やがてクモの機体から、

WELCOMEようこそ!》

と、フレンドリーな機械音声が響くと、のそのそと歩いて去った。


『……うむ。なんだったのだ、あのクモは。一瞬、本当は魔物ではないかと思ったぞ。今は聖剣も持ってないから、どうしたものかと』

「一応、警備ロボです……」

と、テルルは申し訳なさそうに説明する。

「あなたの機体はFORCEに登録されているので攻撃されることはないと思いますが、不審人物を見つけたら捕捉するロボットです」

『衛兵か』

と勇者は解釈を述べる。

「そんなところです。粘着ネットを使って相手を捕まえます。殺したりしませんが、ネットに捉えられたら最後、逃げられません」

『見た目の通りクモだな』

「ですね」

と、やり取りを終えた。

「気を取り直して行きましょう! 街の案内をしますから、ついてきてください」


 それから、屋台や時計塔、車……テルルが街のオブジェクトの説明をしては、アルトリヱスがそれを聞いて関心を寄せるというやり取りが始まった。ガイドが数時間ほど続いたころ、アルトリヱスは川沿いに大きな建造物を見つけて、テルルが説明するより先に、

『テルル殿、あれは?』

と、尋ねた。

 テルルも同じものに目を止める。

「観覧車です。あ、ちょうど良いですね! あれに乗ったら街を俯瞰できますよ、乗ってみませんか?」

『……乗るものか、あれは』

 いかにも意外だ、といわんばかりの声色である。

『安全なのか? 随分細い支柱で大きな輪を支えているように見えるが……』

 そんなことを尋ねるあたり、観覧車を恐がる子供のようで、どこか微笑ましいとテルルは思った。

「ええ。あの輪っかが落ちたところは見たことがありません」

とテルルが冗談めかしく回答をすると、そうか、とアルトリヱスが頷く。

『ならば乗ってみよう。俯瞰して周囲を見てみたい』

「行ってみましょうか」





 チケット売り場は、乗客より係員のほうが多い状況だった。不機嫌な雨模様のせいか、客は少なめのようだ。

 係員はテルルたちに目を止め、

「いらっしゃい、お二人様かい? 予約なしならチケットをそこで買ってください」

と、声をかけた。

 二人、というのは彼女とアルトリヱスのことだが、平然とした対応を見て驚いたのはアルトリヱスのほうである。まるで機械人形が街中を誰かと一緒に歩いているのは当然、という反応だ。

「ええ、だから珍しくないんです。ロボットは。魔物が復活してから、生身での行動が難しい場合に対応して、いっそう普及が進んだので」

 チケットを入手して、ゴンドラの次の便の到来を待っている間、テルルはそう言った。

『なるほど……それで、だれも拙者のことを怪しまないのだな』

「はい。今時はいろいろな形のロボットがありますが、人型は多いです。感覚的に操作しやすいので」

 そうして、観覧車のゴンドラに乗り込む番が回ってくる。

「観覧車なんて、本当に久々に乗ります。私」

 そう言いつつ、記憶を掘り返すと……実は乗ったことないのでは、と彼女は思った。

『拙者は初めてだ』と勇者。

 でしょうね、とテルルは思う。

 勇者の時代にこんなものがあったら、聖剣よりずっと早く大車輪が遺跡から発掘されているだろう。そんなイメージが滑稽で、テルルは一人で笑いをこらえていた。

 眠気を誘うペースでゴンドラは離陸して、円の最高地点に向かう。大きな窓の外に見える景色の高さが上昇していく。

『かなり安定しているな。もっと揺れると思っていた』

 アルトリヱスは外を眺めつつ、そう呟いた。

「今日は風がないですからね。晴れてはないですが」

『この時代は本当によくできたカラクリに溢れているのだな……拙者の記憶はずっと昔のものだと、不思議と納得できる。だが、魔法が無くても不便しないのか?』

「どうでしょう? 魔法が無くなってからの時代のほうが人類史は長いとも聞きます。おかげで機械が発展したんだと思います」

 徐々に街の景色が俯瞰できるようになってきた。ほとんどの建物の屋上が見えるようになるころには、最高点の8割まで進んでいた。

 海の水平線を臨む方向をアルトリヱスはじっと見る。海に続く長い川。

 その下流のほうに破壊された建物や、亀裂の入った堤防が見えた。


『テルル殿、あれは……まさか魔物とこの前に戦ったところか?』


 アルトリヱスは立ち上がり、視界の標高をほんの少しだけ高めた。

「そうです……あの日は夜中ということもあって、被害状況は分かっていませんでしたが、川沿いの被害は比較的大きかったとか」

 テルルも立ち上がって、アルトリヱスより少し低い視点から、同じ方向を見遣る。

 目を細めて望遠レンズのようにピントを調整すると、FORCE隊の車両が見えた。

『そうか……もしや、拙者が一人で戦いに出たばかりに、被害が広がってしまっただろうか?』

「いえ!! そんなことは絶対ないです!!」

 テルルは即答して、首を振り、アルトリヱスは少し驚いた様子だった。

「後ろを見てください、アルトリヱス様。こっちです」

 そういうと、彼女はゴンドラの反対側の窓にアルトリヱスの肘をつかんで寄せようとした。だが、いくら軽量設計とは言え機械の重さである。テルルが引っ張っても微動だにしない。

 代わりにアルトリヱスが自ら彼女のほうへ歩み寄る――反対側の窓から見える景色は、地平線の向こうにある山の麓までずっと街だった。

 緻密な人の暮らしを俯瞰したようで、アルトリヱスは言葉を失う。

の景色には確かに魔物の被害が残ってます――でも、貴方が守ったのはの景色、全部です。……貴方がいなかったら、あの魔物の魔法で街の景色はもっと変わっていたと思います」

 テルルはそういうと、アルトリヱスを見上げるように向き直る。

「貴方は、この街を守った英雄です。FORCE職員として保証します。私達の力だけでは、この町はもっと酷いことになっていたはずです……だから、えと……」

 もしかして自分は勇者を励まそうとしているのか、とテルルは自身の言動について自覚し始めて、言葉に詰まり、紅潮した顔を伏せる。

『ふ……はは。そうか』

 フリーズしたようなテルルに、アルトリヱスは思わず微笑んだ。

『ありがとう、テルル殿。少しでも多くのものを守れたのなら、戦って良かった』

 テルルはほっとした様子で、肩から力を抜く。

 その直後、

『であれば、テルル殿も英雄の一人よ』

と、アルトリヱスが言った。

「へえっ!?」

 テルルは素っ頓狂な声を出す。

『ベリル殿とリン殿も英雄だ。聖剣だけでなく、カラクリの体が無ければどうにもならなかった。テルル殿が拙者を呼んでくれねば戦えなかった。いつの世も、一人で戦うのは難しいゆえな』

 アルトリヱスはもう一度、地平線を臨む方を向いた。

『テルル殿と彼らに誓おう。拙者がこの街にいる限り、魔物は拙者が討つ』

「……は、はい……よ、よろしくお願いします」

 たじたじと、テルルは頷いたのであった。


 ゴンドラはやがて降下を始めた。最高地点にいる時間はたった一瞬である。

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