彼方なるハッピーエンド

ふんわり塩風味

彼方なるハッピーエンド

 凛とした空気も和らいできて、春の訪れを待っている麗かな春の日。

 後は短い春休みを待つだけの、一年で一番気が抜けている時期の放課後、私は帰宅するための支度をしていた。


「あっ、あきらちゃーん。今帰り?」


 あきらとは私の名前だ。正確には橘あきらと言う。男みたい? 悪かったな!

 私がつけたわけじゃないし、気にいってるんだから余計なお世話だよ。


 そして話し掛けてきたのは、柊さくら、同じ学年の級友だ。

 同年代の子に比べると成長が遅れている私と違い、年相応にあちこち成長している。特に胸が……いや、なんでもない。


「うん。もう帰るよ」


「私も帰るところ! 一緒に帰ろ?」


「別にいいけど……」


 さくらは私の隣に並ぶと、なにが楽しいのか笑顔で着いてくる。

 柊とは普通に話をするけど、一緒に帰るほど仲は良くないはずだけど、どうしたのだろう。


「あきらちゃんって、登山部は止めちゃったけど、山登りが好きなんだよね?」


 柊がいきなり切り出してきた。しかも、一部の人間しか知らないディープな内容だ。

 普通は当たり障りのない会話から入るのではないだろうか?


「ああ、うん。あそこはガチな体育会系の巣窟だったからね。あのノリには着いてけなくて……」


 なんでそんなことを知っているのかは知らないが、別に隠す必要もない。


「うんっ! 先輩後輩関係の強いところってしんどいよね。私もえばられるのも、偉ぶるのも苦手だから分かる」


「そう。でも、山に行くのは好きだよ? 一人で行くことが多いけど……」


 なんか、同調された。

 『すっごい』『分かる』『そうなんだ』を言っていれば会話が続くと思っている種の人間か……?


「うん。知ってる。だから声を掛けたの」


 なんで知っているのかは分からないけど、それで声を掛けてくるなら理由は二つだ。


「登山にでも行くの?」


「うんっ! 山登りに行きたいなって思って。だけど、私登山ってしたことないから、あきらちゃんに一緒に行って欲しいなって」


 いきなり一緒にって、ハードル高いな。いや、登る山のレベルとかじゃなくて人間関係的な意味で……。

 これがリア充か? リア充なのか⁉


「でも、一緒に登る友達がいるとかじゃないのに、なんで登山しようと思ったの?」


 自慢じゃないけど登山は人気がない。暑いし、日に焼けるし、疲れるし、危険だしで、山の魅力に取り憑かれなければ続かない趣味だ。

 それが地味で辛いのは、例え経験がなくても予想がつくだろう。どうして始めようと思ったのか興味が湧いた。


「お父さんの趣味が登山でね、でも、もう登ることができないって凄くがっかりしてたから、一度くらいはお父さんの見てた景色を見たいなって……」


 山頂から見る景色は、当たり前だけどそこに辿り着いたものにしか見えない。

 登山が趣味というお父さんの話を聞いて、興味を持ったのだろう。

 一度くらいなら付き合ってもいいか。


「山登り、一緒にしてもいいよ。ただし、登る山は私に決めさせてもらうよ?」


「うん。あきらちゃんにお任せする」


 山登りは春休みに入ってからと言うことになり、私は頂上まで四時間程度で行けて、この時期でもなるべく雪のない山を幾つかピックアップして柊に伝えた。


 その中の一つに、柊のお父さんが登った山があった。難易度は低めで、初心者でも頑張ればどうにかなるだろう。

 今回の計画には打って付けだったこともあり、この山に登ることにした。


 それから少しの体力作りと、山登りのコツを教えて登山に備えた。


 そして春休みに入り、予定していた決行の日、私は登山口で柊を待っていた。


「あきらちゃ〜ん、ごめん! 楽しみすぎて昨日眠れなかった……」


 約束の時間から二十分が過ぎて、そろそろ帰ろうかと画策していた頃、泣きべそを掻きながら柊が走ってきた。


「ああ、そう。今からならまだ夜までに帰って来れるから大丈夫だよ」


 小学生かよ、と思ったのは隠しておこう。


「良かったぁ!」


 柊は心底安心したように笑った。


「それじゃあ、遅くなっちゃうから行こうか」


「うん。お願いします」


 柊は気合いを入れているけど、この山はそんなに辛い山じゃない。

 普通に進めば、普通に登れる山だ。

 だけど、始めて登るんだから、あのくらい気合いを入れて置いたほうがいい。

 登山を始めたころは私もあんなだったなと、内心で思っていた。


「ああ、教えた三つは絶対に守ってね」


 登山道を歩き出しながら、私は念を押した。でも、初心者はテンションが上がって調整が効かないのは分かっている。

 私がちゃんと管理してやるべきだろう。


「あ、うん。分かってる。あれでしょう? 自分のペースは崩さない。水分はこまめに摂る。無理はしない。でしょう? 絶対守るよ」


 柊は小走りで私を追い掛けながら、満面の笑顔を浮かべて言った。

 本当に、分かってるのか? こいつ。

 まぁ、柊がペース調整を出来ないなら、私が柊に合わせてやればいい。


「結構、体力あるんだね? なにか部活やってるんだっけ?」


 想定外のことが起きた。私でもそれなりに辛い勾配を、柊はこれまでと同じペースで登っていったのだ。

 しかも、涼しい顔をして、まだまだ余裕があるように思える。

 私よりも体力があるみたいだ。


「うーうん。ずっと帰宅部だよ? ただ、スパルタで特訓させられたから、体力だけはあるの。

 あっ、疲れた? ちょっと休む?」


「いや、大丈夫」


 逆に柊に気を使われてしまった。休みたかったけど、登山初心者がまだまだ行く気なのに、休みたいなんていいだせない。

 第一、まだまだ行けるし……。


 それから二人で適当な話をしながら、山を登った。

 話している方が気が紛れるからだ。

 息が切れるから嫌だって人もたまにはいるが、柊は会話は歓迎のようだ。

 父親が登ることができないのは、仕事が忙しくて世界最高峰の山を目指せないだけで、別に普通に山に登っていること。

 体力があるのは、食べるのが趣味だから有り余っているだけで、特に鍛えたりはしていないのだということ。

 今は気をつけているけど、油断するとすぐに太る体質らしいこと。

 料理やお菓子作りが趣味で、食べるだけではなく作るのも好きだということ。

 様々なことを楽しそうに話してくれた。

 自慢でも、自虐でもない普通の話だったが、結構楽しい時間が過ごせたと思う


「次はあきらちゃんの話が聞きたいな」


 柊は興味津々で見つめてくるが、なにを話したらいいのか分からなかった。


「話すことなんて、別にないしな……」


「なんでもいいんだよ。あきらちゃんのことなら」


 私が思ったままを言葉にすると、柊は楽しそうに笑いながら言ってきた。


「じゃあ、なにか質問して……」


 柊みたいに、面白可笑しく話せる話術なんて持ち合わせていない。だけど、質問に答えるくらいならなんとかできる。

 私にはこんな方法でしか、人とのコミュニケーションが取れない。


「うんっ! じゃあ、山登りはいつから始めたの?」


 いつからだっただろうと思考を巡らしている最中に、頂上に着いた。

 視界の先に嫌でも瞳を惹きつけられる、真っ赤な夕日が輝いて空を染め上げていた。

 雲が夕日の光にアクセントを加えて、さらなる美しい景色を作り出している。

 地上は、蜘蛛の巣に細かなイルミネーションを散りばめたような、道とお店や住宅で作られた街が広がっている。


 今、ここでしか見ることのできない風景がそこにあった。

 それまでなにを話していたかなんて、もうどうでも良かった。

 今は、この景色を見られることが嬉しかった。これが登山の醍醐味の一つだ。

 頂上まで登ったものだけが見ることのできるご褒美だ。


「これがハッピーエンドかぁ……」


 満面な笑みを浮かべて、柊が言った。


「ハッピーエンド?」


 意味が分からずに、聞き返していた。


「うん。お父さんがね、教えてくれたの。登山と言うのは一つの物語で、頂上まで登れた人だけハッピーエンドを迎えることができるんだって……。

 いま、私たち、ハッピーエンドを迎えられたよね?」


 夕日が沈み、美しかった風景がただの夜景になる中で、柊が言った。


「うん。そうかも知れない……。

 だけどそれって、山の数だけ物語があって、山が大きければ大きいほど壮大な物語で、その頂上には物凄いハッピーエンドが待っているってことなんじゃない?」


「はっ、こんな小さい山を登っただけで満足してたら勿体無いね!」


 私がなんの根拠もない、ただの思いつきを言っただけだったが、柊は瞳を見開いて驚いたように言った。


「うん。もっと高い山をたくさん登らないと、本当のハッピーエンドには届かない」


 私は空を見上げると、虚空を掴むように握り締めた。


「それは世界中の全ての山を登りきったときに、やっと迎えられる最高のハッピーエンド……」


「そう、言うならば……」


『彼方なるハッピーエンド』

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