花ウサギ

 ウサギは死にかけていた。病状が悪化したのだ。色んな動物が彼の病状を心配し、見舞いに来た。

 今はニワトリ、カモメ、トラ、カワウソ、ロバ、ウマなどが病室でウサギを見守っている。ゾウは病室に入れないため、外からウサギの様子を見ている。

 医師のワニ先生が病室に入った。聴診器をウサギの胸に当てて、何やら思案顔である。

「やはり、思わしくないですね」

 ワニがそうつぶやくと、皆は一斉に悲しんだ。どうにかならないのですか、とワニ先生に縋り付く者もいた。ワニ先生は首を横に振るだけだった。

「最期の時間になるかもしれません。皆さん、ウサギさんの話をよく聞いてあげてください」

 そう言うと、ワニ先生は病室を出た。

 沈黙が降りた。皆ウサギの話を聞こうと思ったのだ。

 やがてウサギが口を開いた。

「後悔していることがある」

 それは独り言のような口調であった。

「昔、もう何年前になるかな、カメさんがこの村にいてな。私はこのカメさんをよくいじめていた。薄鈍で、足も遅いし、何かあるとすぐ甲羅に引っ込むようなやつだったから。私は自分を優れた生き物だと思っていた。足も速く、賢く、何でもできるやつだ、と。万能感に浸っていたんだ」

 そこでウサギは言葉を区切った。両の眼は空中を見つめている。遠い過去を見ているような眼だ。

「ある日、私はカメさんに勝負を仕掛けた。かけっこで勝負しようと、そう持ちかけた。カメさんは恥をかくだけだからと嫌がっていたが、私があまりにしつこいので、渋々勝負を受けてくれた。私は自分の勇姿を見せられると思い、自分の友人知人をそのかけっこ勝負の見物に来てくれと招待した。私は楽しみにその日が来るのを待った」

 再び沈黙。皆ウサギの言葉を一言一句聞くのがすまいと、集中しているのだ。

「ついに勝負の日が来た。かけっこは村の山で行われることになった。山を越えた先をゴールとして設定した。観客は大勢いた。皆、私の勝利を願っていた。

 私は興奮していた。早く勝負を始めたいと思った。

 しかし、カメさんはいつになっても来なかった。

 最初は、足が遅いからここまで来るのにも時間がかかっているんだろ、とか友人と冗談を言い合ったりしていたのだが、あまりに遅いので、とうとう観客からブーイングが起こり始めた。私は仕方がないので、カメさんの家に向かうことにした」

 ウサギは喉が渇いたと言い、カモメから水を受け取り、飲んだ。そして話を続けた。

「カメさんの家に行くと、誰もいなかった。どうしたものか、勝負が怖くて逃げたんだ、そう思い、辺り一面を探した。でも結局見つからなかった。

 スタート地点に戻ると、もう皆いなくなっていた。

 一応ゴール地点を見ておきたいと思った私は、一人で山を越え、ゴールに向かった。

 すると、ゴール地点に影が見えた。誰だろうと思い、ゴール地点に近づく。

 カメさんだった。

 倒れ込んだカメさんを、ハトが介抱している。

 どうしたんだ、と私が訊くと、

『カメさんは君との勝負に勝ちたいと、練習していたんだよ。もう誰にも馬鹿にされたくないから。今日も何度も山を越えて走っていた。僕は止めたんだがね。明らかに体に負担がかかっていたから。カメは病弱なやつだったし。それで、練習をしすぎて、結局死んでしまった』

 よく見るとカメさんは息をしていなかった。ハトはこう言った。

『君に罪があるかどうか、僕にはわからない。ただ、君はこのことをどうか忘れないでほしい。こんなカメがいたということを、覚えておいてほしい』

 私は忘れない、と言った」

 ウサギは苦しい表情になった。胸を押さえ、悶えているようだった。皆がウサギのもとにかけ寄った。ウサギは話を続けた。

「私はそれから毎日、カメさんが死んだ場所へ花を添えた。色んな花を。カメさんの家族から、彼が花を愛でていたと聞いたからだ。毎日毎日、雨でも雪でも嵐でも、毎日花を届けた。

 しかし、最近私は病気が重くなり、花を届けることができなくなった」

 そこで一旦区切り、

「勝負は彼の勝ちだった。誰が何と言おうと彼の勝ちだ。私たちは彼を馬鹿にするべきではなかった。彼こそが尊敬されるべき動物だった。でも私は若く、彼の素晴らしさに気付くことができなかった。今でも悔やんでいる。もしカメさんにもう一度会えたら、こんな私を許してくれるだろうか」

 病室中の皆が泣いていた。もうすでに皆悲しみに暮れているようだった。

「ああ、カメさん」

 ウサギがそう言った。最期の言葉だった。最後は、安らかな顔をしていた。

 彼はカメに会えたのだろうか。そして許してもらえたのだろうか。

 誰も知らない。

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